読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

ハーンの目

2007-06-30 15:10:02 | Weblog

「ハーンの耳」と言う本が有る。どんな内容の本なのか読んでないので解らないがハーンの目は16歳のときに怪我をして左眼を失明している。ハーンの写真を見ているとみな左向きに写っており左眼は写真には写っていない。しかも俯き加減の写真が多い。俯きと言えばハーンは女性は活発ではなく、淑やかな女性が好きだったようで目も西洋人のように上を向くのではなく俯き加減の目の人が好きだった。たしかにハーンは妻セツにも写真を撮るときにはうつむきの眼にするよう指示したし自分の写真も俯きが多かったと妻セツが「思い出の記」に書いている。目も観音様や地蔵様の眼差しが好きだったと。

更にハーンの事

2007-06-28 11:11:36 | Weblog

ハーンはアイルランドのダブリンで父方の大叔母に育てられたが彼が5歳の頃、部屋のあちこちでお化けや妖精を見た,夜も昼もと言うに至り、大叔母はカトリック教徒だったためそう言うハーンを匡そうとイングランドのカトリックの寄宿学校へ入れた。この学校もまたハーンの幻想を見ると言う態度をキリスト教の立場から抑えようとした。こうした事が原因かハーンは西洋風を嫌うようになった。西洋風を嫌う彼の性質は後に妻、小泉節子も「思い出の記」の中に書いている。ハーンはその後アメリカに渡り「古事記」に出会うのである。そして明治23年(1890)日本に来て、出雲で神々が生き生きとし、神社まで有り、それぞれの物語を持っている事を知り喜んだのである。

保育放棄の棄

2007-06-27 11:10:52 | Weblog

赤ちゃんポストが話題になった。親が育てられない我が子を赤ちゃんポストに置くのはどんな事情が有ったにせよ、保育放棄と言える。ところで棄と言う文字の上の部分は子と言う文字が逆さまになった形で、棄は生まれた子供を箕に入れ、長い柄のついたものに乗せ遠くへ流し棄てる形を表す文字である。古代中国で生まれた子が神の穢れを受けている場合、その子は流し棄てられた。流の文字の川の上の部分も同様、子の逆さまになった形で流は子を水に流す形なのだ。イザナミもイザナギも最初に生まれた子を蛭子として「葦船に入れて流した。」と古事記にある。更に育の上部も子の逆さまになった形で下の月は肉の変化したものである。この字について二冊ほど字引を調べて見た。子が逆さまなのは悪い子の意で育はそれを良い子に育てる意としてあったがすっきりしない。この字については後日調べて見ようと思っている。

保育所の保

2007-06-26 17:05:08 | Weblog

孫が今年から保育所へ通うようになった。保と言う文字は象形文字ではかなり複雑な形に書かれているそうだが、人が子供を負うている形を示していると言う事だ。象形の子の文字の形は一方の手を上に挙げ片方を下に下げた釈迦の降誕のときの姿と同じだそうだ。ところがこれは殷の王子の身分を示す場合に見られる形で普通の子の場合は子の手は両方とも上に挙げられて書かれていると言う。象形の文字ではイと言う形で人を表し、♀に似た形の線画がイの線画の背にあたる部分に書かれている。そしてその♀の下にノに似た線が加えられている。これは産着をであろうと推測されている。「白川静著作集3」から

続「遊ぶ」

2007-06-24 18:53:20 | Weblog

「遊び」はまた祭式も意味したらしく、わが国の古語にも現れる。遊部という死者の魂を鎮める事を専門にした氏が有ったそうだ。人麻呂のような万葉期の歌人がこの部に属していたと推測されている。既に「あそぶ」には言葉として長い歴史が有った。その言葉が神の行為を意味することは、後、貴人の行為が「遊ばす」と言う語で言われる事からも知られると言う。貴人の行為が神に近い次元のものとして受け取られていたからだと白川文字学が説明している。「お出かけ遊ばす。」などと今でも尊敬語として使う語のルーツだったのだ。

遊女は女神

2007-06-23 15:56:19 | Weblog

白川静「文字逍遥」から
隠れ住む神が出で彷徨し出遊する事を原義とする文字が遊である。遊の字形は旗を持つ人の形にしるされ、旗は氏族の標識であり、そこに氏族の霊が宿り氏族神を表す。旗を掲げる者は氏族神と共に行動する。それが遊である。遊は神の出行なのだ。遊ぶものが神であると言う証左は枚挙に遑はないが例えば女神がしばしば遊女と呼ばれた事が挙げられる。遊女とは出行する女神の事なのである。遊行女婦(うかれめ)の元は女神で西行に宿を断った遊女、江口の君はその末裔と有る。

「取」の字について

2007-06-22 11:32:30 | Weblog

何時だったか記憶にないが秀吉が朝鮮に出兵したとき、加藤清正が朝鮮で戦ったしるしとして敵方朝鮮人の耳を切り取り塩漬けにして秀吉に送って来たと言う事を歴史の本で読んだ事が有った。何故耳なのだろうと思っていたが白川静の「文字講話1」を読んでいてそれが解った。古代中国では戦場で敵を討ち取ったとき首では重いので耳を取って自分の手柄の数にしたと言う習いが有ったと言う事だ。そこにまた「取」と言う漢字の成り立ちが有った。「取」は耳を手にもっている形を表したものと前掲の本に説明されている。又の部分は手を表しているのである。

婦人会→女性会

2007-06-21 10:28:16 | Weblog

少し前、婦人会の名称が女性友の会に変わったと言う話を聞いた事が有った。それから看護婦が看護師、助産婦が助産師となったりした。そこで白川静の「文字講話1」のなかにこんな話が有った事を思い出した。婦の元の字形は帚で、婦の文字に帚がある為、婦人は掃除役のように思われているかも知れないが、この婦は家の霊を祭るときこれに酒を振りかけて祭る。帚は大変神聖な道具でこれは家刀自、つまり家の中で食べ物の分配権を持っている者でなければ持つ事が出来ない。家の女主人でなければ持つ事が出来ないのだ。婦はそうした高貴な婦人の職分を示す優れた字なのだ。だから「婦と言う文字を堂々とお使いなさい。」と白川氏は言っておられる。

アレをソコでナニする。

2007-06-20 12:18:46 | Weblog

中日新聞の「暮らしの作文」欄に老齢化すると会話の中で言葉が出て来ずアレやソレ、ナニするなどの代名詞や代動詞(?)が多くなると言う話が投稿されていた。長年連れ添った夫婦や身近な人の間での会話はそれらの人たちの間で情報が共有されているためアレやソレ、ナニするなどの会話でも意思の疎通は可能になる。そこで思い出した事が有る。「源氏物語」の文章の中では主語や目的語が省略されたり、文の途中で主語が変わったりする事が有るがそれでもその文章が理解されるのは源氏物語を読むのが限られたサークルの人達で人数も限られているからだろうと言う事が司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談の中に有った。キーンが言う「源氏物語の読者は百人ぐらいでしょうか。」司馬が答える「数人かも知れませんね。」

2007-06-19 16:17:40 | Weblog

気象予報士が雷と言う漢字の成り立ちに付いて説明していた。雨の下は品の形に三つの田が積み重なった形で畾が有り、それが旧字だった。その積み重なった田は石が積まれた形でその石が崩れ転がる音を示したものが雷の字だとする説明だった。疑問に思ったので調べてみた。白川静の「字通」では電光の放射する形の象形字と有り、「説文解字」では「回転の形に象る」と有るが意味が良く解らなかった。礧(らい)は大きな石が重なりあうさまを言うと「字通」に有り「畾は壘々たるものの形で石の転がる音」とも有った。予報士の説明はそれで良かったと思える。