読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

日本でも、昔、「大学は出たけれど」という映画があったが

2013-01-31 09:02:42 | 教育
NEWSWEEK日本版から

学校は出たけれど 多くはタクシー運転手や消防士になる Jonathan Alcorn-Reuters

アメリカで4年制大学を卒業生しても、半数近くは4大卒の資格が要求される仕事に就けずにいる。

 アメリカのNGO「大学の割安感と生産性センター」が今日発表したリポート「なぜ近年の4大卒は能力以下の職に就いているのか──大学進学率と大学入学と労働市場の現実」によると、アメリカの4大卒の約48%が大卒の資格を必要としない職業に就いており、37%は高卒の資格しか必要としない、たとえばタクシーの運転手、消防士、店員、電話勧誘などに従事している

「多くの人、とくに学士を取得した人は就職しているが、必ずしも良い仕事に就けているわけではない」と、リポートの共同執筆者の一人でオハイオ大学のエコノミスト、リチャード・ベッダーは言う。

 ベッダーは長年、誰もが大学に行くことに反対してきた。4大卒の学位を必要とするような仕事がアメリカにどれだけ存在するかを考えると、大学に進学するアメリカ人の数は多過ぎる。

 リポートでは、米労働統計局のデータを使い、2010年にはタクシー運転手の約15%が4大卒以上の資格を有していた。1970年にはこの比率は1%未満だったという。

From GlobalPost.com特約

787型機の電池の製造元GSユアサの調査終了―問題見つからず

2013-01-30 08:52:13 | 事件
By YOSHIO TAKAHASHI AND YOREE KOH
wsj日本版から

【東京】日本の国土交通省は28日、米航空機大手ボーイングの新鋭旅客機787型機「ドリームライナー」の運航停止を受けて着手した事故原因調査のうち、カギとなる電池問題に関する調査を終えたが、原因への手掛かりはつかめなかったことを明らかにした。787型機の事故原因調査はまもなく2週目に突入する。これにより、日本の電池メーカー、GSユアサにかかっていた圧力は幾分和らいだ。同社は過去1週間厳しく精査されていたが、電池調査の終了を受けて、今後の調査対象は電池の制御基板を製造した神奈川県の航空機器メーカー、関東航空計器に移った。

 これまでの電池調査で大きな発見がなかったということは、まだ調査は初期段階にすぎず、今後の調査が長引くかもしれないことを示唆している。またそれは、運航停止になっている787型機50機の運航再開に必要な是正措置を見つけるには綿密な調査が必要なことを意味する。

 当局はGSユアサの本社と工場から調査を開始した。同社は2件の事故で発火したことが判明した電池を製造していた。1件目はボストン空港に着陸していた日航の787型機の電池が燃えた事故、2件目は全日空の787型機が高松空港に緊急着陸を余儀なくされた事故だ。この2件の事故を受け、世界中の787型機が16日以降運航停止になっている。

 国交省は、米当局と共同でGSユアサの電池製造における品質管理と、電池の設計技術に関する調査を1週間にわたって行い、それを終了した。国交省航空事業安全室の高野滋室長は、電池の問題に直接つながるものは確認されなかったと述べた。

パソコン時代の終わりは思っていたより早い?

2013-01-29 09:54:27 | パソコン
wsj日本版から
By SAABIRA CHAUDHURI


米ハイテク市場の調査会社ガートナーによると、世界市場のパソコン(PC)出荷台数は2012年第4四半期に前年同期比で4.9%減少した。背景にあるのは、単に弱体化した経済というより、構造的変化だという。

 タブレット型端末がパソコンの勢力図を劇的に変えたと話すのは、ガートナーの首席アナリスト北川美佳子氏だ。消費者は古いパソコンを買い換える際に、パソコンからむしろタブレットへ乗り換えていると北川氏は指摘する。かつて消費者はパソコンとタブレットの両方を持つだろうと想像していたが、今後はほとんどの消費者がタブレットを活発に購入し、クリエーティブな作業や事務的な仕事は共有パソコンで済ませるようになるのではないかとの見方を強めているという。

 ガートナーによると、この年末年始の間、もはやパソコンは1番の贈り物とはみなされず、マイクロソフトの基本ソフト(OS)「ウィンドウズ8」のローンチも第4四半期のPC出荷台数には目立った影響は及ぼさなかった。ヒューレット・パッカード(HP)は第4四半期にパソコンの世界市場の16%のシェアを獲得し、出荷台数で再び首位に返り咲いた。しかし、ガートナーによると、出荷台数の伸びは昨年ほどではなかったという。2位は市場シェア15.5%のレノボ・グループ(聯想集団)、3位は同10.2%のデルだった。レノボはパソコンメーカー上位5位の中で最も伸び率が高く、前年同月比8.2%増となった。

 世界市場全体の第4四半期の出荷台数は9030万台だった。モバイル型パソコンの出荷台数は11%の減少、デスクトップ型は6%の減少となった。

 米国では第4四半期のパソコン出荷台数は1750万台となり、前年同期比2.1%減となった。

 一方、欧州や中東、アフリカへの出荷台数は2810万台となり前年同期比9.6%のマイナスとなった。前四半期との比較では、中欧、東欧、中東、アフリカでは伸びたが、西欧は縮小した。

 アジア太平洋地域のパソコン出荷台数は2990万台で前年同期比1.8%の下落となった。

 ガートナーとは別にIT専門調査会社IDCは10日、第4四半期の世界市場のパソコン出荷台数は前年同期比6.4%減の8980万台になったと発表した。

 IDCは、年末年始のホリデーシーズンに四半期ベースで前年割れとなったことは過去5年以上なかったと指摘する。IDCもその背景として、タブレット型端末といった競合製品の台頭とウィンドウズ8が起爆剤にならなかったことを挙げる。

 IDCによると、米国のパソコン販売は4.5%減だった。ガートナー同様、IDCもHP、レノボ、デルを世界のパソコン出荷台数トップ3とした。

米小学校銃乱射事件の衝撃―「ホームスクール」に関心高まる

2013-01-26 09:35:25 | 教育
人も自然も神が創ったものだと言う聖書の教えを学校で教育しない事を理由に自分の子供は
学校に通わせず、自分の家で教育すると言う話は聞いた事が有ったが、度重なる銃乱射事件
でも、また、ホームスクールの考えが増えていると言う。

東部コネティカット州の小学校で幼い子供20人と大人6人が射殺されるという惨事が起きてから1カ月がたった。

 事件当日は、混乱のなかで刻一刻と変わる恐ろしい情報に心が引き裂かれそうになりながら、近くの学校に通う自分の子供達をすぐにでも迎えに行って抱きしめたい衝動に駆られた。

 いつも通り学校に送り出した子供が、いつも通り帰って来ない。そんな理不尽な現実が起きているなかで、就学前の娘を持つイリノイ州在住の友人のフェイスブックへの書き込みが目に飛び込んできた。

 「私の娘はホームスクールで育てる」

 公式な調査はまだ行われていないため正確な数値を把握するのは不可能だが、様々な情報を集めると、オンラインスクールやホームスクール支援団体への問い合わせが急増するなど、悲惨な銃乱射事件の発生を機に、米国ではこの母親のように在宅教育を検討する親が増えているようだ。

 ホームスクール(homeschool)は、ホーム・エデュケーション(home education)やホーム・ベースド・ラーニング(home-based learning)とも呼ばれ、子供を学校に通わせずに自宅で教育する教育形態だ。日本ではまだあまり馴染みがないが、米国では法的にも社会的にも認められている。

 全米家庭教育研究所(NHERI)の統計によると、米国のホームスクール人口は2010年時点で200万人を超え、就学期の児童の3.8%を占めた。割合としてはまだ小さいが、公立・私立学校の児童数が2007年から2010年にかけて年間約0.6%しか増加しなかったのに対して、ホームスクール人口は年間約7%以上の勢いで伸びているという。

南三陸町の仮設住宅で暮らす母から息子を奪った人質事件

2013-01-25 09:11:45 | 事件
wsj日本版から

By KANA INAGAKI, DAISUKE WAKABAYASHI AND MIHO INADA



アルジェリアで発生したイスラム武装勢力による人質事件で亡くなった日揮の社員の伊藤文博さんは、その前の週、故郷の宮城県南三陸町に暮らす母親を訪ねる予定を立てていた。南三陸町は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた海沿いの町だ。



Kogo Yanagawa
アルジェリアの人質事件で亡くなった日揮の伊藤文博さん
 伊藤さんは日本文化で人生の1つの節目とされる年齢である60歳、還暦を迎えようとしていた。友人らは中学校の同窓会を準備していた。参加者は100人を超える予定だ。友人らによると、伊藤さんは同窓会への出席を楽しみにしていたという。帰省中は母親のフクコさんが住む仮設住宅に滞在する予定だったという。

 フクコさんはNHKの取材に応じ、伊藤さんが死亡する1週間前に「母ちゃん帰ってくるからね」と伊藤さんから最後の電話があったことを打ち明け、「なんであんないい子が殺されないといけないのか」とつらい胸の内を語った。

 イナメナスのガス関連施設で起きたイスラム武装勢力による人質事件に巻き込まれ、これまでに死亡が確認されたた外国人のなかで最も人数が多いのは日本人だ。菅義偉官房長官は23日夜、新たに2人の遺体を確認したと発表した。これまでに死亡が確認された7人と合わせ、日本人犠牲者の数は10人となった。

 日揮でアルジェリア・プロジェクトの部長を務めていた伊藤さんの遺体は、ほかの犠牲者の遺体とともに政府専用機で数日中に帰国する予定。日本政府と日揮は今のところ犠牲者の名前や殺害された状況などについては公表していないが、一部の犠牲者については家族や友人らが名前を確認している。伊藤さんの複数の友人によると、伊藤さんは結婚しており、子どもはいないという。伊藤さんの妻や母親に直接、連絡をとることはできなかった。

 アルジェリア政府は37人の外国人が4日間に及んだ人質事件で殺害されたと発表した。菅長官は23日、身元不明の遺体のなかに2人の邦人の遺体を見つけたと述べた。イナメナスで働く約790人の労働者のうち、外国人は136人だった。

 日本人犠牲者は全員、横浜市に本社を置く日揮の社員だ。同社はイナメナスのガス関連施設の設計・資材調達・建設を手がけている。

 日本は邦人が巻き込まれたテロ事件としては、ここ何年で最悪の結果となったこの事件に動揺している。1万5000人を超える人々が犠牲になり、津波で破壊された原子力発電所の近くに住んでいた住民らを含む数十万人が避難や仮設住宅での暮らしを余儀なくされている東日本大震災から2年もたっていない。

 日本は近年、単なる工業製品だけでなく、第二次世界大戦後の高度成長期に培われたインフラ技術を発展途上国や、時に政情不安定な地域へ輸出しているが、今回の人質事件はそれに伴う潜在的なリスクを浮き彫りにした。

 伊藤さんにとって、これはライフワークだった、と友人らは話す。伊藤さんは東京工業大学で化学工学の博士課程を修了した後、1978年に日揮に入社した。伊藤さんが東工大で講演した際に自身が書いた略歴によると、以前にもマレーシアやアルジェリアの天然ガス関連施設の建設現場へ派遣されていた。

 最後の7年間は毎年、伊藤さんは母校の一関工業高等専門学校を訪問し、講演を行っていた。2010年3月の設立40周年記念行事では「サハラ砂漠のプロジェクトで学んだこと」と題する講演を行った。

 講演の中で伊藤さんは、自分の任務は天然資源の乏しい日本が将来へ向けて安定的にエネルギーを確保する手助けをすることだと話した。大学講師で伊藤さんのクラスメートだった梁川甲午さんは、「(伊藤さんは)自分がやっていることに情熱を持っていたし、才能もあった。経験もあって自信をもっていた」と語った。

 日揮のエンジニアが1回の派遣で数カ月間、外国の現場で働くことはよくあることだ。日揮は収益の約80%を海外プロジェクトから得ている。アルジェリアのようなプロジェクトでは、ほとんど男性の日本人従業員が1年ないし2年の任務で、家族を日本に残したまま単身赴任することが多い。このような日本人従業員は4カ月ごとに2週間の帰省休暇が与えられる。

 アルジェリアでは日本人従業員はガス関連施設から約3キロ離れた、高い塀とアルジェリア軍の警備員に守られた居住区に一緒に住んでいる。ガス施設までバスで移動する時以外は、1人で居住区を離れることは許されていない。赴任の際、従業員らはトラブルに巻き込まれないよう、文化の違いや地元の安全リスクについて概説されたマニュアルを渡される。

 日揮によると、イナメナスの現場は通常、朝早くから操業する。朝6時前には従業員らが到着し、暗くなりすぎる前に施設を離れる。居住区の中では、風呂付きの小さな部屋がそれぞれに与えられていたという。食事は居住区内にあるカフェテリアで一緒にとる。メニューは従業員の多様な国籍に合わせ、定期的に変わる。居住区内にはサッカーやテニスを楽しめるレクリエーション施設もあるという。


 そういった暮らしは、もう1人の犠牲者で経験豊富なエンジニアだった渕田六郎さんにとってもなじみ深いものだった。渕田さんは日揮の下請け業者から派遣されていた。伊藤さん同様、渕田さんもキャリアのほとんどを海外で過ごし、ロシア、ベトナム、サウジアラビア、カタールの化学プラントやエネルギープラントで仕事をした。

 「燦々(さんさん)と降り注ぐ星空を目指し世界各地で仕事をしている。次はアフリカ大陸に位置するアルジェリアに行き砂漠で星空を眺める事に期待を込め!」と渕田さんはフェイスブックに書いている。

 伊藤さんもアルジェリアの自然の美しさに魅力を感じていた。日揮は40年以上前の1969年に製油所の建設を請け負ってからアルジェリアで業務を行ってきた。

 バードウォッチングの趣味が縁で伊藤さんと50年以上のつきあいのある三浦孝夫さんは、伊藤さんがお酒を飲みながらアルジェリアの鳥のことをよく話していたことを思い出す。三浦さんは以前、アルジェリアの砂漠の砂が入ったビンを伊藤さんからもらったという。


 三浦さんは、伊藤さんのことを寡黙かつ優秀で仕事熱心だったと話す。早朝の野鳥観察の会に伊藤さんは一睡もしないで現れたこともあるという。前の晩に徹夜で勉強をしていたためだ。

 三浦さんは「伊藤君はお母さんの自慢の息子だった。テレビで泣いている彼のお母さんを見ると、僕も涙を抑えることができなかった」と話す。

 南三陸町は2年前の津波で甚大な被害を受けた町のひとつで、614人が亡くなっている。12月末時点でまだ226人の行方がわかっていない。推定15メートルを超える高さの津波が町の多くの住宅や商店などをのみ込んだ。

 伊藤さんの年老いた母親はすべてを失った。息子を思い出せる物も残っていない。「鉛筆一本、箸一本ない。全部流された」とフクコさんはテレビで語った。

フランス版「対テロ戦争」の行方

2013-01-24 09:51:39 | 事件
newsweek日本版
酒井啓子の「中東徒然日記」から

多くの犠牲者を出したアルジェリア軍の性急な制圧作戦に、人質となった国の政府からは、批判が相次いだ。日本はアルジェリア政府に「人命最優先で対応するよう」に申し入れていたし、18日にはキャメロン英首相も、アルジェリア軍の作戦が事前に知らされていなかったことに「失望した」と、不快感を隠さなかった。

 反対に、真っ先に支持を表明したのがフランスである。キャメロン首相の「失望」発言と同じ日、フランス外務報道官は「アルジェリアに(制圧作戦以外に)選択肢はない」と述べた。犯人が犯行理由として「フランスのマリ軍事侵攻に反対」を掲げている以上、「テロ」に屈せずマリ作戦を継続するためにフランスがアルジェリアに妥協して欲しくないのは、当然だ。実際、今年に入ってフランスは、マリだけではなく、ソマリアでも「対テロ戦争」を繰り広げていた。マリ軍事侵攻の数日前、フランスは2009年からソマリアの武装集団「シャバーブ(青年、の意味)」に拉致されているフランス治安要員の救出作戦を強行したが、失敗、当の治安要員と仏軍兵士が殺害されている。数週間前にはアルジェリアに植民地時代の「謝罪」を行い、反植民地主義者としてのイメージを打ち出したオランド大統領だが、その実、北アフリカの「対テロ戦争」にずぶずぶと関与を深めていたのである。

 注目されるのは、「「対テロ戦争」なんだから国際社会は協力すべきだ」というロジックが、事件発生から数日すると主流に転じていったことだ。21日にはキャメロン首相は、「北アフリカが武装勢力を引き付ける磁石のようになりつつある」と危機感を示し、それまであまり乗り気でなかったフランスのマリ軍事侵攻に、支援増強を約束した。フランスの外務報道官は「アルジェリアで起きたことは、この地域にテロ集団が存在することで国際社会が危機に瀕していることを示すものだった」と述べて、事件がフランスの対マリ政策に追い風になったと見なしている。

 また、米国ではブッシュ政権時代のネオコンが再び鼻息を荒くしている。ボルトン元国連大使は、オバマ政権が対テロ戦争に及び腰だと批判し、「ここで国際テロに目を瞑れば、9-11同時多発テロ事件を準備した90年代のような状況を生む」と警告する。10年前、イラク戦争を決断したブッシュ米政権を「正統性を欠く」として激しく糾弾したフランスと、それを「古い欧州」と小馬鹿にした米国のネオコンが、今同じ位置に立っているのは、なんとも皮肉なことだ。
 
 だが、そんなに簡単に「対テロ戦争」を無条件に良しとする風潮に舞い戻ってよいものだろうか。必ずしも成功とはいえない10年の「対テロ戦争」を経て、米英が何を反省し、何を学んで今があるのか、きちんと振り返ることなく同じ力任せの「対テロ」政策を続けても、悲劇が繰り返されるだけである。

 奇しくもあと二か月で、「イラク戦争から10年」となる。「対テロ戦争」とテロの拡散の悪循環をどう断ち切るか、過去10年間言われながら本格的に取り組まれなかった問いに、いい加減真剣に向き合うべきだ。

銃規制反対はどれだけの力を持つのか

2013-01-23 09:16:03 | 事件
newsweek日本版 池上 彰「NEWSWEEKななめよみ」から

私がNHK社会部記者の時代、悪徳商法から身を守るための企画ニュースをいくつも制作しました。悪徳業者を直撃したり、手口を紹介したりしたのですが、取材先の消費者センターの人が言った言葉が忘れられません。

「悪徳商法に引っかかる人は、そもそもこういう番組なんか見ないのよねえ」

こんなことを思い出したのは、「ニューズウィーク」が銃規制を求める記事を掲載しているからです。

 去年暮れに起きたアメリカ・コネティカット州ニュータウンの小学校での銃乱射事件。小学校1年生20人と校長や教員6人が犠牲になりました。あまりにむごい事件。さすがにこれだけの事件となれば、アメリカでも銃規制の動きが高まるだろうと思っていたら、なかなかそうはならないようです。

 本誌日本版新年合併号は、銃をめぐる記事が3本も掲載されています。銃規制を進めるべきだという編集部の強い意向がうかがえます。

 でも、アメリカ国内では、この考え方が主流にはなりきれていないんですよね。

「ニューズウィーク」が、こういう論陣を張れば張るほど、「東部のインテリの勝手な主張」と考えて反発する人たちがいるのもアメリカなのです。それよりも、銃支持派は、そもそも「ニューズウィーク」なんか読まないでしょう。ここで、私は「悪徳商法に引っかかる人は...」の発言を思い出したのです。

 銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)は、ウェイン・ラピエール副会長が記者会見して、「すべての学校に武装警察官を常駐させればいい」と主張しました。この主張は正しいのか。3本の記事のうち「銃支持派が導く被害妄想な未来」は、事実をもって反論します。

「99年に銃乱射事件が起きたコロラド州のコロンバイン高校には、ちゃんと武装した保安官代理がいた。ラピエールの会見中にもペンシルバニア州で別の乱射事件が起きているが、その現場にも武装した州警察官がいた」

 NRAの主張は、どんな未来をもたらすのか。この記事は、論理的帰結を次のように提示しています。

「NRAの圧力で銃規制の緩和が進むにつれ、警察の監視対象が広がっている。今や政府が個人のメールをのぞき、電話を盗聴し、住宅地の上空を警察の無人監視機が飛び回っている」

 この結果、NRAの主張する自由な国は、「幼稚園は高い塀に囲まれ、すべての市民の精神状態を国家が監視し、ありとあらゆる場所で警官が目を光らせる」ことになっていきます。

「NRAとその支持者が死守しようとする唯一の自由とは、人を殺す自由にほかならない」

 みんなが銃を持てば、みんなが「自警団」の意識を持ち、よそ者を排除する動きに出るかもしれない。ハリウッド映画が描くような暗いアメリカの未来です。

 悪徳商法にひっかかる人は個人レベルの被害ですが、NRAの積極的な主張は、アメリカを暗い未来へと導きます。

 NRAは、豊富な資金で銃規制反対派の議員を育成し、銃規制派の候補を選挙で落選させてきました。これが、銃規制が進まない理由です。

 オバマ大統領は、次の選挙を心配しなくて済む立場になりました。選挙を心配しなければ、なんらかの対策を取りやすくなりますが、法律を制定する立場の連邦議会議員には、「次の選挙」があります。議会の同意を得られる規制が、どの程度のものになるのか。

 アメリカが大好きな私も、この点ではアメリカが嫌いになるのです。

タブレットで苦戦の国内メーカー、ウルトラブックで巻き返し?

2013-01-22 09:46:28 | パソコン

東芝がCEATEC JAPAN 2012に出展したウルトラブック(12年10月)
wsj日本版から
モバイル端末市場でパソコン製造を主力としない企業の躍進が目立つ。「ネクサス」ブランドでスマートフォン(高機能携帯電話)とタブレット端末を展開する検索エンジンのグーグルなどだ。調査会社BCNによると、先月の国内タブレット販売台数シェアでネクサスがアップルの「アイパッド」を初めて上回り首位に立った。

ソフトウエアのマイクロソフトは自社ブランドのタブレット「サーフェス」(日本未発売)を手掛ける。同社は今月、ビジネス向けに新タブレット「サーフェス・プロ」を発売する。ほかにオンライン小売りアマゾン・ドット・コムの「キンドル・ファイア」などが主力製品の一角を占める。

とかく米IT企業の好調が目立つモバイル市場であるが、国内のPCメーカーが気を吐いている一角がある。「ウルトラブック」と呼ばれる薄型ノートPCだ。ウルトラブックはインテルが2011年に提唱したノートPCの規格で、厚さ21ミリ以下、7秒以内に起動、5時間以上のバッテリー駆動などを要件とする。国内市場では東芝(12年の年間シェア22.6%)や富士通(同12.9%)といった日本メーカーが台湾の華碩電脳(エイスース、同26.6%)などと互角に渡り合っている。

ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は先頃、インテルがウルトラブックに注力することで、本来はタブレットに向かう需要を取り込んでいると報じた(インテル、新興国市場の「バリュー」スマホ向けチップに照準)。

調査会社Gfkジャパンによると、12年度上期のウルトラブックを含む薄型ノートPCの国内販売台数は前期比で約1.6倍となり、ノートPC全体における構成比は数量ベースで7%、金額ベースで10%に拡大した。平均10万2000円という高い販売価格が普及の妨げになっているが、先のWSJ記事によれば、インテルは今年末までに米国での平均価格が599ドル(約5万4000円)に低下すると予想する。

ウルトラブックのプロセッサを供給するインテルの吉田和正・日本法人社長は18日に都内で開催された年頭会見で「インテルブランドの商品展開は現時点ではない。これからもないと思う」と述べた。タブレット市場で基本ソフト(OS)の供給を受けるマイクロソフトと正面衝突したPCメーカーには朗報だ。

記者:山口 肇

高まるリチウムイオン電池への懸念―「787」の事故受け

2013-01-18 20:12:24 | 事件


緊急着陸したドリームライナーの調査をする航空安全委員会のスタッフ(16日)

wsj日本版から 
最近ボーイング製旅客機787型機「ドリームライナー」で問題を起こしたのと同種の電池にここ数年間、航空安全当局が懸念を高めている。

 米連邦航空局(FAA)は、同型機の主要電池が2件の不具合を起こしたのを受けて、同型機の運航停止を命じ、他の国の当局もこれに追随。ボーイングの旗艦旅客機は事実上飛行できなくなった。

 これまでは同型機で使われているのと同様なリチウムイオン電池をめぐる不安は主として、航空貨物として大量に輸送されたり、機内持ち込み手荷物に入れられたノート型パソコン(PC)や携帯電話機といった電子機器に関するものだった。787型機は、大型リチウムイオン電池を使った初めての旅客機だ。

 日本のジーエス・ユアサコーポレーション(GSユアサ)製の787型機搭載の電池が、全日空と日本航空の旅客機で起きた2件の問題の原因かどうかはまだはっきりしない。業界筋からは、配線や設置が一因となった可能性も指摘されている。

 787の事故の原因が何であれ、リチウムイオン電池は過充電をしたり、急速に放電したりすると過熱状態となり、過熱ないし損傷を受けた電池は発火する恐れがある。その燃焼温度は高く、可燃性のガスや炎、火花を放出して、爆発する恐れさえある。

 この危険性は、この種の電池が人気を高めたことに関係している。つまり、大量のエネルギーをため込むことができのだ。また、軽く、小さく、充電と放電の時間も短い。

 航空規制当局はこの10年間に、個人用電子機器内のリチウムイオン電池が機内や空港で過熱したり、発火したりしたことを記録している。こうした電池を航空機で運ぶ危険性に対処するため、国際安全規則が強化された。

 航空当局者によると、2010、11年の2機のジャンボ貨物機の墜落と、06年のこれより小型の貨物機の破壊では大量の電池が一因になったのではないかとみられている。

 懸念にもかかわらず、航空機でのリチウムイオン電池の利用は広がっている。米軍のF35ライトニング統合攻撃戦闘機は仏バッテリーメーカー、サフト社が製造したリチウムイオン電池を使っている。同社に関してはこれまで安全性にかかわる問題は出ていない。

 同戦闘機を製造しているロッキード・マーチンの広報担当者は声明で、戦闘機に使っているバッテリーはGSユアサのものではないとし、「(統合攻撃戦闘機)プログラムへの影響はないだろう」と述べた。

「新島八重のことがマンガで3時間でわかる本」  津田 太愚著 明日香出版社 (2012/10/16)

2013-01-17 09:03:54 | 歴史
ある読書好きのメルマガから。
2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」の主役、幕末に生き
た会津の女、新島八重。結婚祝いにもらった銃で
戊辰戦争を戦ったという女傑。

八重が生まれたのは江戸時代の最末期。誕生の翌年に、
浦賀にアメリカの船が現れたという時であった。

会津藩の砲術師範の家柄。兄の覚馬が江戸で洋式砲術を学んで
おり、八重は彼から銃の扱い方を習ったと言う。

裁縫など、女性らしいことは苦手だったらしい。体格はよく、
米俵を持ち上げることもできたらしい。これはドラマのなか
にも描かれてあった。

二十歳の折、兄の紹介で一度目の結婚をする。夫は川崎尚之助と
いい、丹波(兵庫県)の出身だった。このとき、八重は兄から七
連発のウィンチェスター銃を贈られている。

八重二十三歳、戊辰戦争が勃発し、会津のお城は薩長の官軍に囲
まれる。八重は京都で亡くなった弟の着物を着て参戦し、結婚祝
いの銃を片手に大奮闘した。

夜間の奇襲に自ら参加し、不発弾についての講義を領主の前で
行った。運び込まれる傷病兵の看護にもあたったという。

しかし、会津は敗れた。男は捕らえられ、蝦夷や江戸
に送られた。八重は夫の尚之助と別れ、残った女たちと力を合わ
せて自給自足の生活に励む。暮らしは厳しかった。

そんな八重たちのもとに、京都からの手紙が届く。差出人は兄覚
馬だった。覚馬も、弟とともに鳥羽伏見で死んだと思われていた
のに。彼は目を負傷し、薩摩藩に囚われて生きていたのだった。

八重の人生に転機が訪れた。兄に呼ばれて京都へ旅立つことになった。
ここで女性たちが集う学校に入り、二人目の伴侶となる新島襄と出会う
こととなった。

新島襄についても触れられている。幼名を七五三太(しめた)と言った
幕末、アメリカに密出国した。安中藩(群馬県)の藩士の子
として生まれた彼だが、ジョン万次郎と出会ったことで、アメリ
カに魅せられてしまう。

何故か、パスポートを出してもらえることになり、やがて留学生の扱いとなり、
帰国後にキリスト教の学校を作るまでになった。

そのとき、学校のために土地と資金を提供したのが八重の兄、覚
馬であったということだ。京都に有った薩摩藩邸の有った土地
を安く手に入れていた。現在の同志社大学と有る地である。

八重は生き残った。
生き残り、「日本の女性らしからぬハンサムレディ」と呼ばれて
新島襄に愛され、キリスト教者となり、やがて看護師にもなった。