必と言う文字の成り立ちの説明として
ある宗教関係のメルマガが、「心に楔を加えた
もの」と説明していた。心に何故楔などを打つ
のか理解できない。白川静の「常用字解」によれば
必の文字の中央のヒは戈の事で武器である。
左右のハはその武器を飾る垂れである。
木を束ねている様子を示した象形文字としている
説明も有ったが首肯できない。文字はもっと
呪術的な動機で成り立っているものである。
ランダムに並んだ漢字を並べ替えて作るゲームをやっている。
ところが三字熟語を作るゲームの中に納得出来ない事が有る。
つまり、経済学も不経済も動物園も不支持も正解には無く、経済力は有り、
小動物も正解としてあるのだ。四字熟語のゲームにはそんな事はないのだが。
古典の「典」はもと竹簡を綴った書物が机の上に
積まれているさまをたたどる。と有った。
白川静著「常用字解」で調べてみると、だいたい
同じ意味の事が書いてある。
会意で冊と兀を組み合わせた形と書かれている。
兀は物置の台の形で、その上に書物を置く形が
典であるとされる。
アメリカの洋服を着こなし、アメリカ流の礼儀作法を身につけて、
ワシントンでも「立派なレディ振り」と絶賛された。
しかし、そのうちに15歳の娘二人はホームシックから体調を崩し、
日本に帰された。残る3人は1872(明治5)年10月末、それぞれ別々の
アメリカ人家庭に引き取られて、教育を受けることとなった。
捨松はニューヨークとワシントンの間にある美しい町ニューヘイブンの
ベーコン牧師の家に寄宿した。ここは1638年にボストンの清教徒の一部が
イギリスの支配から逃れて作った町で、敬虔かつ教育熱心な土地柄であった。
名門エール大学もこの地にあり、ここに次兄・山川健次郎が留学していた。
会津藩の質実剛健な武家で育てられた捨松は、謹厳で質素な土地柄、家柄に
よく合ったのだろう。ベーコン牧師は「優しい子で信頼がおけ、私達は
皆すっかり彼女の虜(とりこ)になってしまいました」とスイスに住む息子に
書き送っている。
身体が弱く、ほとんど家に籠もっていたベーコン夫人は、素直で頭の良い
捨松に勉強を教えることに生きがいを見出し、すっかり明るくなった。
捨松も2歳年上の末娘アリスと姉妹のように仲良くなった。
ベーコン家の向かいに住むエール大学のホイットニー教授の娘マリアンは、
捨松より2歳ほど年下で、毎日のように一緒に遊んだり、勉強したりする仲になった。
マリアンは、後にこう回想している。
捨松は、ほっそりとして優しい感じのする女の子でしたが、いつも元気一杯で
どんな遊びにも喜んで入ってきました。かけっこが早く、木登りもとても上手でした。
泳ぎも素晴らしいものでした。
捨松は、こういう溌剌(はつらつ)とした生活を送りながら、ベーコン家の実の娘のように元気に育っていった。
かみふじこうじさんと言う人が【今日の漢字】と題して以下の
ような文章を書いておられる。
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新聞を読んでいたら、「親」という漢字が目に飛び込んできた。
じっと見ているうちに、いろんな思い出がよみがえってきた。
小学校のとき、高校のとき、大学のとき、社会人になっても
常に、親から心配されていた。(今も)
また、自分が子どもだったときは元気だった両親も最近は、
テレビの音量が大きくなったり、「膝が痛い」など
年齢からくる症状を耳にする。
結婚する前までは静かな家族だったが、今は、結婚して
子供ができ、孫の話題で両親もよくしゃべるようになった(^^)
先日、私が初めてテレビにでたときも、
珍しく親から電話がかかってきて「良かったよ!」と
褒めてくれた。
褒めてもらったのは数十年ぶりだったので、本当に嬉しかった。
そういえば、
「木のかげに隠れて立って、子どもの成長を見守る」のが
「親」と習った気がする。うちの親もそのとおりだった。
最近は、「木の上に立って、子どもや学校を監視している」
「親」もいるようだが。
今では、私も3人の子どもの親となり、子どもに背中を見られる
立場になっていることを実感している。
「木のかげに隠れて立って、子どもの成長を見守る」ようにしたいが、
たまに木の上に立ってしまう自分もいることに気づく。
この漢字、どういう想いがよみがえりますか?
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と言う文章だ。
「木のかげに隠れて立って、子どもの成長を見守る」のが
「親」と習った気がする。
このような意味でこの「親」と言う漢字は出来ているのではない。
立の部分は辛が本当の形で取っ手の付いた細い剣に似た針である。
これを木に突き刺したのが親と言う漢字の旁の部分である。この木を
神木として選んだ事を意味する。その神木に家族神の名を書くのである。
親が死んだ場合は神となり、その名を書き、それを見る、つまりこれに礼拝
するのである。言わば、位牌を拝んでいる事を示している文字が
親と言う漢字の成り立ちである。
ついでながら、選んだ神木を斤で切り出したのが新と言う文字で
切り出した後、残った葉の付いた木が薪である。
自然現象も絵で示された。日、月、山、水、川、雨など、そのままの象形で
ある。永は水が分かれて流れる形、朝は潮水を表す。潮水の干満により
朝を表したものである。申は稲光りの形象で、嵐、かみなりなど自然現象
は皆、神と言い、申は神の元になった文字である。
中国の文字もはじめは絵文字、つまり、自然の形を写した
絵画から始った。その文字の要素が後の字形にかなり
強く残っており、漢字は象形文字とも言われている。
牛・羊・鹿・馬・犬・鼠・虫・亀・鳥など、皆その絵から
出来た文字である。その筆絵の簡潔さはみごとで
文字として既にかなりの発達を遂げつつあった事を
思わせる。これらの文字に他の要素を加え別の文字をも
作っている。
為は象の鼻を手で持っていることを示した文字であるし
集は木に鳥が留まっていることを示している文字
獲は鳥を手で捕獲した形である。
中国では鉄の使用は戦国時代から活発であったが
文字は少なくとも紀元前十四、五世紀には使われていた。
殷の武丁の時代以降、占いに使われいた亀甲や獣骨に
刻まれた文字が、その頃、その都であった殷墟(現在の河南省
安陽)から発掘された。その数は数十万片に及ぶ。
これらの亀甲、獣骨文字と共に優れた青銅器も発掘された。
それら青銅器にも文字が書かれ、金文と呼ばれている。
文字は、もとは絵文字であった。が、これら絵文字は言葉を
表すものではなく、ただ、絵によって事実を知らせるだけのもの
であったから文字とはいえないものであった。
文字と言うためには、一定の形が、一定の意味を表すと共に
一定の音を示すものでなくてはならない。
殷墟の文字は既にそうした条件を備えていたのである。
白川静の著書から
多くの予想通り、今年の漢字となった。
驚いたことにこの漢字、常用漢字の中にはない。
糸は糸束を表わす象形、元の字は絲。半は生贄にする牛を
半分に切る事を表わす文字。八は二つになった状態で刀で切る
のが分けると言う文字。
絆は牛や馬を引く綱で、同じ引っ張る意の挽から来ている
と言う事だ。「きずな」で絆に変換されるが、「きずな」は本当は
「きづな」で「ひきづな」から来ているのではないかと思う。
この絆と言う漢字は今度は常用漢字の仲間にしなければ
ならないだろう。
白川静著「桂東雑記拾遺」平凡社から
私は上掲の本のこの部分を読んで明治期、日本が諸外国から多くの知識を移入したとき、役立ったのは英語でもフランス語でもドイツ語でもなく漢字の造語力であった事と、中江兆民もこの為、漢字の塾へ入りなおしたと言う事実を読んだ事を思いだした。