読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

岩崎弥太郎のこと

2008-07-31 10:04:44 | 歴史

岩崎弥太郎の出自は郷士の坂本竜馬よりも更に低い「地下浪人」であった。この地下浪人と言う身分は土佐だけのもので、郷士が貧窮し郷士株を手放したのちの元郷士に対する呼称であった。土佐藩では最下級の身分で皆極貧であり、多くの地下浪人は生きる気力も少なかったと言われる。しかしこの岩崎は才覚を持って吉田東洋の門下に入り出世した。
後藤象二郎の世話で藩士にまで昇格した。前代未聞の事だ。しかしこの昇格には後藤が失敗した貿易や商社活動の後始末を岩崎が引き受けねばならないと言う暗黙の約束が有った。岩崎はその後大阪の土佐藩邸を貰い、後に三菱の土台を築くのである。

信長は無神論者か

2008-07-30 10:44:07 | 歴史

司馬遼太郎が信長は「積極的な」と言う修飾語をつけて無神論者だったと書いているが、同じ司馬遼太郎のライフワークで「街道をゆく」43の「濃尾参州記」のなかで信長が桶狭間で今川との戦に行く直前に「信長は清州城であの有名な逸話の「敦盛」を詠い舞った後、熱田神宮に行き、戦勝を祈願した。」と書いている。そして信長はそこで「社殿の奥に、金革の音(鎧が摺れる音)がした。」と言い、神明の加護を得たと言うのである。尤もこの時の起請文などはなく、これは自軍を奮い立たせるための戦術で信長はやはり無神論者だったのだろうか。

日本を洗濯致したく候

2008-07-29 08:32:59 | 歴史

「日本を洗濯致したく候。」は竜馬が姉の乙女に送った手紙の中に出て来る言葉と言う事だ。フランス語でクーデターと言う言葉が有る。「一撃する」と言う意味だとネットで調べて見ると記述されている。しかしもっと語源を遡ると「打き洗いする」と言う意味である。そうすると竜馬はこの語を知っていて「日本を洗濯致したく候。」と言ったのだろうか。
竜馬は蘭学をやった。オランダ語ではクーデターはどう言うのだろう。同じ様な意味で同じ様な発音の語が有るのだろうか。西周介(後の西周)はフランスへ留学した事が有り、慶喜にもフランス語を教えた事が有るらしいが、彼と竜馬は面識が有ったのだろうか。

大隈重信の「失敗の一事」

2008-07-27 10:36:55 | 歴史

大隈重信は慶応四年九月、長崎府判事兼外国官判事として長崎に赴任した。大隈はそれまで宗教問題については「兎角の意見」は持たなかったがキリシタン問題に直面し「租宗の神霊を祭り、国家に功労ありし者の精霊を祭る事を立教の大本」とする神道の確率を急務と考えざるを得ず、キリスト教制圧の政策中に身を置いていた。彼のような開明的な政治家さえ、明治初年には「キリスト教防遏(ぼうあつ)」の動向のを担っていた事が有ったのである。後年、「大隈伯昔日譚」の中で「余が歴史に於ける失敗の一事」と書いている。岩波新書「神々の明治維新」安丸良夫著から

「七つの子」の意味

2008-07-26 10:34:09 | 新聞

国語学者、金田一春彦は童謡「七つの子」の意味を七才になった子と解釈したと本に書いていた。私は七人の子の意味だと子供の頃から漠然と思っていた。
作家で歌手の会田道人は今は高校生になっている娘が七歳の頃、「七つの子」ってカラスが七羽いるの?カラスが七歳なの?と聞かれたそうである。その質問が「童謡の謎」と言う本を氏が書くことになったきっかけになったと言う。会田氏は鳥類研究所に電話を入れて尋ねたそうである。そこで解った事はカラスは一度に七つの卵は産まない事と七歳まで生きる事も少ないと言う事だった。氏は返事に窮した。
この「七つの子」は野口雨情の詩だが、昔は医療が未発達で乳幼児の死亡率は非常に高かった。徳川八代将軍吉宗の時代でも子供が五人生まれ、その内二人が育てば恩の字だったそうである。子供は七歳までは神様の子と信じられ、何時、迎えに来るか判らなかった。そういう子供がやっと七つになるまで育ってお祝いが出来たのである。「七、五、三」の行事や「この子の七つのお祝いに・・・」などと七が出てくる。この「七つの子」の童謡にはそうした願いが込められていたのだ。

法律は空気のように

2008-07-25 09:41:33 | 読書

昔、岩波新書に末川博著「法律」と言う本が有った。そこに、はっきりとした記憶はないが、「法律は、普段は空気のようにその存在が感じられないような状態で有るのが良い」と言う意味の事が書かれて有ったと思う。そこで、ときどき思い出す事がある。私は大学時代、法学部の学生だった。色々な法律を勉強したが、三回生になって、ゼミで刑法各論を専攻した。俗に言う「犯罪学」とか「犯罪論」とか言う分野である。ゼミが始まるに当たりゼミに参加する者が自己紹介する場面が有った。その自己紹介の中に、このゼミを選び、参加した動機として「法律を勉強したいと思った。」と言う学生が少なからず居た事が意外だった。法学部の学生なら、このゼミに参加する前に既に多くの法律を勉強して来ている筈なのだ。にも拘わらず何故「法律を勉強したいと思った。」などと言う事が改めて言われるのか。理由は恐らくこの刑法と言う法律が適用される場面では、この法律が空気のように存在するのは止めて、国家の力が眼に見える形で現れ、法律と言うものの存在を感じさせるからだろうと思った。

2008-07-24 11:20:56 | 漢字

聖と言う漢字について岩波新書「漢字」白川静著では「その字は、耳と口と人の立つ形から構成されている。」と説明している。この字のより古い形では耳と口だけの字があるそうだ。意味は口耳に聡しと解される事が多いが口はサイという祝詞を入れる容器を意味し物を食べたり、喋ったりする口の事ではなく、神に祈り神の声を聴き得る者を示すのが原義であるとしている。後に儒教が究極の人間性が完成された状態を聖人というようになったと説明している。一方、中公文庫「漢文力」加藤徹著では聖の字源は、音符「呈」(まっすぐ述べる)と部首「耳」(はなしをよくわかる)を組み合わせた会意兼形成文字とし意味を「ことばの威力を駆使できる人」と言う意味としている。加藤氏の方はこの文字に含まれる「口」を食べたり、喋ったりする口そのものと解されているようだ。

海舟ことば

2008-07-23 14:16:24 | 歴史

昔、NHKの大河ドラマで、その題名は忘れたが松方弘樹が幕末の勝海舟を演じていたのを見たことがある。その海舟の台詞によく「・・・でんしょ。」とか「・・・でやんす。」と言う話し方を聴いた。幕末の江戸ではそんな喋り方をしたのかと思って聞いていた。最近「最後の幕臣・小説大久保一翁」野村敏雄著(PHP研究所)と言う歴史小説を読んでいると海舟の台詞にその言い方が出て来る。松平春嶽と勝海舟が徳川慶喜の事を話している。
「豚一殿がそうやって勿体つけるのは、敵にも、後継はおれしかいないというところを見せたいからでんしょ。」とか、春嶽が慶喜の酒の飲み癖について「あれはねじ上げの酒飲みだから。」と言うと海舟が「なるほど、ねじ上げでやんすか。」言うふうである。豚一とは慶喜の渾名で、慶喜は豚肉が好きだったからだ。また、ねじ上げとは、酔うといつまでも理屈をこねて相手を困らせる酒癖の事の事を言うそうだ。海舟のこの喋り方は海舟の語録「氷川情話」から来ているのだろうが、まだこの語録は読んでいないので何れ読んでみたいと思っている。


リサイクル本を貰う

2008-07-22 09:18:23 | 読書

父母の法事の際、図書館司書の、私の弟の嫁さんがリサイクル本を持ってきてくれた。歴史関係の随筆が希望で、以前からそのようなリサイクル本が出たら連絡してと頼んで置いたからだった。本当に有り難かった。ある特定の時期、例えば明治維新などの歴史に登場する人物群を縦から横から斜めから色々な作家が描いている歴史小説も面白い。歴史小説は歴史上の事実とそれに纏わる人物達の関連が詳しく取材されてあり、時代小説よりは私には興味が持てる。

科挙でも不正

2008-07-19 10:48:19 | 新聞

大分県教育委員会の教員採用試験での不正行為が問題になっているが、中国古代からの人材登用試験で有名な科挙の試験でも不正はあったようだ。隋から清の時代までおよそ千三百年に渡って行われて来たこの科挙の試験もまた不正の歴史であった。唐の時代、ある実力者からの圧力で科挙の試験問題が漏らされ、それによって受験生が合格した。それが発覚し試験はやり直され、関係した試験官は減俸され、左遷されたと言う記録が残っているそうである。また偽造答案を作り、それが発覚し関係者が死刑になった事も有ったと言う。教育委員会の役員に賄賂を贈っていた者が教育者であった日本では、「先生はいくら払ったの?」などと生徒に聞かれた先生もあったと言う新聞報道が有った。教職が聖職であった時代は今や伝説である。