読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

甲骨文字発見のいきさつ

2007-05-31 15:16:16 | Weblog

甲骨文字発見の発端を調べていたら「義和団の事件」が出て来た。多くの列強国が中国に利権を求めて進駐していた清の時代、それらの国々を排除しようと白蓮教を中心とした義和団の反乱事件が有った。後に日本では北清事変と言われる事件に発展した。1900年である。清朝で練団大臣の地位にあった王懿栄は清がこの戦争に敗北した事により井戸に身を投げ自害した。この王懿栄がマラリアを患っており、その特効薬として竜骨紛を飲んでいた。竜骨と言うものは無く古代殷の時代に牛の骨などに象形文字が書かれていた骨が農作業中に出土し、その骨から象形文字を削り取ったあと粉にして農民が薬輔に漢方薬として持ち込んでいたのだった。王懿栄はそれに気付き文字の刻まれた骨片を買い集め、調査を始めたがこの事件で王懿栄が死んだ後、一緒にこの甲骨文字を調べていた劉鉄雲に後の調査が託された。これにより甲骨文字の研究が進み中国一世紀の許慎の「説文解字」が漢字研究の聖書としての地位を脅かされる事になるのである。

「日本語は天才である」より

2007-05-30 16:07:33 | Weblog

池田弥三郎の「暮らしの中の日本語」からの引用である。敬語で「お」をつける話から始まっている。「おでん」からおは取れない、おひやが欲しいと言えば水が出てくるがひやが欲しいと言うと酒が出てくる。まけとおまけは違うし、付き合いとお付き合いは微妙に異なり、しぼりとおしぼりも違う、しゃれとおしゃれも、そして、にぎりと言えば寿司でおにぎりと言えばおむすびだ。ついでながら、むすびとおむすびも違うと思った。

日本語は天才?

2007-05-29 17:09:48 | Weblog

29日の朝、東海ラジオの番組で武田鉄矢が柳瀬尚紀氏の「日本語は天才である」と言う本を紹介していた。私は図書館に新刊として出たばかりのこの本を一ヶ月ほど前に講読予約の手続きをしてあった。二日程前にこの書籍が図書館に届いていると言う同図書館から連絡を貰っていたがこのラジオ番組が放送されている時点ではまだその本は手にしていなかった。ラジオ放送の中で日本語が天才である側面の一つとして「生」と言う漢字が18個もの異なった読み方がされている事を例に挙げていた。早速、図書館にその予約をしてあった本を取りに行き読んでみた。なるほど「生」は生ずる、生活、苔生す、芝生、生真面目などなど各種出てくる。しかしこの天才さに少し違和感を持った。かねてから日本語、やまと言葉はボキャ貧であると私は感じていたからだ。古文書を見ていると日本語に必ずしも意味の一致しない漢字が当て字として使われているし漱石の小説などもそうした漢字の使い方が多い。「生」などはまだ意味が一致した読み方がされている方だが当て字も天才性の一つか?などと考えたりした。

ブログもライフワーク?

2007-05-26 10:15:16 | Weblog

中日新聞に「暮らしの作文」と言う欄が有る。日常の生活の様子が作文にされ投稿され、多くの読者も投稿者も有るようだ。投稿した作文が何度も採用されている人も有るようだ。そのような人は日常の事を「雑文」にしそれをライフワークにしておられるようだ。日記よりも長い文章になる事だろうがいいライフワークだと思う。文章を推敲し、手書きで書く事は脳にも良いに違いない。雑文と言えば私もブログをなるべく毎日書こうと思っているのでこれもライフワークと言えるかとも思っている。日記は高校時代を除き中学時代から書いているがパソコンを使うようになり日記はパソコンのソフトで書くようになったがバックアップを取っておかず、ハーソディスクが壊れ数年分の日記が消えたなどと言う事も有った。最近、手書きの日記も書くようになったがパソコンの日記も止められないと思っている。止めるとパソコンのキーボードをブラインドタッチで打つ能力が退化してしまわないかと言う思いが有るからだ。

室町時代の謎

2007-05-25 20:04:29 | Weblog

司馬遼太郎の「この国のかたち」(4)を読んでいたらこの時代に農業生産高が空前の規模で上がった事が書かれてあった。以前、新聞で梶田真章氏の「現代における寺院の可能性」と題する記事の中でも同じ事が書いてあったのを思い出した。室町時代に能が起こり、茶道、日本庭園、書院作りが始まり、今日の日本料理の原形も誕生した。行儀作法の小笠原流も起こり後の武家の礼式や婚礼などの礼式の基本となった。が政治が無かった。足利将軍家は十五代235年も続いたが後の政治の鑑になる人物は出なかった。江戸幕府の威厳も行政機構も財力もなかったが何故、農業生産高が突出したのか。司馬氏のこの本にも梶田氏の記事にもなかった。

お客様は神様です。

2007-05-24 11:03:00 | Weblog

客と言う漢字の成り立ちについて白川漢字学の解説では、その漢字のなかの口はサイと言う神への願いを記したものを入れる容器を示した形でその上の夂は足を示す形でそれが逆になったもので、神への願いに対して神がその応答に現われた事をしめしている。その上のウ冠は廟と言う建物を示していて、全体として客と言う漢字は神が廟と言う建物の中に人の願いによって入って来た事を表すのだそうだ。「お客様は神様です。」と言う言葉は昔、歌手の三波春夫が言って話題になったが期せずして符合した感が有る。

世を動かす年齢

2007-05-23 14:14:56 | Weblog

投票年齢を18歳以上とする国民投票法が成立した。当然、選挙権や成人年齢を18歳に引き下げることなどを検討する事も日程に入って来る筈で「年齢条項の見直しに関する検討委員会」を設置する事も発表された。何歳で成人になるか、なっているかは時代の切羽詰った緊急時には考えられない事だろう。幕末、ペリーが日本に来た1853年、日本を動かそうとしていた青春群像は西郷隆盛27歳、吉田松陰24歳、大久保一蔵(利通)24歳、桂小五郎(木戸孝允)21歳、坂本竜馬19歳、中岡慎太郎16歳、高杉晋作15歳で維新を目の当たりにしたのはこの内西郷、大久保、桂のみであったそうだ。世が熟した平成のとき、時代は若者に大人になるべき啓蒙を与えない。話が飛躍するが先般、愛知県長久手で元妻に復縁を迫り、断られるや復縁に値しない自己の所行を一顧だにせず、同人を人質にし、余つさえ自分の子二人を銃で撃ち、次代を担う若き警部の将来を奪った大林某は50歳で思考が子供状態で凍結していた。成人でも大人ではなかったのだ。

「Woman on the Other Shore」

2007-05-22 10:04:22 | Weblog

このタイトルの小説はMitsuyo Kakutaによって書かれた「対岸の彼女」が2004年文芸春秋から出版され、講談社から英訳されたもので作者はこの作品で2005年直木賞を受賞した。これまでに多くの作品が有り数々の文学賞も得ている。この作者の作品で英訳された最初のものである。女性の日常の生活が描かれ多くの女性の共感を得るものと奥書で紹介されている。
35歳で5歳の子を持つ主婦Sayokoは周囲の主婦たちと上手く付き合えなかった。彼女はある日、自分と同年齢、同大学出身free-spiritedでindependent lifestyle,easygoing
の独身キャリアウーマンのAoiと出会いその人物に引かれた。Aoiは旅行会社兼housekeepingビジネスの会社の社長である。職を求めていたSayokoはそこで採用される。しかしAoiも何時も外見ほど生きていくのに自信がある方ではなかった。Aoiも中学の時代からいじめに遭い転校を重ねていたのだ。結婚、子育て、独身、仕事など多くの問題に触れ、他人に自分を明かす喜びと恐れの両者を描く物語であると評されている。



I am not there, I did not die.

2007-05-19 14:59:04 | Weblog

I am not there, I did not die.は「千の風になって」と言う最近話題になっている詩の最後の部分だ。作者は必ずしもはっきりしていないらしいが「私はそこには居ません。死んでなどいません。」と言う詩の全体を読むと何か阿弥陀経の詠う浄土の様子がイメージされた。象形文字の使われた古代中国でも風は四方を支配する神々の使者であった。鳳や風の文字がそうした時代の人々の思惟の有り方を映し出している。「I am a thousand winds that blow.私は吹きわたる千の風になって」は、風になって私達の周囲に満ちている亡き人の慈悲を感じる。古代中国の人もそんな風に考えたのではと思われる。

和風、洋風、風土そして風俗の風

2007-05-17 20:04:44 | Weblog

中国の甲骨文字から漢字が出来始める頃、世界は東西南北に分かれ、そこにそれぞれの地を支配する神が居た。その神は直接その地を支配するのではなく、神の意思を伝える風神が居た。また帝の使者に鳳(風)が居たことも卜辞にその例がある。風神による神の意思の伝え方を風行と言う。風が地方を回り支配する。風は神そのもので鳳で表されたが後に鳳の中の鳥の部分は天の霊は龍のような爬虫類とみられ虫の字に変わり風となった。この風が地方を巡り、その地域性を表すとき風土と言い、その地域の人々の性格を表すとき風俗、風格と言われた。地域人が教化されれば風化である。尚、雲の云の部分は龍の尾を表し、虹の字も爬虫類の虫、つまり龍に関連した文字だそうである。以上 白川静著「文字遊心」平凡社から