読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

遺された俳句

2009-12-30 11:02:21 | 読書

市の広報誌に掲載された多くの俳句や短歌の中に直前に逝去された二人の俳句が有った。遺句となったようだ。
「風そよぐ葉かげの葡萄ふとるなり」上村なつ
「ながらえて仏と聞けるか鉦叩き」 山川鶴恵

パインクリーナー

2009-12-29 15:33:53 | 暮らしの中で

アメリカのテレビドラマで「CSIマイアミ」を割合に面白く見ている。
ある日そのドラマの中でパインクリーナーと言う言葉が出てきた。パインは松の木の事だと
思った瞬間、あれだと思った。家内が知り合いの人から松脂から作ったと言う洗剤を
貰った。黄色いドロッとした液体で、今は冬で気温が低く白く固まってしまっているが
食器などの汚れが良く落ちると言って家内が使っている。パインクリーナーをネットで調べてみると松脂が矢張り原料として使われ消臭にも良いと言う事だ。家内が貰ったものは独特の臭いがするが手の肌を荒らしたりする事はないらしい。

「あの世の妻へのラブレター」

2009-12-27 09:54:28 | 読書

永六輔は天国へのラブレターを毎日書き、それをポストへ投函しているそうだ。彼は7年前、昌子夫人を胃がんで亡くした。一年の多くを旅で過ごす永は夫人の生前、旅先から毎日、葉書を書き送っていた。それを夫人の死後も続けているそうだ。自宅宛なので受け取るのは自分自身である。夫人が亡くなった日も、その翌日もそうした。葉書は公開されていないが「あの世の妻へのラブレター」と題した手紙を夫人の死の三年後発表している。玄関には夫人の履物が今でも揃えてあり、洗面所も其の儘、鏡台も。「看取られるはずを看取って寒椿」永六輔
文芸春秋2008年1月号から

亡き妻への手紙

2009-12-26 10:28:33 | 読書

白川静氏の他にもう一人、亡き妻に多くの歌を捧げた人が居る。長年、経団連の会長を務めたことのある石坂泰三氏である。彼の四男泰彦氏は「子供たちは父の事を死後愛妻家と呼んでいたんですよ」と笑って言っていたそうだ。六十二歳で夫人は亡くなられたがひたすらな妻恋の思いを隠さず夫人を偲ぶ歌を詠み続けたそうだ。
「別荘の箪笥の底に妻の着し浴衣のありてしづかに見つむ」
夫人の名は雪子、夫人の死の二ヵ月後、昭和三十一年二月石坂氏は経団連会長を引き受けた。就任挨拶の講演で大阪からの帰り、快晴の大阪から米原では雪となって
「雪降ればなほ偲ばるる亡き妻のをちかへるかと名を呼びてみつ」夫人が近くに気がしてこの歌を詠んだそうである。そして三月、同じ講演で九州へ、ここでも季節はずれの雪だったとか。
文芸春秋2008年1月号(世紀のラブレター50通)から

続「白川静の恋文」

2009-12-25 09:35:10 | 読書

平成十六年四月、白川静氏のつる夫人は九十一歳で死去した。妻の死に際し白川静氏は七十首の歌を詠んだ。臨終の病室を去りかね「立ち去らば千代に別るる心地してこの室中(へやぬち)を出でがてにすも」から最後の「意識絶えて今の言(こと)はきかざりしまた逢はむ日に懇(ねんごろ)ろに言へ」。長い年月を連れ添った妻への感謝を込めた歌であった。白川氏の初期の論文はみなガリ版刷りで、費用は全て自腹を切ったものだった。本を出すたびに家族は耐乏の生活を余儀なくされた。が奥さんのつるさんは一言も愚痴を言わなかったと言う事だ。
文芸春秋2008年1月号「世紀のラブレター50通」から

白川静の恋文

2009-12-24 14:30:01 | 読書

浄土に渡った伴侶に恋文を書いた人がいる。白川静氏である。彼は89歳で漢字の研究で勲二等を受賞し、93歳で文化功労者となり96歳で亡くなった。平成18年10月のことであった。彼はそれ以前の平成三年独自の漢字の研究で菊池寛賞を受賞したときこんな歌を詠んだ。「菊池寛賞内定といふ電話あり おまえどうすると妻に諮れる」「一つぐらいあってもと妻の言ふなへに我もその気になりにけるかも」「賞といふもののほしきにあらざれど糟糠の妻に贈らんと思ふ」文芸春秋平成十九年四月号「父・白川静九十六歳 最期の日々」より。

「聖者の行進」と言う曲は

2009-12-23 10:52:51 | 宗教

Oh, when the saints go marching in,
Oh, when the saints go marching in,
Oh, Lord, I wanna be in that number,
When the saints go marching in.
「聖者の行進」と言う曲名で知られるこの歌は黒人霊歌と言うジャンルの曲で大学時代男声合唱団で歌った事がある。この歌はsaintsからサンタクロースを連想させクリスマス次期に良く聞かれると言われる。が私はこの曲からクリスマスやサンタクロースを連想したことはない。saintは聖者や聖人の他に通常複数形で、天国に行った人や死者を意味するため、もともとは葬式に使われていた曲だった。「死者が行進を始める」が原題だったそうである。にも拘わらず明るい楽しい曲になっているのは黒人達が奴隷制度の中、苦しい生活から死によって解放され、喜びに満ちた天国に生まれ変われるからである。

この世は苦であると釈迦は言ったそうだ。この世から極楽に往生する喜びを歌っている。浄土真宗にもこの曲は通じるものがあるようだ。

消えた言葉

2009-12-22 10:08:46 | 読書

橋本 治編著「消えた言葉」アルク出版を読んでいる。卓袱台、炭団、柳行李など他に多くの現在使われなくなってしまった言葉が載せられている。練炭なども有るがこれなどはまだ事件が有ると新聞の社会面で見られるし、豆炭もホームセンターではまだ売られていてまだ「消えた言葉」には入らないのではないかと思う。何れにせよ、そのような言葉は生活様式が変化するに連れて消えていく言葉で歴史上、膨大な数の言葉が消えていっただろうと思う。コンピューターの時代になってもワープロと言う言葉は消えた。ワープロ専用機が消えたからである。フロッピーディスクもやがて消えるだろう。カセットビデオテープも遠からず・・・。

雪だるまが作りたい

2009-12-19 16:00:32 | 暮らしの中で

昨夜からの雪で今朝は40cmほどに積雪になっていた。四年ぶりの大雪ではないかと思った。四年前もこんな大雪の中で息子の結婚式をやっていた事を思い出す。今日の雪は名古屋では薄っすらとした程度で有ったらしく、孫が雪だるまが作れず残念がっていたと娘のメールに有った。家内がこちらは大雪で雪だるまなど幾らでもつくれると娘にメールしたらしいからだ。「今日は婆ちゃんとこへ行こう。」と孫が言っていたらしいが。

冤罪とされた被告人にも

2009-12-18 09:54:18 | 新聞

布川事件で冤罪とされた被告人たちにも、疑われるようになった原因は有るのではと思われる。桜井氏は高校に入学したが勉学意欲は無く、家庭内に不和も有り、一年の半ばで中退している。その後、職を転々とし、競輪通いの浮ついた生活態度で有ったしまたビル清掃夫をしていたとき十回ほどの窃盗も犯している。また杉山氏の方も高校二年のときに原付の無免許運転で退学処分となり、死んだ母親の貯金で競輪などの遊興生活をしていた事などが判決文の中に見られるのである。
佐野洋著「檻の中の詩」双葉社より