読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

咸臨丸のこと

2011-04-30 09:23:03 | 歴史
咸臨丸はペリー来航三ヵ月後の1853年(嘉永6年)、江戸幕府がオランダに発注し、その4年後に長崎に到着した600t、蒸気機関つきの木造帆船でオランダ名をヤッパン号と言った。日米修好通商条約批准の正使一行がアメリカ船に乗って渡米するするとき、その護衛艦として随行した。咸臨丸は行きはブルック大尉とその部下が操船し、帰りは日本人のみの操船でサンフランシスコから品川まで帰った。帰国後、咸臨丸は小笠原諸島の測量などに使われたが、老朽化した後、しけで清水港に漂着したとき維新政府に没収された。後、北海道開拓使の船となったが1871年(明治4年)北海道渡島で座礁し全壊した。14年の命だった。

未だに「Windows XP」が

2011-04-29 09:52:17 | パソコン
 未だに「Windows XP」を使用している国内大手企業が98%もあるそうだ。
リリースから10年を超えましたが、まだまだ「Windows XP」の人気は衰えてい
ないようだ。XPは まだ3年間使用できるため、これから入手する人も多いようだ。
一方、 「Windows 7」のユーザーも増え、「Windows Vista」を抜いたそうだ。
現在の順位は 1位「Windows XP」、2位「Windows 7」、3位「Windows Vista」の順。



捨てられた日本初伝来の仏像

2011-04-28 08:53:41 | 歴史
日本に初に仏教が伝来したのは日本書紀によれば552年で、百済の聖明王が使者を遣わし仏像と仏具、経典を贈ったときだと言う。(538年と言う説もある)
欽明天皇の時代で、天皇はこの仏教を受け入れるべきかどうかを臣下に相談した。
蘇我稲目は賛成で、物部尾輿や中臣鎌子は反対。そこで天皇は稲目にこの仏像を預け、拝ませてみた。稲目は自分の家を寺にし、礼拝したが暫くして疫病がは流行ってしまった為、天皇は稲目に命じて仏像を難波の堀江に捨てさせてしまったと言うのである。
敏達天皇(538-585)の時代に二度目に仏像が伝来したが、同じような理由で同じ場所に捨てられたという事だ。

震災雑感

2011-04-26 10:21:35 | 歴史
1923年(大正12)関東大震災の混乱時、大杉栄、その妻伊藤野枝、甥らを社会主義の危険分子とみなし、憲兵隊の甘粕正彦が虐殺したと言う事件が有った。この事件で甘粕は軍法会議にかけられ、懲役10年の刑を受けたが事件の背景に軍の上層部が居たと言われているように、彼は三年で仮釈放と言う軽い処分で済んでいる。甘粕はその後映画会社の理事と言う意外な方向に向かった。その会社は軍事目的である満州建国のためのものであったが、彼は映画は自由に製作させたらしく、監督、脚本、技術部門まで中国人を積極的に採用し、日本人だが中国語が堪能だとして李香蘭を中国人スターとして育てさえした。彼の最期は1945年(昭和45)8月20日、敗戦の5日後、満鉄理事長室で青酸カリ自殺している。

「帰るところがあると思うからいねーんだよ」とは言うが

2011-04-23 10:26:54 | 暮らしの中で
久しぶりに古い寅さんの映画を見た。
寅さんが旅先の旅館で、男と別れ赤ん坊を連れて故郷の島へ
帰る途中の女に言う。
「帰るところがあると思うからいけねーんだよ。」
被災地が、帰るところである人達は、津波で帰るところが
破壊されていても、そこから再起を図りたいに違いない。
人生、いたるところに青山はあるが、やはり、心の中では
故郷に一本の軸足があるのではと思う。

電子書籍がベストセラーに,wsj日本版から

2011-04-22 20:35:13 | 読書
wsj日本版から
米国では、自己出版される安価な電子出版作品が読者から人気を得ており、大手出版社が価格面の大きな圧力に直面している。オンライン小売り大手、米アマゾン・ドット・コムの20日時点のベストセラーリストの上位50位にランクした電子出版作品のうち、15冊は5ドルないしそれ以下で販売されている。

 例えば、副業にスリラー小説を書いているケンタッキー州ルイビルのビジネスマン、ジョン・ロック氏の作品は7タイトルランクインしており、それらの価格は全て0.99ドル(約82円)だ。

 電子書籍専用端末、タブレット型端末、それに携帯電話の普及に後押しされて電子書籍の売り上げが急増するなか、出版社はかつて軽視していた自己出版市場を警戒的な目で見ている。

 自己出版の作家の作品と著名作家の作品を同じ棚に並べることがほとんど不可能だった5年前と違い、デジタル出版が低価格になり、ミニブログのツイッターなどのソーシャル・ネットワーキングツールの力も利用できるようになって、無名だった作家がかつてない速さで注目を集められるようになっている。

 ある出版社幹部は匿名を条件に、アマゾンの動きについて、「顧客を名の通った作家から遠ざけ、その代わりに自己出版の書籍に接する機会を作ろうとしている」と述べた。

 電子書籍の低価格攻勢はアマゾンが2007年11月に電子書籍端末「キンドル」を発売して以降、大きな問題になっている。キンドルは爆発的に売れた。ベストセラーの電子版がハードカバー版の発売当日に9.99ドルで入手できることが起爆剤となった。

 米国の大手出版6社は、電子書籍の低価格攻勢によって出版社の伝統的な事業形態が浸食されることに懸念を深め、いわゆる「エージェンシー・モデル(電子書籍の小売価格を出版社が設定するシステム)」を立ち上げた。これは、歓迎できない値引きを実質的に排除するモデルだった。

 大手出版社の中には電子書籍版の価格設定を実験している業者もあるが、そうした出版社がオファーするキンドル向けのベストセラーの大部分は11.99~14.99ドルだ。

 アマゾンはエージェンシー・モデルを採用している出版社の販売する電子書籍の部数が、アマゾンによる値引きが可能な電子書籍と同率では伸びていないとの調査結果を公表している。アマゾン担当者は「エージェンシー出版社とのわれわれの事業は増加しているが、アマゾンの全体的な伸びを下回っている。最も成長が大きい出版社は、われわれの側で価格設定している業者だ」と述べた。

 また書籍は、タブレット型端末を通じて容易にアクセスできる安価なデジタル上の娯楽との競争にも直面している。これらは電子書籍専用端末にはない選択肢だ。つまり、個人の自由時間をめぐる争いの中で、出版社は今、月額7.99ドルで映画やテレビ番組を無制限でネット配信するネットフリックスや、テレビ番組を放映1回につき最低0.99ドルでレンタルできるアップルの「iTunes(アイチューンズ)」とも直接対決している。

 これらの諸事情がすべて要因となって、自己出版のスリラー小説家ロック氏の書籍販売増加に寄与した。2年前、58歳のときに初のペーパーバックを出版したロック氏は、電子書籍の価格について調査した後、2010年3月にデジタル出版に切り替えることを決心した。

 「著名な作家が電子書籍に1冊9.99ドルの値段を付けているのを見て、もし自分がその10分の1の価格0.99ドルでも利益を出せるのなら、著名な作家ほど自分が素晴らしい作家であることを証明しなくても良くなると思った」、「むしろ著名な作家のほうが自分よりも10倍素晴らしいことを証明しなくてはならない」と同氏は語る。

 ロック氏は1冊0.99ドルのうち、0.35ドルを収入として得ている。3月の同氏の出版収入はアマゾンを通じてだけでも12万6000ドルになった。書籍をデジタル出版するための費用は約1000ドル。ただし、それ以外に編集者を雇うコストもかけている。

 アマゾンでの3月のロック氏の作品のダウンロード数は36万9000回で、1月の約7万5000回、昨年11月のわずか1300回から急増した。同氏の作品はコボ、バーンズ・アンド・ノーブル、それにアップルの電子書籍ストアでも購入できる。

 アマゾンは、同社の独立系出版サービスである「キンドル・ディレクト・パブリシング」を活用するすべての作家に対し、2.99ドル以下のデジタル出版物にはロイヤリティー(権利使用料)を35%、2.99-9.99ドルの電子書籍には70%支払っている。

 ロック氏は自分の作品の価格を2.99ドルに引き上げれば、35%ではなく70%のロイヤリティーを確保でき、1冊当たりの収入を2ドルに増やすこともできる。しかし、同氏はそうすることには興味がないという。同氏は「0.99ドルという価格で注目を集めたのだから」と述べた。同氏はまた、ニューヨークの大手出版社との契約には関心がないと述べた。

 しかし同氏は、映画化のオファーや国外での出版に興味を持つ海外の出版社に対応するため、文芸分野の代行会社に勤務するジェーン・ダイステル氏と契約を結んだ。ダイステル氏の会社はそのような契約に向けて数件交渉を行っているという。

 同氏は「この世界には、未開の荒野が広がっている」と同氏は語った。

記者: Jeffrey A. Trachtenberg

世界のすべての言語は、アフリカの「祖語」に遡る

2011-04-22 09:16:04 | 歴史
 現在、世界に6000前後の言語が存在するが、そのすべてが5万-7万年前にアフリカに存在した初期の人類が話していた祖語から枝分かれしたものである可能性が最新の調査で明らかになったと言う。

4月 14日発行の科学雑誌「サイエンス」が掲載したこの調査によれば、最初の話し言葉の発生や拡散の仕方についての解析に役立つ可能性があると言うことだ。ニュージーランド・オークランド大学の進化心理学者、クウェンティン・アトキンソン氏は、アフリカを離れた最初の人類が、彼らの言葉 ─ つまり人類の祖語 ─ を広める基礎を築いたことを発見した。

 アトキンソン氏の調査は音素(語の音声を構成する最小の単位)に基づき、さらに集団遺伝学からも「創始者効果」として知られるアイデアを借用している。これは、大きな人口を持つグループから一部が枝分かれした場合、分派の間で遺伝的な多様性や複雑性が緩やかに消失するという理論だ。

 音素にも創始者効果が認められれば、現代の言語コミュニケーションはアフリカ大陸で発生し、その後、ほかの大陸に広がったとの考え方が裏付けられる、とアトキンソン氏は考えた。

 アトキンソン氏は世界の504の言語を調査し、最も音素が多い言語はアフリカ、最も少ない言語は南米と太平洋諸島で話されていることを突き止めた。

 さらに、世界における音素の使用パターンが、人類の遺伝的多様性のパターンを映していることも調査で明らかになった。人類が各地に居住し始めると、遺伝的多様性も失われた。

 現在、人類が定住して数千年になるサハラ砂漠以南のアフリカ地域で話される言語は、後年になって人類が住み始めた地域で話される言語よりも音素ははるかに多い。

石炭は核よりも危ない

2011-04-21 09:20:13 | Weblog
wsj日本版から
ドイツの緑の党が、初めて州政権一つを握ることとなった。ドイツでは日本の原子力発電所の危機を受けて複数の原発を一時的に停止したが、それら原発の将来を決するのにちょうど間に合った形だ。日本の原発問題が影響し、緑の党は2週間前の州議会議員選挙で異例の勝利を勝ち取った。

 緑の党が原発反対の姿勢を維持するなら、その結果もたらされる電力不足には、消費者が価格の大幅上昇を受け入れるしかない。しかし、緑の党のリーダー、クレッチマン氏はすぐに過激な政策をとろうとはしないだろう。風力や太陽光はまだ夢の話だ。選択肢となるのは、原子力か石炭だ。

 いまやチェルノブイリと並ぶレベルとなった日本の惨状を受けて(ただし、放出された放射性物質の量は比較にならないほど低いが)、世界中の国々が同様の選択をしている。どこの政府も、さまざまな考え方が入り乱れた現代科学の難問と再び向き合うこととなった。すなわち、「低レベルの放射線を浴びると、どのくらい害があるのか」という問題だ。

 過去60年間、異常な量の放射線を浴びた人たちの間で、「過剰な」発がん率があるかどうかが研究されてきた。その結果は、科学的に満足なものではなく、政治的にやっかいなものだ。

 米国と日本の政府が共同で行い、かつては評価されていた広島と長崎の研究では、低線量の被ばくでは、がんのリスクはほとんど、あるいはまったくないという結果だった。むしろ、低線量の被ばく者は「がん以外の」病気による死亡が少ないことから、長寿につながるとも考えられた。だが、この原爆の研究は、ここ数十年で科学的な価値が疑われるようになった。理由の一つは「生存者バイアス」だ。生き残った人たちは、原爆だけでなく、その後すぐに住居の喪失や飢え、台風などを経験し、くぐり抜けてきた。つまり、一般的な日本人より屈強な人々ではないかと考えられるのだ。

 1980年代には、胎児のときにエックス線を浴びた英国の幼児の調査や、米国核施設の労働者の調査が行われ、原爆の研究は次第に脇に追いやられるようになった。これには法規制の面での思惑も絡んでいた。これらの調査では、シンプルで直感的な「比例的で、閾値はない」という仮説が証明されたと考えられたのだ。つまり、放射線の危険度は、線量に正比例するということだ。

 これらの調査にも問題はあった。英国の母親たちは、出産後何年も経ってから、妊娠中に何回エックス線を浴びたかを記憶に頼って答えなければならなかった。ハンフォード核施設の労働者の調査でも、3万5000人の労働者の中で2500人ががんにかかり、それが6%から7%「過剰」だったと主張していた。

 ほかにも、さまざまな説がある。研究所内の実験では、低レベルの放射線は細胞自体の修復機能を刺激すると考えられた。放射線科医を対象とした研究では、エックス線の危険性が知られる前に仕事に従事していた人たちの間では、発がん率が高いことが示された。しかし、のちの調査では、少量の放射線を一生涯浴び続けても、まったく影響がなかったという結果も示された。

 そして「ホットパーティクル」の問題もある。つまり、本当に危険なのは、飲み込まれたり吸い込まれたりして、体内に長期的に存在し続ける粒子ではないかという説だ。通常は放射線が皮膚から入ってこないようなエネルギーの低い粒子でも、これが起こり得るという。

 1986年にウィーンで開かれた会議では、チェルノブイリの事故でこうした議論に結論が出るのではないかと、専門家たちは期待した。その中の一人が言った。「20年か30年のうちには、比例仮説が(正しいのか)どうなのか分かるだろう。少なくとも、白血病や肺がんとの関連性は分かるはずだ」

 そうはならなかった。放射線を浴びた子供たちの間では、治療可能な甲状腺がんはかなり増加した(これは、当時もっと迅速な行動をとっていれば防げたものだ)。しかしそれ以外は、国連の監視プロジェクトでは、チェルノブイリ地域の住民の間に「がんの発病や死亡率の上昇を示す科学的な証拠」は見つからなかった。

 だが、だからと言って、「過剰な」がんによる死亡を予測する他の何万もの研究を止めることにはなっていない。そうした研究は、欧州中で何十年にもわたって行われ、すべて「比例的で、閾値はない」モデルを基盤としている。また、どこの政府でもそのモデルを規制の基準としている。

 これらのことがすべて、日本では直接的な意味を持つ。中でも、ホットパーティクルの問題はいずれ大きな懸念材料となるだろう。「比例的で、閾値がない」とする考え方では、日本政府はどのレベルの放射線も「安全だ」とは言えなくなる。たとえそれが、平均的な人にとっては、無視できる程度のリスクのものだったとしても。この先何十年にもわたり、発がん率の小さな変化を巡る論争や、ある患者が「福島原発の犠牲者か」という答えの出ない論争に、日本政府は振り回されるかもしれない。

 もちろん、バーデン・ビュルテンベルク州の緑の党にとって強烈な皮肉となるのは、リスクのモデルなど関係ないということだ。どこから見ても、核よりは石炭の方がずっと危険なのだ。

 統計的な予測の産物ではない、実際の死者数から示そう。毎年、炭鉱事故(特に中国での事故)で死亡する人の数は、核関連の事故の死者数合計より数千人以上多い。さらに、石炭火力発電所では水銀や他の金属など、有害な物質を排出する。加えて、放射性トリウムやウラニウムなどの排出量は、原子力発電所よりも多い。水銀などの金属は、「比例的で、閾値のない」考え方に、まさに沿うものである。2004年に米環境保護省が出した推計によると、当時推進されていた新たな排出基準に従うだけで、年間1万7000人の命が救えるという。

 つまり、バーデン・ビュルテンベルク州の緑の党にとって、これは朝飯前の問題だ。そう、分かるだろう。どっちにしろ、原発は廃炉だ。反原発の姿勢は、検討すべきテーマではなくて、信念の問題なのだから。

(ホルマン・ジェンキンスはウォール・ストリート・ジャーナルの編集委員)

震災の救助活動で、自衛隊に対する世論に変化が

2011-04-20 19:20:50 | 新聞

 日本の安保政策が戦後ずっと抱えてきた葛藤は、自衛隊の正当性についてだ。憲法上の戦力不保持規定により、この民主的な経済大国は、半世紀以上もの間、世界で果たす役割を諸外国に比べはるかに小さくとどめることに甘んじてきた。これを変えようとすれば、戦争で傷つき、軍国主義と聞いただけで拒絶反応を示す国民の容赦ない抵抗に遭うのが常だった。



 しかし今、震災後の自衛隊の勇敢で不可欠な行動は、日本と軍隊の関係を永久に変えた可能性がある。この震災で、自衛隊に対する国民の新たな受容が始まり、海外で日本の利益を守る軍事的役割を正常化するために、日本政府が選択肢を変える可能性がある。

 米国の草案を元に作成、1947年に施行された日本国憲法の第9条は、日本を再び侵略戦争に走らせないことが目的だった。第9条は、日本国民は、国際紛争を解決する手段としては永久に戦争を放棄するとしたうえで、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と謳っている。しかし、1950年の警察予備隊の創設後、組織再編が急速に進み、自衛隊が発足。今日、25万人で構成される自衛隊の年間予算は約400億ドルで、世界でも有数の近代的な軍隊だ。

 日本国民は、自衛隊に対して、矛盾に満ちた感情を抱き続けてきた。これは、第二次世界大戦中に日本軍が行った残虐行為について国民的議論がなされなかったことと、自衛隊の海外派遣に憲法上の制約があるためだ。こうした状況を政治的右派は国家の不名誉と恥じ、左派は、新たな侵略を許さないために軍事的リーダーや政治家に自由を与えてはならぬと固く信じている。二大政党である自民党と民主党といえば、この問題について近づきたくないというのが本音だ。

 とはいえ、政治家が、自衛隊の海外派遣に以前より積極的な態度を取っていることに示されるように、自衛隊に対する態度は変わりつつある。1991年、日本政府は、イラクのサダム・フセイン大統領のクウェート侵攻を受けて結成された米国主導の多国籍軍に自衛隊を派遣せず、軍事介入の代わりに資金協力で済まそうとする「札束外交」だと国際社会から嘲笑と非難を浴びた。しかし、これとは対照的に、2001年、小泉純一郎首相は、ジョージ・W・ブッシュ大統領によるアフガニスタンの軍事作戦をすぐに支持した。

 日本の陸上・航空自衛隊は、アフガニスタンの復興支援活動に貢献、海上自衛隊はインド洋での同盟国艦艇への給油活動を8年にわたり行った。アフリカ東部ソマリア沖などの地域へは、海賊対策として、護衛艦を2年以上派遣している。ジブチ共和国には、日本にとって戦後初となる海外の海自基地がまもなく建設される。こうした活動のうち、幾つかは論議を呼んだものの、傾向としては明白だ。

 また、菅直人首相は最近、新防衛大綱を発表。大綱では、日本の安全保障活動を南西諸島など島しょ部にシフトすることが示された。10年前と比べ、自衛官募集のポスターは目立ちやすくなっている。この10年の積み重ねのおかげで、今の自衛官が自信をより深めていることは疑いようがない。

 こうした新たな姿勢の背景には、中国の軍備増強と、中国が東シナ海で取った行動などがある。昨年、中国のヘリコプターが日本の海上自衛隊護衛艦に接近したと報じられ、中国が日本の反応をうかがっているとの懸念が浮上した。9月には尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件が発生、中国の軍隊が直接関わった訳ではないものの、大国としての自信を深めた同国が、危機を引き起こそうとしているとの見方がさらに強まった。

 それでもなお、軍隊に対する人々の懸念は根強く、日本の自衛隊は、つい先月まで、社会的に受け入れられている、といった程度の存在だった。そして、先月の震災。これが、世論の動向を変化させる可能性がある。

 破壊的な地震と津波が起きて数時間以内に、自衛隊は救助・支援活動を開始した。総勢10万人以上の隊員が東北沿岸の被災地に入った。これは、日本の自衛官の40%にあたる。物資を運び、がれきを撤去し、被災者を避難させる隊員の姿が、新聞とテレビの報道に溢れた。

 自衛隊は、米軍と連携し、不眠不休で働いたようだ。数千人の米軍兵士も即座に行動を開始、空母ロナルド・レーガンの艦載ヘリや米空軍の輸送機で数千トンもの物資を運んだ。自衛官と米海兵隊は、現場で協力して支援活動を行った。

 こうしたことを受けて、日本国民は、おそらく戦後初めて、民主国家である日本の一部として自衛隊の重要性を認識した。これは、帝国陸軍・海軍による日清・日露戦争を支持するのとはまったく意味が異なる。これは、文民が率いる奉仕部隊――国内では民主的秩序の責務を果たし、海外では他の民主的勢力と協調する部隊――を支持することなのだ。

 こうしたことを受けて、日本の政治指導者は、自衛隊に大きな役割を負わせることを避けてきた政策について見直すだろう。米国をはじめ、アジアの多くの国は、地域の安定維持のために日本がより大きな責任を引き受けることを望んできた。自衛隊の震災での見事な対応は、プロフェッショナルで責任ある軍隊を日本は持っている、ということを国民に示した。今度は、日本のリーダーが、プロフェッショナルで責任あるやり方で、その軍隊を海外に派遣する意欲を示す必要がある。

(マイケル・オースリン氏はアメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長)

津波で思い出した昔話

2011-04-20 09:53:07 | 読書
「稲村の火」と言う紀州有田郡広村に伝わる話で戦前の国語の教科書にも載った話だそうだ。地震を感じた有る人物が津波が来るのを村の高い場所から目撃した。ところが村の下の方では何も知らずに豊年を祝う祭りがに村人によって行われており、津波には何も気が付かないでいる。その津波に気が付いた人物は取り入れたばかりの稲の束に火を付け、村人に津波が来る事を気付かせ、皆を高い所に無事避難させる事が出来たと言う話であった。この話は聞いて知っていたが、この伝承話を「A Living God」と言う題名で世に紹介したのはラフカディオ・ハーンであったのだと言う事は知らなかった。