読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

君が代

2007-02-28 18:06:48 | Weblog
校長が入学式で君が代の伴奏を音楽科の女性教諭に指示し、同教諭はそれを拒否したために戒告処分を受けた。その処分は思想、良心の自由を保障した憲法19条に違反するとして訴訟を起こしたが27日上告審は合憲と判断した。そこで思い出した話。君が代の詩は古今集や筝曲、琵琶歌のなかにも有り、古くから家々で祝いの言葉として使われていたらしい。徳川家の大奥で元旦に「おさざれ石」と言う儀式が有った。元旦早朝、大奥の廊下で御台所が石が三個入れられた盥の前に座る。反対側に中が居り「君が代は千代に八千代にさざれ石の」と詠うと御台所が続けて「いわほとなりて苔のむすまで」と言う。この儀式は他の大名の家にも有ったらしい。それが明治二年、イギリスからの貴賓を向かえる為の奏楽を急いで作る事になり、どさくさに紛れて軍楽隊のおかかえ音楽家フェントンが楽譜に取りやっつけ仕事で国歌の誕生となった。そんな話が司馬遼太郎の「歴史のふしぎさ」に出てくる。

昨日の続き

2007-02-27 19:36:22 | Weblog

江戸幕府は幕臣に教育を義務とはしなかったらしく幕府の有る江戸と言っても他藩より教育水準が高いとは言えなかったらしい。会津藩、長州藩、土佐藩、薩摩藩などの方が教育水準は高く、その制度も整備されていた。別けても佐賀藩は藩主の鍋島閑叟は学業不振の者は先祖からの家禄の多くを取り上げると言う強制をしたと言い、試験が課され、それに拠って進級し、それが出来なければ役人に採用されなかった。幕末と言う舞台に登場する藩は教育水準が高かったのだ。

学力低下?

2007-02-26 18:06:27 | Weblog
警察を定年退職して今は自動車学校の校長をしている弟が来た。卒業間近で免許を取りに来ている高校生で忙しいそうだが仮免許の学科試験で半数が不合格だそうだ。また、仮免許の「仮」と言う漢字が書けない者も有ると聞いて驚いた。ゆとり教育とか言うものの成せる業か。そこで思い出した話しが有る。江戸幕府が倒れ徳川家が静岡に移封された。その徳川家は沼津城に沼津兵学校を作り、旗本を受験資格者として五百名程を募集し、教育しようとした。その学校は三年半程しか存続しなかったが校長は西周だった。試験は口答試験だけだったらしいが音読するよう渡された書物に出てくる酒井雅楽頭や井伊掃部頭などと言う徳川の歴代の重臣で世襲さた名前が読めなかったらしく、試験管から「だから、諸君は薩摩の芋侍に負けたのだ」とか言われたらしい。そんな話が司馬遼太郎の「歴史の中の日本」のなかに出てくる。

寺内と言う語

2007-02-25 21:57:41 | Weblog

中日新聞に宮城谷昌光の「新三河物語」が連載されている。その中に寺内と言う言葉を見つけた。この付近にも寺内と言う地名が有る。字程度の大きさしかないと思う。戦国時代、浄土真宗の信者は門徒と呼ばれた。寺の周囲に住み集落が出来、寺もその集落を庇護した。周りに壕も作った。この地域を寺内と言い、戦国大名の徳政令など警察権も及ばなかった。年貢も取り立てられない不入の権が有った。寺内とはそう言う意味合いを含んだ言葉だった。

信州は東京に向かって

2007-02-24 15:18:20 | Weblog

司馬遼太郎の「ひとびとの跫」と言う古本をネットで買って読み始めた。初め部分で「信州は東京に向かって開けていて、大阪からの交通路は多少の不便がともなう・・・」と言う下りを読んでいて思い出した事がある。昔の話だが私の近くに住んでいて長野に移りペンションを始めた人がいる。そのペンションに家内と行ったときのこと。そのペンションの奥さんが「茅野市の人は完全に考えが東京ですよ。」と言った事だ。「街道をゆく」のなかにもそんな事が書いてあるかも知れないと思った。

祝詞を入れた器を打つ?

2007-02-23 20:38:32 | Weblog
白川静さんがNHKの教育テレビに出ておられたのを見た事が二度ほど有る事は前にブログで書いた。その番組の中で、「えっ!」と思った事が有る。番組の中で白川先生が「神に対して自分の願いを聞き届けて貰うように迫るときはこうするんですよ。」と言いながら祝詞を入れた器を木の枝で幾度も打つしぐさをされた。それを示す文字が「可」だと説明されたのだ。そしてそれを祈祷する声を表す文字が「歌」だと。随分、昔にみた番組だが驚いた事を記憶している。

難しい漢字が読める?

2007-02-22 15:35:58 | Weblog
テレビのクイズ番組で難しい漢字を読み競うものが有ったり漢字検定の話題も有るが私はそれらに余り興味が持てない。漢字は言わば外国語でそれをヤマト言葉に意味や音を都合良くアレンジして日本語として使っているに過ぎない。送り仮名を伴う多くの日本語で使われる漢字は当て字だと言っていい。難しい漢字を読めても余り意味が有るようには思えないで居る。それよりも漢字の成り立ちを知ることの方が個人の思想が深められると思うし一つの漢字の出来る過程や古代の人々の生活の様子などに深く思いを馳せられて自分自身を知育出来るように思える。写真の本はそんな奥深い漢字の世界へ入る楽しい案内書だ。

白川漢字学

2007-02-21 16:08:28 | Weblog
漢字の成り立ちについての本を何冊か読んだ事がある。どれも半信半疑な部分が有った。一般むけの「白川静さんに学ぶ漢字は楽しい」と言う本は面白いと思った。白川静さんが「字統」と言う書物を書いているがある文字に注目してその文字を含む他の多くの漢字が統一的に説明されていて、納得が行く感が有った。
例えば、目に注目すると見、相、看、眉、省、直、徳、媚、蔑、夢など目が縦にしろ、横になるにしろそれを含む文字が統一的に説明される。実に漢字についての多くの著書が白川さんに有るが何時か読んで見たいと思っている。

音読する事の他に

2007-02-20 15:39:08 | Weblog

司馬遼太郎は歎異抄を読んだとき、余り面白くないと思ったが声を出して読んで見ると面白いと思ったと書いている。また古文書の解説について著書の多い油井宏子は古文書を音読すると理解し易いと言う事は本当に有る事だと書いている。白川静氏が教育テレビに出演しているのを二度ほど見た事が有る。同氏は金文の上に半透明の紙を乗せその上からペンで文字をなぞるやり方をしていた。そうする事に依って文字が出来つつある古代の人々の考えに近づけるのだと言っていた。これも音読する事と同じ心理作用が有るのかと思った。

 


親という漢字

2007-02-19 19:31:16 | Weblog
親という漢字は立つ木を見ると言うところから
来ていると言う説明は昨年10月に亡くなった
漢字研究で文化賞を貰った白川静さんも少年の
とき学校の先生から聞いたそうだ。しかし、それでは
新や薪の文字が説明できないと言う話が「白川静さんに学ぶ
漢字は楽しい」と言う本に紹介されている。
親と言う漢字は新しい木で出来た位牌を見て拝む形だと
説明されている。