読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

漱石の名

2010-09-30 13:24:28 | 読書
中国の晋の時代に孫楚と言う文才に優れていたが頑固な人物が居た。その男は周囲の人たちと反りが合わず、その為かどうか、以前から気侭な隠遁生活に入りたいと思っていた。そのとき、彼は言い間違いで「漱石枕流」と言ってしまった。本当は「枕石漱流」(山中の適当な石を枕にして眠り、綺麗な谷川の水で口をすすぐ暮らしがしたい)と言う事だろうと人にその間違いを指摘されたが「漱石枕流」、「石に口漱(すすぎ)、流れに枕する」を負け惜しみで通してしまった。そこから負け惜しみで意地を通すことを「漱石枕流」と言うようになった。
ところでこれを最初、筆名として考えていたのは実は、正岡子規で夏目漱石は、友人の子規からその名を筆名として譲ってもらったのだそうだ。

新字になると

2010-09-29 09:02:54 | 漢字

戦後、「当用漢字表」なるものが発表された。昭和23年だったと記憶しているが、その表によって使用する漢字が減らされ、略字化されて新字が生まれた。が、その旧字が略字化されて新字が生まれたときに、その新字からその漢字の成り立ちが分からなくなってしまった字が多くある。図の「及」と言う漢字もその一つだ。この漢字は図の右端にあるように甲骨文字では人を後ろから支えている形の文字である。これが左端の旧字のように書かれていればまだ漢字の成り立ちを推測できるが現在の図中央のように書かれるとそれは分からなくなってしまう事だろう。扱や級に含まれる及の部分も同様である。

漢字「安」の成り立ち

2010-09-28 13:30:09 | 漢字

漢字「安」はウ冠の宀(べつ)と女の会意の文字。阿辻哲次氏はこの字が女性が家の中で平穏に暮らしていることから「静である」「穏やかである」と言う意味を表す・・・と思っていたそうだ。女性が安らかになるためには、その前にやる事が有った。この字のウ冠の部分はその家の祖先の霊を祭ってある廟(みたまや)の建物を意味し、安はその中に女性が座っている形で、嫁いで来た新婦が廟にお参りし夫の家の祖先の霊を祭り、その家の人になるための儀式をしている事を意味する漢字である。女性はその家霊に守られ安心出来たのである。図の甲骨文字には数箇所に点が描かれているが、女性に酒か水をふりかけお祓いもしたのである。女性を家の中に閉じ込め男が安心したからではなく、女性の方が安心したのである。

国勢調査、種田山頭火も

2010-09-26 10:20:23 | 暮らしの中で
国勢調査票に今朝、記入を済ませた。
実は私も五年前にこの調査員をやったことが有る。
今、私の息子が住んでいる地域で六十余戸ほどを受け持った。
今回の調査では調査票は封をして出すのだそうだ。
従って調査員自身は調査票の記入漏れなどは
確認しなくてもよい事になったようだ。
東京ではネットでこの調査票を書くことができると言うことだ。
この調査は大正から始まったが、放浪の俳人、種田山頭火も
旅先の宿でこの調査が有ったと彼の「行乞記」に書いている。

漢字「美」について

2010-09-25 10:02:09 | 漢字
阿辻哲次氏の「漢字逍遥」のなかで
「美は羊と大とを組み合わせた字形である」と書かれてあった。そして、羊は古代中国では神に対するいけにえとして多く使われたが、大きい羊が神も喜ぶから羊に大を付けたとも説明されていた。この説明も変だと思ったので調べてみた。
例によって、白川静著「常用字解」に拠った。
「美」は羊の全形の象形文字。羊は羊の上半身を前から見た形で、羊の後ろ足まで加えて上から見た形が美である。美の下の大は子羊が生まれ落ちる形の羍(たつ)の大と同じく牝羊の腰の形であるから、羊の角から後ろ足までの全体を写した形が美である。とあった。美の下部の大は大きいと言う意味を表すのではなく、羊の腰の形だったのである。

悪の字には心が

2010-09-24 09:09:01 | Weblog
今朝のNHKテレビ番組に歌舞伎俳優の市川亀次郎が出ていた。「悪役は面白い」と言っていた。そこで思い出したことがある。昔、これもテレビ番組だったが、名は忘れたが、ある悪役専門の俳優が言っていたことが有る。「善人の善には口が有るだけだが、悪人の悪には心が有る」と。その俳優は悪役を演じ続けながら、人の悪の心を見続けてきたに違いない。

足を洗う

2010-09-23 09:26:29 | 漢字
「足を洗う」と言う意味は国語辞典によれば、悪事や苦難の世界から脱することを言うとある。インドで托鉢僧が裸足で乞食をし、庵に帰ってから足を洗った後、法談をしたことに由来していると言う。が、漢字の字源からの研究からは「旅が終わる」事を意味する。人が氏族霊に守られている地から外出するとき、その地の外は邪霊に満ちて危険である。帰ったとき、その邪霊は足の裏に付いて自分の居住地を汚す畏れがある。その足を洗い流す必要が有るのだ。「洗」と言う漢字は「先」つまり足の先を洗う事を意味するのである。更に爪も切った。その中にも邪霊は潜んでいるのである。古代中国では足を洗うことは重要な儀礼であった。
白川静著「文字遊心」平凡社から

嫌いな花

2010-09-22 09:03:48 | 新聞
新聞の投降蘭に彼岸花が嫌いだと書いている人がいた。昔、父親が若くして亡くなった時期に咲いていた花だと言う事と、踏まれても、取り除いてもその花は無くならない。翌年にはまたその花が咲くと言う事で、好きにはなれない花らしかった。この根には毒が有り、花瓶に飾ったり、仏壇やお墓に供えたりしたのを確かに見たことはない。息子の嫁さんが病院に勤めていた頃、花当番と言うのが有って、道端で摘んだ彼岸花を病院の花瓶に飾ろうとしたら注意されたと言う話も聞いたことが有る。毒のある花と言う生活の知恵から出た習慣だろうと思う。何れにせよ、野に置いて見るだけにした方が良いようだ。

休の漢字の成り立ち

2010-09-21 10:36:38 | 漢字
阿辻哲次氏の「漢字逍遥」を読んでいたら、「休」と言う漢字の成り立ちは「人」と「木」からできており、木陰で人がほっと一息ついている形であると書いている。私はその解釈はちょっと安易に過ぎるのではと思って、調べてみた。

図のようにこの漢字の「木」の部分は、古い字形(金文)では禾(か)の形に書かれ、それは横木のついた柱のことである。軍営の門の両脇に軍門の標木(目印の木)として禾を立て、そこで軍事的な誓いや和平交渉などが行われた。禾の前で講和することが和である。戦で手柄をたてた人を表彰することを「休」と言った。「休」は「さいわい、よい、めでたい、よろこび」と言うのがもとの意味であった。
この文字を人が木の下で休むと解釈するのは誤りであるとしている。
白川静著「常用字解」から

企業の学生採用-州立大学に注目

2010-09-18 08:55:42 | 新聞
wsj日本語版から
アメリカ企業が州立大学の新卒学生に注目している。州立大学は学生数が多く、実務的な技能の教育に力を注いでいることから企業にとっては人材採用コストを削減できると考えているためだ。 ウォール・ストリート・ジャーナルが、昨年4万3000人の新卒学生を採用した企業の採用担当責任者らを対象に行った調査でそうした事が明らかになった。この調査での上位3校は学生数の多い、ペンシルベニア州立大学とテキサスA&M大学、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校だったと言う。
例えば、複合企業の米GEは2200人の夏のインターン採用のため、およそ40の主要校に絞り込んでいるが、そのほとんどは州立大学で、新規採用の80%以上はこうしたインターンシップ経験者で占められているという。