読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

「新島八重のことがマンガで3時間でわかる本」  津田 太愚著 明日香出版社 (2012/10/16)

2013-01-17 09:03:54 | 歴史
ある読書好きのメルマガから。
2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」の主役、幕末に生き
た会津の女、新島八重。結婚祝いにもらった銃で
戊辰戦争を戦ったという女傑。

八重が生まれたのは江戸時代の最末期。誕生の翌年に、
浦賀にアメリカの船が現れたという時であった。

会津藩の砲術師範の家柄。兄の覚馬が江戸で洋式砲術を学んで
おり、八重は彼から銃の扱い方を習ったと言う。

裁縫など、女性らしいことは苦手だったらしい。体格はよく、
米俵を持ち上げることもできたらしい。これはドラマのなか
にも描かれてあった。

二十歳の折、兄の紹介で一度目の結婚をする。夫は川崎尚之助と
いい、丹波(兵庫県)の出身だった。このとき、八重は兄から七
連発のウィンチェスター銃を贈られている。

八重二十三歳、戊辰戦争が勃発し、会津のお城は薩長の官軍に囲
まれる。八重は京都で亡くなった弟の着物を着て参戦し、結婚祝
いの銃を片手に大奮闘した。

夜間の奇襲に自ら参加し、不発弾についての講義を領主の前で
行った。運び込まれる傷病兵の看護にもあたったという。

しかし、会津は敗れた。男は捕らえられ、蝦夷や江戸
に送られた。八重は夫の尚之助と別れ、残った女たちと力を合わ
せて自給自足の生活に励む。暮らしは厳しかった。

そんな八重たちのもとに、京都からの手紙が届く。差出人は兄覚
馬だった。覚馬も、弟とともに鳥羽伏見で死んだと思われていた
のに。彼は目を負傷し、薩摩藩に囚われて生きていたのだった。

八重の人生に転機が訪れた。兄に呼ばれて京都へ旅立つことになった。
ここで女性たちが集う学校に入り、二人目の伴侶となる新島襄と出会う
こととなった。

新島襄についても触れられている。幼名を七五三太(しめた)と言った
幕末、アメリカに密出国した。安中藩(群馬県)の藩士の子
として生まれた彼だが、ジョン万次郎と出会ったことで、アメリ
カに魅せられてしまう。

何故か、パスポートを出してもらえることになり、やがて留学生の扱いとなり、
帰国後にキリスト教の学校を作るまでになった。

そのとき、学校のために土地と資金を提供したのが八重の兄、覚
馬であったということだ。京都に有った薩摩藩邸の有った土地
を安く手に入れていた。現在の同志社大学と有る地である。

八重は生き残った。
生き残り、「日本の女性らしからぬハンサムレディ」と呼ばれて
新島襄に愛され、キリスト教者となり、やがて看護師にもなった。


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