よねの備忘録

お勉強問題が中心。
政治を語るときは、ネトウヨです。

成形炸薬弾

2014-10-14 20:59:38 | 仮想作戦案

爆弾や砲弾の爆薬をわざと先端を凹になるように詰めます。
その表面に薄い銅版を張ります。
これが成形炸薬弾です。
この砲弾がさく裂すると、恐ろしいことが起きます。
銅版が2000°以上の液体金属のジェットとなって、前方に突き刺さるのです。
これが成形炸薬弾です。

鋼鉄の装甲をも貫通します。
砲弾の直径の2倍の鋼鉄を貫通します。
第二次大戦でも、米・独・英が砲兵携帯の対戦車兵器として実用化しています。

よねの仮想世界では、
日本の重巡や戦艦の主砲が、成形炸薬弾を徹甲弾としてします。
その海戦の描写はしませんが、20cm砲弾が400mmの装甲を貫通するのですから、
さぞかし酷いことになったでしょうね。

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大日本帝国の戦略

2009-12-14 20:28:31 | 仮想作戦案

久々に書きます。
(よねは「ネットウヨ」かつ「ミリオタ」です。
 気を悪くした方には、「申し訳ありません」と謝るしかありません。)
______________________________

日米の「併合」の歴史を考えるに、
日米、あるいは日ソ連の衝突を避けるには、接点を少なくするしか
ありません。
______________________________

【日米】

第一次大戦後の処理が稚拙でした。
安易に「ドイツ領」を併合してしまいましたが、これが大失敗。

・山東半島(青島)のドイツ基地を、中国・国民党に返還していれば、
 以後の日本軍による中国本土での戦いは「皆無」でした。
 国民党軍は「海軍」が皆無でしたから。

 万里の長城を越えて、満州に攻め込む度胸、戦力、大義は、
 国民党軍にはありません。

・太平洋のドイツ領の併合も大失敗。

 この地域が「中立」ならば、マーシャル、サイパン、テニアン、パラオなどが
 「中立」で、アメリカは「グアム」しかアメリカは利用できなかった。
 
 ドイツが、オランダ・ベルギーの中立を破ったことにより
 攻め込むかも知れませんが、どうせ、「守りきれない土地」です。

 太平洋諸島の首脳が、アメリカのラジオで
 「我々を戦火に巻き込まないでくれ」と演説すれば、
 「併合」あるいは「基地化」にアメリカ民衆より異論がでたはず。
_______________________________

【日本・ソ連】

 ・朝鮮は、「併合」しても「赤字」です。
 ・伊藤博文は、上記から、併合反対派でしたが、テロに倒れ、
  併合が促進してしまいます。
 ・「赤字」なのですから、第一次世界大戦の終結時に
  「独立」させてしまえばよかった。
 ・ただし、「仁川」、「釜山」だけは、日本が「租借」します。
  「香港」と一緒。

 ・満州ですが、「奉天」までを日本のラインとします。
  奉天-長春(新京)の中間、「四平」が国境になります。
 ・「アンシャン」「フーシュン」の鉄・石炭は日本側になります。

 ・満州里-ハルビン-牡丹江の路線は「ソ連側」になります。
  それどころか、長春=新京も「ソ連」になり、
  新京-奉天の中間の「四平」が、ソ連-満州の国境になりますが
  我慢、我慢。
_____________________________

いつか、「ノモンハン」でなく「四平」事変について語ります。
日本側ではなく、ソ連側に「思い出したくない」ことになります。
 

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日本の敗北。 B-47 「ストラト・ジェット」

2009-07-05 20:08:54 | 仮想作戦案

長ーーい間、放置した。

よねの架空戦記ですが、最終的には日本が敗北します。
この世界では、米国が1940年6月と史実より1年半も前に参戦しています。

1944~1945年には、3年ぐらい実物より早く兵器が登場します。

ミッドウェー級・航空母艦。
ジェット戦闘機P-80。

そして、米国の重爆。




他の架空戦記を読むと、B-29に対抗して、「震電」が出てきます。
そんなレベルとは「異次元」の爆撃機が、よねの仮想戦記に登場します。

B-47 「ストラト・ジェット」。
 実際、1947年 初飛行。
     1948年 実戦部隊に配備。

これが1945年に出現します。
性能を示しますが、「絶望的」ですよ。






6発のジェットエンジン搭載。

最高速度:980km/h
運動性能:当時のジェット戦闘機と同様。

さすがにこれは迎撃できません。

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ポスト・ジュットランド型戦艦 「陸奥」級の登場。

2007-09-03 15:53:12 | 仮想作戦案
1916年5月末。 
第一次世界大戦最大の海戦「ジュットランド海戦」が生起しました。

英・独両方とも、「巡洋戦艦」を中心とした前衛と、
「戦艦」を中心とした本隊からなっていました。

【ドイツ側の企み】
前衛が囮となって、イギリスの前衛を、本隊の前に引き込み、
イギリスの本隊が来る前に、これを撃破する。

【イギリス側の企み】
前衛が囮となり、ドイツの本隊を引き込み、主力決戦に持ち込む。

【結果】
中立国の商船に、両軍の前衛が接近し、前衛対前衛の戦いに
なった。ドイツが優勢だが、イギリスの増援が近づいたため、逃走。
ドイツ本隊も、逃走に入り、結局、大規模な交戦には
ならずに終了した。
しかし、イギリスの新鋭巡洋戦艦「クイン・メリー」の轟沈は、
イギリスのみならず、世界に衝撃を与えた。

【戦訓】
1.装甲の薄い艦は、砲弾に貫かれて、大損害を受ける。
2.速力の遅い艦は、敵が逃走すると、追いつけず、役に立たない。

「巡洋戦艦」とは、戦艦の積む大砲と、巡洋艦の持つ快速を得る
当時の「花形」です。しかし、装甲を薄くした事が仇となりました。
日本では「金剛」級が「巡洋戦艦」です。
この海戦を境に「巡洋戦艦」は建造されなくなりました。
___________________________

ポスト・ジュットランド級は、
厚い装甲、16インチ(40cm)をもった戦艦のことです。

アメリカ 「コロラド」「メリーランド」「ウェスト・バージニア」
イギリス 「ネルソン」「ロドネー」
日本   「長門」「陸奥」

これを世界の「ビック7」と称します。
なぜ7隻だけか、というと、アメリカと日本の軍艦建造競争が
始まりそうになり、「ワシントン軍縮条約」が結ばれたせいです。

日本では、「加賀」「土佐」「天城」「赤城」「高雄」「愛宕」の6隻が
廃棄、空母への転換、建造途中で中止になりました。
___________________________

第一次世界大戦中に建造された「山城」「扶桑」「伊勢」「日向」は、
ジュットランド海戦には耐えられない戦艦でした。
装甲が薄く、速力も中途半端。
「改装」を繰り返しても、あまり良い艦にはなりませんでした。

よねの仮想世界では、
「三笠」級-「金剛」級-「長門」級のみを建造します。

「長門」級は、史実と少し異なり、3連装x3基の主砲配置です。
「長門」「陸奥」「加賀」「土佐」の4隻が建造予定でした。

しかし、この世界でも「軍縮会議」が行なわれます。
日本が40cm戦艦を4隻も持つことに懸念が示されました。

・40cm戦艦は1隻とすること。
・戦艦の比率を
 英・米・日・仏・伊=10:8:4:3.5:3.5(日米は史実より2割少ない)

以上の軍縮会議により、
「土佐」は実弾訓練の標的として廃棄、
「陸奥」と「加賀」は40cm砲のかわりに38cm砲となりました。

ところが、「砲身長」につき規定がないので、
通常の45口径でなく、55口径の主砲を搭載します。
この55口径38cm砲の方が、45口径40cm砲より、
威力が大きいのです。
そこで、「長門」も55口径38cm砲を搭載しました。

「金剛」級ですが、「金剛」がクイン・メリーの替わりに轟沈しました。
「金剛」の命中率が、イギリス戦艦より高かったので
ドイツ艦隊の損害が著しく、一斉射撃の的になってしまったのです。

残った艦は、4基の主砲塔を2基に減らし、装甲を厚くしました。
主砲として、55口径38cm砲、6門を搭載しました。

軍縮会議-日本の戦艦の許容排水量=20万トン(史実は31.5万)
 「陸奥」「加賀」「長門」 3隻で10.5万
 「榛名」「比叡」「霧島」 3隻で9.5万

戦艦は55口径38cm砲に統一されました。
速力は第二次世界大戦までの改装で30ktまでupします。
史実より、数は少ないですが、使い勝手がよいです。
____________________________

我ながら、しょうもないことを考え付くものです。





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ドレッドノートに対抗せよ。

2007-09-01 20:31:45 | 仮想作戦案

midさんのブログをみていて、思いました。
自分のブログなんだから好きなことを書こう。
___________________________

よねの「仮想世界」では、実は日露戦争直後から、
「歴史改変」がはじまっています。

日露戦争終結時に、日本は初の国産戦艦を建造中でした。
戦艦「安芸」「薩摩」。
巡洋戦艦「伊吹」級4隻。

これは、まったく無駄です。
日本は国力的に、戦争できる時間(約2年)が限界だったので、
「実戦に間に合わない」兵器など、無意味なんです。

案の上、英国は日本海海戦の教訓をもとに、
わずか1年で「ドレッドノート」を進水させました。
「弩級戦艦」の登場です。

これにより「安芸」など6隻は「旧式化」してしまいます。

あわてて建造した「摂津」「河内」も
「オライオン」級、「金剛級」の出現で、「旧式化」してしまいます。

日本海軍は、1906~1914までのわずかの間に
8隻もの戦艦を無駄に作ってしまいました。
________________________________________________________________________________________

まず「三笠」と「ドレッドノート」を比較してみます。

          「三笠」         「ドレッドノート」
排水量     1万5千トン        1万8千トン
速力       18kt            20.5Kt
主砲      30cm-4門       30cm10門
副砲       15cm/8cm        10cm

ドレッド・ノートの特徴は
・30cm砲が10門になったこと(片舷は8門)
・20.5ktの快速となったことです(タービン機関を初搭載)
___________________________

これにたいする対抗策は以下の通り。

「三笠改造計画」

主砲を2連装砲塔を3連装にする。
 (のちのドイツポケット戦艦はそうなっている)
   -これで、片舷火力は6門vs8門で、不利は小さくなる
副砲のを12.7cm長砲身にする。
 -12.7cm長砲身だと、当時の主砲斉射距離(1万m)でも
   充分届く。多数の命中弾が敵戦艦の射撃管制システムなどを
   破壊し、片舷火力の差をなくする。
機関を「タービンシステム」に変更する。
   これで「三笠」も20kt(おそらく22kt)の速力がだせる。
   

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グアムの戦い その2。

2007-04-03 21:32:10 | 仮想作戦案

いつ書けるかわからないので、書けるときに
「クライマックス」だけ、書きました。

【1943/6/8 1300】

米軍機動部隊に硫黄島から100機の「飛行機」が来襲した。
米軍はレーダーで察知、空母から急降下機、雷撃機などは
空中に退避した。
(ミッドウェー海戦=この仮想世界では生起してないが、
 「南雲機動部隊」の2の舞を避けるため)

多数の戦闘機で、防空陣を張った。

ここまでは、史実のマリアナ海戦と同様にみえた。

しかし、日本機は、米軍機との接触を避けた。
3機の小隊単位で、てんでバラバラに動き出したのだ。

F8Fが追いすがっても追いつけない。
連中は「双発戦闘機」だったのだ。

「旋回による格闘戦」さえやらなければ、
「単発戦闘機」と「双発戦闘機」に速力差は存在せず、
撃墜されないのだ。

ある小隊は、一直線に硫黄島方向へ逃げ、
ある小隊は、方向を変え、別へ転じた。

結局、「戦闘」はほとんど生じず、日本機は去った。

連中は何をしにきたのか?
そう訝る米軍・司令官に、参謀Aは「深刻な危険」を喚起した。

米軍が、硫黄島攻撃に用いたように、
「波状攻撃」をかけるのでは?

 『参謀B』
そんな多数機を日本側が用意できるわけがない。

 『参謀A』
今、来襲したのは「双発戦闘機」である。
大口径機銃で撃たれたらどうする?
米軍空母は、「開放式格納庫」である。
もし、飛行機が艦内にいる状態で、大口径機銃で撃たれたら、
空母本体に被害は少なくとも、艦載機の炎上で、
「深刻な被害」となる。
我々の「防空網」を少数機でも突破されたらどうする。

 『提督』
新たに開発した「VT信管」で撃墜できるのでは?

 『参謀C』
困難である。急降下爆撃機や、雷撃機など
「今までの攻撃機」は、
必ず、「攻撃直前に対象艦にたいし直線行動」をとってきた。
我々の対空砲は、これに対応するように作られている。

しかし、「戦闘機」は「斜めに機体を滑らせて」接近できる。
VT信管付き「高角砲」であれ、「機銃群」であれ、
「斜めに機体を滑らせて接近する」、「時速700km」の
飛行機に「照準」を合わせる能力がない。

*急降下爆撃機や、雷撃機など「今までの攻撃機」は、
 時速300km以下(爆弾や魚雷を搭載したときは)
 だから、「2倍の速度」には対応できない。

「照準」を定められなければ、「VT信管」だろうが、
意味がない。

司令部は静まり返った。
参謀Aのいう「深刻な危険」が理解されたから。

 『提督』
とにかく、日没までは、交代で燃料補給をして、
もっと前方に、戦闘機を展開する。
巡洋艦を危険でも、「本隊」より前面にだし、
レーダーの察知範囲を広げる。

【1943/06/08 日没】

「深刻な危険」は何とか実現せずにすむ。
やはり日本は「多数機」を用意できなかった。

司令部が安堵する中、参謀Aは考え込んだ。
昼に来た連中は何をしにきたのか?
日本側の意図がわからない・・・・

その時、前方展開の「巡洋艦」から「警告」

日本機300以上が、本隊へ向かう。

 『提督』
「巡洋艦」はなぜこんな近くまで発見できなかったのだ。

 『参謀A』
連中は超・低空で接近してきました。
昼間の連中は、6群からなる、我が部隊の位置を
正確に知るための「威力偵察部隊」だったようです。
「別方向に」向かった連中が、我が部隊の「全て」を
発見したのでしょう。
「戦闘機」とみせかけて、「偵察」が任務だったのです。
日本にしてやられました。

 『提督』
今から硫黄島にもどっても「夜間」になる。
夜間着陸などできまい。
連中は、差し違え覚悟の「自殺攻撃」にきたのか??
我々には考えられない。

米軍機動部隊は、甚大な損害を受けた。

 『米軍・機動部隊 司令部』
明日をどうする。
あの「小うるさい」双発機が、我が(米国)機動部隊を牽制して
いる時に、未だ姿を見せない、日本機動部隊が、
米軍・上陸部隊や、輸送船団を襲ったら・・

しかし、なんで「硫黄島」は、あのような多数機を
用意できたのか??


最悪の想像は事実だった。

この時、日本機動部隊は、大きく迂回して、
グアムにたいし、「北西」でなく、「南東」から迫っていた。

翌日の攻撃に備えて。

大きく迂回したので、米軍に発見されなかったのだ。

(以上)

【硫黄島基地のカラクリ】

硫黄島基地は、「滑走路」と「燃料」だけを復旧させました。
「爆弾」や「整備能力」は復旧していません。

実は、「双発機」は本土からきました。
同時に輸送機で「ベテラン・パイロット」もきました。

本土から、硫黄島までは、「若造」が操縦してました。

硫黄島で、燃料補給の他に、「パイロットの交代」も
されていました。

硫黄島を整備基地でなく、中継基地として使っていたのです。

「夜間着陸」ですが、「硫黄島中を照明」します。
空母は「潜水艦」が怖く、そんなことできませんが、
「陸上基地」にはできるのです。

「翌日」は、さらに多くの機体が、硫黄島を「踏み台」として
使用します。
なにしろ、「開戦時から、決戦の場」と考えてきたので、
日本は、貴重な飛行機ですが、「使い捨て」にする気です。

「翌日」は「米軍に忘れらない日」となります。

【ウラ設定】
「クライマックス」を描いたので、今後はチマチマと
ウラ設定を書きます。

「双発戦闘機による機銃掃射」が「よねの答え」でした。
もう一つ、
「空母と陸上基地の発着能力の差」
1.双発機が使用できる。
2.「不沈」である。
3.夜間着陸も可能。

これが、「マリアナ海戦」に対する「よねのアンチテーゼ」でした。











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グアムの戦い その1。

2007-03-20 21:22:46 | 仮想作戦案
【1943年6月4日 硫黄島上空】

硫黄島に米軍・攻撃隊の第1波が迫っていた。
日本側は200機。

日本軍・指揮機
「米軍の推定機数は300。戦闘機は200、降爆が100。
 戦闘機の機種はワイルドキャット(F4F)と思われる。
 150機で敵制空隊を牽制し、残り50で降爆にあたる。
 目的は敵機を落とすことではない。基地を守ることだ。
 敵は第2波、第3波とくるぞ。
 とにかく、基地を爆弾から守るのだ。
 もう一度言う。敵機の撃墜が目的ではない。
 全機、攻撃開始せよ。」
(内心)
 なぜ、ヘルキャット(F6F)ではない?
 なぜ、旧式のワイルドキャットなのだ??

日本機と米軍の空中戦がはじまった。

日本機は「飛燕」をベースに「紫電改」の「自動空戦フラップ」を
つけた「42式戦」である。
「飛燕」の速度と、「紫電改」の旋回性能をもつ同機は、
F4Fを圧倒するのみならず、F6Fをも上回るはずである。

しかし。



日本軍パイロットは驚いた。
何と敵機は「42式戦」の内側を旋回してくるのだ!!
よく見ると、ワイルドキャットに似ているが、新型機だ!

そう、ワイルドキャットではなかった。
小型の機体に、2250馬力の強力なエンジンを搭載した、
「米国型ゼロ戦」。F8F ベアキャットだったのだ。

最高時速700km/h、旋回性能で「ゼロ」と互角、
両翼に20mm機関銃 x4、防弾性も良好。

この「究極のレシプロ戦闘機」は、試作段階であったが、
この決戦のために500機を用意し、投入してきたのであった。


第2波以降は、F6Fが主体となった。
しかし、日没までに100機ごとに、間断なく、
あたかもボクシングのジャブが如く、波状攻撃をしかけてきた。

第1波を生き延びた機体も、反撃のために地上にあった攻撃機も
地上から飛び立てず、少しづつ、破壊されていった。

さらに、夕刻には、米軍の高速戦艦が出現し、艦砲射撃を
浴びせてきた。
3隻の戦艦から合計1000発の砲弾が打ち込まれた。
戦艦の砲弾は、1発1トン。つまり、爆撃機1000機と同じ打撃。

米軍指揮官は言った。
「数日経てば、滑走路は回復するかもしれない。
 だが、爆弾や魚雷を持ち込んで、さらに攻撃隊を
 整備するまでには、日数がかかる。
 それまでに、日本・機動部隊を撃滅すればよい。
 我々の任務は達成された。グアム沖の本隊と合流する。」

硫黄島の基地機能は失われた。

同日、同様の事態がグアム島で起きた。

補給を済ませた米軍は、1943年6月6日、
グアム上陸を開始した。

同じ日、ノルマンディーにも、連合軍が上陸した。
枢軸国にたいする連合国の総反撃が始まったのだ。









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