御宝田遊水地には未だ現役の井戸がありました。
この井戸を見た途端、もう何十年も忘れていたはずの記憶が蘇って来ました。
子供の頃の私の家には井戸があり、この井戸だけが生活水の全てでした。
私が小学校1年生頃か、もっと小さかったのか・・・
ある日の夕方、近所の友達(おみちゃん)と、井戸水を汲み上げては
(何をして遊んでいたかは覚えていないのだけれど)遊んでいるうちに、水が出なくなってしまいました。
小さな私は思いました。
大事な水を遊んでいて枯らしてしまったから、絶対お母さんに怒られる。
それで、何度も何度も泣きそうになりながら井戸を押してみたのに・・・
水は出て来ないのです。
もうすぐ、お母さんが帰って来る。
夕ご飯の支度が始まる。
その時ふと思い出しました。
確か・・・
水が枯れた時はお隣の家に行って水をもらって来て入れると出るようになるんだった!!
呼び水って言ってたかな?
水を入れなくっちゃ!!
小さな私は水を探しました。
お隣にもらいに行くと、お隣のおばさんはきっとお母さんに話してしまうから・・
ぐるっと見回すと、雑巾バケツの中に水が少し入っているのが目に入りました。
やったぁ・・水だ!!
私とおみちゃんは急いでバケツの水を井戸に入れ、思いっきり押してみました。
じゃあじゃあと、又水が戻って来ました。
そして・・
何も知らないお母さんが夕飯の支度を始め、
その時から私の心は痛み始めました。
(井戸の中には汚れた水が入っている)・・・って言えずに、
その水で作ったご飯を、お父さんもお兄ちゃんもお母さんも食べ、
夕食後、一時間も経った頃には、
(バケツの水にはきっと毒が入っていたから、みんな死んでしまう)
小さな私の胸は張り裂けそうに苦しく、
言いたくても言えず・・・ただ涙がポロポロと流れ出しました。
でも早く言わなくちゃ、みんな死んでしまう。
お母さんの周りをうろうろ・・うろうろ。そして、
今でも思い出すくらいしゃくりあげて、泣きながら事の成り行きをお母さんに話しました。
「水なんてもう綺麗になっとるに」
母はさらっと、そんなような事を言った気がするのですが、その後の事はほとんど記憶に残っていません。
とりあえず、家族4人は死ななかったけど・・
今でもその時の光景と胸の痛みが蘇ってくるほど、小さな私の胸が張り裂けそうな出来事でした。