大掃除の時期になりあちこち掃除をしていたら、1冊の本を見つけました。
「日本の紙芸」著者ー広瀬辰五郎 1969年出版の古書です。
きっと先代の社長が買った本だと思います。
その中に「熨斗」について書かれたページを見つけました。
ちょっと長いけれど、書き写してみようと思います。
興味のある方はご覧ください。
「熨斗」
【熨斗の語源も、水引と同様はっきりしたものはないようです。
これは「鮑」を使わなければ意味がない。
立雛のような形の熨斗の紙の中央に、干しかためて延ばした鮑が入っている。これも昨今は絵になったので、中央の鮑がなんであるか、
知る人も少なくなりました。
この鮑の長いのを束ね、下の方を長く模様のように広げた引幕を劇場で見た方もあるでしょう。
それは鮑だけで熨斗の面白さはない。熨斗の由来の第一は、昔武士が出陣の時は、するめ、勝栗、鮑を備えて祝宴を張る。
凱旋の時も目出度いというので、鮑を細く切って使ったといいます。
婚礼の時には、同じ目出度くても、鮑をつかっては片思いになるから縁起が悪いといって、栄螺(さざえ)をつかったという事を聞きますが、
これは言葉のあやのようだ。
三代目伊勢辰が話しているところでは、
「のしの種類、というと、これが昔からたくさんあります。私の持っているなかで、主だったものから申しますと、
百五十年位(昭和15年より)前のものらしいんですが、長さが三寸五分、外が草色模様、うちが赤模様を重ねてありますもの。
むろんこれは使った人が自分で折ったものですね。中には鮑を細かく切って貼った跡があります。これに水引がかけてありますが、
どうも熨斗ははじめは水引をかけたもので、これが本式らしいですね。
千代紙一枚の折りっぱなし、色紙で帯手がかけたもの・・・
お大名になると、御家用の熨斗は、みんなお女中衆が折った。だから熨斗を見れば、これは、どこそこのだと、すぐ判った位のものです。
紀州家の熨斗で、折り上げ三寸、紙は白、二枚重ねだが、中も外も白で、帯手が赤、鮑がちょっと入っています。
以前、私の所で作って三井さんに収めたもので、外が檀紙の本金砂粉で、中の紙は赤、帯手が金紙で、折上げ二寸、一寸五分、一寸の三種(三代目自慢の熨斗であった)
のしは主に、麹町の旗本御家人の奥様とか、お嬢さんとかが、手内職に折ったもののようです。仕事が上品ですし、趣味もあるし恰好の手芸として喜ばれたのでしょう。
それに、のしはどうしても手で折らねば出来ません。
機械の発達した現代のことで、いろいろ機械化しようと工夫したが、できないそうです。
むろん大掛かりに金をかければできない事もないでしょうが、沢山生産しても仕方のないものでしょう。
だから上流階級の手芸となっていました。】
・・・・と、まだまだ続くのですが、ここまで原文のまま書いてみました。
のしの歴史を垣間見ることのできる面白い文章です。
この本は1969年(昭和44年)発行の本ですが、この文章の中に
『機械化しようと工夫したが、できないそうです。』
という一文がありますが、
現在、上田屋のし店では日本で唯一 、一部、機械化しております。
それでも、特殊な熨斗や(文章に書かれているような)折り上げ二寸、三寸、最も大きな四寸のしや、一番小さな五分のしなどや、
いろいろな会社や商店に卸しているオリジナル熨斗などは、
この本の中に書かれている江戸時代の旗本の御家人の奥様やお嬢さんのように、一枚一枚手内職で折っているもの、
又は社内で一枚一枚手折りされているものです。