中馬と書いて「ちゅうま」と読みますが、これは江戸時代に信濃と三河を結ぶ伊那街道(中馬街道)を
馬で塩や米を運ぶため往来した人達の事を言うのだそうです。
そして、足助と言う町の名前は読んで字の如く「足を助ける」という意味から付けられているようです。
近くには足助神社という足の神様を祭ってある神社もありました。
家と家の間に趣のある路地があります。
江戸時代の町並が残る街道沿いに並んだおひなさまは、私の見た事がない物ばかりで・・
このような豪華な御殿雛は初めて見ました。
約2km、140軒もの家の玄関先や店の中にきれいに飾られています。
枝垂れ柳を使って稲穂の垂れるかたちにつくり豊作を表現している「餅花」を飾って
華やいだ雰囲気いっぱいでした。
長野県でもあるらしいですが、私はこの餅花も初めて見ました。
古いおひなさまは江戸時代後期の物から現代のものまであり・・・
土びなの多くは三河地方で作られ、
当時豪華な衣装雛はなかなか手に入れる事ができなかったので
その代わりとして行商により中馬街道を経由してこの地方で売られたのだと教えて頂きました。
時には物々交換されたのだそうです。
この地方には「がんどう」と呼ばれる古くからの風習があるそうで、
子供は「おひなさん見せて」と、言って家々を回るとお菓子がもらえるんだって・・
何だかいいなぁ・・・。