闘うべきときに闘わないと、良くないときがある。正義のかかるときは、とりわけそうである。負けても仕方がない。勝つまでやるのみである。個人や企業同士の場合に該当するだろう。この時、相手にしないというやり方も当然ある。それも闘いの一種である。負けたフリもそうである。そのようにして、勝つまで闘うのである。
では、なにが正しいかが問題である。これは、自身の今までの体験、学びのなかで、培われたものがある。これに従うのである。公平に考えて、自身の考え方を点検して、判断しなければならない。なにが正しくて、何が悪かは、自ら知るところであろう。
ただし、国と国との闘いというのは、避けられないとは思えない。
何も知らない、子供から、認知症の老人まで、みんな巻き込むのである。そんな闘いはしてはならない。日本は、戦争にまけて、アメリカに絶対に戦争のできない国とされ、独立を「許された」。今、時代が変わって、アメリカの属国として、兵を送れと指示されるかもしれない状況を、日本の政権は、作ろうとしている。
トランプが経済的理由から、アメリカの海外展開を縮小する可能性も言われている。戦争はビジネスでもあり、経済活動としての軍需産業の存在は、トランプの思惑通りに進むかどうかを不透明にしている。
戦争は絶対にしないという「覚悟」を持たないと、危ない状況が迫っている。油断はできないのである。
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