空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

あきらめつつも前向きに

2024年02月07日 00時00分01秒 | 思考試行

基本的には何があっても仕方がないとあきらめつつも、生きる姿勢としては前向きにいく。無理はせず、嫌なことはしない。我慢して何かをすることはしない。信号が間に合わなければ、次の青信号まで待つ。

個人を認め、大事にするような、それが当たり前になるような、方向性が決まるまでは、そんな集団、社会には見向きもしない。悲しい目で眺めるだけだ。

どうにかできるとすれば、個人たる自分のみである。他者との関係において、相手が望めば、譲ることを選ぶ。ただし、気分が乗れば戦うこともあっていい。全部負けることを決めたりしない。筋なんて認めない。臨機応変だ。

矛盾だらけであっても、悩んだりしない。矛盾も含めて、流れがあったりする。流れに逆らうことも、乗ることもある。決めたりしない。

姿勢としては利他主義である。だが、個人主義でもある。常に利他主義を貫けるかどうかは、わからないが、基本的姿勢ということである。

混沌なようで、生活態度は極めて普通であり、激するような事態にはならないように心がける。とりとめのない感じであるが、今の心境である。

 


おかしいこと

2024年01月31日 17時13分42秒 | 思考試行

変なこと、納得できないこと、が増えてきた気がする。ロシアの進攻は、弱い国は統合されるのは当然だ、という昔の常識のような感覚が背景にあるのではと思うが、とんでもない理不尽さを感じる。

その結果、多くの人命、財産が失われ、気候温暖化がすすみ、地球環境が限界と言われているなかで、環境破壊も著しい。プーチン大統領の異常さに驚くばかりである。

そして、この異常さに反応する世界の動きは、鈍い。自国の事情やロシアの反撃を恐れてか、正義を貫く勢いが思うように進んでいない。アメリカは、国情から支援をストップしてしまった。健康な議論が交わされているとは思えないような、分断状態となり、先行きが心配である。

日本の政治の世界も、裏金問題で揺れているが、政治家は当選することに必死であり、何をしようとしているのかが、みえない。理想にむかって、あるいは、世の中をどうしたいのか、理念がみえない。当選することが目的であり、目標となっているようにしか見えない。世のため、人のためという姿勢が、みられない。さびしいことである。

イスラエルのガザ進攻も、度を過ぎている。どちらかが完全に消えてしまわなければ、問題の解決ができないのであろうか。ここでも、多くの人命が失われ、うらみと怒りが渦巻いている。

うそやデマや、ごまかし、権力亡者の蓄財、弱者を食いものにする強者。その仕組み。人類はいつ滅びてもおかしくない状況に立ち至った。せっかくの努力で積み重ねられてきた成果が、すべて空しくなってしまう。

簡単なことに気付けば、すべては瞬時に解決するような気がするのだが、それができないのであれば、残念だがなるべくしてなる他ないのかもしれない。

当方はすでに若くない。もう、何があってもここまで生かされてきたのだから、充分生きたといえる。だが、いたいけない赤ん坊や、幼い子供たち、そして、生きるために懸命生きている世界の人々がいる。これらの人々のことを、為政者は考えているのだろうか。彼らの頭をはたきたい気分である。

 


どんな世界になればいいのだろうか

2023年11月30日 13時31分17秒 | 思考試行

このたび突然の「たちくらみ」失神発作が起きて、救急車で搬送され、いままで心臓関係の罹病歴があることから、この際、原因を見つけようということで入院となった。

ところが腎臓の数値が悪く、まずは、腎臓の数値を、心臓検査ができるところまで改善したうえでということで、早速治療にとりかかる。

その結果、直近の数値は改善されてきたが、正常値には遠い。ただ、正常値になるまでには、かなり長期入院となりそうなので、事情もあって、退院の希望を述べたところ、過去の治療歴から退院ができるとなって、1週間ほどで、退院が実現した。

この間、時間はたっぷりあったので、あれこれ思案する。テレビをみず、新聞もよまず、差し入れの文庫本を読むだけ。こういう時間も必要かもしれない。

イスラエル―パレスチナ、ロシア―ウクライナ、中国の動きが気になる。日本だって、唯一の被爆国として世界にむける姿勢は、適当とは思えない。

何か共通して、人類の克服しなければならない課題の解決のために、しっかりした方策がうたれて、着々と進行している、と言う風には見えない。

本当に、世界をよくするために、という視点が、どこも共通して、ないように見える。自分の国の都合だったり、リーダーの個人的な「こだわり」だったり、固定的な観念だったり、相容れない価値観の衝突が目立つ。

組織内の価値観の衝突がないのは、独裁者がリーダーであれば、実現するのだが、それは歴史をみれば、いいものとの結論は、到底出せない。

意見、見解をのびのびと述べあい、みんなが納得できるようなことになればいいのだが、それが難しい。力関係がはっきりしていれば、その単位で独裁が始まる。独裁者に従うことで、もめごとは起こらない。それでいいはずがない。良い世界にはみえない。

組織として、異論がでても、きちんと意見交換ができ、気持ちよく、組織運営ができる世界にならなければ、そんな組織は、まともとは思えない。はたして、そんな組織があるだろうか。

たまに、会社組織でそんな会社があったりする。新入社員がみんな成長し、元からいる社員も生き生きとして事業展開をしていて、業績もよく、成果を従業員にも反映している。経営者が、理念が素晴らしいのだろう、立派な会社が現実にある。

やればできるはずである。政治の世界だって、地方自治体で格別の子育て対策に力をいれて、流入人口が増えているところもある。いいところにはみんな住みたいのだ。欠点があろうが、改善可能なこともあるはずである。

人類が、うらみつらみ、勢力争い、昔はこうだったから、取り戻したいだの、とても公平とは思えない、思い込み、価値観のもとに、こだわって生きていたりするのは、本当になさけないことである。


なんでも受け容れるが嫌ならしない

2023年11月22日 17時35分16秒 | 思考試行

思えば、いろんな病気をして、何度ももう終わりになっても仕方がない状況も経験してきた。だが、今もなお、一日6千歩以上は歩いたら、と勧められて、昨日から実行している。ふらつく頭を振りながら歩いている。

心不全と言われ、退院後は、少なくとも週二度、心臓リハビリがあり、それなりに忙しい毎日をすごしている。かかりつけ医に健康な人より歩いてますなあと冷やかし気味にいわれるが、本当にその通りだ。心不全にならなければ、こんなに細やかに、体重、体温、血圧、薬の管理などされることはない。毎日記録して、リハビリの前に、「面接」をうけて、これらのデータを看護師にみせて、アドバイスをうけ、その後自転車漕ぎのリハビリをする。

退院直後に、6分間歩行距離などの測定があったが、このほど、同じ計測があって、かなり歩行距離が伸びているということだった。この約5か月のリハビリや、運動の成果がでているようだ。この年になって、伸び率を褒められるのは、結構うれしいものだ。先の面接の際には、いささか大仰に褒めてくれたりするのだ。孫のような若い看護師が、まさに「保護者」になって、慈愛のまなざしを向けてくれる。

もとより、年齢のことがあるから、もはやなにがあってもおかしくなく、その覚悟はいつも持っているつもりだが、そうなると、生きるについても結構気楽であり、めちゃくちゃしたくなることはないが、何を我慢しなければならないということはない。ところが、そうなると、欲望そのものがそれほど強いわけでもなく我慢しているわけではないのに、禁欲しているのと大差はないから、人生は、うまくできている。

ただ嫌なことはするつもりはない。そこははっきりしている。それも、よくしたもので、そういう場面にはあまり遭遇しないように思う。もしそんなことがあれば、みごとに拒否してやるのだが。


生き残りたかったら他人も生きたいと思っていることを考えないのだろうか

2023年11月20日 23時24分07秒 | 思考試行

イスラエルの反撃はとどまることを知らない。ガザのすべての人がどうなってもいいという攻撃を続けている。これでは、共生なんてできそうもない。どちらかが完全に根絶やしにならないと解決しないということなのか。ユダヤ民族がかつてナチスにひどい目にあわされて、今の体質ができたのだろうが、攻撃には絶対に妥協しない。ハマスを根絶やしにするまで今の攻撃の手を緩めないつもりなのだろうか。うらみをいつまでも忘れないことは、被害者にとってはあたり前のことかもしれない。だが、忘れてしまう他解決手段がない場合もある。だが、改善できるものならば、当然改善することが人間には不可能なことではないと思うのだが、それはできそうにない。

どうあっても忘れはしない。かならず復讐するということになれば、人類はおたがいに闘い続ける他ない。適当に相手を避けていれば戦わなくてもいいように思うが、どうしても闘いに勝ちたいものは、闘わなければ殺す、ことも厭わず、闘いに引きずり込む。国が徴兵制をとれば、国民である限り、無理矢理にでも闘いに参加させられる。もうそうなれば、生きているわけにはいかない。それこそ死んだ方がましである。簡単に死ねる方法を準備しておく必要がある。平和のためにといって、武装し人殺しもやる。そもそも生き物の世界は他者を殺して初めて自らが生きることができるという構造にある。生きるに値しないのかもしれない。なにもなければ、良いこともたくさんあって、喜びも多くあるのだが、耐えられない強制に対して、生きるためには、なにもかも我慢しなければならないとは思わない。不満を爆発させて、思うさま暴れまわるかもしれない。死ぬつもりだったが、そうなれば、あらゆる不合理をうけいれ、利己主義に徹しきるか、人間をやめるか、もう鬼になるしかない。やけのやんぱちだ。

自分は安全なところにいて、若者を戦地に送る。罪深いことだ。愛国心やなんやかんやと、将来ある若者達を犠牲にして平気な顔をしている。こういう連中を許すことができない。何かいい手段はないものだろうか。制度で人を救う手段を用意できるはずだ。本気で弱者を救い、闘いをやめさせ、人が共に生きるためには、どうすればいいのか真剣に考えるべきだ。権力を持つ者が、その権力をどう使うかである。人が幸せに生きるためにどうすればいいのか、真剣に考えるべきである。そして、行動を起こすべきである。

 

 


生涯について

2023年11月05日 08時11分50秒 | 思考試行

まさに何が起こるか、起きるかわからない。小生の身もその例外ではない。人にとって、命の問題、健康問題はその最たるものであろう。街を歩いていても、周りには年上と思える人には出会わなくなった。すなわち自分がもっとも老人なのである。

いろいろあって、入院騒ぎにもなり、こうして街を歩けるようになったことは僥倖であるけれども、視界が以前とは違う。変に眩しかったり、霞んだり、紗がかかったようになったり、これも身体的、物理的に原因はあるのだろうが、今更突き詰めて原因を求めようとも思わない。失明するのなら、不便にはなるが、それも致し方なしである。それだけ長く生きてきたということだ。

11月に入って、この暖かさは何だ。地球が壊れようとしているのだろうか。ロシアや中東や、温暖対策どころか、とんでもない破壊行為が展開され、なかなかおさまりそうにない。人類は、もう存在できないのかもしれない。

古い記憶や出来事に重きをおいて、今現在の事態を作り出しているとすれば、何があったか、すべてを忘れて今生まれたかのように、お互いが共生することはできないものだろうか。どつきあいをいつまで続けてもそこからは、新たな争いの種を再生産するだけのことのようにみえる。

こうなると、過去の歴史をほじくって、それを今の行動に反映させることの恐ろしさを思う。すべてを飲み込み、そこから共生できる価値観を共有できなければ、人類の未来はない。

 


”統一教会”の件はどうするのか

2023年07月14日 22時23分54秒 | 思考試行

安倍首相の事件があって、統一教会への献金問題がより広範に知られるようになり、日本から教団本部のある韓国へ多額の金が送金されていることなど、信じられないような事態が起こっていることがあきらかとなった。

すぐにも教団の解散手続きに入るかと思っていたが、事態はウヤムヤのうちに済まされようとしているかにさえ見える。社会的にも大変な被害があるが、それはあまり、問題になっていないかのようにみえる。

選挙の際には、教団の強い支援を受けてきた政治家もいて、ことはそう簡単ではないのかもしれない。時間が経って、人々の関心が薄れることをひたすら待っているかのような印象さえある。

マスコミは、被害の実態をもっと徹底的に明らかにし、地道な取材を継続して行うべきではないか。専門家の話をながすだけでは、充分とは言えない。強力な取材チームを設置して、余すところなく、「悪」を暴き、根絶の戦いに立ち上がるべきだ。

 

 

 

 


激動の時代を生きる

2023年06月29日 18時39分12秒 | 思考試行

今まさに激動の時代。平穏で退屈な時代は、恐らくあったのではないかと感じるのだが、今は、確かにじっとしている時代ではない。なにかが大幅に変わろうとしているし、また、変わらなければならない事情が、誰の目にも明らかになってきている時代ではないだろうか。

少し前なら当たり前で、だれもが同じように考え、感じていたのが、それはおかしい、変だという意見が表面化してきて、どうやらそちらの方が、正しいようだ、いままで変だったことに気付いていなかっただけだ、という具合である。

日本は、長い歴史があって、国情は世界とのふれあいのなかで、変化し、対応するなかで、今を迎えている。どうやら、そのなかで、はっきりしてきていることがあるようだ。根本的ところで、大きな改変が遅れているような気がする。伝統とか、当たり前に大事にしてきたことが、この改変の邪魔をし、この改変ができないために、世界から遅れをとるという、日本らしくない現状に至っているのではないだろうか。

おたがいが、おたがいを大事にする、庶民の間では当たり前にできていることが、権力者や富裕層や、通常ではありえない立場に立った人間の考え方は、ひとを人とも思わず、虫けらのごとく見ているのではないかという疑いがある。平気で無視している。眼中にないのである。彼らこそ、害悪であり、彼らのもつ誇り、力の活かし方、彼らの視線、視野、この中に、世の中をゆがめる根本原因があるような気がしている。

ひょっとして、それはもっと、一般的な考え方だろうか、いな、そうは思えない。権力者、有力者、相対的に少し力があると自覚すれば、その力の及ぶ範囲内であれば、これを行使する。ここに根源的な原因があるように思う。


専制国家対民主主義国家

2023年04月04日 07時02分12秒 | 思考試行

日本の場合は、敗戦前は、専制国家に該当するのだろうか。選挙制度は明らかにあったし、機能は動いていたと思われるのだが、戦争反対勢力には、容赦のない、ひどい弾圧があったと言われている。 

国を挙げて戦争しているのだから、国家権力にとっては、戦争反対などと公然と主張されることは、認められないとするのは、当然のようにみえる。

だが、今のいま、ロシアの現状や、中国、北朝鮮など国家権力と国民の関係は、濃淡はありそうだが、まさに支配、被支配の関係であり、国民の意見が尊重されているとは到底思えない。

では、日本はどうであろうか。組織のなかで、自由にモノが言えるだろうか。そんなことをしたら、組織にはおれないし、はじきとばされ、郷に入れば郷に従え、となるのが自然だし、権力構造のなかで、人事権を持つ者が、圧倒的に組織の権力を握る。

組織人がその組織のなかで、自由に意見を述べ、その意見が生かされる組織などあるのだろうか。それぞれの組織の権力構造のなかで、権力のある者が組織を支配し、秩序を保っているようにみえる。

意見と言っても、それは多様であるし、有用か、それとも混乱をもたらすだけのものなのか、証明が困難であろうし、いちいち取り上げていたら、組織が機能しないこともある。

だが、風通し良く、気持ちよく自由に意見を出し合え、そこで合理的に組織が判断し、その方向性を健全なものに変えていくことができるならば、その組織機能は素晴らしいと思える。

だが、意見はでるけれども、実行が伴わないものであったり、無駄であったり、効率の面では極めて非効率で、見るべき人が見れば、話しにならない議論にみえることもあるだろう。

では誰が、もっとも正解に近い意見を持ち、組織を正しく、健康に動かすことができるのだろうか。その人の持つ、根本的な価値観が重要になってくる。個々人の価値観にこそ、問題解決の基本があるように思える。

たとえば、トランプ氏の言動や、行動をみて、健康的であると思えるだろうか。報道人の価値観に、騙されているかもしれないが、どうみても彼は具合の悪い人間としか思えない。彼の真実を知らないのに、そう感じているのは、彼をめぐる報道の姿勢の反映によるかもしれないが、確率的に彼は、大統領にはふさわしくない、とする方が正しい気がする。

しかし、共和党の大統領候補として、もっとも支持率が高いという。なぜそうなるのだろうか。彼を支持する人の視野は狭いのだろうか。反対意見をまったく見ようともしない、狂信的なニオイがする。こういう人々が多数をしめる場合があることも知らねばならない。

 


桜が咲いている

2023年04月01日 11時37分55秒 | 思考試行

当たり前のようで、あたりまえではない。桜がさくためには、さまざまな条件が必要で、条件が欠ければ、桜は咲かない。だが、よほどのことがない限りは、季節が来れば桜は咲く。世の中の森羅万象は、すべてがからみあって、なるべくしてなっている。

勝手な都合で、無理矢理条件をかえたり、作ったりして暴利を貪ったりしても、いつかは、そのとばっちりを受けたりする。だが、そんなとばっちりをうけることもなく、ゆうゆうと人生を過ごす人もいる。

結構不合理だったり、不公正だったりする。万事が理屈通りには進まない。しかしながら、ひどいことをし続ければ、それなりの報いがあってもいいのではないか。なんにもお咎めがないからといって、そのままで済んでしまうとすれば、それこそ人類社会は、はたして存在していていいのだろうかと思わされる。

ロシアの振る舞いをみていて、ただちに、これを懲らしめる決定的な動きというのが、どうみても遅い。この間、多くの犠牲者が生まれ、今も死に続けている。ロシアの報復を恐れてか、ウクライナへの各国の援助は抑制的であり、気合の入ったものとは言えない。

だからといって、本気で全力を挙げて、各国がこの問題に取り組むことになれば、ロシアが消滅しないかぎり、この戦争は終わらない。プーチンだけが、この戦争を維持する原動力ではないにしろ、プーチンの価値観がこれほど非難もされず、戦争を維持しているのをみるのは、おそるべきことである。

プーチン的な考え方がそれなりに、ロシアの国民のなかで力をもっているとするならば、このことこそが問題である。徹底的な敗北を与えて、根本的な反省を促す以外に、戦争を終わらせることはできないのかもしれない。

けったいな考え方をすれば、どうなるのか、そういう帰結をはっきりと人類社会は示さなければならない。できるだけ早くそういう事態が来るようにのぞむばかりである。