マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

対馬てみさんのことー演劇「津軽」によせてー

2010年12月09日 | 映画・美術・芝居・落語

 「小泊」は津軽半島の最先端近くの、小泊岬付近にある小さな集落。五所川原から延びる津軽鉄道の終点津軽中里から更にバスで1時間15分も揺られてようやくたどり着く遠き地にあります。
 
対馬てみさんは、その小泊の人。現在はその地の保育園長。その妹のFさんも小泊の生まれで、定時制高校時代、私が担任をしたことのある元生徒さん。(かっての小泊の地名は中里と合併し中泊となってしまいましたが、昔の名を懐かしむ私は、ここでは小泊で通します)
 
 数年前、家人の友人Tさんは自らのルーツを求め、家人と共に2泊3日の、
小泊への旅に出る計画を立てていました。その際、Tさん⇔家人⇔私⇔Fさん⇔対馬てみさんの関係から、当時小泊の観光課に勤務していた対馬てみさんに宿泊と案内を依頼しました。その旅の宿泊先で、てみさんが語った「津軽民話」の語りが素晴らしく、帰京後、その語りを是非多くの人に聞いて貰いたいと考え、Tさんと家人の二人は「津軽昔話」を聞く会を計画しました。4年前の夏のことです。
 この計画は二人の努力によりその年の10月、「駒込地域センター」での開催に漕ぎ着けます。60名ほどの方が参加し、会は成功裏に終わりました。実はてみさんは”津軽昔話(てみさんは「昔っこ」と言います)の語り手”として、地元などでは有名で、いろいろな処に出掛けて披露していたのでした。NHKの深夜放送に出演したこともあります。

 太宰生誕100年だった昨年9月、青森美術館などが、小説「津軽」を舞台化。津軽鉄道・芦野公園駅(五所川原市金木町)の隣の駅で野外劇として上演し、本物の列車を劇中の取り入れるダイナミックな演出で大きな反響を呼びました。その劇に対馬てみさんは太宰の子守役として出演。そのままの地で演じたのでした。

 その「津軽」が再び11月27日・28日の二日間、新宿の全労済ホールで上演予定と、てみさんから家人へメールが届きました。生憎、私はこの両日旧学年会で箱根へ出掛ける事になっていて、見物を断念。家人は観劇のチケットを電話予約し、Fさんと出掛けました。朝日新聞に「津軽」公演が紹介されたのはその数日後です。チケットはあっと言う間に完売となったそうです。





 当日の様子を家人から聞きました。てみさんは勿論太宰の子守のたけ役。てみさんが舞台に登場すると大声で「てみさん~」と声援が飛んだそうです。カーテンコールでは、足の具合の悪いてみさんは、主演者に抱えられ、最後に登場。まるで主演者のようだったとか。
 津軽言葉のせりふには共通語の「字幕」がつき、休憩時間には、演出の一環として、劇の内容とかかわる地元の食材を使ったお弁当が観客に配られるなどが工夫もなされていたとの事。
 来年5月に、青森県立美術館の特設ステージでの再演が予定されています。

 


『十二月』ー下宿屋「四丁目ハウス」-を観る

2010年12月08日 | 映画・美術・芝居・落語

 12月5日(日)、劇団民藝の『十二月ー下宿屋「四丁目ハウス」ー』を観に、三越劇場へ出掛けました。劇団民藝は創立60周年記念を迎え、記念公演の掉尾を飾るにふさわしい舞台です。「十二月」は小山祐士の処女作で28年ぶりの再演。演出は高橋清祐。


 新聞でこの公演を知ったとき、まず惹かれたのが出演者。奈良岡朋子・梅野泰靖・樫山文枝・日色ともゑの4名の名があがっていました。いずれも、かって新劇の、それも民藝の芝居を観に出掛けた頃の懐かしい名前だったからです。その中でも特に奈良岡朋子の舞台は是非見ておきたいと思い、慌てて予約の電話を入れました。




 近年名優たちが次々と”世の中”という舞台から姿を消して行きました。緒形拳しかり、佐藤慶しかり、池内淳子またしかりです。更に遡れば宇野重吉・滝沢修などなど。後であの舞台を観ておけば良かったと無念の思いに駆られたこともしばしば。奈良岡さんには失礼ながら、同じ轍は踏みたくないの思いから、即電話予約をしたのですが・・・。殆ど満席で、辛うじて取れた5日(日)の席は、なんと2階の最後尾でした。
 
 時は昭和5・6年。処は本郷。昭和初頭の大恐慌により、主人公九城間弓(梅野)は大会社を辞め、妻扶可子(奈良岡)とともに上京、本郷で学生相手の素人下宿屋「四丁目ハウス」を始めます。ところが、エリート官僚の弟九城次郎は財閥令嬢との縁談をまとめるために、兄夫婦に下宿屋廃業を迫ります。大学は出たけれど職のない扶可子の弟道樹や、橋梁工事の現場監督に追いやられる鞆浦、ストの先導者、道樹との仲が怪しい有閑マダム(樫山)などが、「四丁目ハウス」を舞台に、人間模様を展開していきます。
 不況の色濃い時代背景が現代とダブります。幕切れの号外の声が、ひたひたと迫る戦争の足音、暗い時代へ向かう予兆を感じさせます・・・。(パンフレット表紙)

 しかし内容より奈良岡朋子です。劇場最後尾にも、ツヤのある声がはっきり届きます。元気溌剌とした役どころではありませんが、81歳とは思えないシャンとした姿勢が見て取れます。奈良岡朋子健在なりです!
 パンフレットでは、聞き手木村隆との対談で「若い頃は1、2回読んだらぱっと覚えた台詞を今では10回、20回読まないと不安が残る」と語ります。芝居にかける情熱はいまだ枯れず。その役者根性は民藝の後輩達にしっかりと伝えられていると思えます。大滝秀治と共にに民藝の代表を務める彼女
にとって、これが劇団公演出演100本目という記念碑でした。(写真:パンフレットより)
 


『小石川後楽園』へ

2010年12月06日 | 東京散歩
 12月3日(金)、中学時代のクラスメイト5人と「小石川後楽園」を散策しました。第一次の目的はこの庭園に付属する「涵徳亭」でのクラス会の日程を予約することでしたが、「涵徳亭」が開かれるのは12時30分から。それまでに1時間ほどの余裕があるので、のんびりと庭園内を散歩することにしたのです。

 この日午前10時くらいまでは激しい雨に見舞われた東京。しかし11時にその雨もあがり、庭園は雨上がり直後。雨に洗われた紅葉と澄んだ空気に満ち満ちていて見事な風景を見せてくれました。失礼ながら「小石川後楽園」がこの様に見事な庭園であることを知りませんでした。新発見です。クラスメイトからも感嘆の言葉が。東京ドームが眼に飛び込んでくるのはいささか興ざめですが、それを補って余りある風情豊かな姿に初めて接し、”知らなくてご免ね”です。


 滝から池に流れ落ちる水。その池の端で地下に潜る水。”木曽川”と名づけられた川として再び地上に現れた水は再度地下に潜って庭園から消えていきます。私の予測では、かっての神田上水を流れてこの庭園に達した流れは、この「小石川後楽園」を通り抜け神田川への流れ込むのではないかと思うのですが、確認はしていません。後日然るべきところに聞いて見たいと思う興味ある事柄です。


 のんびりとした散策の後、涵徳亭内を見学し、来年5月22日(日)をクラス会として予約出来ました。来年のことなのですが、丁度6ヶ月前から予約が開始されていて、5月の土曜日はすべて満杯。この日の涵徳亭に使用されていない部屋があれば食せる630円のランチも、満室のため利用できず、已む無く、昼食はシビックセンター25階の椿山荘に回りました。
 センター25階は展望ラウンジとなっていてこの階をぐるりと一周でき、晴れた東京の午後が一望に見渡せました。ここを訪れたのは私以外みな初めてです。富士山は雲に隠れていますが、新宿ビル群をはじめ、サンシャインビル・東大・小石川植物園のみならず、東京スカイツリーもしっかり見渡せ、630円のランチを食せ無かった悔いは残らずに、昼食を終え帰路につきました。
 

『高橋宏子個展』ー暮らしを彩る工芸展ーを訪ねて

2010年12月03日 | 映画・美術・芝居・落語

 京都二条城前で「くらふと和光」を経営する”京の染色家”高橋宏子さんから個展開催の挨拶状を頂き、12月2日(木)の一昨日、東京駅八重洲地下街にある「ギャラリー八重洲・東京」に、家人ともども足を運びました。「暮らしを彩る工芸展」と題して、彼女の制作した屏風・着物・帯・婦人服などが多数展示され、販売も行われています。特に京都展覧会での「あかね賞」受賞作などが数品展示されていて、室内を色彩豊かに飾っていました。





京都在住の彼女との出会いは後回しにして、まずはその横顔を紹介します。(宏子さん父 高橋和光さんの作品)










 
 宏子さんは、画家であった高橋和光(菊池契月門下、京都府伝統産業優秀技術者表彰)を父に持ち、その下で、手描き友禅の着物制作に従事。里 明氏(光風会、日展審査員)や渋谷和子氏(京都美術文化賞受賞者)に師事し、型絵染の研鑚に努められた後「くらふと和光」設立。





 1986年から公募団体に出品を始め、1988年 京展 あかね賞を受賞 2000年には日展・京展・日本新工芸展などに入選。2001年には読売新聞本社賞受賞。2002年にも日展に入選し、日本新工芸展にはこの年以降連続出品しています。時折東京の三越などで個展を開いています。




 
 写生を通じて、樹木や花の美しさを「かたち」に表現するとともに、写実性だけでは描ききれない植物の持つ生命力や精神性をも作品に描きこんでいます。








 さて彼女との出会いですが、10数年前「全日空ホテル4泊+新幹線京都往復」4万円台という激安プランが発売され、家人と京都に出掛け「全日空ホテル」に宿泊した折、ホテルの2軒先に「くらふと和光」なるお店を見つけ覗いてみました。






 主として服が展示・販売されており、家人は趣味に合うものを購入しました。このお店がいたく気に入った家人と、京都を訪れる度にこのお店に足を向けるようになったあるとき、「高橋宏子」と書かれた表札を見て吃驚。その名前は私たちが良く知っている方と同姓同名だったからです。







 
 これ以降、以前より足繁く通うようになり、会話を重ねるなかで、横顔で紹介した経歴も知るようになりました。宏子さんと家人の親密度も増して行き、大晦日には宏子さんご一家と比叡山での初詣も計画。これは雪の為中止となりましたが・・・・。東京での展示会などあれば、その度に出掛けもしました。ご自分のプロデュースによる服や小物は、オリジナリティーに富み、比較的お安い値段なので、何年もの間に、彼女の作り上げた服が増えていきました。




 今回の個展会場には中央には京展での「あかね賞」受賞作が飾られ、その他最近制作した作品に撮影意欲を駆られ、多数撮影してきました。私も帽子を購入して来ました。(京展 あかね賞受賞作品)















『電子政府』を訪問ーオンライン申請体験フェアに参加してー

2010年12月02日 | 行政書士奮戦記

 12月1日、東京国際フォーラムで開催された「第6回 電子政府 オンライン申請体験フェア」に参加して来ました。言うまでもなく、オンライン申請とは自宅等のパソコンからインターネットを通して、各種申請や支払い等を行うシステムのこと。その試みは、もう10年以上前から実施されているそうですが、意外に広がりの速度の鈍いシステム。私もその近辺をうろついた事がありましたが、ハードルの高さに驚き、早々と退散した経験を持ちます。
 今回は知人の方からの紹介でこのフェアの開催を知り、参加の
”オンライン予約”をしておいて、知人の方共々体験をして来ました。
 数年前、私は住民基本台帳カードを取得し、更にそこに電子証明書も格納し、「e-Tax」を利用しての確定申告を行おうとしたのですが、カードリーダーなるものを別途数千円で購入しなければならない事を知り、このシステムの利用を断念しました。更にはこの住基カード大事に扱わねばと考え、大切などこかに仕舞い込みましたが、今では”大切な場所”がどこか分からなくなってしまっている体たらくです。もう一度最初からやり直せればとの期待感を抱きつつ参加しました。

 
 総務省・法務省・厚生労働省・国土交通省の各省をはじめ、特許庁などが10ほどの体験ブース等を設けていました。私は迷わず、まずは総務省が主催する「公的個人認証サービス」のコーナーへ。この「公的個人認証」こそ、各種のオンライン申請のベイシックとなる手続きだからです。パソコンからの映像によりその手続きの流れが説明されます。それによれば
 ①住民基本台帳カード(以下住基カードと略記)を、各市町村に申請し取得する。
 ②①で取得した住基カードに電子証明書を格納する。この証明書は都道府県の知事より発行されるが、発行の手続きは市区町村で行われます。
 ③家電量販店などで「ICカードリーダー」を購入しパソコンに接続する。
 ④②の際に配布される「電子証明書を利用するためのソフト」を自宅等のパソコンにインストールする。
 ⑤④までを実行することにより電子申請可能となり、後は自分の必要とするオンライン申請をする。
 とのことでした。
 私が気にしていた事柄は、住基カードが再発行されるか否かと「ICカードリーダー」の値段でしたが、再発行可能であり、「カードリーダー」は2000円くらいで購買可能とのことでした。

 仮にその後の申請をしなくとも、写真付き住基カードが身分証明書として通用する点に大きなメリットがあるかも知れません。年齢が進むにつれ、運転免許書も手放すことになるでしょう。そうなったときに、1枚だけで身分証明書の役割を果たすこのカード、批判が多々あることを承知で私は取得するメリットを感じます。
 その後法務省主催の「商業登記に基づく電子認証制度」の説明を聞き、続いてパソコンを用いてのオンライン申請の擬似体験を2つしました。一つが総務省が主催する「電子政府の総合窓口」での「社会保険の手続き」。もう一つが、ダイレクト方式による電子的支払いシステムたる「Pay-easy」(ペイジー)。ペイジーはインターネットバンキングを活用して、銀行等から各種購入代金を無料で支払えるシステム。これは利用に向けて検討しようかなと思います。兎も角、その第一歩から再スタートしようとの気になる催しではありました。

 帰路、日比谷から大手町に向かう街並みにはイルミネーションが通りを彩り、クリスマスが近いことを教えてくれるのでした。