マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

深谷に宿泊し、佐野橋を渡る

2017年12月19日 | 

12月16日(土)~17日(日)、私ひとり、Iさん家に宿泊し、深谷から佐野橋・倉賀野へと足を延ばした。
 Iさんに「パソコンでの音声入力」の方法を聞きたかった。スマホでの音声入力は簡単に出来たが、パソコンでの音声入力は自力では出来なかったので教えて貰うのが主目的での宿泊訪問。到着後直ぐに作業開始。Iさんは自分のパソコンでは実現していたが、私が持ち込んだ「Surface」では最終目的地には到達出来なかった。ただ、その操作過程の中で幾つかの事柄を学んだ。
 現バージョンの「Surface」は音声入力を受け付ける能力が弱い。OSがAndroidのスマホ活用の方がベストであること。Iさんの持っている、性能の良いICコーダーからならば、私のスマホへの、正解率高い音声入力が可能、などなど。今後に活かしたい。(写真:性能の良いICレコーダー)
 その話が一段落して倉賀野の話になった。私は『中山道 浪漫の旅』を見せて、「佐野橋」を渡ってみたいことと、倉賀野の「おもてなし館」が素晴らしかったことを話した。ここ深谷から群馬方面への道に詳しい彼は直ぐに、車での佐野橋までのアプローチルートを思い描いていたらしい。

 17日、朝9時半Iさん家出発。川越街道(国道254号)を北上した。川越街道が延長されて、国道254号線となり松本まで続いている、とは知らなかった。10時50分頃、倉賀野宿とは反対側にある烏川右岸に到着。そこに烏川に架かる木橋の佐野橋があった。
 『浪漫の旅』には《『東路記』に「佐野舟橋を渡せし川有。名所なり古歌多し」と書かれ、北斎は「諸国名橋奇覧・上野佐野舟橋之古図」を描いている。烏川の舟橋があったとされる地に、現在は幅3m長さ90mの歩行者専用の木橋が架かる》と書かれ、その写真も載っている。11月に中山道を歩いた時にそれは読んでいたが、中山道からはやや外れ、そこを訪れる時間がないので断念していた橋。写真を見て是非渡りたいと思った橋だった。(写真:北斎画)

 橋を渡り、流れを見ると、澄んだ清き流れ。遥か彼方には上信国境の山脈が見渡せ、直ぐ目の前には線路が架かっていた。程なく二両編成の鉄道が通過。高崎と下仁田を結ぶ上毛電鉄上信線だった。橋を渡ると「佐野のわたし駅」が見えてみた。私でも知っている定家の「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮」(新古今)の佐野は残念ながらここ群馬の佐野ではないらしい。(写真上:佐野橋)

  
  

 駅に掲げられた看板から「鉢木」の舞台になった地であることを知り、電車を待つ人から「常世神社」の場所を聞いた。そこには「鉢木」の主人公佐野源左衛門常世の家跡に建てられた神社。小さい神社ながら碑が多数。 




昼食に「石焼ラーメン」なるものを食した。Iさん夫妻お気に入りのラーメンとのこと。高温に熱された鍋に麺と具が入っていて、そこへラーメン汁を注ぐと、汁は沸騰し、大きな音を伴い蒸気がモウモウと立ち昇る。用紙を持ってその蒸気を遮った。東京では見ない風景。食すると、野菜が豊富で美味しいラーメンだった。下北沢に21軒目の支店がオープンしたそうな。
 彼ら夫妻とは籠原駅で別れたのが14時過ぎ。まだ時間があるので、ひとり倉賀野へ向かった。


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