ゆいばすで桜野・阿僧コースをゆく 3

2017年8月29日
僕の寄り道――ゆいばすで桜野・阿僧コースをゆく 3


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桜野集落へ登る手前に桜野沢を渡る橋があり、平成7年竣工のその橋を槍野(うつぎの)橋という。槍野橋を渡ってのぼっていった先が槍野集落であり、ゆいばすのバス停名は槍野会館になる。

ここもまた山上にひらけた集落であり、狭い耕地を利用して様々な農作物が植えられている。

櫻野の地名は『太平記』「薩多山合戦の事」に登場する。
南北朝時代の1351(正平6/観応2)年、薩埵峠で足利尊氏の軍勢と足利直義の軍勢とが行った合戦で、兵の少ない尊氏が薩埵山上に陣を置いて体制を整え、兵力にまさる直義が東より包囲して睨み合う。そこへ尊氏が頼みとする宇都宮氏綱が後詰として参戦し、桜野の地で山上戦が行われたとある。
「児玉党三千余騎、極めて嶮しき桜野より、薩埵山へぞ寄せたりける」(太平記)
太平記には桜野とあるが実際の戦場は槍野だったとする説もあるらしい。

槍野会館前に石碑があり、

  是
皇道を報じ報徳の教に従ひ土に親み村を愛し相互克く和親共存同栄を励む事
昭和拾四年初夏 槍野農事実行組合

と刻まれている。ここもまた報徳思想を心の支えとし、勤勉と助け合いを重んじる人びとが支えてつづけてきた村なのである。

『古街道を行く』静岡新聞社の中でこの芭蕉天神道を歩かれた著者である鈴木茂伸氏によれば、桜野からは清水区の上倉や逢坂、槍野からは坂本へ、いずれも興津から甲州へ向かう身延道沿いへと下りる古道もあるらしい。

名のある道だけではなく、暮らしのために踏み分けられたすべての道が「塩の道」であるのは言うまでもない。


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