とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

若者の○○離れ

2014-08-09 20:50:19 | 哲学・社会
私は若者ではない。
しかし、昨今の「若者の○○離れ」という言葉には違和感がある。

若者の○○離れとは (ワカモノガハナレテイッタモノイチランとは) [単語記事]

音楽で順に追って考えてみよう。
技術の発達と音楽の変遷とは、簡単に言って次のようになる。

生演奏→蓄音機(レコード)→LP→CD→MD→MP3→ダウンロード

これを1990年に遡ってよく考えてみよう。

昔の人は生演奏離れと言っただろうか? 
昔の人はフォークソング離れと言っただろうか? 
昔の人は歌声喫茶離れと言っただろうか? 
昔の人は60'S離れと言っただろうか? 
昔の人はグッド・オールド離れと言っただろうか? 
昔の人はロカビリー離れと言っただろうか? 
昔の人はレコード離れと言っただろうか? 

その当時の報道は私は知らない。
だけれども、「○○離れ」がここ10年で出てきた言葉からして、その前の時代には、この言葉そのものを言ってなかった可能性は高い。
それならば、その当時は「○○離れ」というネガティブキャンペーンではなく、新しく来た新しい時代の波をキャッチし続けたはずなのである。

○○離れとは、「技術的トレンドはまだ自分らの手の内にあるのにその中心地たる我々に対して、盲従すべき若者が向かってこない、おかしい」という意味合いさえ垣間見える。
まるで同じところに網を張り続けた為に、魚群を捉えられないのをして、「なんで今までここで魚が獲れたのに、なんで今はここで獲れないんだ」と愚痴っている漁師だ。イソップ童話の酸っぱいブドウを地でやっているのである。
それはそうだ。人は基本的に主観で判断するようにできている。しかしこの辺りで客観的になった方がいいのではないだろうか? 

そもそもこの傲慢とも言えるこの言葉遣いは一体どのような心象から出てきたものであろうか? これを少し探って行きたい。

・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
本来、技術というものは社会に先行する存在であるべきはずである。
技術は常に革新する。マルクスの解説として次のようなものがある。

週刊SPA! 11月13日号 インテリジェンス人生相談(2012年)
マルクス・エンゲルス選集第7巻経済学批判より『賃労働と資本』からの解説より
賃金は3つの要素から構成されています。第1は、労働者の食費、家賃、被服費、レジャー代など今後1か月消費をして、働くエネルギーを蓄えるために必要な商品とサービスを購入する費用です。第2は、労働者が家族を養って、子供を社会に送り出すためにかかる費用です。マルクス経済学の用語を用いれば、労働者階級の再生産ということになります。第3は、資本主義社会では常に技術革新が行われるので、それに対応するために労働者が勉強する費用です。


資本主義社会では技術は常に革新への方向へと流動する。一定の定点からの観測では常に取り残されるのである。その為に技術は先に行っていなければならないし、技術者は先を見据えなければならない。

若者の○○離れを唱えている人は、この技術を掴むのに失敗した人たちの愚痴にしか聞こえない。トレンドの先に行けないがために、定点観測をするしかないのだ。

「若者の○○離れ」を唱えている時点で、それはその人が技術的覇権を握ることができていないことを意味する。
オニヤンマが往復運動して飛翔する性質を利用し、その途上で網を構えて捕らえるがごとく、若者が来るトレンドの場所を先に作っておいて、そこへ誘導するのである。そして残念ながらそれが出来ていない。いや、若者たちからすれば、待ち構えている罠にはまってたまるかという感覚でもあるのではないか。

ともあれ、技術トレンド、社会トレンドを掴み損ねた社会の人々を恨み節を込めて「若者の○○離れ」を唱えているのであるが、それではなぜiphoneが売れているのか、MP3をダウンロードするのか、facebook、twitter、LINEに傾倒しているのか。これらは全て外国製品なのである。

そして今後来るであろう、その次の更に新しいトレンドを用意する準備はできているか。

日本でそれをやろうとしているのが、バイラルメディアというキーワードでウェブを盛り上げているアメブロのサイバーエージェント他多数であるが、めぼしいのがバイラルメディアというキーワードで稼働しているウェブだけという状況ではこころもとない。
これはいい方向に向かっていると思うが、早いうちに花開くことを願う。

その他、人工的にクモ糸を量産する技術が山形にあるという。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/05/28/spiber_n_3350116.html

ここにも頑張って頂きたい。
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ブサイクは死んではならない

2014-08-09 16:29:23 | 哲学・社会
ブサイクは死んではならない。その前に子孫を残すべきである。
今日はその解説を行う。
遠回りになるがご容赦頂きたい。

私は私の容姿をしてジャニーズ系を名乗る程、面の皮は厚くない。これと反比例する形で腹部の皮下脂肪の厚みはたんたんとその進捗をあげているのであるが、しかして私は美形の類いではないのであると言うことができる。

見た目がどうしてもごついので、野球やってたでしょう、柔道やってたでしょう、酒を結構飲む方でしょうとか言われるのであるが、いやいや、その類いは全て苦手の一手なのであって、全く、私の容姿とその内面は非常に乖離している。

先日などは駅前の寿司屋の前を通るに当たって、店の呼び込みをしている店員が「おいしいマグロ、イカ、ウニ、なんでもありますよ! 」と道ゆく人にセールストークしていたのだが、私が通りかかったら「どうです、まずはビール一杯から! 」と言ってきた。ちょっと待てや、さっきまで寿司オンリーのことしかしゃべってなかったのになんで酒の話しになるんか、そんなに飲みたそうに見えるんか、そんなに飲みたそうに見えるんか、そうですか、そうですよね、すみません、自分の容姿はツッコむべきところ反省すべきところが多々ございまして大変申し訳ございません以後気をつけません。

まあ、ともあれゴツ系の私はそう言う系統の容姿であるが、さて、そうした私は今までのいろんな経緯があって、こんな性格の悪く、容姿もいいとこない人間は子孫を残すべきではないのではないかと思っていた。
皆に迷惑をかけていた今までを振り返って、誰にも迷惑をなるべくかけずに、自分の子孫は自分と同じ運命をたどるだろうからそうした苦労は味あわせてはならないとし、そう悶々とした日々を送って行ったのだが、しかしこの考えを改めるに至っている。

まず、生物学上、優秀な身体能力を持つ生物が生き残ると言うのが常であるが、しかしその例に当てはまらないケースもかなり存在する。

例えば、クジャクなどは、その長い羽は明らかに飛翔能力の低下に繋がっているが、しかし、異性へのアピール能力に特化するDNAを優先的に発現させた結果、その種が生き残ると言う帰結を得た。

ムラサキシャチホコはどこをどう見ても枯れ葉であるが、しかしその飛翔能力よりも形態能力を優先させてそのDNAを発現させている。
立体的な二次元絵であるトリックアートを思い出させる。

メガロドンやその他、古代の巨大生物たちは、その形態を大きくするにつれ、その生存を確保してきたが、しかし、それよりも小型のシャチの登場により、メガロドンは捕食対象となって絶滅してしまった。

物事には適性なサイズや能力がある。
こうした遺伝的浮動と自然選択によって進化の形を為す総合説と言うものが生物進化における学説の主流らしい。
自然に求められる適性というものは、力強さやスピード、重さ、大きさだけでなく、異性への主張能力、捕食されぬよう擬態を施す容姿、最速のスピードが出せる体のサイズ・・・それらは決して一つの基準で選択淘汰されてきた訳ではないはずだ。
何が生き残って何が生き残るべきではないか、と言うのは、自然や地球が決めるのだ。その生物が持っている主観的基準ではない。
多様性を確保したのちに、その後に訪れる変化の試練を受け、それに合格した者のみが生き残るのである。進化の先が合格か不合格かと言う結果は主体的に見ることができない。しかるべき枝は剪定されるまで、伸ばし続けるしかない。それがいかに不器用な枝の巡らし方であったとしても。

その点において、生物が確保すべきという至上命題は、子孫の繁栄のみならず、その多様性の確保なのである。

さて、人口が60億も超えて、その多様性はもう確保されているんじゃないかと言う指摘もあろうが、これにも捕捉をしておく。

人間とは多様か単一か、そのどちらであるかと言う問いを投げかけた場合、その実態は多様でない部分も多い。

分かりやすく例を挙げる。
亀を考えてみよう。ウミガメであれば、その前肢の形状はヒレのようになっているが、しかしゾウガメの前肢のそれは明らかに陸上移動用である。
人間などは、肌の色や顔の形状、髪の毛の色や髪質、身長の傾向が異なるくらいで、手の形がそもそも違うと言う人種が存在しない。

牛も見てみよう。
Ankole-Watusi
African Watusi
Gnu
Highland cattle
bison
Holstein

角のつき方が各種によって全く異なる。人間の爪のつき方は何種類かあるとのことであるが、しかしここまでは顕著ではない。

種としての多様性での高低に関する点においては、多様性の分散系の広がりは亀や牛と同じ値を取らず、分散的指数があるとするならば、その数値は馬、犬、猫、猿、鳥に近いと言ってよいかもしれない。
この点において、人間はもっと多様性を確保すべきなのかもしれない。

それに加え、自分の性格の悪さというものが、もしかしたら生存に関する両条件を備えるかもしれない。
思い出してみよう。カーチス・ルメイは東京を火の海にして10万人の民間人を殺傷せしめた上で、何らの倫理的断罪も受けずにこの世を去った。
このような巨悪が正しいとするならば、私の考えている私自身の性悪なんてちっぽけなものだ。ただ、私は私に関する人にかけた迷惑は忘れずにいようとは思う。比較論でちっぽけであったとしても、忘れてしまってはいけないと思う。

話しが逸れたが、もう一歩先にこの論を進める。
何が生きていいか、何が生きてはいけないかというのは、神様みたいな存在か、あるいは地球そのものが決める。
次の動物を見て戴きたい。

・イルカ(哺乳類)
・シャチ(哺乳類)
・サメ(魚類)
・魚竜(爬虫類)

この四つは脊椎動物の中でも互いに違う綱(こう:○○類)であるのにも関わらず、同じ形状へと進化を遂げた。
つまり、地球の海という環境はその流線的形状へと進化「させた」のである。

その形状は自己の内部的イメージとは異なっていても、環境がそれを選択するかもしれないのだ。決して無駄にしてはならない。

コメント (2)
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BABY・METALについて

2014-08-09 15:27:01 | 芸能
雑記。

インターネット上の動画には様々なジャンルの動画があるが、その中の一つに「海外の反応シリーズ」というものがある。


海外の反応シリーズとは (カイガイノハンノウシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


このシリーズは大きく次の2つの種類に分類することができる。
・ニコニコ動画発の動画がYouTubeなどに転載され、それを観た外国人の反応についてを(ニコニコ動画で)まとめた動画。
・元々、海外で作成された日本をテーマに取り上げたテレビ番組、YouTubeのアマチュア作品をニコニコ動画に転載したもの(中には転載に当たって日本語訳を付加している場合もある)。


さて、先日まではコミック・アニメの「進撃の巨人」が海外にウケているという傾向が見られたが、最近のトレンドは流れが変わった。
現在の話題に出ているのは、BABY・METALである。

さて、これの反応動画であるYoutuber'S REACTで扱われているのが初見だった。

BABYMETAL「ベビメタMVを見たアメリカ人Youtubersの反応(日本語字幕付き)」


発音がどうにも「ベイビー・メォル」になるので、かわいらしさを前面に押し出したメタルとしか思わなかったのだが、このネーミングは、

1.「ベビー」=かわいい
2.「ベビー」と「ヘビー」をかけている

の二点を出しているらしい。
多分海外では「-BY」の韻を多少踏んでるくらいにしか思わないのではないだろうか。
日本語的に「ヘビー」の内の一文字にただ濁点をつけた、という必要最小限の変化しかせずにミーニングを完全に変えたというニュアンスは伝わっていないのではないかと思う。

ちなみに先日の7月第4週に飲み会を行った時に、その話題が出て、初めて「BABY METAL」の発音が「ベイビー・メタル」ではなく「ベビー・メタル」だということを知った。

さて、不思議なことにこれが海外で物凄くウケているということなのである。私には分からない。


ド素人がここの辺を考えるに、恐らく昔あった「エマニエル坊や」と同じ現象なのではないだろうか。
本来、大人が歌うべきしゃれた歌を子供が歌ってそのギャップから愛嬌を感じるという点において、「BABY・METAL」は同じ現象を出しているのではないだろうかと。
コメント (3)
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日本エレキテル連合について

2014-08-09 15:03:30 | 芸能
日本エレキテル連合のネタは細かすぎて伝わらないモノマネ選手権でかなり笑わせてもらったが、彼女らの通常コントでの持ちネタ「ダメよ~ダメダメ」はよく分からない。これが世間に受けているのだろうか? 

「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」がなくなったのなら、私は普段の生活の息苦しさに窒息死してしまうかもしれないし、社会にとって大きな不幸をもたらすかもしれないが、ゴールデンのコント枠が無くなったところで社会は通常通り次の何かを求めていくだろう。社会に必要でいてそうでないという空虚な枠なのである。

ところで日本エレキテル連合はダンサーのBMH(ばい菌持ってる鳩)とキャラが被っているね。

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