とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

やっと見つけた鉄道史

2015-01-31 23:56:47 | 哲学・社会
鉄道の成り立ちが分からなかったが、しかしやっと見つけたのでメモ。

軌条 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8C%E6%9D%A1



車輪またはソリが発明されて、重量のある物体の輸送が行われるようになると、地面が柔らかい場所では次第に深い轍(わだち)が刻み込まれて、それに沿って輸送されるようになった。轍は、雨が降って泥沼化した場合に輸送の障害となり、また轍と異なる方向へ向きを変える時にも大きな障害となるため、これに対処するために地面側での工夫を必要とした。路面全体に石を敷き詰めて舗装した場合は道路へと発展するが、車輪の間隔が一定のものに統一されている場合には、車輪の下に当たる部分にだけ板や石を敷き詰めるという対処も行われた。これは軌条(レール)の原始的なものと見ることができる。
軌条の登場

原始的なレール(軌条)を使って動物や人に荷車をひかせる方法は紀元前から行われていたとされ、ドイツ・フライブルクにあるフライブルク大聖堂のステンドグラス(1350年製作)にもその光景は残されている。16世紀のイギリスには無数の馬車軌道(ワゴンウェイ、Wagonway)があったとされている[4]。

その後レールは鉱山地帯における輸送に広く用いられ、次第に改良が進められていった。当初は鉄が貴重品であったため樫の木が用いられていたが、磨耗が激しく保守担当者の悩みの種となっていた。1738年、カンバーランドにおいて初めて鋳鉄を利用したレールが登場したが、これは木材の基盤の上に薄い帯状の鉄を貼り付けただけのもので[5]、しかもカーブなど磨耗しやすい場所にだけ用いられていた。1750年代頃になると、カーブだけではなく全ての区間で鋳鉄の板を取り付けることが一般化した。しかし鋳鉄は曲げに弱く、脱線事故も多発し続けた。 1767年、コールブルックデールの製鉄所技師、リチャード・レイノルズは、生産量が増加して余剰気味になってきた鋳鉄の使い道として、トロッコに使う目的のレールの生産を開始し、この時にレールにフランジが取り付けられた。レールの両側につばが取り付けられて、車輪の脱落を防ぐ仕組みとなっていた。しかしレールと車輪がきしみあってうまく走れず、また雨水や落ち葉などが溝に溜まるという問題があった。

1776年、ベンジャミン・カーがこの欠点を解消するために片方のつばを取り除いた、L字形のレールを発明した。これにより車両の走行は大幅に容易になった。
フランジ付きの車輪

1789年、土木技師のウィリアム・ジェソップは、車輪側にフランジを取り付けて、レールの上面は平らにする方式を発明した。魚腹形と呼ばれる下側が膨れたレールを使用している。これにより大幅に脱線の確率が減少し、安定的に鉄道輸送を行うことが可能になった。このためジェソップは「鉄道軌道の父」と呼ばれている。


車輪→轍→これに沿ってころがしていけば楽じゃね? →線路の原型
雨の日困る→石とか板を敷き詰める→軌道の原型
「1767年、コールブルックデールの製鉄所技師、リチャード・レイノルズは、生産量が増加して余剰気味になってきた鋳鉄の使い道として、トロッコに使う目的のレールの生産を開始し、この時にレールにフランジが取り付けられた。」
これだこれこれ。私が探したかったのは。


あと他に面白い記事があったので掲載

粘着式鉄道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%98%E7%9D%80%E5%BC%8F%E9%89%84%E9%81%93

粘着現象

一般的な鉄輪鉄軌条式の鉄道においては、車輪とレールはどちらもわずかに歪んで接触している。例えば新幹線に用いられている新品の車輪を新品の60 kgレールに載せると、1輪あたりの重量8 tの条件で、14 mm×12 mm程度の進行方向前後方向に長い楕円形状の領域で接触する[4]。この楕円形状の領域に発生する力によって列車が支えられ、走行している。

駆動または制動に際しては、車輪とレールの間で前後水平方向に力が働く。レールに対して車輪が滑らずに力を伝達できている時は、摩擦の現象でいう静摩擦力にあたり、滑っている時には動摩擦力にあたる。鉄道では車輪を滑らせずに走行することが基本であるため、静摩擦力の範囲で用いるように考慮されている。車輪とレールの間に働く摩擦力のことを鉄道では粘着力、あるいは接線力、クリープ力などと呼ぶ[5][6]。静摩擦力の最大値である最大静摩擦力は、垂直抗力に静摩擦係数を掛けた値として求めることができ、これを超えた力が働くと物体は滑り始める。鉄道の場合垂直抗力は車輪に掛かっている車体の重量であり、輪重と呼ぶ。粘着力を輪重で割った値を接線力係数と呼び、このうち最大のものを粘着係数と称する[5]。粘着係数が静摩擦係数に相当することになる。この時の粘着力を特に粘着限界と呼んでいる[4]。



バラスト軌道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E8%BB%8C%E9%81%93

歴史

鉄道において使用されるようになったのは、イギリス・ニューカッスル周辺からであった。船でニューカッスルから石炭を搬出していたが、再びニューカッスルに戻る際に捨て荷(バラスト)として砂利が積まれていた。その砂利を再利用し、軌道下に敷いて路盤を強化したことに始まる[1]。



スラブ軌道 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%96%E8%BB%8C%E9%81%93

概要

旧来のバラスト軌道では路盤上に砕石による道床を設け枕木・レールを敷設する。これに対し、スラブ軌道はコンクリート路盤上に軌道スラブと呼ばれるコンクリート製の板を設置し、その上にレールを敷く構造である。コンクリートによる軌道構造であることから、軌道狂いが発生しにくい省力化軌道の一つである。
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社会・労働・雇用・考察

2015-01-31 23:55:38 | 哲学・社会
人が真面目に適切な時間だけ仕事して、皆が幸せに暮らしていけるだけの社会というのは成立しないのかな。
共産主義はあれはあれで失敗したし・・・。
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山口智充:保育探偵25時

2015-01-31 20:58:22 | 映像作品

【金曜8時のドラマ】保育探偵25時~花咲慎一郎は眠れない!!~:テレビ東京
http://www.tv-tokyo.co.jp/hoikutantei25/



画面左下から下部にかけての無駄な躍動感が好き。
お決まりとは言え、この構図はいいな。
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昔の日本人は時間にルーズだった? 知られざる“過去”

2015-01-31 19:06:48 | 哲学・社会

世界一、時間に厳しい日本人の知られざる“過去”
2015年1月30日(金)
http://president.jp/articles/-/14444

西欧人たちの「日本人は時間にルーズ」という声

「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」――。幕末、長崎海軍伝習所教官として西洋式の海軍教育を幕臣に伝えたオランダ海軍のヴィレム・カッテンディーケは、『長崎海軍伝習所の日々(日本滞在記抄)』でそう書き残している。「修理のために満潮時に届くよう注文したのに一向に届かない材木」「工場に一度顔を出したきり二度と戻ってこない職人」「正月の挨拶回りだけで2日費やす馬丁」等々、「この分では自分の望みの半分も成し遂げないで、此処を去ることになりかねない」と、暗澹たる思いが吐露されている(橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生』三元社、序文)。

時間に厳しいことをアイデンティティの一つと思い込んでいる現代の日本人ビジネスパーソンにとって、これはちょっとした驚きであろう。しかし、幕末から明治初期にかけて日本を訪れた西欧人たちの「日本人は時間にルーズ」という声は枚挙にいとまがない。当時の日本人は、現代人とはほど遠い時間感覚の持ち主だった。

ではいったいいつから、どのようにして、日本人は現在のような世界的に見ても厳しい時間規律を身につけたのだろうか。

西欧では14世紀に機械時計が登場し、15世紀にはそれにもとづいて1日を24時間に等分する「定時法」が一般社会に普及したといわれている。

一方、日本では中世から近世にかけて、日の出と日没の間を6等分する「不定時法」が用いられ、庶民にとっては、一刻(約2時間)おきに鳴る寺社の鐘が、時間を知るためのほぼ唯一の手段だった。当時の時間認識は、鐘と鐘との間隔を、自分の感覚で2分割(半刻)とした程度の大雑把なものでしかなかった。

すでに分単位で時間を捉えていた当時の欧米人に対し、日本人は約2時間単位。お雇い外国人たちが苛立ったのは、至極当然のことだった。

実はこのギャップは、意外に早く解消する。

筆者は、鉄道機関車の売り込みのために1904年から05年に日本全国を巡った米国ボールドウィン社社員の日記を閲覧する機会があった。

この日記は、鉄道で移動した際、正確な発車時間が分単位で記載され、起きた出来事についても詳細な説明がある。その中には、列車が遅延して困惑したとか、日本人のルーズさに辟易したという話は一度も出てこない。また、明治期に福岡で炭鉱業を営んでいた実業家、安川敬一郎は、1900年前後の日記に、列車の発車時刻を分単位で克明に記録している。当然のことだが、鉄道は駅への到着が1分でも遅れると、乗り過ごしてしまう。人々は分単位という感覚を、否応なく体感させられたのである。

明治維新から40年弱、1900年代の早い時期に、日本人の時間感覚は分単位となり、欧米人の目から見てもほとんど違和感が感じられないレベルに達していた。わずか一世代で劇的な変化を遂げたのである。

その要因は近代化による社会インフラの整備にある。軍隊、工場、学校、鉄道といった社会インフラが次々と出現したのだ。軍の作戦行動は時間厳守が絶対。時間を区切って児童を一斉に着席させる学校も、遅刻が頻発すれば授業は成り立たない。

とりわけ鉄道は定時運行が基本であり、時間が守られないと衝突など大事故に繋がる。新橋-横浜間鉄道が開通したばかりの頃、鉄道当局は、発車15分前には停車場に来て、切符を購入するよう乗客に促していた。発車5分前には停車場の戸が締め切られる強硬手段である。同様に当時の学校でも、授業開始の5分前に校門を締め切ることが規則で定められていたという。時間厳守の習慣を持たなかった日本国民への、明治新政府の強い姿勢がうかがえる。

教えられたことを忠実に実行しようとする律儀さ

日本人が時間に厳しいという日本人および訪日外国人の印象は、少なからず鉄道の運行時間の正確さからきている。筆者の経験からも、英国では今も列車の10分遅れはon timeのうちだし、定刻より早く出発したり、運行自体がキャンセルされることも珍しくはない。社会インフラの変化は日本に限った話ではないのに、なぜ日本ではここまで時間厳守が追求されるようになったのか。ここでは、鉄道の運行の変化に絞って分析していこう。

日本で定時法が導入されたのは、1872(明治5)年11月の太政官達により、翌73(明治6)年1月1日以降、太陽暦が採用されてからだが、実は、鉄道開通は72年5月。太陽暦の導入より早かった。

不定時法の下では、鉄道はまず運行できない。鉄道開通にあたり工部省鉄道寮では、「芝増上寺の大鐘を愛宕山に移して、定時法で鐘を鳴らしてはどうか」などと提案している。

最初に開通した新橋-横浜間鉄道では、当時の写真で確認する限り、英国人技師が設計したと思われる駅舎の外部に時計は見られない。しかし、2年後の74(明治7)年にできた大阪の停車場には、駅舎正面に大時計が設置されていた。

定時運行を確立しようとした初期の鉄道関係者のこうした努力には、教えられたことを忠実に実行しようとする日本人特有の律儀さも影響していたと思われる。

日本の鉄道はもともと、明治初期に英国の鉄道システムを移入したもので、直接的には明治政府が雇った外国人技術者たちから学んだものである。具体的な運営ノウハウは、英文のマニュアルを翻訳することで伝えられた。停車場の戸の5分前閉鎖も、マニュアルの指示を日本人駅員たちが律儀に守った結果である。

明治時代も半ばになると、英語そのままだった鉄道用語も徐々に日本語化され、運行の技術やノウハウも現地化されていった。それと並行して鉄道の輸送量も上がっていく。

日本の鉄道の輸送量は、1894年~95年の日清戦争前後に急増した。それが運行密度を上昇させ、発着に求められる時間精度を急速に高くしたと考えられる。

運行頻度と並んで重要なのは、連絡輸送の問題である。複数の輸送機関を乗り継ぐ場合、発着時間がずれると目的地には着けない。乗り継ぎ回数が増えるほど、正確性への要求は厳しさを増す。図表の鉄道の取扱高の増加ぶりと、連帯(乗り継ぎ)輸送の比率の増加を見れば、その要求の高まりは推して知るべしだ。

なかでも1889年の東海道線の全線開通は、官設鉄道と私設鉄道との連帯輸送を盛んにし、定時運行の必要性を増大させた。そして1900年前後になると、利用者の側が列車の遅延を厳しく批判するようになってきた。

明治前期と日清戦争以降で2段階の過程

1901年12月の『鉄道時報』は、「発着時間の整斉」と題し、以下のような批判記事を掲載している。

「近来私設鉄道の列車が其発着時間を誤ることは毎度のことで、時間通りに発着するは稀れで、遅着が殆んど通常になつて居り、時間の整斉を以て第一の務めとすべき駅員自らさへも遅着を普通のことと見做して敢て怪まぬ位ひである――(以下略)」

痛烈な批判を通じて窺えるのは、輸送量と路線数の増加が、鉄道の運行時間厳守への社会的圧力を生んだという事実である。これは日本に限ったエピソードではない。現代の日本の鉄道運行の正確さは、民族性に求めるべきものではなく、人口密度が高く、鉄道に求められる輸送力が大きいという社会環境からきたものと考えられる。

日本の鉄道で正確な運行時間が定着する過程は、マニュアルを厳守していた明治前期と、実需増加に応えるために効率向上がはかられた日清戦争以降という、大別して2つの段階に分かれるといえる。

前掲の鉄道批判記事を見ても、おそらく1904年に始まる日露戦争前には、一般社会でも時間厳守の観念はほぼ浸透していたと見られる。

このように鉄道を通じて見ていくと、世界的にも知られた日本人のパンクチュアリティ(時間の正確性)の歴史は、20世紀初頭に確立され、現在まで110年ほど続いていることがわかる。

学校や軍隊、工場と並び、鉄道は日本人の時間感覚形成に大きな影響を及ぼしてきた。

一般のビジネスパーソンがスケジュールを決める際の単位は、通常30分程度であろう。しかし鉄道のそれは分単位であり、1分でも遅れれば遅延とされる。バスや船、飛行機など他の輸送手段でも、鉄道ほど遅延に厳しいものはない。列車の運行の正確性は、ある意味で現代における日本社会の時間の基準であり、歴史的に見ても一般社会の時間感覚をリードしてきたといっていいかもしれない。



ポイント:
・昔の日本人には律儀さはあったが、時間の細かい概念は無かった。時間遵守の概念と律儀さというのは同居しない。
・時間遵守の概念の形成は、社会インフラの必要性、育成と連動していた。それは軍隊、工場、学校、鉄道である。
・それまでの日本人というのは、相手が来なくてものんびりと待っていたのでしょうか。
・ちなみに私は昨日金曜日、5分遅刻しました。
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産経WEST、マイケルヨンの報告を報道する

2015-01-31 14:20:01 | 報道

慰安婦強制連行は虚構…米国人ジャーナリスト「韓国は中国の操り人形」 中国オウンゴール、米公文書に証拠なし
http://www.sankei.com/west/news/150130/wst1501300008-n1.html?view=pc

慰安婦問題を調査し、20万人強制連行説は虚構と主張するアメリカのジャーナリスト、マイケル・ヨン氏が、日本の媒体に相次いで登場している。

850万ページ…米文書に「奴隷化」見つからず

 ヨン氏は2007年にまとめられた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」など、さまざまな資料を調査。IWGは2000年に始まり、アメリカ各省庁の文書850万ページが対象になった。調査するよう働きかけたのは、在米の反日的な中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」。ところが慰安婦の「奴隷化」を裏付けるような文書は一つも見つからなかった。

 昨年11月、日本で最初にこのことを報じた古森義久・産経新聞ワシントン駐在客員特派員とヨン氏が、「Voice」2月号で対談している(http://www.php.co.jp/magazine/voice/)。「『日本軍が二〇万人のアジア女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張はまったく根も葉もない幻だった」と、ヨン氏は明快だ。

 女性を強制連行するなら拘束して輸送し食事も与えなければならないが、戦闘中の軍隊がそんなことをするか。故吉田清治が書いたような強制連行を済州島でしていたら目撃証言が残るはずだし、なぜ大規模な反乱が起きなかったのか。アメリカ戦時情報局の報告書には日本の将軍の平均年収が6600円の時代に慰安婦のそれは9000円だったと書いてある--等々、ヨン氏は「強制連行」の虚構を斬っていく。アメリカ人がこのように公平に資料を見て、発信しようとしていることの意味は大きい。慰安婦問題の主戦場の一つはアメリカになっているからである。

孫子の兵法「戦わずして」「走狗として」…韓国を利用する中国

 ヨン氏の指摘で興味深いのは、慰安婦問題の背景に中国の存在を見ていることだ。「本当の主役は韓国ではありません。慰安婦問題を地政学的、政治的問題の道具として利用しているのは中国です。いわば韓国は、中国の操り人形として利用されているだけなのです」。対談でこれまた明快にヨン氏はそう述べている。

 ほか、ヨン氏は「ザ・リバティ」2月号のインタビューでも、「中国は歴史問題を使って、アメリカ、日本、韓国の仲を割り、協力しないようにしています。これは巨大な情報戦・諜報戦なのです」としている。

 こうした見解には筆者も同意見である。過去、何度か書いたことだが、中国には古典兵法以来の謀略の伝統がある。思考様式といってもよい。はかりごとにより敵を追い込む世論を作り、心理的に士気をくじき、戦わないで勝つことが、最上なのである。「兵とは詭道(きどう)なり」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とはすでに「孫子」にある。

 中国は歴史問題で韓国を走狗(そうく)として使ってきたといってよい。2年前、朴槿恵政権が発足する直前に中国はソウルに特使を送り、「中韓が(歴史問題で)はっきりとした態度を取り、立場を示さなければならない」などと、歴史問題での共闘を呼びかけた。韓国はけたたましく反日に走ったが、中国はしばらく静かに構えていた。大国に事(つか)える事大主義の伝統を持ち、反日をいわば国是とする韓国を、うまく使ってきたのである。

 自由主義国である韓国と日本が離反して都合がよいのはどの国か。共産主義国にほかならない。だが韓国にはそれが見えていない。さらにアメリカでも、歴史問題で反日世論を広めている中心は、先述の「世界抗日戦争史実維護連合会」という中国系組織である。日米韓を離反させようとする中国の思惑を、日米韓の敏感な人間は読み取るべきなのだ。「親にしてこれを離す」、つまり敵が親しみあっているときはこれを分裂させる、ということも、「孫子」に書かれている。

「朝日は深刻な問題をもたらした」

 日本では、慰安婦についての報道で誤った事実を広め国民の名誉を傷つけたとして、約8700人が朝日新聞に謝罪広告などを求める訴訟を起こした。訴訟とは関係ないが、ヨン氏は「Voice」でこうも言っている。「『朝日新聞』は全世界を騙(だま)して、日本に深刻な問題をもたらしたままです」。朝日はこうした声に、言論機関としてもっと答えていくべきだろう。

 ヨン氏のように慰安婦問題を公平に見るアメリカ人がいるということは、心強い。「Voice」では、日本人に次のようなメッセージを発している。「大切なのは、慰安婦問題を大声でわめく韓国に対して日本が引き下がらないこと、そして中国の脅威に屈しないことです」。その通りだろう。さらにいえば、日本人が日本の中の左傾勢力の言い分などにごまかされず背筋を伸ばしていくことも、大切である。   (大阪正論室長)   =随時掲載します


OKOK。
この騒動の背後に中国がいる。良い見立てである。
これが公的な意見として出てきたのは非常に良い流れだ。
コメント
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