とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

平塚らいてう「元始女性は太陽であった」

2020-08-31 23:43:36 | 文章・日本語・言葉
力強すぎるぜ・・・

引用:

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1055
『青鞜』発刊の辞

 「元始女性は太陽であった」。女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてう(一八八六・明治十九年~一九七一・昭和四十六年)が、雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(一九一一・明治四十四年九月発行)に寄せた発刊の辞の題名である。その本文はこう始まっている。引用は、小林登美枝・米田佐代子編『平塚らいてう評論集』(岩波文庫、一九八七年)による。

 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。/さてここに『青鞜』は初声を上げた。/現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。/女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。

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ヘーゲルの弁証法の否定

2020-08-31 23:22:12 | 哲学・社会
ヘーゲルの弁証法としては、
「人のあらゆる認識は矛盾と進歩の運動から起きている」
と言うことであるが、私はこれを否定する立場である。

と言うのもこのヘーゲルの規定は、自分が正しいと思っているテーゼと、それに反する事象の登場であるアンチテーゼ、そしてその自分の今まで正しいと思っていた論理とそれに反する現実や事実が混淆して整理され、新しい認識(ジンテーゼ)となる時、人間はその認識思想において進歩する、と言うことになる。

のだが、ゴール地点のジンテーゼから見れば「それってそもそもが最初のテーゼって『これがぜってー正しいわー、いや間違いなく正しいわー、誰に何を言われようともぜってー正しいわー』とか思っている思い込みやん」と言うことなのである。
それが結果として正しく得られるジンテーゼから見れば「最初の「俺が絶対正しいと思っている信念」」と「信念とは異なった、現実に補正すべきもの」の融合で作られる。

ヘーゲルはテーゼとアンチテーゼの融合からジンテーゼが生まれ、そのジンテーゼが更に自身のテーゼとして社会思想に適用されるものの、更に異なる課題のアンチテーゼが現れ・・・
と言う具合に永久に進化を続けると言う具合である。

いやそれって、永久に進化を続けると言うのは、人間の思想と言うものが永遠に正解にたどり着かないと言っているのと同義で、人間の認識やそこから派生する社会思想は、真理にたどり着かないという点で脆弱なのだ。

もしテーゼ+アンチテーゼ=ジンテーゼ→そのジンテーゼをテーゼとして社会思想を作っていったら更にそのアンチテーゼが現れテーゼ+アンチテーゼ=ジンテーゼをし、更にそのジンテーゼをテーゼとして・・・と言う永久の直線の中で、仮に最終ゴール地点にある結論に誰かがいたとしたら、その誰かからすれば、今生きている我々が持っている思想などは間違いだらけで、いくら考課点にゲタ履かせようが、社会思想にできるくらいのテーゼになんかできないのである。

社会思想を構築するには、人間の思想などは脆弱過ぎる。それをWW1、WW2、移民問題、資本主義格差問題でその限界を露出した。
人間が持っているイデアなどは人間の集合体である社会を差配することには不十分なのである。

私が否定したいのは、ヘーゲルの弁証法での前提としては「俺が絶対正しいと思っているんだぜ(テーゼ)」と言うルールや倫理、価値観などというものは、未来に向けて理想を構築する分には全然正しくなどなく、結果的に後で変更を強いられるくらいに脆弱でスッカスカなのだ。

じゃあそれって未来人から見たら脆弱でスッカスカの「俺が絶対正しいと思っているんだぜ(テーゼ)」と言うルールや倫理、価値観は現在の世界に適用すべきなのか? と言うとそれは疑義をもってガンガンに疑う必要がある。

世界が思った以上に、一つのルールで動くことなどありえず、「いろいろ」な要素、「いろいろ」なものごとで成り立っているのだ。その現実を踏まえて、社会思想を構築し、そして社会を運用していくべきであろう。
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鏡は左右反転しない リバーサルミラーでの上下左右の反転

2020-08-31 23:09:07 | 哲学・社会





「鏡の左右逆転 1種類ではなかった」 | 東京大学
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_191101_01.html

1.発表概要:
  鏡に映ると、左右が反対になって見える。この「鏡映反転」は、これまで、1つの現象だと考えられてきた。しかし、自分の鏡映反転と文字の鏡映反転は、それぞれ、別の理由で起きる、別の現象だということがわかった。

2.発表内容:

 鏡に映ると、左右が反対になって見える。だれもが知っている身近な現象である。
  ところが、この「鏡映反転」が起こる理由については、プラトン以来2千年以上にわたり、ノーベル賞受賞者を含む多くの学者が議論をつづけてきたにもかかわらず、いまだに定説がない。
  これまでは、人の鏡映反転と文字の鏡映反転は、同じ1つの現象だと考えられてきた。しかし、高野陽太郎(東京大学大学院人文社会系研究科・教授・心理学)は、これらが別の現象だと考えれば、それぞれ、どういう理由で生じるのかがうまく説明できることを明らかにした。
  発表予定の論文では、この2種類の鏡映反転がそれぞれ別々の理由で生じることを、さまざまな実験データによって立証した。たとえば、鏡に映った自分と相対したとき、左右が反対になっているとは感じない人が、じつは3~4割もいるのである。このような人がいることは、鏡映反転についての文献には一度も記されたことがない。新しい発見である。ところが、さらに興味深いことには、このような人たちも含めて、百パーセントの人が、鏡に映った文字は、左右が反対になっていると感じるのである。この違いは、人の鏡映反転と文字の鏡映反転が別々の理由で生じることをはっきりと物語っている。

 人の鏡映反転は、左右を判断するとき、視点を変えることが原因で生じる。たとえば、左手に腕時計をして、鏡のまえに立ったとする。実物の腕時計については、自分自身の視点から「左にある」と判断する。一方、鏡に映った腕時計については、鏡に映っているほうの自分の視点から「右にある」と判断する。ここで「左右が反対になっている」という印象が生じるのである。
  実験では、つぎのことが明らかになった。「左右は反対になっていない」と感じるひとは、鏡に映った腕時計についても、自分自身の視点から「左にある」と判断するのである。実物の腕時計も「左にある」のだから、「左右は反対になっていない」と感じるわけである。
  それにたいして、文字の鏡映反転は、鏡に映った文字を、記憶している文字と比較するところから生じる。文字を鏡に映すためには、文字を書いた紙を裏返しにして、鏡に向けなければならない。このとき、左右が(物理的に)反対になる。鏡は、その反対になった文字をそのまま映しだすので、自分が知っている文字の形と比べると、「左右が反対になっている」と感じるのである。
  紙を裏返すとき、ふつうは、上下はそのままにして、左右が反対になるような裏返しかたをする。しかし、左右をそのままにして、上下が反対になるようにひっくり返せば、鏡には逆さになった文字が映ることになり、「上下が反対になっている」と感じるはずである。実験では、じっさいに、左右ではなく、上下が反対になって見えるという結果になった。
  また、おぼえている文字の形と比較するのだから、知らない文字の場合は、「左右が反対になっている」という印象は生じないはずである。実験では、ロシア語のキリル文字を鏡に映した。ロシア語を学んだことのあるひとは「左右が反対になっている」と感じるが、ロシア語をまったく知らないひとは「左右が反対になっている」とは感じないことが明らかになった。

3.発表雑誌:
  Quarterly Journal of Experimental Psychology
(『季刊実験心理学』 イギリスで発行されている心理学の学術雑誌)
  2007年11月発行予定(掲載雑誌からの解禁指定はありません。)

4.問い合わせ先:
  高野陽太郎(東京大学大学院人文社会系研究科・教授)


>たとえば、鏡に映った自分と相対したとき、左右が反対になっているとは感じない人が、じつは3~4割もいるのである。このような人がいることは、鏡映反転についての文献には一度も記されたことがない。新しい発見である。

私はこの3〜4割の方に入るのですが、むしろなぜ他の人が左右が逆になっていると思うんだと私は不思議なのです。
と言うのも、鏡は単なる奥行きのある面対象なのであって、対象性の発現は奥行きのある点対称や奥行きのある線対称(冒頭の画像のリバーサルミラー)などいろいろある。その内の最も単純な面対象の奥行き反転がなされているのが鏡なのであって、純粋な哲理的考察においてはそれ以上の反転など何もしていない。左右は逆になっていないのである。

一方において記事中にあるように、私自身は鏡文字は左右反転がなされているとは感じる。
ので、私個人の観点からの感想を言うと、マジョリティの多くの人々は、人の顔を文字か何かに似た左右認識をしているのではないか、と言う作業仮説である。

人間の本能的な生来感覚においては、左右を強烈に規定する脳認識が存在し、そしてそれが映像認識字に確固として作用してしまうので、左右が反転しているという哲理事情が発生していないのにも関わらず、左右が反転しているというように表現してしまうのではないだろうか。
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子供を持たないと言う選択肢を主張する女性について

2020-08-31 22:59:44 | 国内社会批判
・私自身は、それはそれで良いし、その権利は尊重されるべきであろうと考える。
・しかし一方において、それが社会における同調圧力になっているような嫌いが現在にあるので、それは避けるべきであるとも考える。個の主張を尊重してそれを促しつつ、かつ既存社会のこれまで大切にしてきたものもマクロとして変異させないという調和が必要である。
・重要なのが、その同調圧力に至るまでの思考プロセスにおいて、経験者が「この経験はダメだったから社会は抑制すべき」と主張するような過程であるならばまだ分かるのだが、出産・育児・子育てをしたことがない人がそれを否定し続けるというのはおかしい話だ。
 出産・育児・子育て経験者が「子供なんて産むんじゃなかった、子育てはコストだ」と言っているのならまだ分かるが、経験者のそれは聞いたことがない。

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マスク・消毒薬 買うなら今

2020-08-31 22:54:30 | 雑感
今年の秋冬はマスクと消毒薬が品薄になるのは目に見えている。
夏に棚に並んでいる今こそチャンスなので、各人これを品物がきちんとあって、正価に近い時点で買い揃えておいた方がいい。

あと消毒薬が1270円とかで売られているけど、冬に品薄になったら2月とかで5000円とかで売れると仮定しても、
、利益が1つ3730円。仮にこんなとんでもない粗利が出たとしても置き場所が無いんだよね。
仮にこれで100個売れたとしても37万円程度にしかならんというね。
ん? 1000個で370万、1万個で3700万か・・・しかしこの分量はさばけないな・・・

ひとまずは個人のと人にあげる用ので買っておこうと思う。
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