とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

韓国人「うさ耳の男が後ろでガンガン押していた可能性‥」ウサギのカチューシャ男が「押せと言った‥」警察が防犯カメラ・現場証言を分析へ

2022-10-31 23:57:55 | 海外・国内政治情報等

韓国人「うさ耳の男が後ろでガンガン押していた可能性‥」ウサギのカチューシャ男が「押せと言った‥」警察が防犯カメラ・現場証言を分析へ
2022年10月31日
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/57079062.html


お亡くなりになった方のご冥福を申し上げる。
また、負傷された方の早い回復もお祈り申し上げる。

別のことも考える。

もしこれが本当であったならば、の話だ。

これは大衆が扇動によって動かされて悲劇を生んだ例だ。
これは韓国人だけではなく、その本質は日本人にも中国人にも白人にも黒人にもアラブ人にも中南米人にも全ての人間にある。

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米テキサス州の天然ガス、マイナス価格に

2022-10-31 23:55:57 | 海外・国内政治情報等
まあまだ一部、そして一時的なことであることに留意


米テキサス州の天然ガス、マイナス価格に
2022年10月28日
https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/10/fc169794ea02e611.html

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ブログ更新頻度が遅れている理由

2022-10-29 09:14:05 | 雑感
特に誰かに心配されている訳ではないけれども、一応ここに記載。

ちょっと別のコミュニティーに入っていて私がそちらに出ずっぱりになったので、こちらの更新頻度は低くなった。

いや・・・あっちは何か妙な居心地のよさを感じるんだよね。
本当上から下までの技術オタ集合みたいな感じで、何か落ち着く。
一人ガチもんのロケットを個人の趣味の範囲で飛ばしている人がいて、みんなですげーすげー言ってた(ちな堀江貴文さんではないです)。
基本は化学なのだが、コンピューター、機械、電気が混じってきている。

私は哲学寄りの話しかしてないんですが、なんであそこに入るようになったのか謎。
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神の視点という映画の概念

2022-10-29 09:09:07 | 映像作品

神視点 (かみしてん)とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E7%A5%9E%E8%A6%96%E7%82%B9


創造神(作者)の視点だったり、空気の視点だったり、定義は人それぞれ。


概要

元は、「アクトレイザー」「シムシティ」のように、天の上の神様気分になり、人の子達のいる大陸を見下ろすという傍観(鳥瞰)の中二病的な言い回しだった。
だが、万人受けする視点というものはなく、何を唯一神の視点とするかは難しい。
宗教や土地によって神様の解釈が違うし、
神を男神とするか女神とするか、天の神とするか地の神とするか付喪神とするかでも解釈が分かれる。

現在では、小説など文学作品の「地の文」の書き方で、「作中の人物の誰の視点も介さずカメラ越しに見ている視点」=中立な視点のうち、基本的にあらゆることが認識出来きている立場にある視点を指すこともある。なので「主人公が絶対に知りえない敵幹部の重要な会話の場面を普通に見る」といった演出もできてしまう。
基本この場合叙述トリックのようなものは成立しえない。
ただ、こじつければ大概の漫画やアニメはこのタイプの表現をしていることになる。画像付きで物語を鑑賞する以上、キャラ主観の世界観が観れないのは当然のことではある。原作の小説・ライトノベルがある場合に、まるっきり印象が変わるのはこういうところにも原因がある。

「着眼点が神がかっている」「性的な構図が神がかってる」という意味で「神視点」と呼ばれることもある。


と言うことで、今回はこの中段にある作品制作における書き方の手法の件について書いていく。

「中立な視点のうち、基本的にあらゆることが認識出来きている立場にある視点を指すこともある。」
が近いが、私からこれを補足する。

私が個人的に考えるに、神の視点が入る場合には、その人間社会の模様をただただあるがままに描き出し、そこに存在する矛盾、悩み、葛藤、問題、人の潮流や振る舞いを提示した後に、それを作品と世界観に包含する手法である。
そしてそれを見ている我々は、そこにある人間的な愛と汚さとそれにまつわる儚い情景を神がそれを愛するように、鑑賞者もそれを愛するようになる。こうした感情を抱かせるように仕向ける作品の作成・構成手法を神の視点と呼ぶように思われる。

分かりやすく具体的に言うと、通常の作品群においては、「これが問題なんだ」とテーマや問題性を提示した後に、「じゃあこれで解決しよう」と解決策を示し、それで解決する、と言うのがおおまかな流れだが、神の視点は問題を問題と明示せずに、あるがままを描写する。
そしてその解決策も提示しない。

ひとまずはこの定義でいいと思うのだが、「マーティン・スコセッシ監督作品に登場する「神の視点」」と言う記事については、本当にひどく落胆した。


マーティン・スコセッシ監督作品に登場する「神の視点」シーン集 | ギズモード・ジャパン
https://www.gizmodo.jp/2016/12/god-pov-scene-martin-scorsese.html


映像を見てみれば分かるのだが、基本的に天井の上から人々を見下ろす形で撮影している手法、として紹介しているのである。そうではない。
神がなあ・・・こんな凡俗の観点で見るわけないだろう、と。

ギズモード・ジャパンの解説がおかしいとも思うのだが、仮にこれが映画界における神の視点の撮影手法と呼ばれているのであるならば、これもまた落胆のため息をつかざるを得ない。

神は見下ろすだけではなく、傍らに寄り添ったり、水平に俯瞰したりするのだ。
そこの距離を置いた情景に愛があり、憎しみがあり、汚さがあり、滑稽さがあり、そしてそれらを包含した人間そのものへの愛おしさがある。

真上からの真下に向けての撮影アングルが神の視点だとは本当に安直にすぎる。
これは改めなければいけない。
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映画で使いたい視覚エフェクト

2022-10-28 00:11:34 | 映像作品
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