「早稲田学報」2007年8月号からメモです。興味深いです。。。
(p24~26)
(前略)
大隈さんが亡くなった年の大正11年11月、「光電効果の法則と理論物理学の領域における仕事に対して」という理由でノーベル物理学賞を受賞した、相対性理論で有名なアインシュタイン(当時、ベルリン大学教授)が来日した。これは改造社社長の招聘によって実現したもので、慶応義塾、神田青年会館、東京帝国大学で講演をした。当初のスケジュールでは、早稲田ではアインシュタインの講演は予定されていなかったが、東京帝国大学で6日間に亘る連続講演を行っている合間、11月29日に早稲田での講演が実現した。
かつてベルリン大学で学んだことのある塩澤昌貞学長が、貴賓室で早稲田の歴史を話すと、アインシュタインも私学の奮闘勃興談を興味深く聞いた。その後、中央校庭の大隈銅像前の演壇に夫人と共に上がると、万余の学生たちは急霰(きゅうさん)の如き拍手でこれを迎えた。アインシュタインは、日本の学界の意外なほどの進歩に驚くとともに、将来の日本人が世界の学界に貢献するよう切望した。学生たちは感激してこれを聴き、校歌を合唱して遠来のアインシュタインに歓迎の至情を捧げた。
アインシュタインは仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡等々でも講演をし、12月29日、離日したが、その後ドイツでは、ナチスが反ユダヤ人政策をとったため、ユダヤ人であるアインシュタインは渡米して、プリンストン大学の教授に迎えられた。
(後略)
(p24~26)
(前略)
大隈さんが亡くなった年の大正11年11月、「光電効果の法則と理論物理学の領域における仕事に対して」という理由でノーベル物理学賞を受賞した、相対性理論で有名なアインシュタイン(当時、ベルリン大学教授)が来日した。これは改造社社長の招聘によって実現したもので、慶応義塾、神田青年会館、東京帝国大学で講演をした。当初のスケジュールでは、早稲田ではアインシュタインの講演は予定されていなかったが、東京帝国大学で6日間に亘る連続講演を行っている合間、11月29日に早稲田での講演が実現した。
かつてベルリン大学で学んだことのある塩澤昌貞学長が、貴賓室で早稲田の歴史を話すと、アインシュタインも私学の奮闘勃興談を興味深く聞いた。その後、中央校庭の大隈銅像前の演壇に夫人と共に上がると、万余の学生たちは急霰(きゅうさん)の如き拍手でこれを迎えた。アインシュタインは、日本の学界の意外なほどの進歩に驚くとともに、将来の日本人が世界の学界に貢献するよう切望した。学生たちは感激してこれを聴き、校歌を合唱して遠来のアインシュタインに歓迎の至情を捧げた。
アインシュタインは仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡等々でも講演をし、12月29日、離日したが、その後ドイツでは、ナチスが反ユダヤ人政策をとったため、ユダヤ人であるアインシュタインは渡米して、プリンストン大学の教授に迎えられた。
(後略)