「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”ご説ごもっともだが” 大丈夫なのか安倍内閣の外交政策

2014-09-30 06:09:08 | Weblog
昨日テレビの国会中継で安倍総理の所信表明演説を視聴した。30分の演説は総花的で”ご説ごもっともだが、具体性に欠けている。看板の一つ「地方創生」についても”ふるさとを消滅させてはならない。時間の猶予はない”と危機感を表明しているが、具体的対策は何も示されていない。女性が輝く社会をと言われていたが、これも具体的に何をするのか解らない。単なる人気とりだ。

就任以来39か国、200人以上の首脳と会われたそうだ。その精力的な外交活動ははたいしたものだが、”最も重要な国”と評価する韓国や”切ってもきれない関係”の中国との関係はどうなのか。やはり1年以上にわたって公式な首脳会談がないのは異常である。水面下で、首脳会談のお膳立てが進んでいるようだが、こちらから頭を下げ、過去の歴史認識まで変えてまでして行う必要はない。”従軍慰安婦”や”南京虐殺”など過去の二の舞になるばかりだ。

”夏の終りから秋の初め”までに、拉致被害者の再調査が終わるものと期待していたが、瀋陽で開かれていた北朝鮮との局長級会談によると、調査はまだ初期段階だという。日本側は改めて”拉致問題が最重要だ”と解決への迅速化を要請したとのこと。安倍総理は、繰り返し解決には”対話と圧力”と言っているが、圧力を弱めただけで、むこうのペースにはまってているようにみられるが大丈夫なのか。会談は”双方とも真摯で真剣だった”そうだが、北側はこの期になって、まだ報告書の提出がいつになるか示さない。これが真剣な真摯な態度といえるだろうか。

秋に予定されていたプーチン.ロシア大統領の来日はどうなっているのだろうか。先日、プーチンの側近の大統領府長官が、当然のような顔をして、わが国の領土である択捉島を訪れていた。ウクライナ問題があるだけに、わが国は、この時期こそ北方領土問題についてロシア側と話し合いを積極的に進めるべきである。それなのに、菅官房長官の通り一遍の抗議だけだった。

"アジア・トップクラス”の英語力

2014-09-29 05:55:34 | Weblog
文科省の英語教育のあり方を検討している有識者会議の報告書が新聞に出ていた。新聞(産経新聞)の見出しには”アジアのトップ・クラスの英語力を目指そう、とあったが、今一つ”アジアのトップ・クラス”の意味が解からない。具体的には現在実施している小学校5,6年生からの週一コマの英語の授業を3,4年生に繰り上げて実施しようというものだ。

幼児期からの英語学習がブームらしい。わが家の近くにも英語で学ぶ保育園があり、よちよち歩きの幼児たちが、外国人の保育師に連れられて公園で遊んでいる。会話は英語である。日本英語検定協会によると、平成25年度の5歳以下の志願者が2,500人もおり、これは10年前に比べ7割増だという。小学生も全国で22万人もいて、3級(中学生卒業程度]合格者は1万人いるとのことだ。

国際語としての英語の必要性は年々増しており、日本の企業の中にも社内の会話を英語でする会社も出てきたとのこと。その風潮にあえて水をさす気持ちはないし、有識者会議の報告に反対ではないが、英語の授業開始を小学校5,6年から3,4年に繰り上げたからといって”アジア・トップクラス”の英語力がつくだろうか。

外国語のマスターは集中学習にあるというのが僕の持論である。今のように義務教育の中学で週、3、4コマ程度ダラダラ学んでも上達しない。思い切って週10時間集中的に勉強したらどうだろうか。”アジア・トップ。クラス”の国々はシンガポールやフィリピンにしても英語が一般社会で通用しており準国語である。これに対して、日本は英語みたいな変な横文字は多いが、英語社会ではない。”アジアのトップクラス”になるには、好い悪いは別にして、集中的に学ぶべきである。

御嶽山の噴火に想う 磐梯山の噴火と明治三陸大津波

2014-09-28 06:48:19 | Weblog
”災害は忘れた頃にやってくる”-とは大正から昭和にかけての物理学者で随筆家であった寺田寅彦博士の警句だそうだが、木曽の御嶽山の噴火も青天の霹靂(へきれき)であった。噴火に遭遇した人の中には、文字通り噴火音を最初雷鳴と勘違いした人もあったという。火山噴火については、残念ながら気象庁でも過去のデータが乏しく、事前に察知するのは難しいようである。

個人的な体験で恐縮だが、昭和52年8月の北海道有珠山の噴火の際、僕は友人たちと伊達カントリーでゴルフをプレーしていた。確か始めてすぐのショートホールで有珠山が爆発、白煙が上がった。ゴルフ場からの避難のスピーかーで、すぐプレーを中止して僕らは、ホゥホゥの体で車で札幌に帰った。今回の御嶽山の噴火も、おりしも紅葉の季節で登山客も多かったようだが、あらかじめ噴火が予知できていたら、行楽には出かけなかったであろう。

御嶽山は昭和54年10月、突如噴火している。その5年後の59年9月、僕は御嶽山麓の王滝村を震源とする「長野西部地震」(M6.8)を現地で体験している。JICA(国際協力事業団)の砂防研修でインドネシア人3人を連れて木曽の土木事務所で昼食を食べていた頃であった。すぐ研修員をテーブルの下に避難させたのを覚えている。

地震と火山噴火との関係については、全く素人であるが、同じ頃に噴火と地震が近隣で起きているのは気になる。御嶽山と同じように火山という認識の薄い会津磐梯山が明治21年(1888年)7月、突然噴火して大被害を出しているが、その8年後の29年6月。三陸大地震が発生、2011年の大津波に匹敵する大被害を出している。両者のメカニズム関係についてはは専門家に任せるとして、今回の御嶽山の噴火は、まさに”災害は忘れた頃にやってくる”の教訓となった。

やはり白鵬は「日下開山」 大横綱

2014-09-27 18:17:04 | Weblog
さすが大横綱だ。だてに30回も優勝賜杯は手にしていない。14日目の結びの一番で、白鵬は新入幕逸ノ城の挑戦を堂々横綱相撲で退けた。まさか連日、天下の横綱が入門5場所目のザンギリ力士に負けるとは思ってはいなかったが、もしやということもある。しかし、これで100年目と騒がれていた新入幕力士の優勝はなくなったし、平幕力士の連続二人の横綱を倒すという不名誉な記録も消えた。千秋楽で白鵬が鶴竜に負け、逸の城が安美錦を破り、13勝2敗の同じ星ならば、優勝は同点決勝になるが、14日目の白鵬の相撲を見る限り、その可能性はあまりない。やはり白鵬は「日下開山」大横綱である

天下無双 「日下開山」(ひのしたかいざん) 横綱の権威

2014-09-27 05:32:27 | Weblog
昨日、大相撲秋場所13日目の結びの一番で新入幕の逸ノ城が横綱鶴竜を立会い一瞬のはたき叩き込みで土俵に沈めた。新入幕といっても、まだ相撲界に入って5場所目のザンギリ頭の力士だ。いったい天下無双「日下開山」(ひのした・かいざん)の横綱の権威はどこへ行ってしまったのかー。

新入幕力士が横綱に勝ったのは昭和48年秋場所、20歳の新鋭、大錦が当時西の横綱であった琴桜に勝って以来のことだ。逸の城は今日14日目には横綱白鵬にもあたる。新入幕力士が続けて二人の横綱に挑戦するのは71年前の5月場所、東富士(後の横綱)が安芸ノ海、照国、両横綱に当たって以来のこと。この時は両横綱が東富士の挑戦を一蹴している。昨日の土俵で白鵬は大関豪栄道に負け,逸ノ城と同じ一敗の相星である。もしも今日逸ノ城に負けることになれば、前代未聞、場合によっては、逸の城が優勝することになる。もちろん、開闢(かいびゃく)以来、史上初めてのことだ。

大相撲はここ数場所”相撲界の財宝”(薬の宣伝文句)遠藤で人気が復活、今場所も連日満員が続いている。そこへ来て、怪物、逸の城の出現である。このまま行けば、来年にも逸ノ城の横綱が実現する。モンゴル四横綱時代となる。それに文句をいうわけではないが、横綱は天下無双、江戸時代から「日下開山」と言われてきた尊称である。この横綱が入門5場所目のざんぎり頭にころりと負けるようでは権威の失墜である。さらに、だらしがないのは、日本人力士たちだ。大関が立ち会いに何度も待ったをし、そのあげく、土俵にたたきつけられている姿は無残である。国技の名前を返上したらどうだろうか。

昭和33年東京アジア大会は”Ever Onward”(限りなき前進)の時代だった

2014-09-26 06:33:24 | Weblog
資料の探し物をしていたら、ガラクタ収納の木箱の中から第三回東京アジア大会(昭和33年5月)の取材用身分証明書が出てきた。56年前のこの大会、僕は当時勤務していた新聞社から通訳要員として神宮の会場へ派遣され、インドとパキスタンのホッケーの熱戦を取材した。戦後初のスポーツの国際大会であり、6年後の東京五輪を控えて当時の社会は、大会の標語”Ever Onward"(限りなき前進)通り活気に満ちていた。

しかし、競技そのものは日本の独占場であった。調べてみたら、この大会で日本は金メダル57、銀42、銅30、合計139個も獲得している。当時中国は国際社会に復帰していなかったが、仁川大会で日本とメダル争いをしている韓国は僅か金メダル8、銀7、銅7の計25個にすぎず、金メダルはフィリッピンより少なかった。

第八回バンコク大会まで、日本はメダル獲得数は一位だった。そのおごりもあったのだろうか。競技によっては〝格下”選手を派遣したこともあった。しかし,第九回ニューデリー大会(1982年)から、中国の台頭で日本はメダル争いで後塵をはいしている。仁川大会でも中国は金79、銀47、銅34(25日現在)と日本を圧倒している。(日本金28.銀36、銅32)

日本のお家芸ともいえる柔道、体操、水泳陣の活躍で、僕はもっとメダルを獲得していると思っていたが、やはり13億の人口の国だ。やがて1億をきるのではないかと心配されている国の比ではないのだ。メダルの数がすべてではないが、やはり多いに越したことはない。限りなき前進を続けていた時代に帰って2020年の東京五輪を目指して欲しいものだ。それも2位、3位ではなくて1位であってほしい。


アラブ”有志連合”の危機感

2014-09-25 06:25:44 | Weblog
米国がイスラム過激派組織である「イスラム国」のシリアの拠点を初めて空爆した。この攻撃にはアラブ”有志連合”5か国(サウジアラビア、ヨルダン、バーレーン、UAE(アラブ首長国連邦)カタール)が参加した。カタールの衛星放送局「アルジャジーラ」が、その模様を放送していたが、”アラブは一つ”を表明しているアラブの国が別なアラブの国を攻撃するなんて、かっては考えられなかったことだ。

半世紀前の1950年代から60年代にかけて、僕は新聞社の中近東のニュースを担当していたが、52年のエジプト革命から始まって48年イラク、62年イエメンと3か国で王政が倒れるクーデターが続出した。当時は56年のスエズ戦争(第二次中東戦争)で勝利したエジプトのナセル大統領の「革命の哲学」がアラブ世界が風靡していて、実際にエジプトとシリアが合邦して「アラブ連合共和国」(UAR)ができ、これにイエメンが参加した。僕は62年、UAR機にのってアラブ13か国を歴訪したが、アラブ世界はまさに”アラブは一つ”という印象を受けた。

アラブ”有志連合”の顔ぶれをみた。5カ国とも王国か君主国である。2010年、チュニジア、リビアから始まった、いわゆる”アラブの春”ジャスミン革命は、この5か国の岸も洗っている。「イスラム国」は、スンニ派の過激派であるという。サウジアラビアをはじめ5か国はスンニ派が主流である。シーア派との対立が争いとは思えない。やはり、5か国にとって、同じスンニ派であっても、その過激行動が自国内に波及するのを怖れたのが”有志連合”参加の理由ではないのだろうか。

半世紀前のシリアの首都ダマスカスはウマイヤ.モスクやハミディアは観光客で賑わっていた、一方、UAEの首都アブダビは高層建築は一つもなく砂漠の中の飛行場の滑走路は舗装もされていなかった。政治の力の大きさを感じる。

「朝日のもう一つの反日虚報」 マレーの虐殺

2014-09-24 06:15:54 | Weblog
関西から出てきた友人の紹介方々10年来の知人であるAさんを都心の事務所に訪ねた。Aさんは「lordyupa」のネームで小ブログに卓越したコメントを寄せてくれる方だが、ここ数年お会いしたことがなかった。Aさんは「史実を世界に発信する会」の主宰者の一人で、英文サイトで史実を全世界に発信している。紹介がすみ、雑談の中でAさんが僕に「世界日報」の論壇記事「朝日のもう一つの反日虚報」をコピーしてくれた。「世界日報」は関東圏で発行している保守系の日刊紙(ウイキぺディア)である。

評論家、大蔵雄之助氏署名のこの記事の内容は実は僕も、大蔵氏が引用している中島みちさんの著書「日中戦争いまだ終わらず」(文芸春秋社]を通じて知っている。ざっとの話は、日本人の学者二人が戦時中の単なる戦闘行為を「虐殺」に仕立て上げた現地の「記録」を、自分たちでカネを出して日本語に翻訳して出版した。これを朝日新聞が調査もせずに「日本軍のマレー華人虐殺ー生存者が証言ー資料集に」という記事(1988年2月27日にした。資料集とは二人の学者が拠金して出した本だ。朝日新聞はその続報みたいに同じ年の12月8日付き紙面で、学者の一人が持ち込んだ、日本軍兵士が赤ん坊を宙に投げ、銃剣で刺したという現地英語副読本に記載されている話を記事にしている。この話は当時、日本の英語の教科書にも採用しようという動きさえあった。

1980年代は文部省が歴史教科書検定で「侵略」を「進出」に変えさえたという虚報が新聞各紙に報道され、これがアジア各地で大きな波紋を呼んでいた時代であった。このマレーの虐殺の虚報もその風潮に乗った副産物だが、朝日新聞は1985年4月17日夕刊(首都圏)の「論壇」でも”東チモールで4万人虐殺”という投書を掲載している。戦友会の抗議で投書者は、謝罪の文書を寄越したが、朝日新聞は謝罪せず、同じ内容の大学教授の原稿を1999年8月11日夕刊(首都圏版)に掲載している。

朝日新聞は慰安婦問題の一連の報道について”言論人の責任を果たす”と書いているそうだが、無責任極まる報道姿勢である。

何をするるのか解らない「維新の党」

2014-09-23 06:08:01 | Weblog
「維新の党」が”旗揚げした。国会議員53人(衆院42人参院11人]を擁し、民主党に次ぐ野党第二の勢力だという。しかし、掲げる「維新」の旗はだいぶ色褪せてきたし、幹部の面々も”また一匹オオカミのあの人たち”かとの印象を与える。第一、旗揚げ前から共同代表間の考え方の相違がチラチラするようでは、いつまた分裂するのか心配で信頼できない。一体、何をしようというのか―。

「維新の党」の橋下徹代表と「結い党」の江田憲司代表が、新党「維新の党」の共同代表となった。橋下氏はよほど”共同代表”がお好きのようだ。党内分裂した「維新の会」でも石原慎太郎氏(「次世代の党」最高顧問)と共同代表を組んでいた。「維新の会」の分裂は、なんと言い訳しようと、結局共同代表間の意見の相違であった。今度も橋下代表と江田代表との間には、安倍政権に対するアプローチをめぐって二人の間で意見が違うとの声を聞く。

党運営にも引き続き問題がある。橋下代表が大阪市長、松井一郎幹事長が大阪府知事を兼任している。党幹部三人のうち国会議員は江田氏一人というのも異常だ。大丈夫なのか。党の下部組織「国会議員団」幹部の顔ぶれをみると、かって、どこかの党で役職にあった人ばかりだ。あえて、かっての政党所属名や役職をあげずに名前をあげてみよう。国会議員代表代行松野頼久氏。幹事長小沢鋭仁氏、総務会長谷畑孝氏、政調会長片山虎之助氏。いずれも一言のある方々だが、、逆の言い方をすれば、一匹オオカミの不満居士のようにも僕には思える。

こうも政党が分裂して新党ができるのは国民選挙民に対して失礼だ。その政党に信を置き、比例代表制で投票したにもかかわらず、何の断りもなく”野合”してしまう。比例代表制を検討すべきだと思う。

動ける幸せ 秋の彼岸

2014-09-22 06:14:01 | Weblog
”暑さ寒さも彼岸まで”とよく言ったものだ。東京は彼岸に入ったとたんに秋の気配である。”秋来ぬと目にはさやかに見えねども”だが、今年は夏の終わりにゲリラ豪雨が各地を遅い、驚いているうちに、あっというまに秋になってしまった感もあるが。風の音などといった優雅なものではない。台風16号が台湾で猛威を振るったそうだが、もう本土への襲来は結構である。

隣家の新築工事が終わり、立派な家が完成した。しかし建築基準法いっぱいに建てられており、庭などない。また町から緑が消えてしまった。20年前わが家を新築したときも、こんなに隣家に接して申し訳ないと思ったが、それでも猫の額ほどの庭を設けた。その時植えた梅の木が今年もたわわに実をつけ、いまデュランダが紫の花を咲かせている。

昨日は”鎮守の森”の秋祭りでもあった。娘の話では先日、お宮参りした高齢の夫人が本殿前の階段で足を滑らし、救急車で病院に運ばれたという。それを聞いて、僕は自粛したが、老妻は娘と一緒に入院の無事を祈願してお参りに出かけてきた。かって”鎮守の森”だった神社の周囲は、すっかり都市化の波にのまれてしまったが、沿道には緑が残り、百日紅(さるすべり)やキンセンカが季節の花を咲かせていた。

同じ年頃の故友人の奥方から、お彼岸を前に息子さんに”連れられて”故郷のお寺の先祖のお墓をどうするか、その相談に出かけてきた、とメールを貰った。そろそろ、僕ら夫婦も”終活”を考える年代になってきたのだ。友人の奥方はメールの終りに”動けるのは、おたがいに幸せである”と付記してあった。お彼岸を迎えての年寄りの雑感である。明日の中日は、大事をとり、僕らに代って娘が墓参してくれる。