「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              ガンの再発 入院

2010-01-28 06:28:50 | Weblog
「膀胱ガン」が再発して今日から入院することになった。10年前の2000年11月、
患部を切除し、その後5年間の通院で全快したと思っていたのだが。巷説では5
年間再発しなければ、大丈夫だと聞いていたが、やはり、巷説は巷説、その後
もアフターケアが必要だったのだ。

健康には人並みに留意し、年に数回、メディカル・チェックで血液検査を受けていた
が、いつも潜血反応はなかった。ところが、昨年の忘年会で、飲みすぎたのか帰宅
すると血尿が出た。すぐ主治医に行き、尿を検査すると+2の潜血である。前回の
時は猛烈な痛みで耐えられなかったが、今回はそれがない。医者から頂いた抗生
物質の薬を飲んだら出血は止まった。

正直いって僕は5年経てばガンの再発はないという巷説を信じすぎていた。しかし60
年来の薬剤師をしている友人に出血を話したら、すぐ病院へ行けという忠告である。
やはり医学知識があるかどうかの違いである。案の定だ。病院の精密検査の結果は
再発だった。

10年前入院した際はガンの宣告を受けて大変なショックだったのを記憶している。しか
し今回は虚心坦懐の心境だ。病院の話では10日間の入院が必要だという。前回は16
日間の入院だった。10年間の医学の進歩で入院の日数も6日短くなった。この間、こ
のブログも休刊とします。

        「啼くな小鳩よ」 小鳩よ泣くな

2010-01-27 06:50:11 | Weblog
新聞に「小鳩」の活字がめだってきた。”ぐらつく小鳩”(朝日新聞1月26日朝刊)といった調子。
むろん民主党の小沢一郎幹事長と鳩山由起夫代表のことだ。朝日新聞の見出しをそのまま引
用すると”誤算続く幹事長”"失言重ねる首相”-この新聞でもあまりプラスの評価はしていない
がー。

敗戦直後の昭和22年の流行歌に「啼くな小鳩」(作詞高橋鞠太郎 作曲飯田三郎)があった。ま
だ焼け野原が残る街のラジオからリーゼント・スタイルの岡晴夫の明るい歌声が流れてきたが、
東京の街は毎日のように停電があり暗かった時代だ。
                 ♯ 「啼くな小鳩よ」
                 啼くな小鳩よ  心の妻よ
                 なまじ啼かれりや 未練が残る 
                 たとえ別りようと 互の胸に
                 抱いていようと  おもかげよ

政局は一寸先は闇だといわれている。小沢幹事長がからむ東京地検の捜査がどう展開するのか
わからないが、先に逮捕されている秘書たちの勾留延期が認められている。鳩山首相は失言とし
ながらも小沢幹事長との共闘を誓い一蓮托生的な発言をしている。 

流行歌「啼くな小鳩」の歌詞"心の妻”の心情を小沢・鳩山二人の心情に置き換えてみると、なんと
なく解かるみたいな気がする。この歌が流行した昭和22年は、まだわが国は占領下にあり、石橋
湛山蔵相が公職追放にあって辞任している。与党の代表、幹事長二人の秘書が検察に逮捕されて
いるのは異常事態だ。国民の審判が必要なのではないだろうか。

     「飛梅」 主(あるじ)なしとて春を忘れな

2010-01-26 07:11:30 | Weblog
今年の東京は梅の開花が例年より遅れていたが、やはり季節の歩みだ。家の裏の高台
の家の白梅(写真)は、盛りを過ぎ散り始めてきた。まだ子どもが幼かった頃から花を咲
かせていたから、40年の古木である。散った花びらが車に轢かれて憐れである。

年々歳々、梅の咲く季節になると想い出すのは、菅原道真作といわれる、あの歌である。
   ◇東風(こち)吹かばにおいおこせよ梅花主(あるじ)なしとて春を忘れな
60数年前、旧制中学の頃、国語の時間で学んだ気があるがはっきりしない。901年右大
臣だった菅原道真が藤原一族の陰謀にあい九州の大宰府に左遷され都を去る時の歌と
されている。

しかし、調べてみると、この歌が歌集に紹介されているのは、道真が死去した903年から
100年年も経った寛弘2年(1005年)の拾遺歌集である。そして、その後平安時代後期
の大鏡にも紹介され、さらには鎌倉時代の源平盛衰記にも登場している。いってみれば、
一種の説話的な歌であった。

この歌にちなんで「飛梅」説話もある。道真(天神様)が梅がこよなく愛で、都を去るのが忍
びなかったため、梅がそれを察して一夜にして都から大宰府に飛び花を咲かせたという話だ。

家の裏の白梅の持主はもう二代目である。このあたりは戦前の住宅地であるため、敷地が
広く大概は遺産相続のさい、分割化され立木も伐られている。幸いこの白梅は残ったが、ま
た、家が売りに出される話が出てきている、来年は果たして梅見がみられるかどうか。

         学校週6日制の復活固定化を!

2010-01-25 06:57:06 | Weblog
東京都教育委員会が都内の公立小中校での週6日制を条件、期限つきで容認するこ
とになった。僕は大賛成で無条件で6日制の復活を望んでいる。3年前の自民党安倍
晋三内閣の時の「教育再生会議」で授業内容の10%アップが提案されたが、6日制復
活にまでは至らなかった。週5日制は15年前の”ゆとり教育”の産物だが、結果的には
学力の低下を招いただけだ。

自民党の敗退で「教育再生会議」も消えてしまったが、チェンジした民主党内閣には教
育理念があるのだろうか伝わってこない。聞こえてくるのは、公立高校の授業料の無料
化とか教員の再免許試験廃止だけだ。せっかく軌道に乗り効果が出てきた全国学力テ
ストも抽出方式に”改悪”されるとのことだ。大阪府ではこれに反対して府内全校の参加
を望んでいるようだ。

”ゆとり教育”を英語では”cram-free education"と訳しているようだ。”cram"は学習塾。
学習塾を必要としない教育の意だが、実際には”ゆとり教育”の結果、学力不足を心配し
て子どもを塾通いさせる保護者が増えてきた。

民主党が週6日制の復活に賛成なのかどうか判らない。でも特定の教員組合が支持団体
で、その大会に文科省の政務官を送っている。”ゆとり教育”の"神輿”をかついできたのが
この組合である。教育は国家百年の計である。目先の人気取り政策とも見える高校の授
業料無料化などではない。






     大根一本50円 せこい時代になったものだ!

2010-01-24 06:37:48 | Weblog
百貨店とスーパーの昨年度の売上高が20数年前の水準に落ち込んだそうだ。百貨店
は24年ぶりに7兆円、スーパーは21年ぶりに13兆円をわりこんだという。百貨店、ス
ーパーといえば、かっては不況知らずの業界だったが、業界の構造的な変化と、長引く
不況とデフレの影響をもろに受けてしまっているようだ。

20年前、1990年(平成2年)と言えば、バブルのはじけた年だ。はじける前は東証は2
万円台を維持し、景気は”踊るポンポコリン”のような時代であった。テレビのCMソングは
”職業選択の自由,アハハハーン”(学徒援護会)に人気があり、憲法22条をギャグ化し
て、自由に職業が出来ることを謳歌していた時代でもあった。個人的に言えば、僕ら夫婦
もその恩恵に浴して、ロンドンにいた息子の家を拠点にスコットランド、アイルランド、さらに
はスペインと2週間にわたって旅を楽しんだりした。

今朝、新聞に入ってきた折込広告を見たら、近くの大手スーパーが、朝9時開店、お1人さ
ま一点、300名限定、50円均一、大根一本、ぶなしじめ100g、コロッケ1個、菓子パン1
個ーとあった。20年前はいくらであったか忘れたが、当時は封書62円、葉書41円だった
のを覚えている。

右方上がりの経済の中で生きてきた昭和1ケタ生まれの世代にとっては感無量だ。今は職
業選択も思うようにできず”派遣”でさえ仕事はない。世は歌につれというが、”ポンポコリン”
のような歌は聞こえない。せこい時代になったものだ。


          民主党の”朝三暮四”のまやかし 

2010-01-23 06:56:22 | Weblog
昨日のテレビの国会中継で質問にたった自民党の茂木敏充議員が鳩山由起夫総理に
”朝三暮四”の意味について質した。総理は”朝令暮改”と意味を取り違えていた。理
科系出の総理だから仕方がないが、民主党の政策が”朝三暮四”とは、よく言い当て
たものだ。まさにぴったりである。

”朝三暮四”とは”人を口先でうまくだますこと。猿にドングリの実、朝に三つ、夕方四つ与
えようとしたら怒ったので、朝四つ夕方三つ与えようといったら喜んだ”という故事(列子
・三省堂ことわざ辞典)。一方の”朝令暮改”は”命令や法律が次々と変わって定まらない
こと。朝に出た命令や法律が夕方に変わる”(漢書・上記ことわざ辞典)で意味は異なる。

民主党の数ある政策迷走の中でも普天間移転問題は、この”朝三暮四”の最たるものだ。
米国や沖縄県民、社民党を猿と見くびったのかもしれない。口先だけ良いことを言ったた
めに迷走し抜き差しならぬことになってしまった。5月までという約束も”朝三暮四”にならな
ければよいがー。

今国会に外国人の地方参政権法案を民主党は提出するつもりらしい。小沢幹事長自身、韓
国でむこうの大統領にうまいことを言い、赤松広隆農相に至っては民団の大会に出席して党
のマニフェストみたいなことを約束している。これも”朝三暮四”である。与党の国民新党は法
案に反対しているし、民主党内にも反対者が多い。法案の成立は難しい。

後期高齢者も猿にされて医療制度を即時廃止するとのマニフェストにだまされた。マニフェスト
は4年内に実行すればよい、と言っているが、これも”朝三暮四”の類である。

         94歳大先輩の民主党批判

2010-01-22 07:16:18 | Weblog
94歳の大先輩から定期的に資料が送られてくる。昨日届いた寒中見舞いをかねた
手紙には”靖国神社の初詣に参列しました。親分も子分無しの老骨また楽し”とい
う書きだしで、同年配の友人から頂いたという「励志」という機関紙と二宮(金次郎)
報徳会の初春号が同封されていた。

「励志}はA3判16ページの新聞だが、とても全文は紹介できない。見出しだけを列
記してみる。「天皇陛下のお言葉にまで口を出す国賊民主党」「鳩山・小沢己の懐の
み増やす裏献金の疑念」「小沢独裁はナチス亡国の道」「”友愛”に隠された恐るべ
き革命思想」

まだ見出しは続く。「防衛オンチな民主政権は解散せよ」「政治ゲームとなったCO2
25%削減」「民主党に入りこんだ日教組の策略を許すな」「恐怖の法案”外国人参政
権”」「日の丸を切り刻んだ民主党は左翼の牙城か」「日本を駄目にする輿石東,横
路孝弘、千葉景子に天誅を!」

「ほうとく」には「にほんを守る会」中田清康会長が同会の青年塾の「何のための訪中
か」の原稿を引用して次のような原稿が掲載されていた。
「あの国内では無愛想な仏頂面で通している小沢が腰を低くして満面にヘツライ笑い
をたたえ米つきバッタのようにヘイコラ、ヘイコラと頭をさげていた」
いずれとしれた昨年の小沢訪中団の胡錦涛に対する”拝謁”の無様な姿への批判だ。

大先輩たちの世代は、まだ活字が中心の世代である。そこで、あえて僕のPCを使用し
て引用させて貰った。

     ゲートルを巻いて寝たあの頃のこと

2010-01-21 14:35:40 | Weblog
昨夜、僕は山梨学院生涯学習センターで戦争について話をする機会をえた。書くのは
多少なれているが、人前であまり話をしたことはない。冷や汗たらたらの2時間だった
が、つたない僕の話に熱心に聴いて頂き、ただただ感謝だ。

僕はこの夜の講演会に先立って、戦争中の甲府のことを調べていたら、まったく偶然
なのだが、僕が今、住んでいる東京の町の小学校が戦争中、甲府に学童疎開してい
た。そして、その当時の写真がhp(http://coco.cococica.com/sokai/)で紹介されて
いた。さらに、偶然にも昨夜、大學が僕に用意してくれた甲府市内の「古名屋ホテル」
は、学童たちの当時の宿泊先の一つだった。

甲府市は昭和20年7月7日夜の空襲で、市内の大半が焼け、1200人近い犠牲者が出
ている。学童たちは幸い空襲の2週間前に県内に再疎開して無事だったが「古名屋ホ
テル」をはじめ学童たちの通学していた学校も全焼した。

広島、長崎原爆、東京、大阪など大都市に対する空襲の被害が大きかったため甲府な
ど中小都市の被害はあまり知られていない。しかし、敗戦直前の7月はじめから8月15日
までの45日間に26都市が空襲にあい、2万4000人が犠牲になっている。

甲府空襲については、太宰治が「薄明」という作品で体験記を書いている。太宰は20年
4月、東京三鷹から家族と一緒に甲府に疎開してきて7月7日の空襲にあった。太宰は
「薄明」の中で空襲下、ゲートルを足に巻いて就寝していた、と書いていたが、僕も久し
ぶりで当時の生活を想い出した。20年1月の東京は連日連夜のように空襲警報のサイレ
ンが鳴り響いていた。



          戦争の狂気を語りつぐ難しさ

2010-01-20 07:17:58 | Weblog
今晩、僕は山梨学院生涯学習センターで「報道が証言する戦争の記憶と現代」という
大きな題を頂いて話をする。とても身にあまる題で、どこまで聴衆の方々にご理解頂
けるか心配だが、努力してみることにする。

僕らは戦争の申し子みたいな世代である。生まれてすぐ満州事変(1931年)が始まり、
小学校に入學した年(1935年)には日中戦争に拡大、さらに1941年、小学校5年の時に
大東亜戦争が勃発した。そして1945年8月、中学3年の時に戦争は終わった。まさに少
年時代は戦争一色だった。直接従軍の経験はないが、銃後で勤労動員され、空襲も体
験している。言ってみれば、戦争の空気が若干だがわかる最後の世代だ。

戦後65年も経ち戦中戦前生まれの日本人は4人に1人の時代である。その中でも実際に
戦争を体験したり記憶のある者となると、さらに少ない。僕もその数少ない1人である。
戦争を正しく後世に伝えるのは僕らの義務である。そこで僕は今晩の話のレジメとして自
分が体験した戦争の狂気についても語ることにした。

戦争体験者とそうでない世代との間には、微妙な違いがある。2年前、沖縄の激戦地で玉
砕のさいに軍命令があったかどうかで裁判があった。当時の軍関係者は頭からこれを否定
していたが、僕もそうだと思った。当時の日本人一般の感情は、手榴弾があれば一発は敵
に投げ、一発で自決する覚悟であった。まったく狂気の沙汰だが、それが戦争なのだ。戦争
を知らない世代には、なかなかこれが理解できないのではないだろうか。戦争についての誤
った記述は、この無理解から出ている。



        国のタガのゆるみは大丈夫か?

2010-01-19 06:44:19 | Weblog
大地震後のハイチが大変なことになっている。非常事態宣言が出され、米軍が1万人
も投入されて治安維持に当たっている。それでも略奪や暴行が横行し無政府状態だと
いう。わが国からもJICA(國際協力機構)を中心に援助チームが現地で活躍しているが
自衛隊の支援出動がちょっと遅かった感じを受ける。

北沢俊美防衛相は、地震発生から4日も経った昨日、やっと自衛隊のハイチ援助チーム
を派遣した。ちょっと決定が遅すぎるのではないか。JICAチームの派遣の時でさえ、記者
団から他国に比べて遅すぎるとの質問が出ていたほどだ。新聞報道によれば、たまたま
自衛隊のC-130輸送機が訓練のため、フロリダにいて、日本からの医療チームを現地に
運んでいる。医療チームの出発にあわせて自衛隊チーム派遣を決断していれば、もっと早
く現地入りできたわけだ。

どうも今回はすべてに判断に誤りがあったように思われる。海の向こうの遠い島国、それも
第一報は被害は大きくないように見えた。しかし、17日、東京で閉幕した、わが国が議長国
だったアジア中南米協力フォーラム外相会議は、会議終了に当たって,参加国が最大限の
支援を送ると表明した。なにか泥棒を見てあわてて繩をなった感じがないでもない。

これに限らず、政府活動のタガが最近ゆるんでいるようにみえてならない。与党幹事長の次
元の低い政治資金の不正をめぐる問題にかきまわされて閣僚たちまで浮き足だっているので
はないだろうか。