「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       クールビズがお嫌いな民主党

2010-07-31 06:04:26 | Weblog
民主党の閣僚はクールビズがお嫌いなようである。昨夕,菅総理の記者会見をテレビ
でみたが、総理をはじめ同席の閣僚は、この暑さなのに全員、背広にネクタイをきちん
としめていた。クールビズ廃止論者の西岡武夫氏が参院議長に選出されたので、まさ
かこれに同調したのでもあるまい。

そもそもクールビズは二酸化炭素の排出を少しでも減らそうと冷房の温度を抑制するた
め始まったものだ。2005年、自公政権当時、小池百合子環境相がこれを提唱した時、野
党であった民主党もこの申し合わせに合意した。ただ西岡武夫参院議運委員長は、ノ-
タイはだらしがない、という理由で反対、物議をかもした。

民主党は昨年の政権交替のさい、公約の一つに二酸化炭素の排出を2020年までに20%
引き下げようと世界に訴えた。ところが、この公約は、どうなったのか、国民には具体策が
みえてこない。昨夕の総理の記者会見では、一言も環境問題にはふれない。削減は削減
でもムダの削減である。

クールビズの着用で冷房の温度が抑制されて、その結果二酸化炭素の排出量がいくら抑
えられるか当時環境庁の試算があった。数値は忘れてしまったが、少なくとも国民のエコー
意識の向上にはプラスしている。民間でのクールビズはここ数年増え定着してきた。

民主党は野党時代、自公政権の作ったものは、すべて反対してきた。クールビズが嫌いな
のも、その意識の現れでなければよいが。”ねじり国会”で議会運営が危ぶまれている。
それには、変な意識改革から始めるべきだ。

     厚労省政務三役は進駐軍的気分?

2010-07-30 05:20:14 | Weblog
朝日新聞の見出しをそのまま頂くと、厚労省の職員は"イライラ”していて“ヘト
ヘトなのだそうだ。”イライラ”しているのは長妻昭大臣や政務三役に対してであ
り、三役の指示に納得しているのは、僅か1%、三役に対して”おごり”を感じて
いる職員が48%に上っているという。異常な事態である。

これは長妻大臣の指示で省内で公募した若手職員によるプロジェクト・チームが
省内のLANを通じてアンケート調査した結果わかったものだそうだが、僕に言わ
せれば、なぜこんなくだらない馬鹿げた調査をするのだろうか理解できない。どう
も長妻大臣は自分のやっていることに自信が持てず、絶えず他人の目や耳を気
にしているように見えてならない。

アンケートの結果をみて、僕は昔の進駐軍を想い出した。占領下、進駐軍が無理
難題を持ち出しても”進駐軍”だから仕方がない、という気持ちがあった。なにか
長妻大臣ら政務三役には”政治主導”をはきちがえて、すこし”進駐軍”的気負いが
ありすぎるのではないだろうか。

”ヘトヘト”なのは、霞が関国家公務員労働組合共闘会議がまとめた官庁職員の残業
調査から判明した。この調査によれば、厚労省職員の残業時間が全官庁の中で一番
多かったそうで、その理由として”大臣の指示が細かく多くなった”というのもあったそ
うだ。

上にあげたような馬鹿げたアンケートを大臣の指示で実施し、かりにそれで残業をして
いたとすれば、身体がいくつあっても足りない。”ヘトヘト”にもなるのも無理ない。


      老人に過酷だった昭和20年という年

2010-07-29 06:17:39 | Weblog
病気回復のお礼をかねて昨日、老妻と目不動尊に参詣した。猛暑を通りこして
酷暑の一日であった。昨日は月に一回の縁日だったが、さすがにこの酷暑で参詣
客もまばら、出店の数も少なく、蝉の鳴き声だけが境内に響いていた。

木陰を求めて独鈷の滝の脇を行くと作曲家、本居長世の碑があった。「赤い靴」「七
つの子」「めいめい小ヤギ」など大正から昭和の初めにかけて活躍した作曲家の「十
五夜お月さん」の楽譜の碑である。この歌が作曲された大正9年、本居は、この不動
尊の隣りに住んでいた、その記念碑である。作詞家は野口雨情である。

たまたまの偶然かも知れないが、本居も野口も敗戦の年の昭和20年に亡くなってい
る。本居が60歳、野口が63歳、今なら働き盛りの年齢である。

昭和20年は、わが国開闢以来一番死者が多かった年であろう。海外の戦地で亡くなっ
た兵士、広嶌、長崎の原爆、沖縄戦、東京、大阪、名古屋など各地の空襲で亡くなった
市民。その数は数百万に上る。そのほか食糧難などから病死した人も多かった。とくに
体力のない年寄りに犠牲者が多かった。わが家でも、この年、本居、野口とほぼ同年齢
の叔父と伯母、それに元治元年生まれの祖母が亡くなっている。

亡父も日記に18貫あった体重が12貫500に落ちてしまった、と記している。老人には過酷
な時代であったのだ。今の平和の時代なら本居も野口ももっと長生きしてすばらしい歌を
提供してくれただろうに。

    日本人の平均寿命は伸びたが!

2010-07-28 05:13:01 | Weblog
日本人の男性の平均寿命が79・59歳になったとの発表があった。1931年2月
生まれの僕は、まさにぴたり、この年齢である。過酷だった戦中、戦後のあの
時代を含めて、よくぞここまで元気で生きてこられたものだと感無量だ。

厚労省がこのほど発表した日本人の平均寿命によると、男女ともこの4年間、
毎年記録を更新して伸びている。その理由は、日本人の三大疾患といわれる
ガン、心疾患,脳血管疾患それに肺炎による死亡率が全体的に低下したから
だという。もし、この三大疾患が克服できれば、男性の場合、平均寿命はさら
に87・63歳まで伸びるということだ。

戦前、僕らが子どもだった頃は、日本人の寿命は50歳だとよく言われたものだ。
60歳といえば、かなりのお年寄りにみえて、77歳の喜寿を祝うのは珍しかった。
ところが、今は僕の周りには90歳を越えた先輩たちがたくさん元気でおられる。

一度限りの人生である。寿命が延びて長生きできるのは最高の幸せである。た
だそれは元気で日常生活がエンジョイできればの話である。幸い今のところ僕
ら夫婦は2人とも元気でいるが、それがいつまで続くのかその保証はない。

昨日テレビのニュースで、千葉県の老人介護施設で送迎の車の中に放置された
81歳の女性が熱中症で死亡したと放送していた。このブログを書くため朝刊で確
認しようと思ったら、わが新聞には掲載がない。老人にとっては大変ショックなニ
ュースなのだが、ニュースにならないほど日常の出来事になってしまったのであろ
うか。

          自由が丘産の完熟きうり

2010-07-27 08:16:56 | Weblog
都会では、こんな曲がったきうりは、なかな手に入らない。自由が丘の無人スタンド
で三本100円で買ってきた逸品である。まさに大地の恵みという感じだ。同じ三本
100円でもスーパーで売っている型のそろったきうりとは味が違う。早速、きうりもみ
にして食べた。

          自由が丘の”植木溜め”

2010-07-27 05:39:31 | Weblog
熱中症で亡くなった方の半分は屋内だという。やはり暑くても外で身体を動かさく
てはーと昨日、久しぶりに自転車に乗って自由が丘の無人スタンドへ野菜を買い
にでかけた。まだ、ここの名物の冬瓜(とうがん)は、出回っていなかったが、きゅ
うり(100円)とインゲン(200円)を買ってきた。

自由が丘は今は東京の若者たちのファッションの街であり、スイーツの街として有
名だが、少し歩いて目黒通りまで行くと、農家の無人スタンドがあったり、写真のよ
うな”植木溜め”が残っている。”植木溜め”とは昔、このあたりガ農村だった頃、農
家が副業として空地に庭木を植え育てていたところだ。

自由が丘周辺は、昭和15年戦争のため中止になった駒沢五輪会場に近く、その前
後に街として発展してきた。僕はその時代の自由が丘を知っているが、商店は駅前
に僅かにあるだけで、ほとんどが広い敷地の住宅であった。"植木溜め”は、この"お
屋敷”の庭木用として需要があった。

自由が丘は住宅地としての建築規制があり、高層ビルはないが、緑は減ってきている。
その意味では”植木溜め”は貴重な財産である。恐らく買えば何十万円もする立派な
枝ぶりの松やモッコクなどに混じって、百日紅(サルスベリ)の花が今や盛りと色とりど
りの花を咲かせていた。




 

    中高年の海外旅行と若者の留学嫌い

2010-07-26 05:29:35 | Weblog
スイス南部で起きた「氷河特急」列車の脱線事故は痛ましい。時速30㌔という
世界一遅い特急列車に乗り雄大なアルプスのパノラマ風景が満喫できるという
ので、この観光コースは日本人の中高年の間でとくに人気があったそうである。
その証拠のように、脱線した3車両に乗っていた観光客のほとんどが日本人で
あった。

経済の停滞で一時足踏みしていた日本人の海外観光もここにきての円高ユーロ
安でヨーロッパへの観光に人気が集まっているそうである。観光庁のアウトバウン
ド政策(日本人の海外旅行振興策)は2010年までに年間2000万人を海外へ送り
こもうというものだが、達成できる勢いだ。

毎日配られてくる新聞の広告欄には必ず1面か2面海外旅行の全面広告が載って
いる。また、わが家には毎月、大手旅行社からの立派な雑誌が送られてくる。
まだ行ったことがない魅力的な観光地ばかりである。しかし、後期高齢者の夫婦
にとっては、もう団体旅行にはついて行けない。タイトなスケジュールに対応できる
自信がないのだ。

海外旅行はやはり若いうちだと思うのだが、最近、日本の若者の海外旅行熱が冷
めてきているという。とくに海外留学の数が減ってきているというのだ。例えば米国
への留学数はインド、中国が10万人、韓国7万人なのに対して日本からは3万人だ
という。これは何を意味しているのだろうか。まさか若者の心のなかに引きこもりな
気持ちが出てきたのであろうか。気になることだ。

     「後期医療」後の新制度は大丈夫なのか?

2010-07-25 04:57:09 | Weblog
75歳以上の後期高齢者医療制度廃止後の新制度の骨格が厚労省から示された。
発表に当たって長妻昭大臣は”もはや失敗は許されない”と言っていたが、その通
りである。が、骨格をみる限り、わが国の医療の現状からみて果たしてこれで大丈
夫なのか気がかりである。これが年寄りのいらぬ心配でなければよいのだが。

新制度の骨格には、肝心の公費負担の割合が明示されていない。現在、直面して
いる最大の問題点は将来さらに進む少子高齢化による医療費増大に対する公費の
抑制である1。不評だった「後期医療」もこれがための制度であった。しかし、新制度
の骨格は、高齢者の大半を占める1,200万人を国民健康保険(国保)に戻し、一部サ
ラリーマンやその扶養家族200万人を被用者保険に加入させるというものだ。これに
よって年齢による区別だと批判があった「後期医療」は解消されたが。

新聞報道によれば、この新制度の骨格は、将来の医療費推計などの詳細なデータ
に基ずくものではないという。もし、そうだとすれば、あまりにも乱暴な骨格である。
新制度の実施は3年先だという。それまで、この世にいるかどうか分からない後期高
齢者が口を出す問題ではないかもしれないが、問題は医療保険の受け口をどこにす
るかという問題ではない。例えば現在の医療費負担現役3割、老人1割(僕は現役な
み3割だが)が妥当なのかどうかという問題まで検討すべきではないだろうか。

        空前の中国ブームと「北京の檻」

2010-07-24 05:50:49 | Weblog
毎日テレビを見ていると、必ずどこかの局で中国富裕層の日本での観光や買物風景の
特集をしている。これを受けてか今、国内での中国語学習が空前のブームだとこと。一
方、海外の在留日本人の数も上海がロサンゼルスを抜いて3万人と世界一になったとい
うニュースもあった。現在、最大のビジネスチャンスは中国にあるという説さえある。

こんな中で最近、ある会合で「”北京の檻”幽閉五年二ヶ月」(鈴木正信、香取俊介共著
2006年、文藝春秋)という本の寄贈を受け一気に読んだ。共著の一人、鈴木氏が中国の
文化革命の最中の1968年2月、貿易商社員として北京のホテルに滞在中、身に覚えのな
いスパイ容疑で中国の公安当局に逮捕され、5年2か月もの間、独房に監禁されたその
模様を中心に鈴木氏の数奇な半生を書いたものだ。

鈴木氏は1929年旧満州の生まれ、旧制中学4年の時敗戦を迎えたが、ハルピン大学の
学長(建築学)をされていた厳父の関係で、そのまま中国当局によって強制留用され、
同じく留用された親類の医師の助手として共産党軍の衛生兵として国共内戦や朝鮮戦
争にも従軍している。日本に帰国したのは昭和28年になってからだ。

鈴木氏が逮捕された時は日本と中国との国交はなく、鈴木氏は不法に逮捕されても日本
政府から見放され、一年を通じて陽のさすのは夏至の時だけという暗い"檻"の中で南京虫
とネズミを”友”にしての生活だった。

共著の一人、香取俊介氏は本の「あとがき」の中で「日中の摩擦、軋轢は複雑微妙であり、
”日中友好”をお題目のように唱えていれば解決できる問題ではない。経済レベル、政治レ
ベル。文化レベルで関係者にはいろいろ知恵を発揮して貰いたいものだが、判断の基礎と
なる"情報”の一つとして、近かい過去にこういうこと(鈴木氏の体験)が”あった”という事実
を知っておいて欲しい」と書いているが、僕も同感だ。中国、中国へとなびく日本人は一度
ぜひ、この本を読むことをお勧めする。






        猛暑日の少なかった戦前の東京

2010-07-23 05:35:41 | Weblog
暑い暑い猛烈に暑い日が続く。昨日東京は二日連けて猛暑日を記録した。猛暑日とは
2007年以降最高気温が35℃を越えた日のことをいう気象庁の新しい言葉だ。だから昔
は記録の上で猛暑日はないのだが、、僕の記憶でも戦前はこのところのように毎日猛
暑が続いた思い出はない。

たまたま大東亜戦争が始まった昭和16年の亡父の日記に何故かこの年だけ、東京の最
高気温が記してあった。これをみると、この年もっとも暑かったのは8月17日で、33℃。30℃
を越えた日が8月に17日もあったのに猛暑日は一日もない。69年も昔のことだが、当時は
ヒートアイランド現象もエル・ニーニョ現象もなかったのかも。

戦前東京ではよく打ち水をしたものだ。暑い一日が終わった夕方、露地で浴衣姿の女性が
ひしゃくで水をまいていた。これが僕の夏の原風景の一つになっている。少し記憶が薄れ
てきているが、タンクローリーみたいな散水車が、ゆっくりゆっくり、大通りで水を撒いていた
のもこの季節ではなかっただろうか。

この猛暑では,陽が沈んでも夕涼みなそに行く気にはならないが、昨夕、前からの約束も
あって、うだる暑さの中、バスに乗って"飲み会”に出かけた。今月初め3回目のガンの摘出
手術で入院していた80歳に近い男にしては元気なのかもしれない。