「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

北海道の致死率の高さ 心配な老健施設のクラスタ―

2020-05-31 05:27:17 | 2012・1・1

コロナウィルスの感染について緊急事態宣言解除後も北九州市をはじめ第二波が懸念されているが、改めて現状(5月30日)について一覧表を見て気がついた。それは感染者数が東京、神奈川、大阪に1070人と第4位の北海道が感染による致死数では86人と東京に次いで2位、致死率は8%とたかいことだ。

これに関連して産経新聞30日付首都圏版11面で寺田理恵記者が”老健で何が起きたか”の記事の中で札幌市内の茨戸(「ばらと)老人介護施設(老健)で入居者、職員83人がクラスタ―感染し11人が施設内で死亡した件を紹介している。老健施設での感染は札幌だけでなく全国で起きているが断片的な報道で全容な報道はない。が、考えてみれば老健は体力の劣った持病持ちの多い老人の収容である。国はもっと配慮すべきではないか。

昨年秋からお世話になっている通園介護リハビリ施設が緊急事態宣言のあと自主的にサービスを休業していたが、宣言解除を機に6月から再開する。有難いことだが、国が推奨している「三密」(厚労省HP)厳守につぃて、送迎バス一つとっただけでも守られていない。再参加の返事をしたが、一抹の不安はある。


12日しかなかった敗戦の年の夏休み

2020-05-30 05:29:18 | 2012・1・1

コロナウィルスの流行で休校していた都立高校が6月1日から再開され、これに伴って夏休みは8月8日から23日まで16日間に短縮されることになった。緊急事態宣言で長期間休校しており、やむを得ないのだが、かわいそうなことはかわいそうだ。

高校生と同じ年ごろだった75年前の昭和20年(1945年)敗戦の年の夏休み調べてみたら12日間だった。僕は中学3年生で東京の多摩川のガス橋近くにあった機関砲部品工場に動員されていたが、その日は電休日で、その日から27日までが学校の通知で事実上夏休みてとなった。夏休みという名目ではなく、25日に占領軍が進駐してくるので、それまで様子をみようということだった。

僕らの学年は東京では20年1月、2年の3学期から軍需工場へ動員されており、3月の春休みは1日もなかった。戦後の10月も空襲後の焼け跡整理に動員されている。その代償というわけでもないだろうが、敗戦後3年目の23年の夏休みは食糧難から7月1日から9月30日まで92日間もあった。僕の通学していた大学の予科だけの緊急事態措置なのだろうが長生きすると色々なことがある。


災厄はらい目黒不動の正五九の縁日

2020-05-29 06:01:06 | 2012・1・1

毎月28日は東京の目黒不動の縁日だが、このうち正月、5月、9月は「正五九」といい、この日に参詣すると災厄はらいになるとか、物事が成就するとか江戸の時代から人気があった。残念ながらこの「正五九」も最近は忘れかけられ、昔ほどの賑わいはない。

緊急事態宣言が明けた昨日、東京は梅雨入り前、雲一つすめ好天気。”三密”を守り、長い間外出を自粛していた老妻がこの陽気に誘われ、娘につきそわれて「正五九」のお不動さまへでかけてきた。その話だと、お不動さまは依然として緊急事態にあり、本堂には昇殿できず、階段下でお参りするだけだったという。

お寺さんの悪口を言うと、口がまがるかもしれないが、善男善女はこの時期コロナウィルスの魔除けに参詣にきている。コロナ払いに護摩をたいて貰いたい。賽銭箱前に消毒液をおかないでも感染はしない。コロナウィルスよけのお守りが有ったら買いたいところだ。


北九州からの第二波警告 高齢者の感染

2020-05-28 07:29:22 | 2012・1・1

緊急事態宣言が明けた27日、北九州市で新たに8人がコロナウィルスに感染しているのが判明、同市の感染者数は一挙に22人となった。このうち、感染経路不明がほとんどだが、女性の医療スタッフが勤務先の職場で、感染者から濃厚接触により染かっていた人もいた。厚労省は早速クライスラー(感染集団)専門チームを現地へ派遣したが、拡大しないことを切に望みたい。

これを伝える現地の西日本新聞を読んで気になったことがあった。感染者の一人、小倉南区の70歳代の女性は1か月間に三つの医療機関に七回も受診していたというのだ。加齢と共に身体のいいるところが痛んでくる。病院の待合所はお年寄りの談話室だと悪口を言わているが、緊急事態宣言後は僕が住む地区の医療機関ではオンライン診断や電話診断が多くなり直接の受診は少なくなった。僕も持病の高血糖に関しは3月16日以降は電話受診で薬だけ頂戴している。

緊急事態宣言中、全国の医療機関で発生した感染は断片的には伝えられているが全容は明らかにされていない。プライバシーもあって公表できないのかもしが、欧米では医療機関での高齢者の罹患や致死率が高いという。第二波、第三波に備えて医療機関での老人対策を専門に検討してもよいのではないだろうか。

 


海軍記念日 皇国の興廃かけた日本海海戦から115年

2020-05-27 08:11:56 | 2012・1・1

5月27日は戦前まで海軍記念日であった。115年前の明治38年5月27日、日本の聯合艦隊がロシアのバルチック艦隊を日本海に迎え撃ち勝利した記念日で、国をあげて祝った。これを記憶している世代も少なくなってきた。

◇ 日本海海戦(文部省唱歌6年生用)

敵艦みえたり近ずきたり 皇国の興廃ただこの一挙 各員奮励努力せよ

旗艦帆柱信号あげて みそらは晴れども風つよし対馬の沖に

小学校から国民学校へと学制改革に育った僕らの世代は、この歌は習ったことはないが、不思議と”皇国の興廃””奮励努力"など歌詞の一部がまだ頭にある。考えると当時はまだ日露の役に勝利してから半世紀も経っていなかったのだ。子供だった僕らのまわりにも日本海海戦に参加した勇士たちがまだ元気でいた。

いま学校の歴史教育では皇国の興廃をかけた日本海海戦をいかに教えているのか知らないが、改めて大正3年発表の海軍軍歌「日本海海戦」(大和田健樹作詞 瀬戸口藤吉作曲)を読ませて貰ったが、15番からなる、この軍歌には当時の日本人の気持ちがこめられている。

 

 

 

 


高い代償についた介護老人の緊急事態宣言

2020-05-26 05:44:40 | 2012・1・1

コロナウィルス感染防止のための緊急事態宣言が昨夜の政府対策会議で全面解消した。4月7日から7週間りである。まずはもって同慶の至りだ。日頃何事にも反対の野党も賛意を見せている。世論も第二波、第三波を気づかいながらも賛否あい折半しているようだ。

宣言期間中,僕は一回だけ外出しただけだ。昨年から世話になっていた通園リハビリ施設が宣言自主的にサービスを中止した。このため、自宅でスクァットなどリハビリの真似事をしていたのだが、4月21日、背中に激痛が走り娘婿の車で近所の整形外科に運ばれた。外出はただこれ一回である。

背中の痛みはレントゲンの撮影で大事ではなく、コルセットと湿布薬で治まったが、7年前に人工関節置換手術した左膝に違和感が出て痛みがでてきた。ケア.マネジャーと相談して医療用のベッドをレンタルしたが、思うようにいかない。宣言解除でリハビリ施設も6月から再開する。コロナウイルスには感染せず良かったが、宣言は高い代償になった。


季節感の喪失 紫陽花(あじさい)や昨日の誠けふの嘘

2020-05-25 07:49:03 | 2012・1・1

このところの東京首都圏は梅雨を思わせるような日が続くが、コロナ騒ぎで外出を控えていたら、庭先の紫陽花(あじさい)の紫がすっかり色こくなってきた。

江戸時代の俳人、松尾芭蕉の紫陽花を読よんだ一句に◇紫陽花や帷子(かたびら)時の浅黄色―がある。門外漢の僕には意味が理解できなかったが、PC辞書の手助けを借りると,帷子は江戸時代、庶民が春から夏の時季にかけて着た一種のシャツだったもので、その色が紫陽花に似ていたものらしい。

地球の温暖化の影響からか、IT革命の為からか、昔のように季節感を感じなくなった。とくに今年はコロナの緊急事態宣言が出ていたせいか、桜が咲いても散っても葉桜になっても僕には、俳句を詠む気持ちにはなれない。せいぜい◇紫陽花や昨日の誠、けふの嘘(正岡子規)などと政治家に悪口をいいたがりたくなるぐらいだ。

 


コロナ緊急事態宣言解除 非常時だった75年前の3月―5月

2020-05-24 06:00:31 | 2012・1・1

新型コロナウィルス感染拡大による緊急事態宣言もやっと収束の気配を見せ、政府は週明けの明日(25日)全面的に宣言を解除する。4月7日に宣言が出てから40日、とにかく解決への灯が見えてきた。長かったのか短ったのか。

75年前の昭和20年5月24日深夜,、東京目黒のわが家はB-29の空襲に会い、隣家の塀に落ちた焼夷弾を両親と共に火たたきで消した。いつも、この日が来ると昨日のように想い出すが、今年は3月の春先から続くコロナ騒ぎがあって格別厳しかったあの年の春を思い起こした。

中学(旧制)2年だった僕は1月早々から”人間魚雷”の部品をつくる工場へ動員されている。10万人を超す下町大空襲には合わなかったが、直後、強制建物疎開で自宅を壊された。4月15日の京浜大空襲では動員先の工場も全焼、さらに5月24日の空襲では母校も焼失した。わずか数か月足らずでの大変な犠牲である。

東京都の累計でお感染者者は5138人。死者数は271人(5月23日現在)、これを多いとみるか少ないとみるかは人によっての判断だが、75年前の5月24日1夜の空襲だけで6万戸が焼失726人が犠牲なっている。戦争はやはり非常時である。


緊急事態宣言解除後の都民の新しい日常生活というが

2020-05-23 06:12:28 | 2012・1・1

緊急事態宣言の解除が見送られた東京首都圏もどうやら週明けには元の生活に戻れそうだ。と、思ったら昨日、小池百合子都知事が早々と解除後の都民へのロードマップ(行程表)を示された。第一ステップから第三までになっており、各段階ごとに解除後も自粛を要請する分野と項目が具体的に示されている。

工程表は新しい日常と銘打たれ、なかなかの力作。これにケチをつけるみたいで申し訳ないないが、日常的に実行できるのあろうか。マスクの着用、手洗いの実行はできるが、人と人との間隔確保(ソシアル.ディスタンス)など励行できるのであろうか。各段階ごとに飲食店の開店時間が指示されているが、そこまでする必要があるのだろうか。第二波、第三波襲来への配慮はわかるのだが。tsuki僕がお世話になっている通園介護リハビリ施設(自主休業)から宣言解除に関係なく、6月からサービスを再開すると通知があった。

介護施設は国からの協力要請団体ではない。したがって宣言が解除されても行程表に明示される施設ではない。しかし、リハビリという仕事の関係上。人と人との距離を確保せよといっては仕事にならtEienn ない。何が言いたいかというと、”新しい日常”といった言葉ではなく、日常にあった実務への提言だ。


お粗末な検事長と新聞記者の自粛の中の賭けマージャン

2020-05-22 06:52:07 | 2012・1・1

検察界No2といわれる東京地検の黒川弘務検事長(63)がコロナの緊急事態宣言下の夜、2回にわたって産経新聞記者宅で同僚記者と朝日新聞記者をまじえて賭けマージャンをしていた。この週刊文春の報道を受けて安倍総理にT辞表を提出,、戒告処分となった。黒川検事長といえば、折から自らの定年延長を含む検察法改正案審議の渦中の中にいる人物でもある。

黒川検事長の年齢から行けば、昔で言えば60歳の還暦を過ぎご隠居の年頃である。それがいくら高齢者社会の現代とはいえ、社会の指導的立場の検事長が若い記者宅へ押しかけ仲間うちのように卓を囲むとは僕の世代からは考えられない、昔から、記者の取材には「夜討ち朝駆け」といって四六時中、取材先から目を離せなかった。半世紀以上も前、NHKのテレビドラマ「事件記者」が人気を呼んでいあ頃、僕も「夜討ち朝駆け」したが、取材目的で、自宅に相手を呼んだことはないし、逆の場合などありえなかった。

事件の一方の当事者産経新聞の22日付首都圏版は、緊急事態宣言が地元関西の大阪、京都、兵庫三府県で解除されたビッグニュースにもかかわらず「黒川検事長辞任」を一面トップで扱っており、別見出しで,記者二人が数年前から賭けマージャンをしていたことを認め「おわびします」と謝罪記事をのせているが、二人が黒川検事長に直接、仕事(取材)目的であったのかどうかはっきりしない。それにしても、検事長という高官が、かっては。すっからピンの代用挌の新聞記者と賭けマージャンするとは世の中変わってきたものだ。