「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           後期高齢者 この一年

2008-12-31 06:35:55 | Weblog
今年は僕ら後期高齢者にとって”多事多難”の年であった。小ブログも「後期高齢者」
問題について、数えたら11回も私説を書いた。”よく解らない後期高齢者医療”(2月
16日)に始まって”怒れ後期高齢者”(3月15日)”長寿医療のマユツバ”(5月19日)
そして”員数外の後期高齢者”(12月27日)まで同世代から見た文句と繰り言を書い
てきた。

「後期高齢者」問題への批判は大別して二つある。一つは年金が”消えてしまった”と
世論がうるさい、この時期にその年金から保険料を”天引き”するという制度に対して
である。もう一つは何故75歳という年齢で”線引き”して特別に徴収するのかー。そして
”後期高齢者”という差別的、侮蔑的な名称に対しての批判である。

僕の結論は”見直すな後期高齢者医療”(9月30日)である。日本の医療全体からみて
”後期高齢者医療”はやむを得ない制度だーという事が政府の説明でやっと理解できて
きた。問題であった低所得層への救済手直しも出来た。麻生内閣は来年度にむけて「後
期高齢者医療」制度の改正を検討中だそうだが、もういい加減にピリオドを打つべきであ
る。これに代わる医療費の財源をどうするのか。

「後期高齢者」問題は、結局、政府の説明不足が原因だったと僕は思う。それと市町村
の対応の悪さがそれに輪をかけた。これから急速な高齢者社会に入って行く。その意味
では、今後の老人問題を考える好い一石であった。
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         異常気象? もう梅が咲きました

2008-12-30 06:51:15 | Weblog
隣家の高台の古木の白梅が早くもほころび、一部花を咲かせ始めた。老妻の話では
暮のうちに開花したのは今年が初めてのこと。散歩の途中、近くの公園ではタンポポ
も花を咲かせていた。喜んでよいのかどうか。殺風景の冬景色の中では人の目を喜ば
すアクセントにはなっているが、温暖化による異変かもしれないと心配にもなる。

東京都の資料によると、東京の気象はこの100年で、2・4℃上昇し2018年には最大で
5℃上昇するという予測もある。これは世界的な地球温暖化とCO2(二酸化炭素)排出
による都会のヒートランド現象によるものだという。100年前は知らないが、子供だった
70年前は実感として確かに今より寒かった気がする。東京でも12月に雪が降ったし風
が寒かった。寒さと直接関係があるのかどうかはしらないが、手に”あかぎれ”や”しも
やけ”の子供がやたらに多かった。

昨日、NHKの教育テレビが放送時間を短縮し節電とCO2削減のキャンペンに取り組んで
いた。放送短縮でどの程度CO2が削減になるのかはしらないが、地球温暖化やヒートアイ
ランド現象を考えるにはよい試みだ。毎日の生活に追われて、どうしてもエコ問題は二の
次になりがちだが、人類にとっては大変な問題なのだ。7月の洞爺湖サミットの主要議題
は地球の環境問題であったが、世界的な経済不況でエコはどこかへすっとんでしまった。
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        「平和通り」商店街の歳末売出し

2008-12-29 07:05:53 | Weblog
わが家ではここ10数年、暮の買い物に東京では定番の「アメ横」や「築地」へ行か
なくなった。加齢とともに"食”への執着がそれほどなくなったし、あの人ごみの中
へ出かけるのが億劫になってきた。かわりに乗り継げば無料のバスで行ける近く
の「平和通り」商店街へ出かける。

「平和通り」という変わった名前の商店街だが、このあたりは昭和20年5月の空襲
で焼野原になったところだ。多分、戦後、街を復興するさい、地元の人が平和を願
って命名したものだろう。戦後の一時期「平和」とか「新生」とか言う言葉が街にあふ
れていた頃があった。私鉄の駅から離れていて、地の利は悪いが、昭和30年代の
市場を中心に魅力のある商店街だ。何より物価が安い。

クリスマスが終わったら、またぞろ中東のイスラエルとパレスチナとの間でドンパチ
が始まった。1948年のパレスチナ戦争以来、この地では4回も戦争が起きている。
それぞれの理由はあるにしても"懲りない”人たちだ。元はといえば、西欧大国の無
責任な国境の線引きによるものだが、依然として衝突の背後には大国の蔭がチラ
ホラしている。

100年に一度だという不況だが、見た目には「平和通り」商店街は、普段の年と変わ
らぬ賑わいだ。ガザの町のスーク(市場)は戦火でそれどころではあるまい。空襲
で焼け、瓦礫の山だった「平和通り」周辺を知っているだけに改めて「平和」の幸せを
味あった次第である。
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           嬉しい野菜ずくめの年の瀬

2008-12-28 06:10:32 | Weblog
暮も押し迫った昨夕、宅急便で野菜の荷が届いた。昔、近所に住んでいた知人から
千葉の家庭菜園でとれたというキャベツ、ほうれん草、大根、小松菜など正月用の野
菜がダンボール箱に一杯。”カリッコリー”という珍しい野菜まで入っていた。見た目は
ブロッコリーだが、舌触りはカリフラワーに似ている。気がきいた何よりのお歳暮だ。

荷が届くのも知らずに、昼間、僕は運動をかねて自転車で近所へ買物にいった。老妻
の言いつけで自由が丘の無人スタンドで泥のついた大根(200円)と小松菜(100円)を
買った。そのまま帰ればよいのに、安売りスーパーで好奇心からヤーコン(136円)と空
芯菜(262円)を買ってしまった。お蔭でわが家の狭い台所は野菜、野菜、野菜。

暮の季節、昔は野菜はそんなになかった。”あおいもの”といえば小松菜,ほうれん草
それに大根の葉っぱぐらいであった。”ビニール栽培”以前はキュウリもナスもトマトも暮
にはなかった。いわんや今や日本人の常食野菜となったセロリ、パセリ、ピーマンなど
お目にかかれなかった。

ネットのレシピにしたがって、老妻即席の”カリッコリー”と”ヤーコン”を入れた野菜サラダ
が食卓に並んだ。”ヤーコン”はインカ帝国時代から南米の高地で食べられてきた健康野
菜だという。野菜の中ではオリゴ糖の含有率が一番高くて、これを食べれば万病によいと
の事だ。それは別として野菜のやまに囲まれて二人とも元気に年の瀬を越せそうだ。


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       ”員数外”の後期高齢者医療

2008-12-27 05:33:45 | Weblog
厚労省が40歳ー74歳のメタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)の調査を
したところ、日本人の”成人”の5人に1人が予備軍まで含めた糖尿病だったとい
う新聞記事があった。年寄りになると、ひがみっぽくなる。それでは僕ら75歳以上
の後期高齢者は”成人”ではなく、プロ野球的にいえば政府の支配下外の人間と
いうのであろうか。

同じ日の新聞に今年6月から実施された後期高齢者に対する罰則つきの「もみじ
マーク」の着用が70歳以上75歳未満と同様に”努力義務”に改正されるようだ。
理由は表示着用率が75%まで上昇したとのことだが、後期高齢者医療との関連
で”高齢者いじめ”ととられる世論に配慮したからだのようだ。

昨夜のテレビで鴨下一郎厚労副大臣が後期高齢者医療の必要性をルル述べてい
いた。僕も日本のの医療制度の現状からみれば仕方がないと思う。が、副大臣が
認めていたように、ある年代で線引きして、前期後期と分けるのには反対だ。それ
ぞれ個人によって肉体年齢も精神年齢も違うからだ。

昨日、僕は近くのクリニックへ今年最後の診療を受けにいった。30年来の高血圧と
今年初めて糖尿病と診断された両方の治療である。糖尿病については、その後の
経過を知るため血液検査を受けた。僕の場合は治療費が3割自己負担のため、この
日、病院と薬局に支払った総額は4870円。年金生活者にとっては決して少なくはな
いが、それよりハラガたつのは、依然として、一定の年齢で線引きする厚労省の高
齢者医療行政である。後期高齢者を員数外にしないで欲しい。
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           お役所仕事のゴミ分別

2008-12-26 05:55:55 | Weblog
家の脇のゴミ出し場横の電柱に暮から新年にかけての分別カレンダーが張ってある
が、資源ゴミは、すでに24日で終わっている。正月まであと1週間もあるり、勤め人家
庭は、ほとんど、この週末に大掃除をしようと思っていたいたのではないだろうか。相
変わらずのお役所仕事である。

僕の住んでいる東京の区部では、この秋ごろからゴミの分別が細分化され、老人には
判り難くなった。資源、可燃、不燃程度なら分別できるが、資源ゴミをさらに細かく分け
包装、プラスチックetcとなるとなると判らない。プラスチックには"プラ"と印が押してある
そうだが,字が細かくて老人には読めない。何故か分別がうるさくなってから、一時姿
を消していたカラスの群れが、ゴミをかき回しにやってきた。

戦前、東京では年に二回、町会ごとに一斉に実施する大掃除の日があった。現在の保
健行政は警察が握っていたから強制的だったのだろう。どこの家でもこの日は畳を上げ
て出たゴミは道端にうず高く積まれ、収集車が忙しく集めに回った。師走の一行事だった。

今は集合住宅が増え、住民同士も疎遠になり、こういった町ぐるみの大掃除はなくなった。
その集合住宅の中には、老人ばかりの"限界集落”も出てきたという。高層の団地には
エレベーターもなく、老人の中にはゴミ出しが出来ず困っていると、テレビが伝えていた。
お役所サイドからみれば、ゴミの細分化は便利でよいかもしれないが、一般家庭とくに老
人だけの家庭には負担になる。



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        あるインドネシア料理店の閉店

2008-12-25 06:47:28 | Weblog
東京で草分けのインドネシア料理店「インドネシア・ラヤ」本店がこの27日で51年
の店の灯をともす。エスニック料理が今のように盛んでなかった昭和32年、新橋
のレンガ通りの花屋の二階にオープンした。創業者の店主は、インドネシアのセ
ラム島から復員してきた第二防疫給水隊の衛生軍曹のN氏(89歳)である。

N氏は戦争中アンボン島に駐屯していた時現地人からインドネシア語を習った。21
年、復員後も独学でこれを続け、政界とのコネを持ち、福田赳夫元総理の訪イの
際には通訳をしたともいわれている。インドネシア要人とのパイプがあり、大のイン
ドネシア人間の一人である。

「インドネシア・ラヤ」は料理店として開店したのではない。オープン時は喫茶店であ
った。その頃戦争中日本人の軍人、軍属と結婚、夫と共に来日したインドネシア人
女性の中には、夫との離婚後、進駐軍の仕事をしていたが、これを解雇され生活に
困っていた。N氏は彼女たちの救済のために喫茶店を開いた。

戦争中、日本人と結婚、敗戦後来日したインドネシア人女性は推定300人だといわ
れている。ジャカルタで日本料理店を開業しているK氏もその一人。十数年までは六
本木で「ブンガワン・ソロ」という店を経営していた。目黒のインドネシア大使館近くの
「せでるはな」の先代もバリにあった海軍民政局の軍属で奥さんをつれて戦後来日、
お嬢さんは日本で女医をしている。

戦争にまつわる個人的な「秘話」も歳月の経過と共に忘れられてゆく。「インドネシア・
ラヤ」の閉店で、またその一ページが消えていった。 
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          「英語」を英語で教えないと

2008-12-24 06:50:41 | Weblog
2011年から始まる新学習指導要領で英語教師は英語で教えなくてはならなくなる。
僕はこれに基本的には賛成だが”受験英語”で教育されてきた今の大方の先生た
ちにそれが出来るのだろうか心配だ。かりに出来ても"受験英語”の発音では、あま
り意味がなく改善にはならない。

大学入試中心の今の日本の英語教育は、いつから始まったのだろうかー。戦前の
旧制時代から”小野啓”の讀解中心の参考書や単語を丸暗記する赤尾の"マメ単”が
受験生必修の書で、僕もそのお世話になった。戦前は外国へ行く機会も少なく、外国
人と接することもあまりなかった。主として外国語で書かれた学術書や論文を書くの
が目的だったから、それでもよかった。

でも今は違う。"国際化"時代で外国で商売する人が増え、年間数十万人の観光客が
海外へ出かけ英語で会話をする時代である。が、受験英語で教育された日本人の
英語は相手に通じるが、相手の言う事が通じない場合が多い。それは実際的な発音
を無視した教育からきている。

明治の末、英語の教師だった夏目漱石は英国での留学体験をもとに音声面(発音)から
の英語教育改善を提案している。明治の初め、日本の大学では"お雇い外国人”が直接
英語で他の学科も教えていた。その時代に英語を勉強した漱石は、明治の末の学生たち
の英語力が劣ってきたと嘆いている。

大変失礼だが、日本の大部分の英語教師の発音は"受験英語”のそれである。これでは
「英語」で教育されてもあまり意味がない。が、大学入試が今のままなら"受験英語”を教
える教師も必要なのだ。この矛盾が問題だ。
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       天皇陛下の後期高齢者入りに思う

2008-12-23 06:28:06 | Weblog
天皇陛下75歳のお誕生日おめでとうございます。陛下が生まれた昭和8年12月23日
を祝って「皇太子さお生まれなった」という歌がありました。僕は当時3歳でしたが、とこ
ろどころですが歌詞を知っているし、メロディも覚えています。

     「皇太子さまお生まれなった」(作詞北原白秋 作曲中山晋平)
        日の出だ 日の出だ 鳴った鳴ったボーボーオ 
        サイレンサイレン ランラン チンコン
        夜明けの鐘が 天皇陛下お喜び 皆々がかしわ手
        うれしいお母さん 皇太子さまお生まれなすった

東京市(当時)内の丸ビルなど18か所に設けられた場所からサイレンが二回連続鳴った。
一回なら内親王、二回なら皇太子と決められていた。朝、日の出とともに響き渡ったサイ
レンに市民は歓喜にわいた、と当時の新聞は伝えている。

戦前の皇室と国民との関係は今では考えられない。天皇は”生き神”であり、明治17年生
れの亡父は、新聞に載った天皇の写真を必ず神棚に上げ、毎月1日と15日には拍手を打ち
お参りしていた。 国民は陛下の”赤子”(あかご)という言葉もあり、その関係は今より親し
みが深かったように思われる。

昔の職場の同僚に陛下と一緒に戦争中、日光に学童疎開した男がいて、よく当時の話を聞
いたが、食糧不足で、僕らと同様苦労なさったようだ。戦後は戦後で敗戦の荒波の中で皇室
の一員としてご苦労があった。75歳の後期高齢者入りされた陛下が体調を崩されたと聞く。

先日、宮内庁長官が、自分の見解だが”(陛下)は将来にわたる皇統の問題や皇室にかかわ
る問題によるストレスによるものだ”と記者会見で述べていた。僕にいわせれば陛下にもプライ
バシィがある。いわんや国家の象徴でもある。個人的な見解でも宮内庁長官がいうべき言葉
ではない。お病気の原因は周囲の雑音からきている。
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    南瓜(かぼちゃ)と柚子(ゆず) 「一陽来復」

2008-12-22 05:18:12 | Weblog
家の中から踏み台が消えた。留守に泥棒にでも入れたのかと思ったら、隣の部屋に
住む娘が東京・早稲田の「穴八幡宮」から「一陽来復」のお札を頂いてきて、これを張
るために借りていったものだった。言い伝えでは、冬至の日に「穴八幡宮」のお札を
家の中の来年の恵方の方角の出来るだけ高い場所に張ると金運に恵まれるのだと
いう。参拝してきた娘の話では、今年は経済不況を反映してか例年より参詣客は多く、
1時間の行列だったそうだ。

東京に生まれ育って70余年になるが、僕は「穴八幡宮}に参詣したことはない。もとも
と敗戦ショックで、神も仏もあるものか、と信仰に薄い不届者世代であり、ご先祖は”高
楊枝”階級。金運なんかには関心がない。

僕は冬至らしからぬ好天に誘われて近隣を散歩、スーパーで冬至ゆかりの南瓜と柚子
を買ってきた。南瓜は四分の一切れで298円、柚子は一個150円だった。南瓜を冬至に
食べると中風にならないとか、柚子湯に入ると風邪をひかないとかの言い伝えがあり、
子供の時は必ずしたものだった。が、ここ数十年は遠ざかっていた。

夕食に老妻手造りの南瓜料理を食べ、柚子湯に入ったが今一つピンとこない。南瓜料理
は食糧難時,亡母がつくった料理のほうが美味かった。柚子湯も今のユニットの小さなセ
ットでは興趣がない。やはり檜までゆかなくと木の桶である。過去への夢追い人の冬至の
一日であった。
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