「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

のぞき見の海外旅行(21)イエメン(2) タイズ 幸せだった国

2020-10-31 05:48:44 | 2012・1・1

1962年9月のイエメン王政革命の直後、首都サヌアを訪れるため、アデン空港から小さなプロペラ機で向かったが、治安が悪くタイズ飛行場に変更になった。タイズはイエメンの南西部に位置し1500mほどの高原の町だ。かって王国だった時代首都だったこともあり、古い石造りの塀に囲まれた家屋が目立った。住民は独特の衣装を身に着け腰に刀を差して、カートという麻薬っぽい草の根を噛んでいた。

旧約聖書にでてくるシバの女王の時代、この地は"幸福のアラビア”と呼ばれたそうだが、町にはかってのそれらしきものが残っていた。しかし、ぼくらは数時間町に滞在しただけ。買い物のため持っていたドル紙幣を町で流通していた古い19世紀のコインに替え、車をチャーターして陸路180キロの砂漠のワデイ(雨季には川)の道をアデンに引き返した。

イエメンではイスラム.スンニ派の大統領派と反対派のシーア派勢力との間で2015年以来、激しい内戦が続いている。その主戦場ががタイズからアデンにかけての地域とのことだ。


対岸の火災視できないコロナ感染再拡大

2020-10-30 07:27:45 | 2012・1・1

昨日、10月29日新しくコロナ.ウィルス感染者が全国で809人発生、累計で10万人を超えた。米国の大学の調査によると、全世界では4400万人、最多の米国800万人とケタ違い、日本は49番目だそうだが、テレビで欧州地で再拡大しているのをみると、対岸の火災視は出来ない。

先日来、テレビの国会中継をみていると、質疑に立つ与野党の議員,答弁の菅義偉総理を初め全閣僚がマスクなしで発言している.。その代わりというのか、発言が終わると職員4人が出てきてマイクを消毒している。素人なりにそれまでする必要があるのかと思うのだが。でも念には念を入れたほうがよい.。

政府のコロナ分科会から毎日のように情報が流れてくるが、老人には過多気味で、中には思いつきと思えるものもある。逆に東京都から年末までに最大6万5千件の検査ができる体制が整ったというが、全国的にはうなのか。船頭多くしてのきらいがでてきたのではないか。

   

 

 


のぞき見の海外旅行(20)イエメン(1)アデン 変遷の歴史

2020-10-29 06:52:45 | 2012・1・1

アラビア半島南東先端のアデン湾に面するイエメン第二の港湾都市。オスマン.トルコ時代の昔から大英帝国の植民地時代にかけてインド洋交易の拠点として栄えた。筆者は1962年11月、当時隣国だったイエメン王国の革命直後、1週間滞在した。アデンはそのあと67年、近隣の土侯国を併せて「南イエメン連邦」として独立、首都となったが、70年、さらに今の「イエメン共和国」と合邦している。

港がある市の中心部から迫るように死火山のクレーターの後背地がある。ここで僅かな香料などの栽培がおこなわれているgが、緑の少ない貧しい町だ。だが、英国植民地時代には、モカ,コーヒなどの交易に夢を求めて西欧から渡ってきた者が多かったようだ。フランスの詩人,、ランポーもその一人で、コーヒーの選別をしながら創作に当たった足跡がある。ものの本によれば、アニメ作家の手塚治虫の作品「ジャングル大帝」の舞台の地もアデンというが、確かではない。

個人的には当時日本では高価であったイタリア製のポータブル英文タイプを安く手に入れたこと。宿泊したホテルがユダヤ人経営なのに、地元のアラブ人が問題にしていなかったことなどだ。ナセルの”アラブは一つ”とは随分違うなと思った。


年始11日までの長期休暇は必要か

2020-10-28 05:40:21 | 2012・1・1

来年のことを言うと鬼が笑うというが、コロナ対策の西村康稔経済再生大臣が対策分科会の後、来年年始の休みを松の内を過ぎた11日まで延長しよと提案した。三密、人込みを分散しようという観点からのようだが、いま、一つわからない。来年は1月4日が月曜日で、コロナ禍退治の年だけに社会の動きも早いと思っていたのに。

戦前の修身教育でで勤勉を旨とした僕ら世代は、現役時代、外国から”workfolic"(仕事好き症)と指さされ悪口を言われた.。テレビCMではないが,モーレツを美徳としてきた。1962年(昭和37年)生まれの西村大臣はその時代は知らない。逆に高度成長、ゆとりの時代に育ってきた。

古くから寝正月という言葉もあるが、仕事始めとい行事もあり、新しい年の計を誓いあった。伝統の行事を単にウィルスというだけで中止するのはどんなもおか。荻生田文科相は学校への援用申し入れを断ったそうだが正しい。西村大臣の分科会は一方では三密に反するとも思える”go toトラベル”を推進しているようにもみえる。菅義偉総理は所信演説で”国のために働く内閣”と述べていたが、月月火水木金金とはいわないが、よろしく。

 


のぞき見の海外旅行(19)シリア 古都半日

2020-10-27 06:13:37 | 2012・1・1

1962年10月、ベイルート滞在中の一日、車をチャーターして、陸路隣接の国シリアの首都ダマスカスを日帰りで訪れた。当時、アラブ諸国のうち、サウジアラビア、イラクは公式滞在ビザは許可されず、シリアも同じだったが、レバノンからの観光はビザなしでも許されていた。早朝、ベイルートを出発、深夜に戻るという忙しい旅だった。

ダマスカスは”世界一古くから続けて人が住んだ"というのが町の名の由来だそうだ。レバノンとの国境にも古代ローマ帝国時代のバールペック大列柱遺跡もあり時間をかけてみたかったが残念ながら、取材はダマスカス旧市内の8世紀のウマイア王朝時代の世界一古いモスク周辺に限られた。

半世紀以上昔もシリアは今と同だった。筆者が訪れてた前年の61年には軍のクーデターで、エジプトとの合邦が解消し、翌63年には今のバース党(アラブ社会復興党)による革命も起きている。文字通り、のぞき見だったが、古都の反日が懐かしい。


たかが競馬でもコントレイルの無敗三冠快記録

2020-10-26 05:44:55 | 2012・1・1

昨日の中央競馬菊花賞は福永祐一騎手騎乗のコントレイルが皐月賞、日本ダービーについで無敗で三冠を制した。1984年のシンボリルドルフ、2004年のディ―プインパクトににつぐ史上3頭目で、しかもディ―プインパクトとは父子二代の快挙である。このところ毎日が「コロナ」禍報道で食傷気味の新聞も珍しくコントレイルの勝利を一面に写真入りで扱った。

私事で恐縮だが、1970年代のハイセイコー時代からの競馬ファンで、昨年前まで大きなレースのA-1だけ僅かな小遣い銭で馬券を購入していたが、今年に入ってコロナ禍が出はじめたこともあり思い切ってやめた。加齢と共に新しいものへの挑戦の気力が失われてきたこともあった。テレビの実況中継もみなくなり関心もなくなったが、たまたま昨日の菊花賞はコントレイルの前評判から中継をみた。たしかに強い馬だ。ゴール前のルメール騎手のアリストテレス号とのムチのたたき合いは圧巻だった。

コントレイルがこれからどんな記録をつくるか楽しみだ。だが、半世紀前のあの「ハイセイコー」ブームのような社会現象にはなるだろうか。ハイセイコーはコントレイルのように記録をつくる強い馬ではなかったが,逃げて逃げての逃げぷりが、あの時代の共感を呼んだのかもしれない。フォークソングのはしり、「走れコータロー」もそうだが、あの時代は高度成長時代に向けてまっしぐらえあった。コロナ禍時代、コントレイルががウィルス除去先駆の名馬としての名前を後世に残してもらいたい。


のぞき見の海外旅行(18)レバノン 中東のパリだった

2020-10-25 04:16:50 | 2012・1・1

レバノンの首都、ベイルートというと長期の内戦(1975年ー91年)で廃墟と化した町の印象が強いが、かってはフランスの植民地、地中海貿易で栄えた”中東のパリ”と言われた。その最後の頃の1962年、筆者は1週間滞在隣国シリアとあわせて取材した。

ローマ帝国時代レバノンはフェニキアと言い、国旗にも描かれている杉の産地であり積出港として繁栄した。もともと地名のBeruthは泉を意味するそうだが、砂漠の多い地帯ではオアシスでもあった。筆者は青空に地中海の青さ、瀟洒な白壁の家並みに感激したものだ。カジノを取材、冬にはスキー場になる地帯まで足を伸ばし、酔い覚ましに飲んだ屋台のザクロ.ジュースが今でも忘れられない。

レバノン人はフェニキアの昔から商にたけているそうだが、日産自動車のゴーン元会長もレバノン出身、今ベイルートに滞在いているそうだが、今年(2020年)8月、港に保管中の硝酸アンモニューむが爆発180人もの犠牲者が出ている。風光明媚な地でも物騒では。


長すぎる"横ばい微増”のコロナ感染対策

2020-10-24 05:49:42 | 2012・1・1

東京都のコロナ.ウィルスの新規感染者数は昨日23日186人、一昨日の185人と文字通り”横ばい微増”(厚労省専門会議)である。これをどう判断するか。我が家の購読紙は社会面の片隅でベタ見出しで扱っている。別の面で世界の感染者数を表にして掲載していたが第一位の米国の8万人に比べればケタ違いに少ない。

昨年暮れに武漢から発した新型コロナ.ウィルスは早くも1月にはダイヤモンド.プリンセス号に乘って横浜に上陸、それから数えれば日本での”with コロナ”の生活は10か月に及ぶ。4月から5月にかけての非常事態を挟んで国は感染拡大防止策をとり、幸い欧米のような感染大爆発はない。しかし“一進一退”WIthコロナ“の生活が長すぎる。

コロナ禍の経済効果をねらった”go to○○”は理解できないではないが、どうも感染拡大防止にに水を差しているように思えてならない。老人のヒガミからであろうか。三密順守を言いながら、人が動けばウィルスが拡散するように思えるのだが。しかし、一方では来年の正月休みを11日まで延長しようという。矛盾していてよくわからない。在宅介護老人は”withコロナ”は毎日閉じこもり生活が続きフレイル度が深まるだけだ。いつまで横ばい微増の状態が続くのか。それならそれなりの長期対策が望ましい。老人ホームでは在所者が家族と直接面会できないところもあるという。人権問題だ。


のぞき見の海外旅行(17)UAR(エジプト) 5000年の歴史

2020-10-23 05:27:25 | 2012・1・1

昭和37年(1962年)10月筆者は羽田空港から大勢の友人知人に送られてアラブ諸国歴訪へ”鹿島立ち”した。海外渡航が許可される前、まだそんな風景であった。UAR(アラブ連合)航空という今はない国の当時最新鋭のジェット機(80人乗り)に搭乗、最初の目的地カイロまで、途中香港、バンコク、ボンベイ(当時)、アスラマ、マナーマで給油、20数時間に及ぶ長旅であった。

エジプトは数年前シリアと合邦、62年にはシリアは離脱いていたが、国名はUARのままで、ナセル(初代大統領)体制全盛下であった。しかし、スエズ戦争から数年たち欧米との関係も改善し始め僕らが泊まったホテルはナイル河岸の新装のヒルトンであった。が、街並み昔のままで高層建築物はカイロタワーだけだった。筆者は観光を兼ねて車をチャーターして郊外のギゼにあるピラミッドやスフィンクスを取材した。アレキサンドリアまで足をのばし、5000年のローマ文明の跡をかいまみた。

スエズ運河では日本の企業がスエズ戦争(56年)で運河に沈んだ船の引揚作業に参加していた。一面の砂漠をバックにサルベージ船の艦首に翻る日の丸の旗をみて感激したのを想い出す。思えば敗戦から20年足らず、国をあげて復興へと元気一杯の時代であった。

 


のぞき見の海外旅行(16)アラブの国々9か国

2020-10-22 06:35:38 | 2012・1・1

今回からアラブの国々8か国ののぞき見に入るが、これは筆者が昭和37年(1962年)勤務していた新聞社の移動特派員として新年記事取材のため歴訪した際の記憶である。筆者とカメラマンは10月羽田空港を発ち、約3か月、当時存在したUAR(アラブ連合共和国)の首都カイロを起点にレバノン、シリア、アデン、イエメン、UAE(現在)、クウエート、カタール、バ―レーン9か国を訪れた。

半世紀以上昔のことであり,当時の情勢について一言、説明を要するかもしれない。エジプトのナセル(初代大統領)政権とシリアのバース党政権は昭和32年合邦してUARという新国家を設立したが、36年シリヤは離脱した。しかし、エジプトはUARの国名のままであった。イエメンも一時UARと結びついたが37年の革命で解体していた。アデンは英国の直轄植民地でり、UAEは「休戦海岸」という名の保護領だった。

筆者は平成20年、ドバイのエミレーツ航空のアハマド会長の招待で46年ぶりにUAEを訪れているが他の地域は再訪の機会がないのア残念だ。