「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       小泉進治郎議員 後指は指されないように!

2010-10-31 06:07:01 | Weblog
最近の若い世代の日本人は身振り手振りのゼスチュアが派手になってきた気がする。また挨拶などにしても握手に始まって、僕らの世代ではとてもテレテレして出来ないハグを人前でする者も出てきた。それと同列なのかもしれないが、昔は失礼とされてきた他人を指さしながら平気で会話する若者もみかける。

先日の新聞で蓮舫行政改革担当相が国会で質問に立った自民党の小泉進治郎議員が蓮舫大臣を指さして質問したのに対して”人を指さすのは止めたほうがよい”と注意したとあった。これを読んでこの点に関しては僕は蓮舫大臣に同感賛成である。僕は前から気になっていたが、NHKの若い女性アナの中にも平気で人を指さして会話している。子どもの時から他人を指差して話をするのは失礼だとしつけられてきた僕には見るに耐えない。

この習慣は日本の古来からのしつけと思っていたが、調べてみると世界共通のものであるらしい。英国では人を指差すのはハリ・ポッターではないが、魔法をかける行為として嫌われているそうだ。また回教諸国でも他人を侮辱するしぐさとされているという。わが国独特のものではないのだ。

日本では”後ろ指をさされる”という言葉もある。三省堂の「慣用句ことわざ」辞典によると”陰で非難されたり悪口をいわれること”とある。小泉進治郎議員は蓮舫大臣から後指をさされたのではない。表面から注意されたのである。その点はもって銘すべきかもしれない。好漢だけに後指だけはさされないように!

         岡崎トミ子国家公安委員長の国籍

2010-10-30 06:18:23 | Weblog
岡崎トミ子国家公安委員長が28日の参院内閣委員会で自民党の西田昌司議員の質問に答えて外国人慰安婦の名誉、尊厳回復のため個人補償をも検討したい旨答弁した(産経新聞)という。もしこの報道が事実なら岡崎大臣の答弁は政府の立場を逸脱するもので、こんな人物を大臣に任命した菅総理の責任は問われるべきだ。

岡崎大臣は平成15年2月ソウルの在韓大使館前で韓国の慰安婦支援団体(挺身隊問題対策協議会=艇身協)主催の反日デモに参加、デモ隊と一緒に×印のついた日の丸に拳を突き上げ抗議した女(小ブログ9月19日)だが、今回の内閣委員会での発言は、まさにこの艇身協の要求を代弁したものだ。大臣の国籍が問われても仕方がない。

日本政府の外国人慰安婦補償に対する立場はサンフランシスコ条約と二国間条約(日韓基本条約)に対応しており、個人補償には応じないことだった。しかし、村山富市総理(社会党)時代におかしな謝罪をして「アジアのための平和基金」を創設した。そしてこの基金を通じて慰安婦個人に償い金を出し、総理からの謝罪の手紙を送った。台湾、フィリッピンは全員これを受諾し、韓国でも7人の慰安婦が受け取った。が、艇身協に属する82人(生存)は、これを拒否している。その理由は日本政府が”性的奴隷制度”を国家犯罪として謝罪しないからだといわれる。

岡崎大臣はかって自身も所属していた社会党の村山・元総理が創設した「アジア女性基金」を理解しているのか、それとも反対なのか解らないが、どうもおかしな屈折した慰安婦理解の持主だ。多分、勉強不足なのだろう。慰安婦問題をきちんと整理してある秦郁彦先生の「慰安婦と戦場の性」(新潮選書1999年)を是非熟読することをお勧めする。

          72年前,昭和13年10月も寒かった

2010-10-29 06:45:42 | Weblog
やはり異常気象である。ついこの間まで猛暑で悩まされていたのに昨日の東京はうって変わって12月の寒さである。一日の最高気温が10・4℃というのは72年前、昭和13年以来の記録だという。わが家では早速、しまってあった電気炬燵を引っ張り出し、僕も厚手のセーターに手を通した。

昭和13年10月、僕は小学校2年生の子どもで、ほとんど寒かった記憶はないが、武漢三鎮陥落を祝った町会の提灯行列に参加したが、雨が降り出し寒かったという遠い記憶がある。亡父が残した日記によると、この年は雨が多く、12日から16日まで連続5日間も続き気温も低かった。毎日のように日記のはしばしに”今日も寒い”という字が書いてある。残念ながら、いつ最低温度を記録したかはわからないが、23日には”今日から袷(あわせ)を着る”という文字がある。

10月だけではない。調べてみると、この年は気象災害の非常に多い年であった。7月1日から5日には阪神地方に暴風雨が襲来、六甲山の土石流などで708人が死亡。8月31日から9月1日にかけては関東、甲信越、東北の広い地域がやはり暴風雨の被害にあい死者行方不明200名以上。さらに9月5日から7日、西日本が10月10日、それぞれ台風で497人も犠牲者が出ている。

今年も奄美大島で長雨によるがけ崩れなどで未曾有の被害を受け、さらに台風の襲来である。このような異常気象は原因は何なのか。難しい横文字の名前がつく赤道近くの海水の異常高温によるものだと聞くが本当なのだろうか、インドネシアではムラピ火山の大爆発と西スマトラ沖の地震による大津波で1000人もの犠牲者が出ている。これも異常気象に関係があるのだろうか。

     「新高齢者医療制度」は民主党政権のまやかし

2010-10-28 05:48:56 | Weblog
「後期高齢者医療制度」に代わって平成25年から実施される新高齢者医療制度の骨格みたいなものが厚労省から示されたが、正直いって新聞で読む限り後期高齢者には解らない。理解出来たのは、民主党が昨年の選挙で政策公約に掲げていたものとは、ほど遠いものだということだ。結局、民主党は出来ぬことを、あたかも出来るといって年寄りを騙したのだ。

新制度によると、僕の場合は国民健康保険に移行することになるが、現在支払っている「後期高齢者保険料」(年間約32万円)が減額になる保証はないし、医療機関への窓口負担3割が元の1割に戻ることはまずありえない。少なくとも3年先の平成25年までは今のままである。

新制度を伝える新聞の中に大きな見出しで"会社員9万4000円負増、現役にしわ寄せ”とまるで新制度によって現役だけが犠牲になるかのような記事があった。しかし、よく読んでみると、これから15年後の平成37年の保険料についての厚労省の試算にすぎない、この試算では高齢者は6000円減額になりそうだが、15年先まで果たして僕はこの世にいるかどうか判らない。

多少年金以外に収入があるがために僕は"現役なみ”と認定され、3割の窓口負担を支払っているが、一定以外の収入しかない年寄りにとって1割と3割では受ける負担感が随分違う。保険の性格上、お互いに助け合うという精神は理解できるが、後期高齢者は後期高齢者である。新聞報道によると、厚労省は介護保険まで"高額所得者”の自己負担率を上げようとしているらしい。民主党の政治主導によるものかどうかは知らないが、昨年の選挙前「後期高齢者医療制度」は"ウバ捨て山、即時廃止”と絶叫していたのは、どこの政党か。無責任きわまる。

     TPP参加 日本農業は果たして大丈夫なのか

2010-10-27 06:34:22 | Weblog
前原誠二外相が昨日TPP(環太平洋戦略経済連携協定)参加について”政治的に待ったは許されない”と積極的に参加への意思を表明した。どうやら来月のAPEC(アジア太平洋経済協力)会議にむけて、さらにアクセルを踏み込んだようだ。しかし、これをめぐって与党、民主党内でも反対意見が強いみたいだ。どうも、この党は国の存続にもかかわる重大問題を"場当たり"的に決定する傾向があるみたいだ。

確かに菅直人総理は就任所信演説の中でTPP参加には触れてはいるが、その時点でどれだけの国民がTPPについて理解し、事の重大さを知っていただろうか。大方の国民がTPPという言葉を知ったのは、先日前原外相がTPP参加について"日本はGDP(国内総生産)1・5%の農業保護のため残り95・5%の産業を犠牲には出来ない”とあたかも農業切り捨てとも思われる発言をしてからだ。

この前原発言をめぐって当然のことながら筒井信隆・農業副大臣が抗議、党内からも強い反発が出てきているようだ。先日の参院予算委員会でも与党の川上義博議員が”TPP参加について党内で熟議、相談ができているのか”と菅総理に質問し野党から拍手を受けていた。

農水省の試算によると、日本がTPPに参加すると、国内の農業総生産は4兆1000億円も減る。これは2007年度の農業総生産の48%に匹敵する額である。そして食糧自給率は14%にも下がる。いってみれば、日本の農業は壊滅状態になってしまう。民主党の昨年衆院選の政策決定による農家への戸別所得補償制度なんかではとても及ばない。日本の食糧安保にかかわる問題である。時には政治的な待ったも必要である。

         ”一葉落ちて天下の秋”の民主党

2010-10-26 06:50:10 | Weblog
菅内閣発足後初の国政選挙であった北海道五区の補選で自民党の町村信孝氏(元官房長官)が完勝した。これについて仙谷官房長官は”一補選の勝敗で一喜一憂することはない”と強気な発言をしていた。果たしてそうだろうか?10月末の北海道はそろそろ枯葉の頃である。民主党は"一葉落ちて天下の秋”を知るべきである。

10月末の北海道は街路樹の”ななかまど”が真っ赤に染まり、山の木々も紅葉から落葉の季節に入る。最後の行楽の季節だったのかも知れないが、五区の補選の投票率は5割ちょっとと低かった。昨年の選挙より2割も低かった。その理由の一つは民主党に好意的だった無党派層が"政治のカネ”をめぐる民主党に愛想をつかしたからであろう。この選挙区は自衛隊のある千歳、恵庭を除けばいつも民主党が勝利していたが、今回は民主党の大票田である札幌市厚別区でも負けている。

町村氏は知名度からいって民主党の新人候補に3万票の差をつけるぐらい当然かもしれない。しかし、選挙民がこれだけ”よろめき”続けている民主党に9万票も投じたということは、ある意味で僕にとっては驚きだ。まだ民主党の改革に期待を寄せているのも事実であろう。それは何か、冷え切ってしまっている北海道経済の回復である。

かって僕は冬の五輪の頃、札幌に10年間勤務したことがあるが、あの時代の札幌は地下鉄が出来、地下街が出来、まさにトワエモアの歌「虹色のバラード」みたいに活気があったが、友人に聞くと、いまはその都心の地下街にさえシャッターがおりている店もあるという。民主党の敗因は”選挙とカネ”ばかりではない。経済の無策にもある。

          シーク教徒インド首相の訪日に思う

2010-10-25 06:58:34 | Weblog
インドのマンモハン・シン首相いま来日している。日印両国間ですでに基本的に合意を得ている経済連携協定(EPA)について菅総理はじめ閣僚との間に最終的なツメの打ち合わせをするのが来日の目的だが、僕はこの機会に改めて歴史的な日印の友好関係を回顧し友好の絆をいっそう深めるべきだと思う。

世界的にインド人といえば、髭をのばし長髪にターバンをまいた姿が目に浮かぶ。この容姿のインド人はシーク教徒であって、実際には全インド人の中で2300万人しかいないが、昔から特異な服装と勇敢な性格で知られている。マンモハン・シン首相は、まさにそのシーク教徒である。シーク教徒は名前に男は「シン」(ライオン)女性は「カウル」(王女)を名乗る。

インド独立にさいし、二人のシーク教徒が日本軍に協力して活躍した。一人は戦前から藤原岩市少佐率いるF機関と連絡をとり、マレー・シンガポール作戦を成功に導いたINF(インド独立連盟)のプリタム・シン書記長でもう一人は、戦争緒戦で日本軍に捕虜になった英印軍を一つにまとめてINA(インド国民軍)を創設して初代の司令官になったモハン・シンである。不幸にもプリタム・シンは昭和17年3月、東京で開催されたインド独立会議に招かれ来日のさい、乗っていた飛行機が焼岳に衝突不慮の死を遂げた。一方のモハン・シンは戦争の途中、日本の参謀本部と意見があわず逮捕され、流刑されているが、彼の協力がなければ日本の緒戦の勝利はなかった。

二人だけではない。インド独立にさいして日本が協力した独立の志士にはチャンドラ・ボース、ビハリ・ボース氏もいる。チャンドラ・ボースもインドの独立を待つたず台湾の松山飛行場で、これまた不慮の死を遂げている。先人たちの友好の心を大切にしたいものである。

             近習平と岡田克也

2010-10-24 07:00:58 | Weblog
先日の中国の五中全会で胡錦涛主席の事実上の後継者に押された近習平氏が早くも精力的にインドネシアなど東南アジア諸国を歴訪してイいる。昨年暮、来日して天皇陛下との表敬訪問をめぐって話題を投げた近習平氏だが、今年の6月にはバングラデシュ、ラオスからオーストラリア、ニュージランドと”お披露目”行脚に忙しい。

日本の新聞にはほとんど報道されていないが、尖閣諸島の"領土問題”で日本に圧力をかけてきた直後の東南アジア訪問である。インドネシアにも中国との間に南沙列島をめぐって"領土問題”が存在している。両国間でどんんな話会いが持たれたのであろうか。

近習平の活発な動きに比べて同じ1953年(昭和28年)生まれの民主党のかってはプリンスと呼ばれた岡田克也幹事長は、このところ何をやっているのか影はうすい。前幹事長の小沢一郎氏は、昨年、当時の鳩山由起夫総理(代表)を押しのけて100数十名もの郎党を引き連れて北京詣でをしたのとは対照的だ。

今、開催中の国会は、その小沢氏の相変わらずの"政治とカネ”をめぐる小沢氏の国会喚問でニッチもサッチも行かなくなっている。菅総理も決断力がないが、岡田幹事長もそうである。一声小沢氏に対して、党から出て行ってくれ、といえばよいのだ。国家の予算が通らなければ、政治は前に進まない。"政治とカネ”の問題でいたずらに時間が空費されている現状打破のためには、岡田氏の決断が必要なのだ。中国でも世代交代が進んでいる。もう小沢氏は過去の政治家である。

        国民感情が許さない朝鮮学校無償化

2010-10-23 06:04:41 | Weblog
朝鮮学校へも高校授業料無償化を適用してもよいという文部科学省専門会議専門会議の基準案を民主党拡大政調役員会が了承したという。この基準案は文科省で検討し来月中に結論をえたうえ、年内にも実現の可能性が出てきた。実現すれば朝鮮学校生徒に対して4月にさかのぼり一人当たり11万8800円が支給されることになる。

この政調会の決定について鳩山前総理は”当然のこと”と言っているそうだ。変な"友愛”政治家だから当然なのかもしれない。菅総理は例によって煮え切らない態度で"文科省の最終的な検討待ちだ”と風見鶏みたいなことをいっている。

僕を含めて恐らく大部分の国民が不審に思っているのは文科省の専門会議だ。いったいどんな顔ぶれなのか、その構成も判らない。そして、どんな理由から朝鮮学校の無償化する結論になったのかも明らかにされてない。たしか鳩山前内閣の川端前文科省は、会議が終われば専門家の名前を公表すると言っていたはずだがー。民主党は”透明政治”を唱えていたと思っていたがおかしい。

金正日の北朝鮮の強い影響下にある朝鮮総連が関係して、特別な民族教育を行っている朝鮮学校に対して何故国の公金を投じるのか。拉致問題解決に対していっこうに誠意をみせない不法国家の事実上の学校である。普通の日本人なら誰がどう考えてもおかしな話である。朝鮮学校の無償化は日本人の国民感情が許さない。”当然のこと”と考えている鳩山さんは、おかあさんから頂戴した私費を差し出せばよい。

       羽田は潮干狩りの名所だった!滄桑の変

2010-10-22 05:34:07 | Weblog
羽田空港が昨日から4番目の滑走路の運用が始まり、32年ぶりに國際空港として生まれ変わった。僕は昭和37年11月、初めて海外旅行した時、飛び立った想い出の空港である。まだ海外渡航が一般には許されていない時代で外国旅行は一大事であった。僕は会社の同僚や家族、友人多数に手を振られ、当時新鋭のジェット機だったコメットのタラップを上ったのを昨日のように覚えている。

ここに一枚のセピア色の集合写真がある(写真)。キャプションには「昭和18年3月羽田沖の潮干狩り」とある。僕が国民学校(小学校)卒業記念に潮干狩りに出かけた時のものだ。戦前、羽田と言えば、飛行場というよりも、穴森神社と潮干狩りの名所として市民には知られていた。

今も羽田空港の入口に赤鳥居が残っているが、あれは戦前あった穴森神社の跡で、あのあたり一帯で潮干狩りが出来た。多摩川の支流、海老取川の河口で、文字通り海老がたくさん取れ、秋口にはハゼやチンチン(黒鯛の子)が簡単に釣れたものだ。神社近くの船着場からは川崎大師行きの乗り合い観光船も出て賑わっていた。昭和の10年代初め頃の話である。

今回、新しく完成したD滑走路付近は羽田といっても昔、僕らが潮干狩りや釣をした地域からは、はるかに沖合である。中国の昔の諺に「滄海変じて桑畑になる」というのがあるが、まさに羽田はその現代版である。