「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         ” 後期”末期症状の鳩山内閣

2010-05-31 05:25:48 | Weblog
朝日新聞の緊急世論調査によると、鳩山内閣の支持率がついに最低の17%に落ち込
んだ。この調査は普天間基地の辺野古への移設が閣議決定された後の29,30日に電
話で行われたものだそうだが、鳩山内閣発足時、民主党の機関紙とさえ、いわれた朝
日の調査でもこの凋落ぶりだ。僕からみれば、これでもまだ支持率は高い感じがする。

歴代の支持率ワースト・テンを調べてみたら1位は竹下内閣の4%、2位の宇野内閣の10
%というのがあるが、これは特種の状況下でのもの。最近では麻生内閣の13・4%、福田
(康)内閣15%、森内閣の16・8%というのがある。鳩山内閣の支持率は発足時の昨年10
月には71%もあったのが今や17%だ。多分降下率ではワースト・ワンだろう。

民主党支持層で鳩山内閣を支持するのは58%、半分近くが支持していない。新聞報道に
よると、民主党支持団体の全自治労が公然と普天間基地移設に関する日米政府間の合
意に反対を表明している。昨日もテレビを見ていたら、これまた民主党支持母体の全労北
海道が、米海兵隊の矢印別・自衛隊演習場での実弾演習に抗議して釧路市内をデモ行進
していた。鳩山総理は先日、全国の都道府県知事を集めて、沖縄の負担軽減を訴えていた
ばかりだ。

申訳ないが、この不人気の鳩山総理の顔をテレビの画面でみたくなくなっててきた。これだ
け自分の発言に責任を持たず迷走を続ける政治家である。どんな高邁なことを言っても国民
は誰も信頼しなくなってきた。まさに”後期”末期症状である。




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         檀家とお寺との関係

2010-05-30 04:40:12 | Weblog
菩提寺の先代の梵妻が96歳のご高齢でお亡くなりになり、昨日老妻と一緒に葬儀に
参列した。わが家の菩提寺は東京の浅草にある。徳川時代からある古刹で、お寺の
前の墓地には、昔、修身の教科書に師弟愛として取上げられた江戸時代の地理学者、
伊能忠敬、高橋至時のお墓が並んでいるし、侠客、幡隨院長兵衛のお墓もある。

葬儀は午後1時からお寺の本堂で行われたが、今にも降り出しそうな空の下、正門か
ら本堂まで50㍍ほどの境内には行列ができ、一部は外の歩道にまではみだす盛儀で
あった。最近、東京などの都会では葬儀は年々簡素化され、家族葬や中には火葬場で
僧侶なしの密葬まであると聞くが対照的だ。

葬儀は人生最後のお祀りである。出来れば盛大に葬儀を行いたいが、葬儀にかかる費
用が高すぎる。数年前だが近所の人の勧めで、老妻が生前からの積み立て制による葬
儀会社に入会しようとして娘から叱られた。老妻としては、遺族に経済的な負担をかけさ
せたくないという気持からだったのだが。

わが家はごく一般的な仏教徒だと思っている。菩提寺といってもお墓参りするのは春秋の
彼岸とお盆だけだ。ただ、ここ数年は老妻がお寺の行うお施餓鬼とお十夜の法要には参
列することにしている。これだけのことだが、最低限のお寺さんとのお付き合いは出来て
いると僕は思っている。

よく人の死後、戒名代が高いとかお墓への埋葬代をめぐってお寺と檀家とのトラブルの話
を聞くが、ほとんどが普段、お寺さんとのお付き合いがない”檀家”のようだ。わが菩提寺
は明治維新という社会変革を経て、大正大震災、東京大空襲の被害にもあっているが、梵
妻のご葬儀の参列者の多いのに驚いた。檀家との関係がうまくいっているのだろう。

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       解けなかった普天間”連立方程式”

2010-05-29 05:44:00 | Weblog
”普天間基地移設は日本と米国、沖縄、連立三党との四元連立方程式のようなものだ。
スーパー・コンピューターでも解けない”-今年の1月頃だったと思うが、菅直人副総理
が国会で他人事のように言ったのを覚えている。昨日の鳩山内閣の辺野古移設への閣
議決定と、これに伴う社民党党首の福島瑞穂・消費者担当相の罷免は、まさにその通り
の結果である。

鳩山総理は菅副総理と同じ理科系出身の政治家である。文系に比べてもっと論理的な
思考の持主だと思っていたが、この数か月間の鳩山総理のまったく支離滅裂な迷走ぶり
を見ていると違っていた。四元方程式の一元は排除されたが、依然解決の糸口も見えぬ
ままの状態である。

鳩山総理は最初から方程式の立て方が誤っていた。もっと問題を簡素化して前政権の現
行案は定数としていじらず、その上にたって沖縄の負担軽減を変数とした方程式を作成す
べきだったのだ。問題解決が難しいのに、四元という複雑な方程式をたててしまったのが
そもそもの誤りだった。

北沢俊美・防衛相は鳩山内閣発足当初から普天間基地の移設は辺野古以外にはないと
言ってきた。菅副総理も四元方程式発言でも見られるように、鳩山総理の解決法には疑義
を持っていた。にもかかわらず、実のない迷走をし続け、いまだに解決の出口もみえない。

昨夜の鳩山総理の記者会見をみて、大方の国民は、国の政治の舵取りをこの男に任せて
大丈夫なのか、改めて危険に感じたのではなかろうか。同じ思いの閣僚もいると思う。辞め
るよう直言すべきである。
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        日本海海戦とマレー沖海戦

2010-05-28 05:02:26 | Weblog
105年前(明治38年)5月27,28日は日本海軍がロシアのバルチック艦隊を
日本海海戦で一方的に撃破し、日露戦争の勝利を決定づけた日である。敗
戦までは27日は「海軍記念日」として祝ったが、戦後は大東亜戦争への変
な”罪意識”からか国民の間から忘れかけはじめてきている。

僕らが子どもだった昭和10年代は、日露戦争が終わってまだ40年とは経っ
ていなかったから、周りには従軍した老人も沢山いた。学校でも日露戦争
を扱った教材が多く、今でも"皇国の興廃この一戦にあり”とか”天気晴朗
なれども波高し”といった日本海海戦時の言葉がすらすらと出て来る。東郷
平八郎司令長官や海戦には直接関係はないが、旅順港封鎖作戦で艦内で
不明になった部下(杉野兵曹長)を探そうとして戦死した、軍神、広瀬中佐
の話は文部省唱歌にもなっていて誰でも知っていた。

昨日朝のNHKラジオの”きょうはなんの日”で日本海海戦があった日と紹介
していた。”戦争”について変に敏感なNHKについては珍しいことだが、これ
は多分,司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公、秋山真之が日本海海戦の先
任参謀として活躍していた話と関係があるのかもしれない。

歴史は正しく伝えられるべきである。若い世代が日本海海戦に改めて関心を
持つことは良いことだ。残念なのは日本海海戦にも匹敵する意義を持つ大東
亜戦争緒戦時のマレー沖海戦の勝利が、今では一顧だにされず忘れさられて
しまったことだ。第二の司馬遼太郎の出現を期待する。

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         「かりゆし・ウエア」のプレゼント

2010-05-27 05:38:17 | Weblog
沖縄県の安里カツコ副知事が先日、首相官邸を訪ね鳩山総理に青色の「かりゆし・ウエア」
を贈ったという記事を読んだ。短い記事なので、何のためにこの時期にプレゼントしたのか
不明だが、総理は6月1日から始まる"クール・ビズ"初日に、この「かりゆし・ウエア」を着ると
約束したそうだ。大丈夫かな。この約束。

「かりゆし・ウエア」はwikipediaによると、1970年頃から沖縄への観光客誘致のためホテルな
どの業者が着始めたアロハを模したシャツで「かりゆし・ウエア」と命名された1990年から人
気が出て2000年の九州・沖縄サミットでは世界の首脳もこれを着用した。琉球伝統の織物を
使いゴーヤとかシークワサ、シーサなどの沖縄独特の模様をあしらったものが多い。「かりゆ
し」とは沖縄の言葉で”めでたい”とか"自然との調和”といった意味がある。

鳩山総理は今月2回の沖縄訪問のさい「かりゆし」まがいのシャツを着ていた。最初は黄色
二度目は無地の薄ねずみ色だったが、安里副知事が贈ったのは青色。このプレゼントには何
か特別な意味があるのだろうか。僕には”本物の「かりゆし」はこれですよ”という意味合い、つ
まり沖縄のことをもっと勉強して下さい、という信号のように思えるのだが。どうだろう。

”君子豹変す”という言葉がある。鳩山総理が君子であるかどうかはしらないが、野党時代には
あれほどかたくなに”クール・ビズ”を拒否し、真夏でもネクタイ姿であった。これほど豹変する政
治家も少ない。
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           後期高齢者と「iPad」

2010-05-26 05:59:10 | Weblog
米国アップル社の携帯情報端末「iPad」が28日から日本でも発売される。米国
では今年4月に発売されたばかりなのに、すでに100万台売れており、品不足
気味だという。日本でも「iPad」時代がやってくるのだろうか。

「iPad」は携帯電話とノートパソコンの機能を一つにしたような新しい端末で、一
つの特徴はキーボードなしに、ただ画面に触れるだけで操作できるのだという。
実際に操作したわけではないが、器械に弱い後期高齢者にとっては有り難い。

僕の周囲の後期高齢者のほとんどがパソコンを持っていない。パソコンどころか
FAXさえない。携帯はもっていても電話機能しか知らない者が多い。現役時代に
ワープロに乗り遅れた世代、というよりキーボードの操作が苦手で面倒だという
世代である。これがタッチパネルだけで操作できるとなれば福音である。

自分の体験でいうと、たしかにパソコンは高齢者のボケ防止にはよい。使いだす
とパソコンなしの生活はありえなくなる。おそらく「iPad」はこれまでのパソコンより
便利な機能を沢山備えていて、これからの情報機器の主流になってくることだろう。

キーボードの操作のいらない「iPad」は後期高齢者でも宣伝のやり方では普及す
るかもしれないが、問題は価格だ。本体は5万円から10万円ぐらいだそうだが、操
作に付帯するおカネもかかる。年金生活者にとっては"老人手当て”でも貰わない
と簡単には買えない。

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       5月24、25日の東京山の手空襲の頃

2010-05-25 04:55:44 | Weblog
昭和20年5月24,25日、東京の山の手は二日連続してB-29の大群の襲来を受け、
新宿、渋谷、池袋などの繁華街は投下された爆弾、焼夷弾でほとんど壊滅状態に
なった。24日の空襲では762人、25日の空襲では3651人も犠牲者が出ているが、3
月10日の下町大空襲の被害があまりにも多きかったため、東京生まれ、東京育ち
しかも空襲を体験している僕でも当時の空襲の全容はわからない。

24日の深夜、今も住んでいる僕の家の裏の道にもB-29の落とした焼夷弾の破片
が落ちてきて父母と一緒に水をつけた火叩きで消した。幸い大事にはならなかった
が”ザワザワ”という焼夷弾の落下音は今でも耳に残っている。しかし、この夜の空襲
について、僕は自分の住んでいた狭い地域のことしか知らない。いわんや25日の空
襲で大被害が出ていたことなど当時はまったく知らなかった。

亡父の日記によると、この二日間の空襲で東京の電気、交通網などのインフラは完全
に破壊され、6月2日までの12日間、電気の供給はストップ、ラジオも聞けない生活が
続いている。新聞も3日間は発行されず、4日後に四社共同の号外みたいな一枚の新
聞が発行されたが、空襲の被害などもちろん報道されていない。

空襲の被害は実際の体験者しか当時は判らなかった。僕が体験した24日の空襲でも
同じ目区内でも大勢の犠牲者が出ていた。戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」
の学徒の一人、住吉胡之吉さん一家6人も犠牲になっていた。戦後この本を読むまで
僕はそのことを知らなかった。体験者が生存している間に、二日間の山の手空襲の全
容を記録として残したいものだ。


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       自民党も黄色のクール・ビズ で抗議を!

2010-05-24 05:51:38 | Weblog
鳩山総理の二度目の沖縄訪問をみて驚いた。仲井真知事との会談のあった県庁前は
総理の約束違反に抗議する反対者の掲げる黄色の「怒」「怒」「怒」のプラカードで埋ま
っていた。黄色は明らかにサッカーのイエローカード、総理の退場を意味する意思表示
だ。当然の抗議である。"最低でも県外”と約束し、迷走を続けたあげくが辺野古移転
現行案への回帰である。

小ブログは鳩山総理の前回の沖縄訪問のさいの総理の黄色の”かりゆし・ウェア"姿が
無神経だと批判した。ちょっと知ったかぶりして”黄色は琉球王朝時代の支配者”の色
だからという視点からだった。が、前回の場合も県民は黄色のシャツを着て黄色のプラ
カードを掲げて抗議集会に参加していた。黄色の抗議は総理のルール違反に対するも
のであったのだ。

鳩山総理は"断腸の思い”で辺野古への基地建設という現行案を決めたという。もしそう
ならば、総理は「洞察力に欠け、責任感もない政治家である」(河上和雄・元東京地検特
捜部長)。米国紙のいうような”おバカさん”(Loopy)である。とてもこんな人物に国の政治
をまかせるわけにはいかない。

自民党の谷垣総裁は鳩山内閣不信任案を国会に提出すという。しかし、数の問題でこれが
可決されるとは思えない。6月からはクール・ビズ着用の季節である。沖縄県民にならって
自民党など野党は黄色のクール・ビズを着て抗議すべきである。心ある民主党員もこの"お
バカさん”を総理の座から降ろすべきである。




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        孫の春の運動会 戦争と平和

2010-05-23 05:16:42 | Weblog
昨日、真夏のような暑い日射し中で老妻と一緒に孫(中三)の運動会の応援にでか
けた。僕ら戦前生まれの東京の人間にとって、この時季の運動会はあまりなじみが
薄いし、季節感がない。運動会はやはり天高い秋の侯のほうが似つかわしい。

東京の運動会が春に行われるようになったのは、何時ごろからであろうか。昭和40
年代、僕ら一家は転勤で札幌に居住、子どもたちは地元の小中学校にお世話にな
ったが、運動会が春なのに驚いた。冬の到来が早く、秋の短い北国では運動会は昔
から春なのだ。

太宰治の作品「津軽」の中で太宰が小守のたけさんと再会したのは、小泊国民学校
(小学校)の春の運動会の会場だった。年譜によると、昭和19年5月下旬である。太
宰はその時の模様を「大戦争の最中にも思えない明るい不思議な宴会だった」と記し
ている。

僕が東京の国民学校を卒業したのは18年3月だが、東京では翌19年6月、太宰が小泊
国民学校の運動会を参観した同じ時期、政府の閣議決定で学童の集団疎開が決まって
おり、秋の運動会は中止になっている。

中三の孫は180㌢近い大男である。思えば敗戦の年、僕も中学3年だったが運動会どこ
ろではなかった。動員先の工場も学校も空襲で焼け、空腹をかかえながら強制疎開地の
建物の取り壊し作業に従事していた。明るく元気に溌剌と走りまわる子どもたち見て、改
めて平和の喜びをかみしめた。
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大東亜戦争と「ブンガワン・ソロ」作詞・作曲・歌手の死(2)

2010-05-22 05:25:43 | Weblog
「ブンガワン・ソロ」はジャワ島一の大河、ソロ川の悠久の流れを歌った叙事詩だが
何故か日本人の心の琴線に触れるものがあったのであろう。戦争中インドネシア各
地に駐留した日本軍兵士のほとんど全員が軍務の合間に、この歌を愛唱していた。
藤山一郎も海軍慰問団員として二回、インドネシアに派遣されいるが、日本の歌の
ほかにいつも「ブンガワン・ソロ」を歌っていたという。

ゲサンも「ビンタン・スラバヤ」という歌劇団の一員として日本軍の慰問に各地を巡業
したが、最後に「ブンガワン・ソロ」を歌うと観客から大きな拍手がわいたと自叙伝の
中で書いている。しかし、一方では日本の軍政を賛美するこんな歌も歌わされた。
              ▽ 八重汐ー南方唱和の歌
                (日本人より原住民へ)
           八重汐の遠つわたつみ 天照らす神の国より
          大みことかしこみまつり みいくさの船を進めて
              はらからとここにつどえり
               (原住民のこれに答えて)
           日の本はアジアの光 すめらぎの大御心を
          おろがめる民草われら みんなみの椰子の島より
              まことば誓いまつらん 

1997年2月、僕は戦争中ソロの侯地事務所に勤務していた知人と一緒にゲサン宅を訪
ねた時、歌の好きな知人が、この「八重汐の歌」を歌うと、ゲサンも”原住民のこれに答
えて”の節を朗々と和した。この知人も数年前亡くなった。もう「八重汐の歌」など知ってい
る日本人もインドネシア人も何人いるだろうか。でも「ブンガワン・ソロ」はゲサンが亡くなっ
た後も両国民によって歌い継がれていこう。ゲサンの「ブンガワン・ソロ」と友情に感謝して
合掌。

 
           
  
  
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