「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

森喜朗五輪組織委会長は身を引いたら

2016-09-30 06:30:42 | 2012・1・1
2020年の東京五輪パラリンピックの開催費用などを検証する東京都の都政改革本部から、これまででゆくと開催費は3兆円を超すと指摘、都の外郭団体である五輪組織委員会(森喜朗会長)に対する指導監督を強化すべきだと提言した。そして、具体的に「海の森水上競技場」(ボート.カヌー会場)の宮城県移転など3会場施設の見直しを明らかにした。これに対して、森会長は”組織委は都の下部団体ではない。知事の独断専行”だと反対を表明しているという。

どうも、今回の五輪は開催前からエンブレムの問題など言葉は悪いがケチつきである。前回1964年の開催時とは違う。あのときは国全体が開催に向かって盛り上がっており、費用が掛かりすぎるとか文句を言うものは少なかった。前回の組織委会長は忘れていたが、安川第五郎氏という財界の重鎮であり、都知事は大会会長で医学界出身の東龍太郎氏だった。当時、都から組織委に対して補助金がいくら出ていたか知らないが、安川氏が中心になって財界から拠出していた。

森会長は、元総理という肩書で会長をされているが、森氏には悪いが、これが逆に災いしているのではないか。総理時代、失言が多く、国民の支持率が低かった。それに"容貌”からくる誤解からか国民の受けが悪い。前回五輪の時も五輪決定時の組織委会長は津島寿一氏だったが、インドネシアの五輪規定を無視した新興国スポーツ大会に選手を送らざるを得なかった責任を取り、辞任された例もある。途中退陣の前例もあることだ。あまりにも組織委をめぐってゴタゴタが多すぎる。国民が喜んで五輪を迎えるために森氏は身を引くべきである。
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小池百合子知事の改革力に期待

2016-09-29 06:35:48 | 2012・1・1
首都といいながら一地方自治体のトップにすぎない都知事の議会での所信表明演説がこれほど脚光を浴びたことはなかったのでは。同じ日に国政では参院本会議で野党第一党、民進党の蓮舫代表の代表質問があり、いずれもテレビで中継放送されたが、恐らく視聴率的には”月とスッポン”ぐらいの違いがあったのではないか。

小池知事の所信表明演説は堂々としていた。冒頭に今、都民最大関心事の豊洲の問題を持ち出し、都民ファーストの視点にたって真相解明に当たりたいとし、「都政改革本部」によって五輪.パラリンピックについても実態調査を行うと、言明、今日その報告書が発表にになる。伝えられる報告書によると、東京五輪の費用は最大3兆円に抑え、都と国が予算を管理し提言するのが骨子のようだ。そして具体的な例として、「海の森水上競技場」(ボート.カヌー会場)の新設を止め、宮城の既設会場を利用するなど三施設の計画見直しを検討する。

この改革案に対して都の幹部は”現行計画と別な方法は想像もつかぬ”と困惑している(産経新聞)そうだが,小池知事は所信表明の中で、はっきりと五輪の成功に影響させない対応や、豊洲問題についても市場関係者に配慮すると言明している。その兼ね合いが難しいが、小池知事の決断、改革力なら実行可能ではないだろうか。

1972年の冬季五輪の際、札幌に滞在して大会前の市民の期待と沸き立ちが今でも忘れられない。五輪讃歌「虹と雪のバラード」(ト.ワ.エ.モア)のように、当時の札幌は地下鉄が出来、地下街が出現、まさに北の大地に新しい町が誕生する空気がみなぎっていた。そして当時100万人の人口は今150万人に膨れ上がった。小池知事は”Beyond 2020”の東京を目指しているというが是非、未来志向で東京の改革を期待したい。三代続いた江戸っ子からもお願いしたい。
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”黙っては聞けない”二階自民党幹事長の演説

2016-09-28 05:37:03 | 2012・1・1
昨日NHKテレビの国会中継で自民党の二階俊博幹事長の代表質問を聞いていたら、野党のヤジに切れたのか”黙って聞け”と怒りだした。二階幹事長の事だから、最初から”よいしょ”演説とは解かっていたが、ひどすぎる。それも用意してきた草稿を、棒読みしながら、つっかえ、つっかえの演説である。これでは野党がヤジを飛ばすのも当たり前だ。

自民党は数からくる驕りがあるのかもしれない。先日の安倍晋三総理の所信表明の際も、演説のなかで”自衛隊員らに感謝を”と述べたところ、自民党議員が総立ちになら、拍手が止まなかった。早速、民進党ら野党が議事運営委員会で問題にしたが、異常である。自民党は”自然発生的”で起きたものと釈明しているが、二階幹事長の”黙れ”発言といい、何か、昔の大政翼賛時代を彷彿させるものがあってイヤだ。

二階幹事長は来日中の中国の唐家せん国家委員に対して、2020年の東京五輪も安倍総理の手でと言明したという。何が根拠なのかしれないが、政治は一寸先は闇だという。政治には、まったく素人の僕で、根拠のない話だが、小池百合子都政の誕生で、安倍総理”独裁”の自民党にも、何か潮目の変化が出てきた感じがしないでもない。

戦後、自衛隊の前身、警察予備隊が創設された時代「逆コース」という言葉が流行した。二階幹事長の発言を聞いていると、自民党がまた古い体質の自民党に「逆コース」の道を歩み始めた感じがするが、僕だけの偏見だろうか。
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点滴毒物混入事件と老人多難の時代

2016-09-27 05:39:06 | 2012・1・1
横浜市神奈川区の病院で88歳の男性患者二人が点滴袋の中に「界面活性剤」を混入され連続して殺される事件が発生した。同じ年代の老人として色〃と考えさせられる。先ず、思い出すのは同じ神奈川県川崎市の老人施設で高齢者3人が、施設の職員によって部屋のベランダから放り投げられ殺された事件だ。

老人が犠牲になる事件、事故が最近多すぎる。8月には岩手県岩泉町の老人グループ.ホームが台風10号による洪水で流され、9名が犠牲になっている。このほか僕が記憶しているだけでも、昨年の川崎の簡易宿泊所の火災で10人犠牲になっているが、その大半は一人暮らしの高齢者であった。今年4月にも別な川崎のグループホームの火災で居住者が病院へ搬送されている。

まさに老人多難の時代である。老後の介護の問題など、最近まで他人事と思っていたが、自分のごく近い周りにも認知症が出てきたり、ディ.サービスのお世話になっている者が増えてきた。幸い、僕ら夫婦は今のところ元気で、他人のお世話にならずに生活しているが。将来は保証できない。

今回の点滴連続札事件は、現在、警察が捜査中で真相は判らないが、嫌な事件である。かりに病院内部の人間の犯行とすれば、先の相模原の身障者施設の殺人事件もあり、何か日本の社会の中に、老人とか身障者など弱者に対する偏見が一部にあるようで恐ろしい。それにしても、老人が国(自治体)の高齢者施設に入れず、グループ.ホームとか、長期介護替わりに病院を利用しなくてはならないのは問題である。
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本当に”一皮むけたのか”豪栄道の全勝優勝

2016-09-26 07:43:42 | 2012・1・1
双葉山の69連勝の時代から80年近く大相撲を知っているオールドファンの一人だが、、この9月場所のダメ大関豪栄道の全勝優勝ぐらい意外はなかった。小ブログは平成27 年9月、白鵬不在の場所でモンゴル出身の横綱鶴竜が優勝戦で同じモンゴルの大関照ノ富士を破って優勝した時、”日本人の大関三人の不甲斐なさ”を批判、特にそのうちの一人、豪栄道を史上最弱の大関だと悪口を書いた。

豪栄道は今場所優勝するまで、確かに”史上最弱”の大関だった。平成27年1月場所、大関に昇進したが、在位12場所の成績は61勝56敗、今場所も先場所、7勝8敗で4度目の大関陥落のカド番に立たされていた。いつも9勝しかできない大関の事を、かって麻雀全盛時代、のよくある上りり点、9600点になぞらえて”クンロク”と蔑んだ時代があったが、豪栄道は、はるかにこれを下回っていた。

その豪栄道がこの変りようぶりだ。新聞の中には、”一皮むけた”と豪栄道の相撲を高く評価し、相撲協会の幹部の中には、来場所優勝すれば、横綱だとの声も出ている。日本出身力士の横綱昇進はファンなら皆が期待している所だ。僕も豪栄道が本当に”一皮むけて”来場所も今場所のような相撲で優勝、横綱に昇進するのを望んでいる。しかし、一方では、豪栄道の大関時代の”お天気相撲”から見て一度や二度の優勝で、横綱の地位が守れるかどうか僕は心配している。

横綱は”クンロク“横綱というわけにはいかない。昔流にいえば。「日の下開山」である。大関と違ってカド番はないが、不成績なら土俵を去るだけである。とにかく、来場所、白鵬が出場する場所の豪栄道の相撲をみてみることにしよう。
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インドから白牛が善光寺に贈られてき時代の日印関係

2016-09-25 07:29:05 | 2012・1・1
今回の旅で初めて善光寺の裏山にある納骨堂「雲上殿」に参詣した。この納骨堂の一角に昔、インドのネルー首相から贈られてきた白牛の遺骨を収めた像があると聞き、これを写真に撮るのが目的だったが、撮影後、不用意からカメラのSDカードが飛び出し、旅行中撮った写真がすべてダメになってしまった。

昭和28年(1953年)、学校を出てすぐの新聞社の初赴任地が長野市であった。当時、善光寺の境内には前年の27年、仏教渡来1400年と日印平和条約を記念して、インドのネルー首相から贈られてきた白牛が参詣者の大きな話題になっていた。日本がサンフランシスコで米国など52カ国と平和条約に調印したのは26年だったが、インドこれに参加せず、別途独自に平和条約に調印している。主な理由は対日賠償請求権の問題で、インドはサンフランシスコ条約とは異なり、はっきりと対日請求権を放棄している。

敗戦後すぐの20年代後半は、今思うとインドとの話題が多かった。東京台東区の子供議会の陳情にこたえて、ネルー首相が上野動物園へ象のインディラをプレゼントしたのもこの時代だし、札幌の藻岩山など全国10か所にインドからお釈迦様の分骨が贈られてきて仏舎利塔が建てられたのもこの時代であった。今、思うと、当時のわが国は、敗戦で虐げれていた時代であっただけに、市ヶ谷国際裁判で、ただ一人日本無罪論を主張したインドのパール判事の言葉が唯一の救いで、これにに感謝していた。恐らく、当時のインドの対日友情は、パール判事と同じ考え方の延長線上にあったのであろう。それに比べて今は中国や朝鮮半島の国の話が多く、インドとの話題が少ないは残念だ。
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刈りいれ前の稲田

2016-09-24 19:57:33 | 2012・1・1

今回の旅は散々だった。善光寺界界隈の写真を撮りまくったが、SDカードがカメラから外れてすべてご破算、帰途のバスの車窓から撮った刈りいれ前の稲田の遠景だけしか撮れていなかった。関東平野から上州の山間にかかったあたりである。
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”閉じ籠り”からの脱出 老妻の71年前の同窓会に同行の旅

2016-09-23 05:29:41 | 2012・1・1
”暑さ寒さも彼岸まで”というが、昨日「秋分の日」を過ぎた途端、東京では秋冷を感じるようになった。つい最近まで暑い暑いといっていたのがウソのようだ。今日これから併せて168歳の老夫婦は、長野へ一泊二日の旅にでる。老妻が71年前、卒業した国民学校(小学校)の同窓会に出席するので、それに付き添っての旅だ。今年になって、家に閉じこもりがちで、外出機会が減り、今回もあまり乗り気ではなかったのだが、思い切って同行を決意した。

一泊二日の旅といっても、往復新幹線を使用、二人でホテルに泊まれば、5万円近くかかる。年金生活にとっては、かなりの出費である。そこで、今回も急ぐ旅ではない、往復高速バスを使用、宿もネットで格安ホテルを探した。この結果、3万円ほど節約になった。一瞬にして通りすぎる車窓の景色の新幹線よりは、ゆっくりとしたバスの窓から見る景色の方がよいし、温かみのある小さな宿の方が老人にはよい。

老妻が同窓会に出席している間、僕は善光寺を参拝、周辺を散策したいと思っている。長野は僕にとって学校を出て初めて勤めた地であり、老妻と結ばれた地でもあり想い出深い。70年近く前、駆け出しの地方記者の僕はは、自転車に乗り、毎日坂の多い長野の町を走りまわった。善光寺の境内にはインドのネルー大統領から贈られた白い牛が参詣客の人気を集めていた頃である。

家に閉じ籠り、過去の想い出ばかりに耽っていては健康によくない。老夫婦そろって、こうしてささやかな旅に出られるだけで幸せである。初秋の信濃路の旅を楽しんでくる。
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石原慎太郎元都知事 84歳の記憶と勘違い

2016-09-22 05:50:22 | 2012・1・1
豊洲市場の盛り土問題について、石原慎太郎元都知事が報道機関に対して文書でもって、知事在任中の出来事が多大な混乱や懸念を生じさせて申し訳ないと謝罪した。石原氏は、まもなく84歳という年齢からくる記憶の薄れや勘違いがあるとして、今後報道陣の取材を控えるともいった。”過ちをを改めるに憚ることなかれ”(論語.学而}であり、僕は改めて石原氏の”過ち観て仁を知る”(論語里仁)態度に共感した。

石原氏は謝罪文書の中で、一部の報道が”土壌汚染を無視して予算と完成時期にこだわり過ぎた"との批判に対して、断じてありえないと否定した。”過ちは好むところにあり”(準南子)という諺があり、人は自分の得意な事で油断し失敗することが多い。過去に原発事故の対応で失敗した総理がいた。石原氏も環境問題では、一応権威であるが、今回もその面があったのだろうか。

誕生日がきて84歳、年齢からくる記憶や勘違いを石原氏は率直に認めておられたが、まさにそうである。個人差はあるが、人間は加齢には勝てない。いつまでも「太陽の季節」の石原慎太郎氏ではない。先の都知事選での”厚化粧年増”発言から、今回の盛り土問題まで、石原氏の発言は、あまりにもアウトスポークンし過ぎた。石原氏が自認しているよに、残念ながら年齢からくる”ボケ”が出てきているのだ。

しかし”過ちを改めざるをこれを過ちという”(論議.衛霊公)というが、石原氏は率直に過ちを認めた。さすがに「仁者」である。「仁者」は”山を楽しむ”(論語.擁也)とある。「仁者」は天命をを知り、安らかで、山のようじ動じないという意である(三省堂「慣用句こおわざ辞典」)
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病床で軍歌を歌う元インドネシア義勇軍兵士

2016-09-21 05:43:59 | 2012・1・1
元インドネシア国軍参謀長で駐日大使もされたバンバン.スゲン氏の実弟、バンバン.プルノモ氏(89)から近況を伝えるメールが届いた。同時に「敬老の日」に病床にあるプルノモ氏を見舞った、インドネシア滞在中の知人のS氏からも写真入りのメールを頂いた。

プルノモ氏は日本軍政時代、中部ジャワのテマングンの義勇軍兵士だったが戦後の和蘭との独立戦争(1945年―49年)では、国軍の小隊長として活躍、テマングンでは実兄、バンバン.スゲン将軍と二人英雄として尊敬されている。最近まで、プルノモ氏は、日本時代の経験を生かして自宅で日本語塾「寺子屋」を開いていた。

S氏のメールによると、プルノモ氏は最近は老衰から寝たきりの病床にあるが、その介護と世話は近所のワルン(小さな店)の女主人が中心になって、昼夜24時間、交代で、独り身のプルノモ氏の面倒をみている。目も不自由になられているが元気で、S氏が見舞に行くと大変喜ばれる。たまたま、S氏が見舞った日には、女子中学生も来ており、独立戦争時の話を語り、日本時代の歌「愛国の花」や「予科練の歌」「海行かば」などを披露した。

インドネシアでは、普通、戦争(perang)といえば和蘭との独立戦争のことを指す。この戦争で80万人のインドネシア人が犠牲になっている。犠牲者は英雄(pahlawan)とされ、各地の英雄墓地に祀られている。それだけに、独立戦争に参加した兵士は、社会で尊敬されている。戦後、「英雄」がいなくなった日本では考えられない。

 
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