「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「生活不活発病」闘病記

2013-06-30 05:40:18 | Weblog
東日本大震災で仮設住宅などで避難生活を送る高齢者を中心に福島県医師会が「生活不活発病」について調査を始めるという。「生活不活発病」とは、あまり聞きなれない言葉だが「廃用症候群」{disuse syndorome)とも言い、症状は”高齢により生活が不活発になり、心身の機能が低下することによる”病気である。(国立長寿医療研究センター)

最近、僕もこの「生活不活発病」の兆候が出始めてきた。一昨年頃までは自分から努めて身体を動かし、早朝のラジオ体操にも参加し、スポーツジムにも通い、プールで泳いだりしていた。しかし、あまり張り切りすぎたのか帯状疱疹に罹ってしまった。以来、まったく意気地がなくなり外出機会も少なくなってしまった。

「生活不活発病」の直接の原因は、左ひざの半月板の摩耗から来ている。整形外科で電気をかけたり、マッサージをして貰うと一時は好くなった感じはするが痛みはとまらない。老妻はじめ周囲からは散歩するよう勧められるのだが、杖をついての外出が面倒で、日によっては一日一歩も家から出ないこともある。出来るだけ、家の中で軽いバーベルをあげたり、テレビ体操に座ったまま参加することにはしているのだが。

心身のうち”心”は、こうして毎日ブログは更新できて大丈夫のようだが、”心”も”身”あってのことだ。計画的に「生活不活発病」からの脱出法を考えなければならない。被災地の高齢者が「生活不活発病」に罹りやすいのは、十分解る。お見舞い申し上げます。

理解できない鹿児島県職員の上海出張

2013-06-29 05:49:51 | Weblog
鹿児島と上海を結ぶ定期路線の存続のため伊藤祐一郎知事が、年間1千人の県職員を今年7月から来年3月まで3泊4日で研修旅行させるという。このための補正予算として1億8千万円を県議会に提出したが反対にあい、期間を3か月に縮小、人員も3百人にすることで可決した。これを可決した議会も議会だ。ここ数年、橋下大阪市長をはじめ地方独自の政策が話題になっているが、どう考えてもこの鹿児島の”研修“は僕には理解できない。

鹿児島空港は、鹿児島市内から遠く離れているが、昭和47年にここに移転してきて、もう40年も経っている。数年前の地方空港ブームでできた”新参者”ではない。圏内の離島飛行機能もあり、経営的に苦しいとは思えない。僕も現役時代、なんどか利用させて貰ったが、こじんまりとしたきれいな空港である。

上海路線は日本空と中国の東方航空の共同運航で一日一便だそうだが、尖閣問題もあって両国間の往来が減少してきている。そこで伊藤知事が考え出したのが,県職員を研修目的で上海に出張させようというものだ。何を研修させるのかもはっきりしない。どう見たって、赤字路線の航空会社を助ける意味しかない。何か航空会社との間に”ダーテイ”な話があるのではないかと、勘ぐりたくもなる。

伊藤知事は自治省出身の元官僚で、小沢一郎氏が大臣だった時の補佐官であった。小沢氏のかっての勢いがなくなり、自治省との昔のパイプも細くなった今、こんなバカげた発想しかできないのだろうか。



米最高裁の同性婚判決とオバマの少年時の体験

2013-06-28 05:58:30 | Weblog
米連邦最高裁が結婚は男女間に限るとする連邦政府の「結婚防衛法」を違憲とする判決を出した。米国ではすでにカリフォルニアなど州によっては同性婚を認めているが、今回の連邦最高裁の判決で、同性婚を阻んでいた法整備がすすみ、合法への道が大きく前進した。この判決の背景には、オバマ大統領の同性婚認容の発言もあるのではないか。

オバマ大統領は今年1月、二期目の就任式に当たっての演説の中で、同性婚を認めるともとれる発言をし演説前に、ゲイ詩人として有名なリチャード.ブランコ氏の詩を披露しいるが、今回の判決についても、いち早く”「結婚防衛法」は法の下の差別だった。最高裁判決を称賛する”と発言している。

たまたまであるが僕は7月初め、インドネシア関係のある会合で「オバマ少年がいた当時(1967年079年)のインドネシアと大統領のイスラム理解度」といった話をすることになっており、その参考に「Obama Anak Menteng」(メンテンの子供オバマ)を読んでいたが、この本の中の一章に”Si banci"(おかま君)という言葉が出てきたのに驚いた。

ジャワのインドネシア人社会には”banci"が浸透しているのは知られているが、オバマ少年は家の雇い人の一人が”banci"であることを奇異の目で観察している。ネット情報では、この”banci"少年は成長してジャカルタのスラムに住んでおり、、その写真まで載っている。”banci"の慣習がイスラムと関係があるかどうかわからないが、6歳から4年間インドネシアで生活したオバマ少年が”banci"の存在を知っていたのは確かだ。

日本最古の回教寺院名古屋モスクの写真

2013-06-27 10:30:52 | Weblog

「日本イスラム史」(小村不二男著昭和63年日本イスラム連盟)によると、わが国最古の回教寺院、名古屋モスクは昭和6年(1931年)現在の名古屋市千草区に建てられた。しかし、残念ながら20年2月15日の空襲で焼失し今はない。最近、僕はひょんなことから、この焼けたモスクの写真を手に入れた。
この写真は1962年、僕が同僚のカメラマンと訪問したドバイの写真集「DUBA 1962」(2012年出版)の中に載っていた。写真集はカメラマンが撮影したドバイの写真と一緒に、僕らが訪問時お世話になったインド人Kamal氏の事が紹介されているが、名古屋千種モスクは戦前、Kamal氏が商社マンとして神戸に滞在中、名古屋に出張したさい撮ったものらしい。そのキャプッションにも日本最古のモスクと記されている。
「統計からみたイスラム」(浜中彰)によると、戦前日本には、この名古屋モスクと神戸モスク(昭和10年建立]代々木モスク(昭和13年建立]と三つあったが、代々木は戦後建て替えられ、現存するモスクとしては神戸が最古である。しかし、1980年頃からイスラム圏からの就労者や留学生が急増し、現在では約3万人のイスラム教徒が滞在し、それにこたえて55か所のモスクが日本にあるという。ここでも文化の多様化が進んでいる。

「生活の党」と小沢一郎代表

2013-06-26 05:24:46 | Weblog
「生活の党」が夏の参院選に向けての公約を発表した。「いのち」と「暮らし」と「地域」を守るをキャッチ,フレーズにして脱原発、TPP参加反対を旗印にしている。先日の都議選で躍進した共産党も同じような公約をしていた。「生活の党」と聞いて、僕は一瞬どんな政党だったか考えてしまったが、あの小沢一郎先生が率いる政党なのだ、

民主党が内部分裂し、政治家先生の政党間の移動もあって正直言って、政党の名前だけ聞いてもどんな政党だか判らなくなってきた。それにしても小沢一郎先生も影が薄く、神通力がなくなってきたものだ。都議選では三人の候補をたてたが、いずれも落選、小沢代表が候補の出陣式にまで顔を出したのに、その候補の得票率は僅かに全体の2.6%、5千票たらずという惨敗だった。

7月の参院選には「生活の党」は選挙区三人、比例区三人が改選を迎える。選挙は”水物”と言われるから結果は予測できない。しかし、凋落の民主党と共闘しても現状では苦戦はまぬかれない。かりに全員落選ということになれば、「生活の党」の参院議員は”やわらちゃん”こと谷亮子議員と主沢了議員の二人だけになってしまう。

政治家には”引き際”がある、とよく言われるが、小沢一郎氏はまさにその典型だ。昨年、民主党を飛び出して「日本の未来の党」を作り、総選挙の直前、滋賀県の嘉田由紀子知事と組んで、ばたばたと「国民の生活が第一の党」という名で”野合”し、再び「生活の党」に戻る、その政治軌跡を見れば、国民はだれも信用しなくなる。


老人と「コンドロイン」 「グリコサミン」の効用

2013-06-25 05:09:49 | Weblog
舌をかみそうな「コンドロイン」「グリコサミン」といった名前の健康食品が、テレビにラジオに新聞こまたまた折り込み広告に花盛りである。数年前に整形外科医から「左膝半月板摩耗」と診断を受けた僕は、その後医者(複数)の診断に従ってマッサージや”電気”を受けたりプールで水中歩行などしたが、一時的にはよくなるが、最近は逆に痛みが激しくなってきた。

もともと健康食品や「サップルメント」には懐疑的な僕だが、先月思い切ってスーパーのレジの所にあった「コンドロイン」表記の健康食品一袋を篭に入れた。20日分600円というから、ダメモト”の思いで買ったのだが、やはり効果はなかった。先日、その話を今、かかりつけの医者にしたが、同じような成分の注射がありますから、次回からやりましょうとのこと。素人には理解できないが、上記の健康食品は薬品なのだろうか。

有名女優から元相撲取りまで総動員して宣伝に努め、効果があったような印象を消費者に与えている。それでいて医者(複数)は、飲めとは勧めない。成分はトリの皮とかサカナの骨、ウナギなどらしい。厚生労働省が認可しているのだから、飲んで健康に害や副作用はないし、人によっては確かに効用があるのだろう。

足腰や膝が悪いと、どうしても老人は閉じこもりがちである。医者の5回も注射を打てば、よくなる人もいるという言葉を信じる事にしょう。70歳代には、将来、こうなることがイヤで、毎朝5千歩以上歩き、ラジオ体操にも参加していたものだが、人生すべて思い通りには行かないものだ。

気になる都議選の低投票率

2013-06-24 05:42:27 | Weblog
夏の参院選挙の前哨戦ともいうべき東京都議選は、自公の大勝、民主の地すべり的惨敗に終わった。あらかじめ予想はされていたものの都議会第一党だった民主党が共産党にも抜かれて第四党に凋落するとは、まさに天下の秋を知るである。結果とは別に僕が気になるのは投票率の低さである。昨日の東京は好天に恵まれたが、投票率は43.50%と四年前の前回の54.49%に比べて、はるかに低く過去二番目の低記録だ。二人に一人も投票していないわけだ。

もともと都議選は国政選挙や地元に密着した区議選に比べて関心は薄いが、とくに今回はこれといった争点がなかったのが低投票率になったのかもしれない。それに僕ら後期高齢者の目からみると、選挙管理委員会の老人に対する投票所の選定などに配慮が足りないのではないだろうか。先日、渋谷の歩道橋の階段を踏み外して大けがをした友人は、早々と選挙には行けないと電話してきた。投票所まで遠いのと、階段を上って二階にあるのが理由だ。

僕も膝が悪いので自転車で投票所まで出かけたが、駐輪所が用意さていない。校門の外に自転車を置いて投票所のある教室まで歩かなければならない。若い人にとってはなんでもない距離でも杖をつく老人にとってはきつい。先月、国会で知的障害のある高齢者13万人の対して選挙に参加できるよう公選法の一部が改正されたが、知的障害でなくとも超高齢者は身体的に事実上選挙に参加できない。

が人施設にいる老人たちの場合はどうなっているのだろうか。日曜日でも看護の人たちが投票所まで随行しているのだろうか。全体的からみれば数は少ないが、超高齢者時代が、もうすぐ目の前にきている。上下のエレベーターのない投票所の選定ぐらいは配慮して欲しい。

世界文化遺産 三保松原逆転の背景

2013-06-23 08:43:21 | Weblog
富士山がユネスコから正式に世界文化遺産の一つに登録された。しかもユネスコ会議の予備門ともいわれる4月のイコモス会議(国際記念物遺跡)では、除外を勧告されていた三保松原(静岡市清水区)まで含めての決定である。まったくご同慶の至りで大万歳である。

小ブログはイコモス会議の後三保松原の遺産除外に関連して、同地の海岸線の自然破壊が除外の原因の一つではないかと書いた。(5月2日)これに対して、静岡県を中心にブログを書かれてる「駿府大志館」さん(なおかげさん)からコメントを頂戴し”難しい問題だが、大逆転はあると、川勝平太静岡県知事の書いた”天女伝説”の著の抜粋を読むよう勧められた。

今回のユネスコの決定をみると、委員の中には江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎や歌川広重の描いた三保からの富士の遠景図がヨーロッパの絵画に与えた影響をあげている人が多かったという。もちろん、静岡の地元では早くから、推挙の理由にあげていたのであろうが、一般の日本人は気がつかない問題だった。

世界文化遺産の決定は喜ばしいが、今後の問題として、その名に恥じない維持管理が大切である。たまたま昨年11月、インドネシアの中部ジャワにある世界遺産の一つ、ボロブドゥ‐ル仏教遺跡群を訪れたが、訪れるたびに感ずるのは俗化し、児童遊園地みたいになってきたことだ。膝の悪い僕は遠くから記念写真を撮って帰ろうとしたら、若者二人に強引に車イスに乗せられ法外な料金を請求された。

三保松原海岸は、このまま放置すれば50年後には海岸線が喪失してしまう危機にあるという。そのためには不断の護岸工事が必用とのことだ。景観上好ましくはないが、仕方がない。が、問題は観光客の増加による人工的な自然破壊である。

歌で結ばれる日本.インドネシアの古い歴史

2013-06-22 05:41:59 | Weblog
「インドネシアの文化に触れてみよう2013」の催しの一つとして「東京ラグラグ会」が、コーラスを披露する。”ラグラグ”とはインドネシア語(lagu-lagu)で歌を意味する。「ラグラグ会」は30数年前、ジャカルタに駐在してた日本人の歌の好きな人たちが集まって始めたコーラス.グループだが、今では本家のジャカルタのほか東京、大阪にもそれぞれ愛好家が集まり、歌を通じて日イ両国の友好親善に活躍している。

インドネシアの歌は何か日本人の心に訴えるものがある。今はほとんど解散してしまったが、戦争中インドネシアに駐屯していた軍人の戦友会では、酒が入ると決まって歌が出る。その代表的なのが、先年物故されたゲサンの「ブンガワン.ソロ」であり、童謡の「ノナ.マニス」であり「ラサ.サヤ」であった。マレーシアの国歌の元歌といわれる「トゥラン.ブ―ラン」も国歌に制定されるまではよく歌われた。

僕がジャカルタにいた1966年―67年だが、まだその頃は在留邦人も少なく「ラグラグ会」もなかったが、よくジャカルタの外港,タンジュン.プリオクの飲み屋に出入りする、流しのバンドから「ブンガワン.ソロ」など、昔、兵隊さんたちが好きだった歌を所望して共に歌ったものだった。その中に「ノナ.マニス」「ラサ.サヤ」もあった。僕は歌詞は知らなかったが、メロディは知ってた。戦争中、この二つのメロデいは,NHKラジオの小国民ニュースのテーマ曲として使われていた。

南方の音楽に触発されてか、戦争初期の昭和17年から18年にかけての日本の流行歌にはインドネシアを歌ったものが多い。「ジャワのマンゴ売り」(灰田勝彦)「バタビアの夜は更けて」(灰田勝彦)「ジャワの夕月」(灰田勝彦)「常夏の島」(ジャワ民謡)「ジャワのあけくれ」(二葉あきこ)etc.一方、この時代、ゲサンの代表作「サプ.タンガン」も宝塚スターの淡路道子によって歌われこレコード発売されている。戦争には、こんな一面もあったのだ。

「インドネシア文化に触れてみよう2013」

2013-06-21 10:39:48 | Weblog
日.アセアン友好協力40周年記念行事の一つとして6月22日(土)から25日(火)まで(10:00-17:00)「インドネシア文化に触れてみよう2013」が東京のアセアン.センター一階ロビーで開催される。(入場料無料)。初日(22日)と二日目(23日)には、東京ラグラグ会やインドネシア学校生徒のコーラスが披露され、催し場ではインドネシアのスケッチ画などが展示されている。
(会場へのアクセス)都営地下鉄三田線「御成門」A-4)