「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ハローウインと「ろうそく寄こせ」

2006-10-31 06:08:38 | Weblog
ハローウインなんか海の向こうの行事だと思っていたら今年はわが家の
近くでも玄関先に飾りつけをした家が二軒出てきた。どちらも「trick or
treat} という看板を下げ、その下にカラーフルな花や人形を配置、夜は
電飾されてきれいだ。

ハローウインはキリスト教の祝日「万聖節」の前夜、つまり今晩(10月31日)
催される。仮装した子供たちが近所の家々を”trick or treat"と叫びなが
ら訪れる。「trick or treat」とは”お菓子をくれ、くれなければ悪戯をするぞ”
といった意味だそうだ。もともとはケルト人の収穫感謝祭が起源で死者の霊が
悪魔や魔女の形で訪れるのを人々が仮装して追い払う行事だった。


昭和40年代札幌に住んでいた時、旧盆に「ろうそく寄こせ」という行事があっ
た。浴衣を着た子供たちが近所の家々を”ろうそく寄こせ。出さなきゃ掻っち
ゃくぞ。さもなきゃ食いつくぞ”と言いながら訪れ、ろうそくやお菓子を貰って
歩いた。ケルト人の祖国は中央アジアだという説もあり、大陸に近い北海道
との相似性が面白い、

ハローウインはここ数年、仮装行事として定着してきた。今年も29日の日曜
日、川崎のメーン通りで催されたハローウインには3000人もの人出があった
という。わが家の近くのハローウインの家には、子供たちは一人も訪れそうも
ない。飾りはクリスマス・デコレーションと同じで、人の目を楽しませるものに
すぎないからだ。
(このブログ早朝推測まじえて書きましたが、夕刻孫たちが沢山お菓子を貰っ
て帰ってきました。もちろん悪戯するなんて言わなかったそうです)






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人生の転機 世界の転機

2006-10-30 06:09:16 | Weblog
人生二回転機説がある。僕の場合うち一回は半世紀前の1956年10月ー11月
であった。この年の10月上旬、僕は社会部(新聞社)から外信部へ移動となった。
入社3年多少"きったはった”の取材に”たこ”になっていただけに外電の翻訳が
仕事の異動はショックだった。若かったため記者としての自信さえ失いかけた。
そのときに長女が生まれた。50年たった今ふり返ると人生の転機だったのだ。
その後”外国”とのお付き合いが僕の人生の縦軸になった。

この時期世界も一つの転機であった。10月23日ハンガリー事件が発生した。
ソ連の支配と権力に対して民衆が蜂起し、11月4日にはソ連の軍事介入を招き
1万数千人が殺された。一方、10月29日にはイスラエル軍がエジプトのシナイ
半島に侵入、スエズ動乱が発生した。英仏両軍がこれを支援、エジプト側は運
河に船を沈め航行不能の措置にでた。

この二つの事件は、その後の世界史を変える転機となった。ハンガリー事件
が転機で「プラハの春」が到来、東欧でのソ連型社会主義は消滅した。ワルシ
ャワ条約からの脱退、NATOへの加盟など当時はとても考えられなかった。ス
エズ戦争によって西欧の中東における威信は失墜した。エジプトとイスラエル
との和解も当時は想像も出来なかった。
変わらないのはパレスチナ問題だ。その後も二回戦争が発生、一向に解決の
兆しが見られない。根の深さがうかがえる。





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紫にほひし東京市の想い出

2006-10-29 06:33:37 | Weblog
父の遺品の整理で出てきた資料のいくつかを昨日江戸東京博物館に
寄贈した。その一つ「新東京大観」(上)(下)二冊は昭和7年10月、東京
が35区制になったのを記念して東京朝日新聞社が付録として出版した
ものだ。それまで東京は中心の15区だけだったが、隣接82町村を合併
して一挙に”大東京”となった。僕も荏原郡大崎町(戸籍)町民から晴れて
東京市民になった。

     紫にほひし武蔵野の野辺に
     日本の文化の華咲きみだれ
     月影いるべき山の端もなき
     むかしの広野のおもかげいづこ 
                  (東京市歌 大正15年制定)

この歌は昭和18年、東京府、東京市が解消して東京都になるまで歌われた。
当時小学生だった僕らは10月1日の東京市記念日にこれを歌った。天長節
(天皇誕生日)など四大節の歌とともに懐かしの歌である。


博物館への寄贈品の中に花電車の絵葉書もあった。昭和5年3月の東京復
興完成式祭典のとき走った花電車である。うち一枚はこれを見る市民たちの
写真だが,ねんねこ姿、かすりの着物に鳥打帽など当時の風俗がかいま見
られて面白い。僕も昭和15年,紀元2600年祭典の時の花電車を覚えている。

大正12年の大震災で壊滅の打撃を受けた東京が7年目には復興を完成、大
都市造りへの夢を描いていた。昭和16年大東亜戦争が勃発するまでの平和
な東京が遺品の中からうかがえた。
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生前葬ではありません。御礼の会です。

2006-10-28 06:09:07 | Weblog
53年前の同期入社の友人(女性)の「お礼の会」が昨夜都心のホテルであった。
なにもお礼を言われることをした訳ではないが、頂戴した案内状にはおよそ
次のように書いてあった。
「”お別れの会”ではありません。生きているうちにお世話になった友人知人
にお礼を述べたいのです。これで一区切りしたあと、新たに静かな気持で時
を送りたいのです」

78歳独身の彼女はさらに次のように心情を吐露している。
「今はまだ歳相応に考え行動できるが、まわりの友人知人が亡くなったり再起
不能の現実を見ますと”お礼の会”をしないと落ち着かないのです」

会場には少女時代の友人、大学時代属していた弁論部の学友、社会人になって
からの友人知人100人以上が集まった。弁論部の後輩、友人代表で挨拶した海部
元総理は欧州旅行を切り上げ彼女のために空港からかけつけたのだという。
和服のよく似合う彼女はとても喜寿をすぎた女性とは見えない。弁論部OBの熱
弁の挨拶にも背筋を伸ばして聴き入っていた。

僕個人は死後の”偲ぶ会”はあまり好きではない。死んだあと偲ばれても有難
くはない。出来れば彼女みたいな会が好ましいが人徳がなければ人がきてくれ
ない。それに会場費にも満たない会費でご馳走し、お土産まで出すのは経済的
に大変だ。しかし葬儀が形骸化してきている現在、発想の転換も必要かもしれ
ない。式壇や花輪が立派でも誰も喜ばない。
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必修科目の未履修はゆとり教育のツケ

2006-10-27 06:23:40 | Weblog
高校での必修科目未履修問題はまったく理解に苦しむ。受験対策とはいえ
何故ルールを無視してまで”必修”課目を教えなかったのかー。そしてこれ
が一校だけはなく、全国33都道県で同じことが同じように数百校にわたって
行われていたのか。たんなる学校だけの問題ではない。このような事態
を黙認していた文部科学省にも責任の一端はある。


必修科目が”必修”でなくなったのは、平成15年、学校が五日制になった
頃からだという。つまり文科省が教育現場の実情を把握せず”ゆとり教育”
を実施したツケともいえる。有名大学への進学率向上を第一義とする進学
校では週五日では”受験教育”に対応できない。その結果苦肉の策として
必修科目の”必修”はずしが始まったようだ。


この”犠牲”にあげられたのが「世界史」とか「地理」が多かったという。受
験事情にうとい僕に解らないがセンター試験と関係があるのかも知れない。
歴史認識、歴史教育など歴史問題が政治的にカシマシイのに「世界史」が
必修からはずされたのは、これまたなんとも考えさせられる問題だ。


安倍内閣が「教育再生」を第一に掲げているのがよくわかる。教育に”ゆとり”
などない。たしかに行過ぎた受験教育には弊害があるが、やはり”鉄は熱い
うちに打て”である。国の決まりで公立校では必修科目は必ず学ばなければ
ならない。文科省はへんに妥協してはいけない。若いうちだ。これから未履
修科目を集中的にやっても負担にはならない。




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日本の伝統文化 お十夜

2006-10-26 06:08:18 | Weblog
年齢相応なのか最近身の回りの伝統文化に興味を持ってきた。きのうも
案内を頂いた菩提寺のお十夜法要に参席した。この年にして初めてのこ
とだ。浄土宗だけのものらしいが、本来は陰暦の10月5日から15日まで十
日十夜催されたが、今は一日だけの念仏会となった。これに参席すると、
あの世で千日間善行をした以上の善行を積んだことになるという。

菩提寺の本堂には約百人の善男善女が集まっていたが、その8割以上がお
年寄りの女性、残りが高齢の男性だった。法会で読み上げる卒塔婆の寄贈
者の名前は女性名が多かった。

僕らは正直いって信仰心の薄い世代である。戦争は最後には神風が吹き
勝利するとかたく信じていただけに敗戦で、僕らの思考を変えた。”神も仏も
あるものか”と思うようになった。最近、宗教離れした葬儀が多くなったのは
葬儀代が高いのもさることながら、この影響ではないのだろうかー。


お十夜法会は華麗であった。十数人の僧侶が読経する中での散華は美しい。
こういった伝統儀式がよくぞ引き継がれてきたものだ。ふだん葬儀以外には
仏教儀式に接したことがない僕には新発見であった。不謹慎かもしれないが
僧侶の読経は立派なコーラスに聴こえた。こういった儀式をもっと大衆に浸透
できないのだろうかー。率直な感想である。
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福島県・佐藤前知事のリッチな犯罪

2006-10-25 05:50:29 | Weblog
プロレタリア作家、宮本百合子の処女作「貧しき人々の群れ」が世に出て
今年で90年である。この作品の舞台になった郡山に住む佐藤佐久・前知事
が収賄容疑で逮捕された。テレビで彼の住んでいる豪邸を見たがこの地は
かって安積疎水完成以前は桑野という荒地の寒村であった。百合子は疎水
開拓に当たった祖父、中条政恒の家での見聞をもとに、この名作を書いた。
開拓民の赤貧がテーマである。佐藤前知事は90年後、この地の取引で9億7
千万円を賄賂として受取った。

30数年前、僕は郡山に約2年勤務した。当時暴力団の抗争から”東北のシカ
ゴ”と悪口をいわれたが、活気のある住み好い町だった。しかし、東京育ち
の僕には何故かわからないが、住民の生活がつましく感じた。列島改造以前
である。当時佐藤前知事は郡山青年商工会議所(JC)で活躍していた。面識は
なかったが、彼の名前は知っていた。その後彼は日本青年会議所の副会頭と
なり、これをステップに参議院議員に当選、知事となった。郡山JC時代の彼
には故郷郡山を発展させようという夢があった。

やはり5期18年という知事の任期は長すぎた。いつか知らぬ間に”悪”の垢が
こびりつき彼の政治生命を絶ってしまった。その直接の容疑が土地取引をめ
ぐる収賄容疑とは皮肉である。90年前には草木も生えなかった土地での,あ
る意味では”リッチ”な犯罪である。





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フランス焼酎と豪州ビーフ 伊ビーンズ

2006-10-24 06:44:56 | Weblog
昨夜の夕食はオーストラリアン・ビーフの数寄焼きとイタリア産キドニー
ビーンズ、それに食前酒はビートで作ったフランス焼酎、デザートにはシ
ンガポール製のアソート・ビスケットであった。横文字づくめのたいそうの
ご馳走のように聞こえるが、実はすべて近くの安売スーパーで買った
ものだ。
オーストラリアン・ビーフ500グラム560円、キドニー・ビーンズ缶詰105円、
フランス焼酎1,000ml、725円,シンガポール産ビスケット104円、合計いくら
になるだろうか?


娘たち夫婦や孫たちは外国製の食品を嫌う。BSEをはじめ食の安全性の
問題からだろう。たしかに残存農薬など危険である。しかし、僕ら老夫婦は
冗談に言っている。「あと何年の生命じゃないか」-。国が輸入を許可して
いるのだ。政府の政策を信じるほかない。年金生活では安いほうが好い。

横浜新港に香淳皇后(昭和天皇)の御製の歌を刻んだ碑が建っている。
    「ララの品つまれるを見て とつ国のあつき心に涙こぼれて」
僅か60年まえ日本人が餓死寸前に追い込まれたころ、LARA(米国の民間
ボランティア団体)が緊急に脱脂ミルクなどを送ってくれた。この善意に感謝
して香淳皇后が詠ったものだ。

わが国の食糧受給率は40%、穀物受給率に至っては24%、先進国の中では
極度に低い。今はさいわい飽食の時代であるが”備えあれば憂いなし”の気持
だけは失ってはいけない。







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「空の新兵」 歴史への独断 傲慢さ

2006-10-23 06:16:06 | Weblog
きのう多摩パルテノン大ホールで多摩第20回童謡コンサートがあり、友人から
切符を頂戴したので夫婦で聴きにいった。会場は僕ら同様、昭和の激動の時代
を生きてきた老人たち(女性が7割)で一杯だった。
会場で貰ったパンフレットを見てふきだした。僕らが少年時代愛唱した名曲「空の
神兵」(梅木三郎作詞 高木東六作曲)が「空の新兵」になっている。パソコンで
「shinnpei」を転換すると”新兵”しか出てこない単純ミスなことは判っている。


ところがパートⅡ特別企画「激動の昭和に響いた歌声」を聴いているうちになん
だか”新兵”があながち単純ミスではなく意識的な演出ではないかと思った。
構成演出者の歴史観が独断的で歴史に無神経なのだ。この時代を精一杯生き
てきた僕らにとっては、かりにそれが過ちであっても正面きって悪口をいわれれ
れば気持ちの好いものではない。


歴史に対する無神経さの一例。「空の神兵」を最初にメナドに降下した海軍部
隊(昭和17年1月11日)の歌と紹介していたが、正確にはクーパン(2月20日=
海軍)パレンバン(3月14日=陸軍)三つの落下傘部隊への賛歌である。むしろ
その後つくられた同名の映画が陸軍落下傘部隊を扱っているためパレンバンの
歌と思っている人のほうが多い。

「お山の杉の木」の時代、大人も子供も一生懸命”お国のために”働いていた。
その時代を知らない構成演出者が、ちゃかすようにこれを紹介するのは傲慢無礼
である。童謡は昔を偲んで歌うもの。下手な解釈はいらない。



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あだ名といじめ

2006-10-22 06:08:39 | Weblog
60年来の友人K君と酒を飲んだときのことだ。話が昔のことになり
K君のあだ名”ペンちゃん”のいわれについて聞いてみた。僕は彼
の家近くの文房具屋のシンボル・マーク、ペンギンからきているも
のと思っていた。ところが、そうではなく、彼の体型がペンギンに
似ていることから、悪友のA君がつけたものだという。K君はこのあ
だ名で呼ばれるのが大嫌いだったがあえて争わなかったのだという。

小学校のとき近所に肥満児のS君がいた。S君がおとなしいのを好い
ことに僕ら悪童ははやし立てた。「デブデブ百貫デブ、電車に轢か
れてペチャンコ」僕らは毎日、山手線の踏切りを通って登下校して
いた。いま思うとS君には本当に悪かった。S君は一人っ子で動作が
鈍く仲間と遊べなかった。

いじめられっ子の調査によると”力が弱い 無抵抗だから”が全体
の27・3%で最も多く”態度動作が鈍い”が11・3%もあったという。
たしかに僕らの子供のときも同じだった。S君は可哀そうにこの二つ
の要素を持っていたのだ。一方、K君は温厚だったが、剣道の達人。
動作は敏捷だったからいじめにはあわなかった。

子供はあだ名をつける名人だが、身体的な欠陥はやめるべきなのだ。
ペンギンだとか百貫デブと呼ばれて喜ぶ者はいない。S君とは卒業以
來会っていない。会ったら頭を下げて謝罪したい。周囲がもっと気を
配ればいじめはなくなると思うのだがー。



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