「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

やはり島にはいなかった脱走犯

2018-04-30 12:32:32 | 2012・1・1
昼過ぎ,テレビの速報で脱走犯人が広島市南区の路上で身柄が確保されとテロップが流れた。やはり向島にはいなかった。とにもかくにもほっとした。日本の警察力は健在だった。ご苦労さまでした。

どこへ消えたか脱走犯と警察力

2018-04-30 05:21:50 | 2012・1・1
松山刑務所㋨大井造船所の作業場から脱走して尾道水道の小島、向島に潜んでいるらしい平尾龍麿容疑者(27)は一体どこにいるのか。4月8日に逃亡してから3週間も経つのにクツとして消息が判らない。警察を中心に大捜査網を張っているのだが、不思議だ。

向島(むかいしま)は広島県の尾道水道に浮かぶ小島(面積22.22平方キロ、周囲28キロ)で人口は2万人程度。本州とは二つの島で結ばれ、フェリーでも往来できるという。広島県警ではすでに述べ1万人を超す捜査員を動員しているそうだが、10日に容疑者のものとみられる指紋とDNAが発見されているが、そのあとはない。容疑者はもう島にはいないのではないか。

刑務所からの脱走というと、65年前、新聞記者として初めて赴任した長野市での刑務所からの脱走事件を思い出す。刑務所内で収容者数人が工業用メチルアルコールを飲んで死亡した事故を特ダネとしてせしめ、トクトクとしていた、その夕方、当時市内の中心にあった刑務所から、脱走を告げるサイレンが市内に響き渡った。たしか数日で容疑者の身柄は確保されたが、県内上げて大騒ぎであった。

3週間以上も脱走犯が捕まらいのはあまり過去に例を見ないのではないか。世界でも冠たる警察力を誇る日本だ。たんなる一脱走犯の事件としてではなく、警察の名誉にかけて事件解決にあたってほしい。このまま”人の噂も75日”となる事件ではない。警察力の低下が一連の公務員の弛みに関係がなければよいのだが。

「昭和の日」に憶う 戦前の昭和 戦後の昭和

2018-04-29 05:32:09 | 2012・1・1
平成の御代も今年で30年、昭和も遠くなりにけりである。今日4月29日は「昭和の日」である。昭和天皇の誕生日であり、戦前までは「天長節」、戦後も長らく「天皇誕生日」として国民の祝日であった。

昭和の時代は64年であった。6年生まれの僕の人生の大半は昭和であったが、その中でも前半、三分の一、戦争期を含んだの20年までが最も印象深い。
♯ 昭和の子供(久保田宵二作詞 佐々木英作曲 昭和17年)
  昭和、昭和 昭和の子供の僕たちは姿もきりり、心もきりり
  山、山なら富士山へゆこうよ 足並みそろえて タラララら
昭和16年、大東亜戦争が勃発した翌年、国民学校(小学校)6年の時の歌であった。

戦後20年から40年までの20年間、25年生まれのシンガーソングライターのイルカが「昭和の子」というこんな歌を歌っている。
  僕らなかよし昭和の子おやつがなければ半分っこ  僕ら大勢昭和の子 おしくら饅頭 
  押されて 泣くな 
戦後直ぐ生まれの団塊の世代の応援歌みたいな歌だ。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの電化製品が”三種の神器ともてはやされた時代だ。

最後の20年(40年ー64年)は高度成長からバブル期である、「昭和の枯れススキ」が流行した時代だが、僕にはこの期の歌として水前寺清子が元気よく歌った「三百六十五歩のマーチ」が象徴的で懐かしい。
♯ 三百六十五歩のマーチ(星野哲郎作詞 米山正夫作曲 昭和43年)
  しあわせは歩いてこない だから歩いて行くんだよ 一日一歩三日に三歩 三歩進んで二歩下がる
  人生はワンツウパンチ 汗かきべそかき歩こうよ 歩いた跡には花が咲く。
”モーレツ”のCMが話題になっていた時代だ。”働きき方改革”など問題にはならなかった。




拉致 他力本願では 南北首脳会談

2018-04-28 05:18:54 | 2012・1・1
昨日、板門店で開かれた南北(朝鮮)首脳会議の模様を朝から夕方までテレビの中継を見た。率直に言って韓国側の準備は良く、演出も見事であった。その演出の中で演じる主役の金正恩(北朝鮮労働党委員長)の一挙手一投足も、まるで五輪の開会式を見るような楽しみさえあった。会談後発表された共同宣言によれば”完全な非核化”について、その実現を共同目標にすることで一致、”終戦宣言”も年内を目標に中ソなど休戦宣言当事国を交えて開催することで合意するなど、よいことづくめだが、わが国が一縷に期待していた、拉致問題については言及はなかった。

68年前の昭和25年6月、朝鮮戦争が勃発した日を鮮明に覚えている。朝鮮半島出身の級友が”戦争が始まった”と大声で叫んだ。戦争は28年7月,休戦協定が締結されるまで3年間続いたが、当時20歳前後の若者だったにもかかわらず、全く関心がなかったが、今回の首脳会議を機会に調べたら、「南」(韓国)「北」双方100万人を超える民間人が犠牲になっているのに驚いた。その戦争が停戦したままで65年間も”戦争状態”にあるのは異常である。この異状国家”同士の首脳が歩いて軍事境界線をまたギ、握手したのだから歴史的出来事だ。

南北両首脳にとっては、今回の宣言は、同じ民族間の問題解決だけで精いっぱいだ。二人の話し合いで日本人の拉致問題が出たかどうかわからない。多分出なかったのではないか。安倍政権は拉致問題について事前に韓国や米国に解決を依頼しているようだが、あまりにも他力本願しすぎるのではないだろうか。「北」が平昌五輪後、政策転換を図ってきているのは事実である。直接話し合う機会はないのだろうか。

80年前の大型連休の頃

2018-04-27 05:21:15 | 2012・1・1
南北(朝鮮)の首脳会談が27日、「北」の非核化を主議題に板門店で開かれる。「北」はすでに核実験とミサイル発射中止を表明しており、明日から始まるわが国の大型連休も昨年までと違ってアラートが鳴り響くこともなく平穏裏に暮らせそうだ。もともとこの季節の頃は、風薫る新緑の候で、1年中でも最高の季節だが、大型連休化したのは,戦後のことだ。

戦前、このころ庶民はどんな暮らしをしていたのか。80年前の昭和13年(1938年)の亡父の残した日記帳を読み直してみた。当時、4月末から5月初めのこの季節には、国の祝日は29日の天長節(昭和天皇誕生日)だけで、5日は端午の節句ではあったが休日ではなかった。▽4月29日(金)晴 佳き天長節である。6時半起床、9時半出勤、無事5時帰り入浴寝る。この日、わが海軍荒鷲50機、南京を襲撃、敵80余機と闘い50余機を撃墜す(天長節は休日だったが、当時父は新聞社勤務で出勤していた)

昭和12年7月7日に始まった日支事変は戦火は拡大し12月までに南京は落城していたが、局地的な空中戦はまだあったみたいだ。地上戦は徐州作戦へと移り、徐州は13年5月に日に陥落している。80年前の今ごろは”徐州、徐州と人馬が進む 徐州居よいか住みよいか しゃれた文句に振り返りや お国なまりのおけさ節 髭がほほえむ麦畑”(「麦と兵隊」 作詞藤田まこと 作曲大村能章)の最中であった。

今年の大型連休、80老はただ来し方を振り返り平穏に無為に暮らすだけである。戦争より平和のほうがよい。

文科大臣の権威 白昼の”セクシー.ヨガ“通い

2018-04-26 05:25:16 | 2012・1・1
林芳正文科大臣が白昼公用車を使って個室の“セキシー.ヨガ”に通っていたと週刊誌が伝えているそうだ。"セキシー”であるかどうかは知らないが、大臣はこれを認め”公私のケジメをつけなかったことを詫びた。財務次官のセクハラで、野党が麻生大臣の責任を追及、国会が混乱している最中の報道、お騒セナ話である。”メデイアは国をつぶす気か”といった下村博文元文科相の発言もまんざらわからいでもない。

戦後、僕らが学生だった頃、文部大臣といえば政治家ではなく、天野貞祐、安倍能成といった旧制一高校長を務めた教育者が多く閣僚の中でも別格視されていたものだ。大臣が誤解を招くような場所に出入りしたり、事務次官が出会い系クラブに出没したりすることなど想像もつかなかった。それだけ文部大臣は権威がある存在だった。

しかし、今では考えられないセクハラの大臣もいた。吉田茂内閣の大蔵大臣だった泉山三六氏は国会内で泥酔し、山下春江議員にキスしようと抱き付き、頬にけがをさせたりしている。当時の日本の社会は飲酒に寛大だったので、泉山大臣の処分も緩やかで、逆に人気がでたように記憶している。

いつの時代も政治家にすキャンダルはつきものなのかもしれないが、教育行政にあたる大臣毛は、その言動に注意してもらいたいものだ。道徳が教科になったことでもあり、その元締めの文科省でもある。大臣が執務中、個室で女性とむきあってヨガしている図は健康が目的とはえ、あまり様にならない。



国民にはわからない「国民民主党」の誕生

2018-04-25 05:21:02 | 2012・1・1
どのメデイアの世論調査もここへ来て安倍内閣の支持率が急落している。最も高くても読売の39%、最低は毎日の30%、これにつれて不支持率も上昇、最高の産経FNNが54.1%、最低の時事通信でも42%もある。普通、これなら野党の人気が高まるものだが、野党六党併せても支持率は20.9%(産経調査)だそうだ。

財務次官の辞任に伴い、野党六党が麻生太郎大臣の責任を追及して国会審議をストップしている。その中で昨日、民進党と希望の党とが合流して「国民民主党」が誕生した。新党の名前については民主党の名前の復帰や「中道民主党」なかには「新党ゼロ」などの候補もあったが、結局”国民ファースト”から、昔の民主党の上に国民をつけた名前に収まったが、通称は国民党だそうだ。

野党六党というが、立憲民主党、希望の党、共産党,社民党、自由党の五党まではわかるが、衆院ではあとの一党は民進党系の「無所属の会」、参院では希望の党と別に希望の会という会派もあり、国民には理解しにくい。しかし、小沢一郎氏の自由党を含めて、もとはといえば民主党である。民進党が消滅して多少すっきりしたが、「立憲」と「国民」両民主党の区別は国民には理解しにくい。

冗談めくが、新党名が「新党ゼロ」でなくてよかった。ゼロでは将来を示唆しているみたいだ。しかし民主党の冠に「立憲」「国民」がついている限り、女性議員が喪服を着て”Me too"とパーフォーマンスをする程度の”烏合の衆で、安倍内閣は安泰で万歳だ。



安倍内閣は大型連休を返上しては

2018-04-24 05:50:39 | 2012・1・1
来週から大型連休に入るが、国会は野党が財務次官のセクハラ問題をめぐる麻生太郎財務大臣の責任を追及して審議がとまったままだ。このまま連休にズレ込み一時休戦にしようというのだろうか。昨年の今頃は北朝鮮からミサイルが発射されている中、連休中11人の安倍内閣の閣僚が”外遊”、問題になったが、今年はどうなのだろうか。ミサイルの発射はないが、歴史的な外交日程で埋まっている。

今週27日から板門店で南北朝鮮間の3回目の首脳会談が10年ぶりに開かれる。これに先立ち韓国は北朝鮮向けの宣伝放送を中止するなど”非核化””和平”ムードで一杯だ。これを受けて連休明けの9日には東京で日中韓サミットが行われる。そして6月にはトランプ米大統領と金正恩北朝鮮委員長と間で首脳会談が開催される日程だ。外交に素人の僕がみても歴史のタンニング.ポイントである。

安倍内閣がこれら歴史の流れの対応におさおさ怠りないと思うが、麻生財務大臣の責任問題は別である。副総理で枢要閣僚の一人をこのタイミングで辞任させる影響は大きいが、やはりケジメも必要である。安倍総理は決断の時だが、麻生氏からの辞任申し出が良いのではないか。このままでは政治が前に進まない。大型連休を返上してでも解決策を図るべきだ。

”ジャパン.ファースト”である。野党の言動を見ていると、足の引っ張りあいで国策など考えていない。これでは過去の民主党政権の悪夢を思い出すだけだ。安倍内閣の正念場である。

60,70歳代は年寄りではない 20年前の日記から

2018-04-23 05:14:41 | 2012・1・1
先日、半世紀ほど前に勤めていた郡山の民放のOB会に出席、最初に感じたのは若い会員が増えたことだ。当時の新入社員が定年を終えて入会してきたが、往時の想い出があるせいか皆まだ若くて元気だ。神奈川県の大和市が”60,70歳代は年寄りではない”宣言をしたそうだが、人生百歳時代、なるほどと実感した。

僕は現在87歳だが、僕が60,70歳代だった年寄りの頃はどうだったか。20年前、67歳の時代の日記帳を調べてみた。僕は65歳で仕事を辞めたが、まだ臨時的だが、九州まで泊りがけで1か月の長期出張の仕事をしていた。インドネシアへも10日間旅行し、友人と四国、関西へ観光旅行を楽しんでいた。日常生活を見ると、早朝のラジオ体操に毎日参加、万歩計をさげて一日5000歩は歩いていた。40歳代後半から高血圧で降圧剤を飲んではいたが、それ以外は元気で体重は87キロあった。(現在は80キロ)

僕が、自分が年寄りになったと感じるようにたのは5年前,82歳の時、左ひざの痛みから人工関節を入れてからだ。その年は4回目の膀胱がんで入院、患部の摘出手術もしている。さらに84歳、85歳時に2年続けて大腸がんの腹腔、開腹手術をした。もともと体力があるので、これだけの手術に耐えられたのであろうが、さすがに最近は自分は老人だと自覚し、周囲も認めてくれるようになった。

ほぼ同年齢の作家、五木寛之さんが、人生百歳時代、下り坂人生を楽しむ方法として、”60代はリセット、70代は下り坂の丘を”を楽しむ、80代しがらみを捨て自由に、90代無尽蔵の記憶を楽しむ”と本に書かれているが、同感だ。


国民の声が読めない麻生大臣 責任辞任すべきだ

2018-04-22 06:04:52 | 2012・1・1
麻生太郎副首相兼財務相が訪問先のワシントンで、記者団から福田諄一財務次官の「セクハラ」に絡む更迭で質問を受けたが、自分の進退については全く考えていないと言い切った。一方、麻生大臣の任命責任を持つ安倍晋三総理は昨日、東京の葉桜の中での”桜を見る会”で”葉桜のにぎわいありて杯かさね”と一句を披露した。とりようによっては、「森友」から始まり次官の「セクハラ」と続く財務省のスキャンダラスの問題は、このまま"葉桜の会"で幕引きにしたいという総理の心境ともとれる。"

2007年夏の第一次安倍内閣時の参院選挙で自民党が惨敗した当時、原因は「KY」(空気が読めない)が流行語になったことがあった。僕は麻生大臣のワシントンでの発言や安倍総理の”葉桜の会”の一句から、あの当時の自民党政権当時の「KY」を想いだした。安倍内閣(第一次)が突然、辞任した後の福田康夫内閣、それにつぐ麻生太郎内閣、いずれも1年しかもたなかったが、今思うと国民の気持ちが読めなかったからだ。

国民は福田諄一財務次官のセクハラにはあきれはてている。「森友」問題での文書の改竄で、いったい財務省はどうなっているのかと思っている最中にその事務方トップの事務次官がテレビ局の女性記者とバーで飲み、セクハラ発言をしたとかどうかとか。それも問題が週刊誌で暴露され、辞任するまでの"往生際"も悪い。また、麻生大臣の発言も任命責任者なのに無責任である。

北朝鮮をめぐって世界が目まぐるしく動いている。それなのに、我が国は財務次官の「セクハラ」問題で国会審議にまで影響が出てきている。国民は安倍内閣で大丈夫かと心配し始めてきた。支持率の低下にそれが見られる。安倍総理は少なくとも責任をとって麻生大臣は辞任すべきである。問題を放置し、盃を重ねるのは「KY」しすぎる。