「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

コロナで明け暮れたこの一年

2020-12-31 16:43:14 | 2012・1・1

令和2年(2010年)は「コロナ」「コロナ」で明け暮れた一年であった。小ブログで「コロナ」が初登場したのは1月26日更新の”追憶 武漢三鎮”からだ。日中戦争の激戦地、武漢の地に新型コロナウィルス感染者が発生したというもので、内容は「コロナ」そのものより、三鎮の激戦への追憶であった。まさか「コロナ」が一年を通じて世界を揺るがすとは思わなかった。

「コロナ」は人々の日常生活に直接、間接的に影響を及ぼしたが、要介護3の老生もそうだ。国の政策を守り、三蜜を避け、不要不急の外出を慎み5人以上での会食を避けた。この結果、月一回のクリニックへの通院と週一回の足腰のリハビリ施設通園以外出せず”閉じこもりの生活になってしまった。友人、知人との会合は失われた。

こんな一年だったが、二つ朗報があった。一つは男の孫の一人が結婚したことだ。こんな年だけに挙式と披露宴は来年に持ち越されたが、とにかく嬉しい。もう一つは老後の〝生きがい”の一つともいえる小ブログの閲覧ランキングの通年上昇である。一年を通じて週の平均ランキングが2000位をキープしたことだ。

毎年年末恒例のべスト.ファイブを紹介してみる。

①ランキング 946 8月15日 戦後生まれ8割 戦争の伝承

②      1105  9月16日 のぞき見 ブキティマ

③      1258   9月17日 菅義偉内閣平均年齢

④                       1264   8月10日  PCR検査 

⑤                        1287   8月19日 のぞき見 コタコタ.インドネシア ジャカルタ

 

 

 

 

 

 

 

 


世田谷コロナ患者数が新宿にかわって一位

2020-12-30 10:00:40 | 2012・1・1

麻生太郎副総理がいみじくもいわれた”ののわれ”の令和2年も今日をいれてあと二日、一昨日の東京の新規コロナ.ウイルス数は856人と高止まりだったが、23区市町村別を見たら、発生初期のころから、夜の街、歌舞伎町を抱えてダントツ1位であった新宿区に代わって世田谷区になつた。人口、面積などから言えば当然なのだが。もう一つ推測でいえば、世田谷区の場合は、”いつでも、だれでも、何回でもPGG”という政策が反映しているみたいだが。

感染拡大原因の尺度は専門家によって異なるみたいだが、一般にはウィルスの陽性者の有無の数によってではないだろか。なにも症状がなくとも「患者」として数えられ僕ら素人はマスコミを通じて、その多寡に一喜一憂する傾向があるが、はたして正しい評価なのだろうか。問題は症状が重症化し死者を出さぬことだ。政府のマスコミへの対応もシフトを変えたらどうだろうか。死者に比べて回復者の数が圧倒的に多いのだ。新しい年を迎えて暗い話ばかりもどんなものか。

隣町の世田谷区の感染者第一位は喜ばしくはないが、Pcg増によるものならむしろ歓迎だ。東京都は感染者数と同時にPCG診察者の数も公表したらどうか。

 

 

 


騒然だった昭和20年の年末年始

2020-12-29 14:35:08 | 2012・1・1

東京都のコロナ.ウィルスの新規患者は29日火曜としては過去最多866人を記録、12月だけで1万5000人の陽性者を出した。とどめのない勢いだ。そんな中で政府は国民にことしの年末年始は静かなものにしようと訴えた。年が明((けると90回の松竹を飾り、お屠蘇を祝うことになるがこんな年は初めてだが、逆に過去にはこんな年末年始もあった。

(昭和20年(1945年)1月1日の亡父の日記から)「午前2時20分、B-29帝都に来襲の警報、すぐに解除になったが寝られず、ゲートル姿のままで近所の神社に初詣。いったん帰宅し朝まで仮眠したが5時半すぎ再度警報、これも間もなく解除になったが、一家そろってお屠蘇も酒もない形だけのお雑煮を祝したのは午前7時。そこへ電話で下谷に住む母の義弟宅が空襲で全焼したと知らせありれない、見舞いに駆け付けた」「息(老生)午前5時半過ぎの警報解除後明治神宮へ参拝、その足で学校の式典に参加」備考欄には「勝ってからゆっくり飲まふ祝酒」ともあった。

コロナ戦はどうだろうか。静かな年末年始で勝負がつくのだろうか。それとも息の長い戦いになるのか。我慢のしどころかもしれない。

 

 

 

 


”もう幾つ寝ると..”戦前昭和の歳末風景

2020-12-28 07:54:27 | 2012・1・1

今年も押し迫りあと4日の数え日となった。数え日とは古さい表現だが僕ら昭和初め生まれにとっては”もう幾つ寝るとお正月、お正月には凧あげて駒をまわして遊びましょう”(童謡お正月)を想いだし懐かしい。もう80年近くも昔のことになった。

今日28日は近くの目黒不動尊の”おさめ”の縁日である。わが家では江戸時代から、この日には一年無事終えられたことに感謝して参詣することにしている。今年は年初からコロナ禍に災いされ、必ずしも良い年ではなかったが、一家大病もせず暮らせたことに感謝して老妻が娘と一緒に参詣してくれる。

戦前の東京では山の手でも隣近所が集まって合同で餅つきをして楽しんだが、29日は「九」の「苦」からくる縁起をを担いで餅つきはしなかった。新年のお飾りも大晦日の31日には”一夜飾りは縁起が悪い”と飾らなかった。おせち料理はどこの家庭でも自宅で作ったもので、主婦が練炭七輪を幾つも使って一日料理していた。

歳末大売出しのくじ引き風景もわが街から消えた。あの威勢の良い一等大当たりのかけ声が今でも耳に残っている。戦後も昭和30年代までは一等商品は桐タンスであった。歳末風景としてわが町から戦後完全に姿を消したのは救世軍の慈善鍋とあの歌”信ずるものはただ信ぜよ”だ。今でも活動されているのだろうか。


コロナではなくてパソコンでダウン

2020-12-27 15:54:15 | 2012・1・1

パソコンが先週の16日故障し、メールの受発信やブログの更改新ができず困惑、関係者にご迷惑をかけたが、先日結婚して同じ屋根の下の親元の家から新居に移っていった男の孫が休みに実家に戻ってきたついでに予備の中古品と交換してくれた。

壊れたパソコンは3年前に買い替えたばかりだが、毎日のようにブログを更新しているためか使用頻度が多いのが原因しているのであろう。それに加齢によるキイをたたく指の力が弱まってきたのも原因かもしれない。

この一週間、コロナウィルスの感染者数は連日、過去最多を記録,している。その中での傾向として家庭内感染が増えており、高齢者への重症化が心配されている。孫は僕から見れば手品師みたいに小一時間、マスク姿の重装備で修理をしてくれた。おかしな年末風景である。

 

 

 

 

 


「コロナ」下 愛妻の米寿のお祝

2020-12-20 07:26:13 | 2012・1・1

コロナウィルスの東京の新規感染数は昨日(19日)、736人と過去2番目に高い数を記録、全国の累計感染者数は感染初期のクルーズ船まで入れると、20万人に迫り、死者も3000人に近づいてきた。国は「年末年始」対策で懸命に拡大防止を国民に呼びかけていえる。要介護の僕ら老夫婦もそれなりに不要不急の外出を避け「三密」回避に努めている。

そんな中で結婚歴65年の愛妻が米寿の誕生日を迎えた。米寿は漢字の八十八からきている。老生も来年2月の誕生日で九十歳の卆寿、ダブルお祝なので、時をみて盛大に「祝宴]でもと思っていたが、この「コロナ」騒ぎである。思案していたら同じ屋根の下に住む娘夫婦から誕生日ケーキが届いた。別の家人は赤飯を用意してくれた。家庭内感染を配慮してくれてのことだ。

先日結婚した孫夫婦の披露宴もこの騒ぎで先延ばしになっている。来年は1年延期された東京五輪パラリンピックも控えている。おめでたつくしの年にしたい。拡大防止のため年末年始は静かに暮らすより仕方がない。

 


のぞき見の海外旅行(36)フランス パリの屋根の下

2020-12-19 06:55:51 | 2012・1・1

「パリの屋根の下」「オー.シャンデリーゼ」などフランスの首都パリは日本人の一度は行きたい地の一つだが、筆者は半世紀以上前の1962年と20年以上前も昔の1999年の二回訪れ、それぞれ5日間ほど滞在している。しかし1962年は仕事の合間を見ての観光、1999年もフランス語の出来ない悲しさ、ガイドブックをなぞったにすぎない。

それでも1999年の老妻との退職後の旧婚旅行お際は凱旋門近くの裏通りの安宿に泊まり、パリの空の下シャンデリア通りの散歩を楽しみ、現地の観光バスにのってモンパルナスのキャバレー「ムーランルージュ」でワインを飲みながらフレンチカンカンを堪能した。一番の思い出は、老妻と二人だけで地下鉄に乘り、蚤の市を冷かし歩きしたことだ。老妻はその時買った安物の指輪をまだ大切に保存している。

”ベルばら”のベルサーユ宮殿にも現地の観光バスに乗って観光した。しかし、ガイドのフランス語が理解できず見て回っただけだったが、それなりに楽しい想い出だ。旅の楽しさはこんなものかもしれない。

(のぞき見の海外旅行これで終わり)


東京都の医療体制警戒最高の逼迫度と後期高齢者

2020-12-18 08:40:00 | 2012・1・1

東京都のコロナウィルス感染者数が昨日17日新たに822人とまた従来の最多記録を更新した。東京だけではなく大阪府(351人)神奈川県(319人)と軒並み最多で、全国の新規感染者数は3202人に膨れ上がった。これ受けて東京都では専門家を交えたモニターリング会議を開き、小池百合子知事は都内の医療体制は緊迫しているとして、体制をを最高レベルの”体制は逼迫している”に引き上げ「年末年始特別警報」だと都民に警戒を呼び掛けた。

その対策の一環として、これまで入院の対象だった70歳未満の対して、基礎疾患(持病)がなければ、宿泊療養施設で受け入れることを検討しているという。医学については門外漢だが大丈夫なのだろうか。心配いえば、素人には最近にわかに出だした簡易PCR検査も気になる一つだ。果たして正確に陽陰判断できるのたろうか。感染拡大の員数みたいにみえるが。

90歳の要介護3の老人、医療機関の多忙期を前に先日、インフルエンザの注射を済ませ正月休み明けまで薬を貰ってきた.。年内外部とのと接触はあと一回ののリハビリ介護施設への通園だけだ。「特別警報」下、社会に迷惑をかけないためには有用不急のリハビリを休むべきかどうかだ。

 


総理 襟(えり)をただしてというが

2020-12-17 09:27:42 | 2012・1・1

すこし旧読だが産経新聞(12月15日)の菅義偉総理の一日を伝える14日の「菅日誌」を見たら、総理は与党自民党の二階俊博幹事長,、林幹雄代理と一緒にプロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏うタレントのみものんた氏と銀座のステーキ店で会食している。これに対して野党側から、このコロナ騒ぎの中、政府が5人以上の会食は自粛するよう呼びかけているのに不見識だとの批判があり、これを受けて自民党の佐藤勉総務会長も”襟をただすべきだ”と反省している。

”襟をただす”とは手元の慣用句辞典(三省堂)によると「衣服の乱れを治す意から事にあたって気持をしき占める」という意味だが、「菅日誌」をみると、早朝6時45分には議院宿舎を出て官邸入り、近くのホテルで秘書と朝食を食べたあと8時37分には官邸で公務についている。その後はコロナ対策を中心にほとんど分刻みで関係閣僚と会談、その間国立国際医療センター現場を視察している。衿のただしぱなしである。

”襟をただせ”とは二階幹事長であろう。菅総理をはじめ関係者が連日大多忙の活躍(結果は別として)しているのに、なぜこの時期、一時代前(失礼)のよりによって後期高齢者ばかり集めて会食するのか。会食は午後8時50分から9時35分までだったが、感染リスクの高いという後期高齢者の会食会としては如何がものか。

 


コロナ禍年 年賀状の復権

2020-12-16 05:02:46 | 2012・1・1

テレビのニュースで来年2021年の年賀状の差出が始まったと伝えていた。年賀状は何時ごろからか昭和の時代ほど人気がなくなってきたが、今年はコロナ禍の影響で正月,帰郷を敬遠する人などもあってか昨年より増えているそうだ。老生の僕も早々と75枚、娘に頼んでPCで印刷して貰った。

コロナウィルスと裏腹に小ブログへのアクセスはこのところ微減気味だが、過去の閲覧記録をチェックしたら13年前小ブログを開始した年のブログ「年賀状の千秋楽」(2007年12月16日更新)を閲読された方がいた。老生はすっかり忘れてしまっていたが、内容は旧友から円賀状の交換もこれをもって千秋楽にしたいという挨拶に対する感想だった。この年僕はは200枚近くの賀状を出していたが、一枚50円、消費税前だった。

10年前の2010年のブログ(12月20日更新)にも「時代を反映する年賀状」と亡父の戦前の賀状を紹介している。亡父の賀状はお手製で、その時代時代を反映して興味深い。娘にPCで作ってもらったものもそれなりに価値がある。この年僕が出した賀状は150枚であった。加齢とともに知人友人の数が減っていくのは仕方がないが、逆に数はすくないが、小ブログを通じて新しく交換できる方ができるのは嬉しいことだ。