「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦前の日本人はキムチを食べなかった!

2014-03-31 06:15:21 | Weblog
昨夕、男の末孫の大学入学を祝って、遠縁がやっている高級焼肉店に出かけた。「焼肉」といってもバカにはならない。炭火焼を謳っており、肉も吟味しているらしくワインを1本とって祝杯をあげたら、老人の僕らには驚くほどの値段だ。僕が大学に入学したのは、戦後まもない昭和23年だったが、東京にはまだ焼け跡が残っており、食糧難の頃、外食どころではなかった。

「焼肉」ブームである。ネットの”食べログ”には全国で27,127軒が登録されている。どんな田舎町にいっても焼肉店がある。しかし、もともと「焼肉店」は日本にはなく、焼肉の付けだし「キムチ」などは一般の日本人は食べなかった。僕が初めて「焼肉」を食べたのは、大学生の頃アルバイト先の川崎の町工場の近くの朝鮮人街であった。勤め先の先輩に勧められ、ドブロクを飲みながらホルモンの焼肉をたべキムチ、ナムルに舌づつみを打ったが、その美味しかったこと今でも忘れられない。

戦前の一般の日本人はキムチを食べる習慣はなかった。僕が食べた唯一つの朝鮮の食は当時、朝鮮半島に在住していた親戚から送られてきたミンタイであった。もちろん、東京には朝鮮料理店などなかった。東京で焼肉を中心にした朝鮮料理店が出来たのは、昭和30年頃ではなかっただろうか。昭和31年、僕は”サツまわり”記者をしていた時代、上野御徒町の朝鮮人街で食べている。しかし、今のように、キムチが一般の家庭でも食べるようになったのは40年代になってからではないだろうか。

ものの本によると、キムチには欠かせない唐芥子は17世紀に日本から朝鮮半島に渡ったもので、当初は毒があるのではないかと恐れられたという。しかし、今やキムチは世界的な食となり、ユネスコの文化遺産にも登録される動きもあるとのことだ。食を通じてお互いの理解が深まることはよい事だ。キムチの唐芥子は日本から渡ったものだと、日本人はケチなことは言わない。
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老人会のゼネレーション.ギャップ

2014-03-30 06:09:29 | Weblog
家の近くの暗渠の上の桜が昨日の陽気で一挙に開花が進んだ。その桜の下で町の老人連合会の誕生日会が催され、老妻と仲良く参加した。僕にとって家族以外と話をするのは久しぶりだ。老人会は区の住区センターの広間で開催されたが、参加者の9割は女性、男性の年寄りは僕を含めて7,8人にすぎない。女性たちは日頃、フラダンス、手品、童謡などの習い事で顔見知りが多いが、男性は互いに見ず知らずが多く、ただ貰った煎餅をポリポリ食べているだけだ。

女性が多いのはどこの老人会もそうらしいが、もう一つ問題なのは新しく老人の仲間入りした団塊世代を中心に老人会離れが進んでいることだ。会員資格は65歳以上だが、最近の60代はまだ若く、老人と呼ばれるのが嫌いらしい。また超高齢化時代で、老人会の幹部の80歳、時には90歳の自分の親ぐらいの年齢の”お年寄り”とは意見が違い、入会してもすぐやめてしまうらしい。昨日の老人会も会長は85歳の男性、副会長は96歳の女性、司会者も86歳の女性。皆さん元気でしっかりされているが、話す内容は団塊世代とはギャップがある。

会の終りに参加者全員で、千昌夫の「星影のワルツ」の替え歌の「幸せのワルツ」を合唱した。 
「一度限りの人生だ 大事にしようよこの命  皆で幸せのワルツを歌おう
 この世に生まれた幸せを 明るく楽しく生きようよ」
戦中戦後のあの時代を体験してきた僕ら80歳以上の老人には、この歌詞が実感できるし、作曲された高度成長期(1968年)が懐かしく想い出されるが。団塊世代の老人はどうなのだろうか。
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48年の長い歳月

2014-03-29 06:38:33 | Weblog
現在の静岡市清水区で昭和41年(1966年)6月起きた放火殺人事件で死刑を宣告された袴田巌さん(78)が48年ぶりに誤審とされ刑務所から釈放された。48年といえば約半世紀の長い歳月である。この間、弟の無実を信じ、最高裁でいったん死刑が確定された後も再審を訴え続けきた姉の秀子さんの姉弟愛には本当に胸を打たれる。

馬齢を重ねると、過ぎ去った歳月の中には、その年何があったのか判らなくなってくる。しかし、個人的なことだが、僕にとって昭和41年は忘れられない年だ。勤めていた新聞社から初めて常駐の海外特派員としてインドネシアのジャカルタに赴任した。赴任直前の2月には全日空の羽田沖墜落事故が起きさらに3月にはBOAC機が富士山麓で空中分解する航空事故が多発した。ビートルズが初来日して日本中が沸いたのも、この事件のあった6月であった。

48年は長い歳月だ。わが家ではまだ明治17年と26年生まれの父母が健在だった。次女が生まれたのは40年だが、すでにその次女の子供は今年大学を卒業した。この48年間に僕は3回も転職、年金生活になってからでも20年になる。

釈放された袴田巌さんをテレビの画面で見たが、78歳という年齢にしては老いている感じを受けた。そうだろう。死に向き合いながら刑務所の中で半世紀もの拘禁生活を強いられてきたのだ。僕は自分の過去48年のを振り返り、袴田さんに心から同情し、こんなことが二度とあってはならないと願、一日も早い袴田さんの社会復帰を祈る次第である。
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閑散としていた”荒神さん”界隈の寺町

2014-03-29 06:09:35 | Weblog
徳川時代から江戸っ子に”火の用心”の神様として親しまれている品川宿の臨済宗海雲寺(荒神さん)の春の大祭に出かけてきた。僕が子供だった戦前昭和の10年代には、春秋2回あるお祭りには、京急青物横丁駅からお寺のある旧東海道筋にかけ露店が立ち並び人出でにぎわったものだが、年々寂れてきた感じだ。20℃を超す好天気で、桜の開花は一気に進んだが、界隈は何となく寂しかった。
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在宅介護と特養ホーム待機老人

2014-03-28 06:12:30 | Weblog
特別養護老人ホーム(特養ホーム)への入所希望者が全国で52万4千人いるという。これは4年前の平成21年の厚労省の調査よりも10万人も増えている。現在83歳の僕の実感でも日本人の高齢化は雪だるま式に増えている。これに対して、老人福祉は対応できていない感じがする。特養ホームは全国に7865か所もあるのだが、これが全部満杯だとのことだ。

4年前、78歳の時には僕はまだ元気であった。毎日早朝の町のラジオ体操に参加、中東ドバイへ旅行したりできた。白内障の手術で視界も良好になり、毎晩焼酎で晩酌を楽しんでいた。しかし、昨年暮、歩行の困難から膝に人工関節をいれる手術の結果、国から「身障者4級」「介護1」の認定を受けた。僅か4年の間に老化が進んできた。ついでに日記を調べると、10年前の73歳の時には、2回も海外旅行にでかけ、毎日元気に1万歩は歩いていた。

確定申告で昨年度の僕の医療費を計算したら年間30万円近く支払っていた。膝の手術のほかに膀胱ガンの手術でも入院している。そのほかに高血圧と糖尿病の治療で月1回クスリを貰っている。10年前は高血圧の治療で月の支払いは千5百円だったが、後期高齢者医療保険の導入もあって、今は5千円以上に膨れ上がっている。

国の老人福祉の基本は在宅介護だそうだ。特養ホームへの入居者も介護度の高い4,5の人を優先させている。従って介護1の僕は希望しても入居できないが、僕の周囲にも独居高齢者が増えており、中には老人福祉について知識がない人が意外に多い。在宅介護を優先するならば、国の福祉関係者は、特養ホームの増設と並行して、在宅医療の環境整備をすすめてほしい。今は元気な団塊世代でも、僕の体験から10年先には介護が必要な老人が出てくる。
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朴大統領の仏頂ズラと安倍総理の過剰サービス

2014-03-27 06:31:21 | Weblog
ハーグの日米韓首脳会談での韓国の朴菫恵大統領の、あの仏頂ズラは何か?寅さんの”男は度胸、女は愛嬌”を振るまって貰いたくないが、仏頂ズラは外交儀礼に反する。一方、安倍総理は”愛嬌”の積りなのか”お会いできて光栄です”と韓国語で挨拶していた。しかし、これも見る者にとっては何か白々しい。過剰サービスにも受け取られる。

この日米韓首脳会談に合わせたように同じ時刻ごろ、北朝鮮が日本海に向けて弾道ミサイル「ノトン」を2発発射した。いつもの常套手段で、首脳会談をけん制したつもりなのだろう。前もって何も予告もなく、まったく無法な物騒な話である。

ごく普通に考えれば、安倍総理の韓国語を交えての挨拶は正しい。その場の空気をなごませる効果はあると思う。しかし相手が悪い。朴大統領の情報は色々事前に入っていたと思う。僕はあの場は、毅然として淡々として会談に臨んだほうがよかったと思う。安倍総理は先日もテレビの娯楽番組「笑っていいとも」に出演、キムタクことSMAPの木村拓哉と電話していたが、これも総理としてはどうなのか。”人気取り”が狙いとは思うが、過剰サービスにも見える。

先日の「河野談話」の踏襲発言以降、対韓外交の手詰まり打開のためか、何か過去の失敗の轍を踏んでいるように僕には見える。「河野談話」も「村山談話」も結果的には日本の善意が踏みにじられている。日本人なら外国の偉い人が日本語で挨拶すれば、あの人は親日な人だと喜ぶかもしれないが、平気でミサイルを撃ち込む民族である。いたずらに事を荒たげる必要はないが、過剰なサービスは相手に変な誤解を与えるかもしれない。
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竹富町の自然破壊と教委の秩序心

2014-03-26 06:04:04 | Weblog
沖縄「八重山地区(石垣市、竹富町、与那嶺町)教科書採択協議会」の決定を無視して別の公民教科書を使用している竹富町に対して先日、文部科学省が是正するよう異例な勧告をだしたが、竹富町教育委員会はこれを拒否し、新学期からも従来の教科書を使用する。本州最南端の小さな町の一見小さな問題にみえるが、法治国家では許せない。

勧告拒否の理由は①別な教科書を使用しても教育現場では混乱がない②民主党政権下では有効性が認められていた③寄付で教科書の無料配布が出来ている―などのようだが、竹富教委は問題がなへんにあるか理解していない。どの教科書も文科省の検定を通っており、混乱など起らない。文科省の言うのは日本は法治国家であり、国が決めたルールはきちんと守って欲しいといものである。どうも竹富教委は、八重山地区で決定した公民教科書に対して偏見があるとしか思えない。

81歳の知人の女性が1月末、沖縄9離党島をめぐる5日間の観光旅行から帰ってきて同人誌に感想を書いた。それを読ませて貰ったが、その中に竹富町のある竹富島では、観光名所の牛車による散策について一部の住民から”臭い”とか”子供が危ない”とか”住居を覗くな”といった反対のビラが村落にめだったという。竹富町に属する西表島では、天然記念物のイリオモテ.ヤマネコが1年間に13匹も交通事故で死んで問題になっていいる。観光と自然破壊の問題である。20年ほど前、仕事で何回か竹富、西表島に長期滞在したことがあったが、こんな問題はなかった。教育委員会の先生方の自分勝手としか思えない決定も、島のこの”荒れ方”と関係がなければよいのだが。
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”お笑い”の大阪市長選挙

2014-03-25 06:55:17 | Weblog
大阪市長の”出直し”選挙で維新の会の橋下徹氏が勝った。が、勝ったとは、いうものの投票率は23.59%と、前回の60.2%に比べて急落、市民の都構想への関心の低さを露出した。それより僕が驚いたのは、白票が4万票以上あり、投票総数の9.%もあって、次点の候補の投票数より多い事、さらに無効票まで入れると6万7506票、全体の13.51%、落選3候補の総得票数、5万38957票よりも多いことだ。一体、どういうことなのか、江戸っ子の僕には理解できない。

大阪の人には悪いが、まさに”お笑い選挙”である。僕は3代以上続いた”江戸っ子”で、大阪には仕事の出張で数回しか行ったことがない。従って大阪人の気質はよく解からないが、”江戸っ子”は、無意味な選挙、白票を投じに投票所に足を運ばない。無効票の中には「×大阪市長」{ふざけるな大阪市長」といった類の,橋下徹氏への反対票もあり、白票を含めて、大阪都構想への反対意思表示の票であることは解る。しかし、日曜日、休みなのに、わざわざ白票を投じに行くとは”ご苦労さま”の話だ。

一徹と見える橋元下長の事だ。恐らくこの選挙の結果を踏まえて大阪都構想を住民投票で決めることになろう。”江戸っ子”の僕には今一つ大阪都構想は理解しにくいが、肝心の大阪人はどうなのかー。今回の出直し選挙の結果では、賛成しているの有権者の四分の一以下である。住民投票の規定について、不勉強で知らないが、今回のように投票率が低くても住民の意思表示ということになるなのだろうか。

”江戸っ子”の僕には、橋下氏の”生真面目さ”が理解できる面もある。しかし、大阪人にはどうなのだろうか。大阪を知らない僕の偏見を承知で言わせて貰えれば”お笑い文化”と、橋下氏の持つ一面の”石原慎太郎”的考え方はとは、相容れないものがあるように思われるのだが。
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”出来すぎ”の春場所横綱.大関の後半戦

2014-03-24 06:03:32 | Weblog
千秋楽の土俵をテレビで観戦していたら、解説者の北の富士が14日目の大関琴奨菊が横綱日馬富士を負かした相撲を評して”考えられなかった”一番といっていたが、春場所の後半、横綱.大関戦には、この一番だけではなく、僕には”考えられなかった”一番が多くみられた。12日目、大関鶴竜が同じモンゴル出身の横綱、日馬富士、ついで13日目白鵬を破った時点で、鶴竜の横綱は”みえた。12日を迎えて6勝6敗、勝ち越しには後がない、琴奨菊が過去に歩の悪い白鵬、日馬富士に次々と破った。これも僕には”考えられない”相撲だった。

3年前の平成23年の初場所、相撲協会は野球賭博に関連して八百長相撲をしたとして、十両幕内力士を解雇したが、うち7人は徳瀬川、光龍、保志光、猛浪、春日王など7モンゴル、韓国力士が入っていた。当時、この問題は、あまり問題にならなかったが、やはり、外国人には大相撲が国技である事が理解できないのではないかと心配した。

鶴竜が横綱審議会の推挙で第71代横綱になるのは間違いない。久しぶりの3横綱時代で豪華な番付で、これに水を差すわけではない。しかし三人がモンゴル出身とは”国粋主義者”の僕にとっては、いかにも情けない。3横綱が毎場所、優勝杯を持ち回りで獲得する事態もありうる。”考えられない”相撲が多くならなけれな、よいと思うのだがー。せっかく、再び盛り上がりを見せてきた大相撲である。こんなブログが登場しないよう、よろしくお願いします。
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日米韓首脳会談 家康の朝鮮通信使復活までの外交に学ぶもの

2014-03-23 07:06:23 | Weblog
豊臣秀吉の朝鮮出兵で室町時代から続いていた朝鮮通信使が中断されていたが、1607年、徳川幕府の外交努力で復活、将軍秀忠に謁見後、駿府(静岡)に隠居中の家康とも会見している。これを記念して、今年6月、川勝平太静岡県知事が記念式典を催すことになり、朴菫恵大統領に招請状を送ったが今のところ返事がないと新聞に書いてあった。

僕ら戦前「皇国史観」で国史教育を受けた世代は”朝鮮”というと神功皇后の三韓征伐と豊臣秀吉の朝鮮出兵とその勝利の程度しか知識がない。朝鮮半島が日本の統治下にあった時代だから、学校教育も併合を正当化するためのものだった。従って、足利時代(1392年)から日本統治になるまで500余年も続いた李王朝との関係については,例えば李王朝が、日本の鎖国時代を含めて通信使を派遣していたことなど教わっていない。

改めて通信使について調べてみたら、秀吉の出兵で、中断された通信使の復活について徳川幕府は関ヶ原の戦役が終わった4年後の1604年に早くも朝鮮から松雲大師(朝鮮名 唯政)を招き、下交渉をしている。松雲大師は慶長の役のさい”義僧兵”を率いて戦った人物で、日本側にもその名が知られていた。家康は直接、松雲大師と会い、慶長の役で日本に連行した捕虜の返還などを含め通信使復活について話し合った。通信使が日本に派遣されたのはそれから3年後である。

今週からオランダのヘーグで開かれる核安全保障サミットで、米国の”肝いり”で日米韓三国首脳が顔を合わせる、日韓の首脳が話し合いをするのは2年前、当時の李明博大統領が竹島に上陸、さらに朴菫恵大統領が”従軍慰安婦”にからむ「歴史認識」を持ち出し、関係が急速に悪化して以来の事である。「歴史認識」などは話し合わないようで、恐らく完全な関係改善にはならないだろうが、”顔”を合わせるだけでも成果である。家康の通信使復活までの外交でも3年の歳月を要している。「河野談話」の轍をふまないよう、おかしな妥協はすべきではない。
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