「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

3000人が虐殺とされたとされていたブキティンギ防空壕跡(1996年)

2016-02-29 09:34:04 | 2012・1・1

1996年、僕がブキティンギの第25軍司令部の防空壕跡を訪れた時には、写真のような虐殺をほのめかすレリーフが壕入口に飾られ、ガイドが虐殺の虚妄を観光客に話をしていた。2004年、当時僕が属していた日蘭戦時資料保存会は、有志のご協力を得て、防空壕築造の真相を、インドネシア語、英語、日本語で記述、パンフレットにして1000部を現地中心に配布した。

しかし、今回防空壕を訪れた知人の話では、パンフは利用されていなかったようだった。素晴らしい景観の地を傷つけた責任はある。壕の保存が必用ならば協力すべきだが、正しい史実を伝えて貰いたいものである。
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スマトラ「戦争遺産」について考える

2016-02-29 05:54:09 | 2012・1・1
インドネシアのスマトラ島に戦時中日本軍が建設したスマトラ横断鉄道の遺跡がある。”戦場に架ける橋”で有名な鉄道九連隊が昭和18年から20年にかけてスマトラのマラッカ海峡側のムシ河の河港の町、パカンバル(Pekanbaru)からインド洋側の内陸の町、ムアら(Muara)まで220キロを結んで作ったものだ。奇しくも、敗戦の日に完成したが、日本軍の撤退後、放棄されたままになっている。

先日、知人がこの”遺跡”を含めて西スマトラの戦跡を調査してこられ、写真を見せて貰った。パカンバルの博物館には、当時現地で使用されていた機関車や工事に従事していたロームシャの姿を描いたレリーフなどが展示されている。しかし、ムアラまでの沿線の鉄路はすべて撤去され、僅かにムアラ駅の駅舎の一部が残っているだけ。他に博物館と同じ機関車が二台、ジャングルの中に保存されている。こういった鉄路や機関車は、戦争中ジャワで使われていたものを、船でスマトラに運搬してきたものだ。

戦後の連合軍メダン裁判は、この鉄道建設に当たって、捕虜やロウムシャを虐待したとして関係者を処罰している。死刑を宣告された第25軍司令官田辺盛武中将らもこの虐待が起訴理由の一つとなっている。知人は鉄道遺跡を見たとあと、第25軍司令部があったブキテインギを訪れ、10数年ほど前まで、日本軍が3千人のロ―ムシャを虐殺したと誤って伝えれた防空壕跡を見学してきた。(写真上)1990年代には、壕の入口には、虐殺をほのめかす残虐なレリーフが所せまと展示されてあったがすべて今は撤去されていた。しかし、2004年に僕らが寄贈したインドネシア語、英語、日本語で記した「防空壕築造記」は配布されていないようである。

スマトラ鉄道についてインドネシア側は、どの程度資料があるのだろうか。パカンバル博物館のロームシャ虐待レリーフの構図は、かってブキティンギの防空壕入口にあったものと同じである。ユネスコには戦争遺産はないと思うが、将来、歴史遺産として保存されるようなことがあれば、当事者の一国として事前に資料を提供する義務があるように思うが、どうだろうか。
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介護サービスより老人会

2016-02-28 06:18:01 | 2012・1・1

昨日、地域の老人会の合同誕生日会に招かれ夫婦2人で出席した。ここ数年参加者は減るばかりで、それも後期高齢者と思える女性ばかり。男性は僕を含めて4人だけ、会場の隅に腰かけて、お祝いの煎餅をボリボリさせながら、おばあちゃんたちの”学芸会”に拍手を送った。

老人会は昭和38年に施行された老人福祉法により国や自治体の補助金により運営されているが、全国老人会連合会のHPによると超高齢化時代とはウラハラにここ数年、会員数は減り続け、ピーク時900万人だったのが、平成25年には670万人まで落ち込んでいる。わが地区の老人会もそのご多聞にもれず、昨日の会場もスキスキしていた。

かって老人会といえば、元気なお年寄りが掛け声をかけながらゲートボールを楽しんでいる姿が目に浮かんだが、今は地方でもその姿は減ってきているそうだ。今は東京のような都会では、老人会は、元気な年配の女性たちのヨガとかフラダンスだとかお習字、童謡、カラオケといった習い事の場になっている。それはそれで、有意義なことだと僕は思っているが、逆に、地域社会から遊離している僕ら男性にとっては、年会費1500円を支払っているにすぎない。

80歳半ばの僕が見ても老人会はマンネリ化している。ボランティアのハーモニカ奏者が一方的に延々と昔の曲を30分演じていたが、会場は一向に盛り上がらない。時代が変わってきているのである。これでは、自己主張が強いといわれる団塊世代の"若い”お年寄りは、老人会には入会しないだろう。

悪口ばかり書いたが、老人会参加の年寄りは僕ら夫婦を含めて皆元気な年寄りばかりである。国の介護サービスのお世話にはなっていない。そういう意味でも、もう一度老人会について考えるときに来ているのではないだろうか。
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「日本の消滅」 ”静かな有事” 総人口の減少

2016-02-27 06:52:51 | 2012・1・1
総務省が発表した2015年国勢調査の速報値によると、わが国の総人口は1億27711万43人で、5年前の前回調査から94万7305人(0.7%)減少した。1920年(大正9年)国勢調査が開始以来、人口が減少に転じたのは初めてのことだそうだ。戦前から戦争期にかけて”産めよ増やせよ”の国家スローガンの下で育ってきた僕ら世代にととっては複雑な思いだ。

産経新聞(2月29日付首都圏版1面)は、この初の人口減について”「日本消滅」危機感、静かな有事”と深刻に解説している。このまま策がなく推移すれば200年後の人口は1400万人、300年後は450万人を割り込む試算もあるという。そんなに未来ではなくとも、厚労省のHPによれば、今から45年先の2060年には、人口は8674万人まで減少するという予測もある。わが国の人口は昭和初期からの75年間に倍増しており、僅か半世紀足らずで大正時代に逆戻りしてしまうわけだ。

安倍内閣は「一億総参加社会」実現の一環として、国民希望出生率1.8を掲げているが、今一つ具体性に欠けている。僕ら昭和世代は、一億という言葉を聞くと昭和15年の皇紀二千六百年式典を想い出し、”金鵄(きんし)輝く日本”の奉祝歌で”一億が胸を躍らせた。あの当時の一億と、今の”総参加社会”の一億とは、同じ一億でも何か語感が違うのはどういうわけだろうか。

敗戦後すぐの時代、新聞雑誌の広告に”一姫二太郎三ゼリー”という避妊薬のキャッチフレーズが一世を風靡した。まったく無関係の世代の僕でさえ今でもこの言葉を憶えている。将来の日本の国力衰退をねらった占領政策だったといううがった見方もあるがどうだろうかー。しかし、人口減少は”静かな有事”であるのは間違いない、
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”2.26” 80年前の(ヌリヱ)塗り絵

2016-02-26 06:12:09 | 2012・1・1

大人の塗り絵が静かなブームだそうだ。テレビ番組の画面で見たら、塗り絵とは思えない巧緻で芸術作品だ。昭和1ケタ世代にとって塗り絵は懐かしい。駄菓子屋へ一銭銅貨を握って買いに行くと、一枚買えたような気がする(まだ昭和10年代初期には厘貨が流通していた)その塗り絵を、当時貴重品であった「王様クレイオン」で塗って遊んだものだ。
書庫に僕が幼稚園の赤組(年少組)だった時代(昭和10年4月―11年3月)の塗り絵帖がある(写真)。よく見ると、当時の時代を反映していて面白い。日の丸、月とウサギ、自動車、内裏(ダイリ)さま人形、汽車などなど。
たまたま今日は2.26事件から80年である。僕は幼稚園の赤組の園児だったが、、何故かこの日の記憶が残っている。幼稚園横の坂道で木箱に乗ってソリ遊びをしていた所へ、母親が緊張した顔で僕を迎えにきた場面である。80年前の遠い記憶である。

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八高線大事故から69年、惨憺たるあの時代

2016-02-25 06:26:53 | 2012・1・1
早朝のNHKラジ番組「今日は何の日」を聞いていたら2月25日には、昭和22年(1947年)、八高線の高麗川駅近くの列車転覆事故で千数百人が死傷した日だと伝えていた。実はこれを聞いて、僕は同じ八高線事故でも敗戦直後の昭和20年8月24日、小宮―拝島間の多摩川鉄橋で起きた上りと下りの列車の正面衝突で、百人以上人が亡くなった事故と混同していた。恥ずかしながら、僕には高麗川の事故については記憶にない。

改めてネットで調べてみたら、高麗川の事故は69年前の2月25日午前7時50分頃、八王子発高崎行きの下り列車(SL)が急カーブを曲がりきれず、連結していた客車4両が脱線、崖下の畑に転落、千数百人が死傷している大事故なのである。どちらの事故も、当時の時世を反映して、列車には食糧の買い出し客が一杯乗っており、これが事故の被害を大きくしたものだった。

亡父の残した日記には、二つとも大きな事故なのにいっさい記載がない。多摩川鉄橋の事故は敗戦直後なので、無記載なのも理解できるが、高麗川転覆事故は戦後2年経っており、世の中もある程度落ちついてきたと思っていたのだが。しかし、日記を見ると、”久しぶりに電気がつき、ラジオが聞ける。待望の米(6㌔)配給あり、同時にビールも配給にもありつける(2月26日)”新聞今日より3日間、タブロイド”(26日)とある時代だったのだ。新聞用紙の不足から、各社ともタブロイド版での発行せざるを得なかった。 わが家では”働かざれば、食うべからず”-と、暗い電灯の下で内職仕事をしていた。二度にもわたる八高線事故があっても無神経。惨憺たる時代であった。
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国の肺炎球菌ワクチン接種対象外の老人からの疑問

2016-02-24 06:49:52 | 2012・1・1
高齢になると、新聞の死亡欄が気になるようである。僕もここ数年、昔流でいう一面(政治)三面(社会)についで次には死亡欄に目を通すのが習慣になっている。昨日もその習慣で、経済欄に掲載されていた死亡欄を見ると、100歳、80歳、72歳のお三方が亡くなっていた。驚いたことには、皆さんいずれも死因が肺炎なのだ。テレビの肺炎球菌ワクチンのCMの西田敏行によると、肺炎は日本人の死因の三位、65歳以上の95パーセントは肺炎だとのこと。慌てて、僕は数年前、このワクチンを接種したことを想い出した。

たしかワクチンの有効期限は5年であったこと。調べてみると、やはり、6年を経過している。そして幸いに85歳で、今年は国から補助がある接種年齢に当たっている。それなのに、保健所から案内が届いていないので、電話で問い合わせてみたら、”あなたは過去に一回接種しているから資格がない。もし、再度受けたいなら、医者と相談して自費でやってください”とのこと。テレビで宣伝している場合は4000円だが、自費だと倍以上だという。

肺炎についてネットで調べたら、肺炎球菌による死亡者は肺炎全体の46パーセントで、一番多いが、高齢者に多い誤嚥(ごえん)性肺炎にはワクチンをのんでも効き目がない。死亡欄にあった80歳の方も誤嚥性肺炎であった。超高齢者社会である。肺炎球菌ワクチン接種でで国の援助があるのは一回限りである。65歳から100歳以上までは35年の年月がある。僕は医者と相談して再度ワクチンを接種して貰うかどうか思案しているが、CMに高い宣伝費を払うのなら(以前はACジャパンで無料だった)老人には、再接種に補助を与えてもよいのではないか。
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TPPと果物の自給率

2016-02-23 05:43:38 | 2012・1・1

老妻が先日神楽坂へフランス料理を食べに行った帰り、飯田橋駅近くの岩手県産品を売る店で一個10円の姫リンゴを5個買ってきた。直径5センチほどの小さい可愛いリンゴである(写真)早速、サラダにして食べたが味も結構おいしかった。

昔、冬の今頃の季節は果物の端境期(はざかいき)だった。八百屋の店頭には柑橘(かんきつ)類やりんごしかなかった。(戦争末期から戦後すぐの時期はこれさえなかった)今のようにハウス物のイチゴや外国からの輸入品のバナナやパインなどなかった。それが今ではわが家の食卓にも写真のように外国からの輸入品が安く手に入り、置かれるようになった。

わが国の果物の平均自給率は40パーセントだという。これが先日妥結をみたTPPが実施に移されると、どうなるのだろうか。自給率99パーセントを誇るミカン(温州)や53パーセンとのリンゴにも影響が出てくるのだろうか。農産物の対外輸出が、ここ数年増えていると聞く。いずれにせよ、消費者にとっては、安く外国の果物が入手できるのは有り難い。だが生産者にとってはどうなのか。実施は数年先とはいえ、TPPの内容が一向に国民に伝わってこないのは、どういうわけなのだろうか。
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「竹島の日」 韓国におかしな外交的配慮は必要ない

2016-02-22 05:25:56 | 2012・1・1
今日22日は「竹島の日」である。日本海に浮かぶ竹島(島根県隠岐島町)は江戸時代初期から漁民が漁場として利用されており、明治38年2月22日に閣議決定で正式に島根県に編入されている。韓国が”独島”と主張しているのは戦後、李承晩(初代大統領)が国際法を無視して、勝手に”李承晩ライン”を設定、不法占拠してからの事である。わが国は、遅まきながら平成17年、島根県などが中心となって、この日を「竹島の日」に決定、毎年記念式典を催しているが、今一つ盛り上がらない。今年も政府は担当大臣の派遣を見送り、言葉は悪いが”お茶を濁している。

昨年暮の慰安婦問題に関する”最終的かつ不可逆合意”以来、僕の目には、わが国の対韓外交は、よく言えば”配慮”だが、何か”腰が引けている”ように見えてならない。問題解決の象徴ともいえる、在ソウル日本大使館前の「慰安婦」像は、依然としてそのままだし、抗議も続いているようだ。僕は日韓の”最終的合意”で、両国間に友好的な空気が生まれるものと期待していたが逆である。昨日の新聞報道によると、東日本震災の復興と支援を目的にソウル市内で計画されていた催しが”公の場所で原発事故被災地の生産物を配布したり、販売するのは適切ではない”と突然中止されたという。

慰安婦問題と領土権とは別問題である。竹島は歴史的にも国際法に照らしても日本の領土である。その領土に不法占拠の大統領が上陸して”国旗”を掲げる事態は異常である。国際的な常識が通じない国に対しては、外交的な配慮など必要ではない。安倍総理が「竹島の日」式典に直接、参加してはっきりと”竹島は日本の領土である”と改めて国民の前で主張すべきである。
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日本の敗戦とチャンドラ.ボースの"ソ連亡命 "近現代史の解釈

2016-02-21 05:56:48 | 2012・1・1
産経新聞(2月19日付け首都圏版)1面に大きく終戦の3か月前に日本政府は、インド独立運動家、チャンドラ.ボースのソ連への亡命を容認していたというロンドン発特電を掲載していた。ボースの孫にあたるCNN記者がインド、英国、台湾などの関係者から問題を聴取し公文署からの機密文書からこの事実が判明したものだという。終戦3か月前にボースが日本当局に、ソ連行きを申し出て、日本がこれを許可したのなら興味深い。

しかし、3か月前の5月当時、日本はソ連との間に不可侵条約を締結しており、日本がボースのソ連行きを容認しても不思議ではない。ソ連が中立条約を一方的に破棄し、ポツダム宣言に参加したのは8月8日である。当時ボースはシンガポールに滞在、、サイゴン(現在のホーチミン)にあった日本軍の南方軍総司令部(寺内寿一元帥)と連絡を取り合っていたが、ソ連の対日参戦を知り、サイゴンに行き、協議の上、満州(中国東北部)関東軍参謀への転出命令の出ていた四手井綱正中将と同じ軍用機に同乗して、8月18日経由地の台北松山飛行場で事故死している。南方軍は、ソ連がすでに対日参戦していたのを知らなかったのだろうか。

ボースの台北での事故死につぃて、インドでは一部でいまだに不審視しているようだが、四手井中将の戦死の公電もあり、事故機機長の証言もあって、まぎれもない史実である。しかし、産経新聞の記事の見出しには”45年以降(ボースのソ連)入国なし”、と、まったく無意味な記述がある。整理記者が、内容をミスリードしているとしか思えない。近現代史の解釈は若い記者の勉強不足もあり、気をつけて読まなければならない。
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