「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

昭和33年東京アジア大会は”Ever Onward”(限りなき前進)の時代だった

2014-09-26 06:33:24 | Weblog
資料の探し物をしていたら、ガラクタ収納の木箱の中から第三回東京アジア大会(昭和33年5月)の取材用身分証明書が出てきた。56年前のこの大会、僕は当時勤務していた新聞社から通訳要員として神宮の会場へ派遣され、インドとパキスタンのホッケーの熱戦を取材した。戦後初のスポーツの国際大会であり、6年後の東京五輪を控えて当時の社会は、大会の標語”Ever Onward"(限りなき前進)通り活気に満ちていた。

しかし、競技そのものは日本の独占場であった。調べてみたら、この大会で日本は金メダル57、銀42、銅30、合計139個も獲得している。当時中国は国際社会に復帰していなかったが、仁川大会で日本とメダル争いをしている韓国は僅か金メダル8、銀7、銅7の計25個にすぎず、金メダルはフィリッピンより少なかった。

第八回バンコク大会まで、日本はメダル獲得数は一位だった。そのおごりもあったのだろうか。競技によっては〝格下”選手を派遣したこともあった。しかし,第九回ニューデリー大会(1982年)から、中国の台頭で日本はメダル争いで後塵をはいしている。仁川大会でも中国は金79、銀47、銅34(25日現在)と日本を圧倒している。(日本金28.銀36、銅32)

日本のお家芸ともいえる柔道、体操、水泳陣の活躍で、僕はもっとメダルを獲得していると思っていたが、やはり13億の人口の国だ。やがて1億をきるのではないかと心配されている国の比ではないのだ。メダルの数がすべてではないが、やはり多いに越したことはない。限りなき前進を続けていた時代に帰って2020年の東京五輪を目指して欲しいものだ。それも2位、3位ではなくて1位であってほしい。