「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          昭和も遠くなりにけり

2008-04-30 06:52:07 | Weblog
昨日は「昭和の日」であった。朝食の卓にスイトンとニラの入った薄焼き(信州の
代用食)が出た。老妻は冗談ともつかず”今日は「昭和の日」だから”と言った。
食糧難のあの時代を偲んでということらしい。僕ら昭和一ケタ世代の半生はほ
とんど昭和だったが、やはり昭和というと、戦争中と敗戦直後の頃が最も印象に
残っている。

平成も二十年、だんだん遠くなりつつあるが、戦後生まれの世代にとって昭和と
はどのような時代だったのかー。昨年「昭和の日」が国民の祝日に制定された時
その趣旨は”激動の日々を経て復興をとげた昭和の時代を顧み、将来に思いを
はせ”とあった。が、いまや"激動の時代”に生きていた日本人は半数もいない。
戦後生まれにとって昭和は、せいぜいあの30年代なのかもしれない。

「昭和の日」に改めて僕らにとって昭和だった戦中と敗戦直後の時代を顧み、あの
時代にあって、平成の今の時代にはなくなったり、姿を消したものを列挙してみた。
やはり時代は移っている。
蚊帳(かや)、ハエ叩き、ちゃぶ台、ネズミ捕り、ネズミ入らず、戸袋、洗濯板、歯磨粉、
箒(ほうき)、はたき、長火鉢、炭俵、ロータリー、水まき自動車、角帽、ゲートル、戦
闘帽、バスガール、サイドカー、リヤカー、足駄、雪駄、浅草紙、汲み取り屋、小間物
屋、乾物屋、洗い張り屋、張り板、フのり、越中、六尺(ふんどし)、マント、トンビ、ソ
フト、ラオ屋、雪隠・・・・まだまだあると思うがこのへんで。




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            月月火水木金金

2008-04-29 05:43:33 | Weblog
昨日、長い"冬眠”から覚めて四か月ぶりに朝のラジオ体操に参加した。会場の大
學キャンパス跡地の木々はいつのまにか見事な新緑に変っていた。"冬眠”前と同
じように、会場には元気なお年寄りを中心に30人ほどの人が集まっていた。最高齢
の90歳を越えた元海軍軍医で大學の先生だったS氏の姿もあった。S先生は冬場も
毎日参加していたそうだ。
         ▽月月火水木金金(作詞 高橋俊作 作曲 江口源吾)
           朝だ夜明けだ 汐(うしお)の息吹(いぶき)
           うんと吸い込め 銅色(はがねいろ)の
           胸に若さの 漲る(みなぎる)誇り
           海の男の艦隊勤務 月月火水木金金

S先生は戦争中、志願の海軍大尉で太平洋の島々で艦隊勤務をされていた。歌のよ
うに土曜も日曜もなく激務につかれていた。この世代は僕ら昭和一桁世代に比べて元
気で若い。身体の鍛えられ方が違う。

S先生だけではない。ラジオ体操参加者には後期高齢者医療や介護保険のお世話に
なっている人はいない。僕もこれを機に整形病院での膝のリハビリ治療をやめることに
した。3割は自己負担といっても残りの7割は現役世代と国の負担である。厚労省は
老人の"薬づけ”医療から脱して"予防”医療にもっと力を入れるべきだ。ラジオ体操の
参加費は年間1000円にすぎない。どうだろうかー。ラジオ体操参加の後期高齢者には
逆に1000円国からご褒美をくれたら!安いものだ。


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        「不良老人」に負けた自民党

2008-04-28 05:44:12 | Weblog
福田政権下初の国政選挙、山口二区補選で自民党候補が負けた。民主党の勝利の
一因は政府の”年寄りいじめ”政策、後期高齢者医療制度が逆風となり「保守王国」
の老人票が同党に流れたという見方もある。選挙公示日の15日が、たまたま医療費
の年金からの”天引き”の日だったのも不運であった。

昨日の「産経新聞」のコラム”古典個展”で大阪大学名誉教授、加地伸行氏が”「不良
老人」よ甘えるな”という見出しで、高齢者が弱者という美名の下で、年金が頼りとわ
めいている”と批判していた。しかし、僕が理解している限り、後期高齢者の怒りは、
政府の新制度に対する説明不足と、年金からの”天引き”、ネーミングの悪さ、それに
新制度の底に流れる老人蔑視などだと思う。加地氏は”年金に頼る「不良老人」といっ
ているが、誰でも老後のために年金をかけてきたのであって、これに頼るのは当たり
前だ。

加地氏は恐らく恵まれた役人の共済年金を貰い、自身”労働者老人”といっているが、
旅先で按摩にかかれるほどリッチで、こうして原稿を書いて高い稿料を貰っている。
ところが、世間には国民年金だけが頼りで月10万円以下で生活している老人がごまん
といる。加地氏は”元気なときはさんざ浪費していた「不良老人」”といっているが、全部
が全部とはかぎらない。

僕も後期高齢者だが”現役なみ”の所得と認定されて三割の医療費を払っている。心情
的には加地氏の”蟻とキリギリス”論もわかる。しかし人生は加地氏のように順風万帆な
人ばかりではない。一生働き詰めでも国民年金だったがために厳しい老後を送っている
人も多い。

どうも学者先生や政治家たちは、競馬馬のように遮眼帯をはめられていて周囲が見えな
くなってる。今回の高齢者医療問題を”不良老人”のわめきとみる傲慢さ、ここに自民党
の敗因もある。


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       聖火の出発点 人生の出発点

2008-04-27 07:35:21 | Weblog
僕の人生の出発点は長野である。学校を出た最初の赴任地が長野であり、ここから
僕の人生は始まった。昨日、テレビ聖火リレーを見て僕は55年前の”駆け出し”時代
を懐かしく思い出した。とくに聖火リレーの出発点になった勤労福祉センター跡は僕
にとっては忘れられない。昔、ここには長野刑務所があって、僕はここを舞台に初め
ての”特種”記事をものにした地なのだ。

昭和28年の秋の一日、僕は長野刑務所所長室で所長と雑談していたところ、担当者
が所内で受刑者3人がメチールアルコールを飲んで事故死したと報告に来た。僕が記
者とは知らなかったのだ。僕はすぐに市役所に駆けつけ、死亡届から死んだ受刑者の
名前と住所を割り出した。刑務所は秘密にしていたので、僕の”特種”であった。

ところが不思議なことが起きるものだ。記事を電話で東京本社に送った(昔はメールも
FAXもなかった)直後、市内にサイレンが鳴り響いた。受刑者が刑務所から脱走したと
いう知らせである。この脱走のおかげで僕の”特種”もちょっと陰が薄れ、記事の扱いも
小さくなってしまった。

聖火リレーは80人のランナーによって引き継がれ、無事ゴール地点の若里公園に運ば
れた。ここは僕がいた当時は県の農業試験所の圃場があったところだ。僕の義理の兄
夫婦は当時ここに勤務していて結ばれた。僕も”ヨワイ”80歳近く、聖火のように他人に
色々とお世話になりながら、長い人生を運ばれてきた。不思議な縁である。

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        "赤”に席捲された仏都、長野

2008-04-27 06:22:44 | Weblog
長野での北京五輪の聖火リレーの模様を”観戦”した。聖火リレーに"観戦”は
おかしいが、聖火を囲んだ、あの厳重な警備とあの"赤”集団の馬鹿騒ぎは、一
触即発、まさに臨戦体制。"観戦”といってもおかしくない雰囲気だった。幸い小
競り合い程度で無事聖火はリレーされたが、誰のため、何のためのお祭りだっ
たのだろうか。

いやいや今回の聖火リレーは、日本にとっては”ふって湧いた”ような災難であっ
た。本来は北京五輪に対し、隣人として成功のエールを送りたかったのだが、他
国を他国とも思わぬ、あの”赤旗”の林立、席捲は異常としかいえない。改めて全
体国家の脅威、覇権主義の怖さを見せつけられた感じだ。

仮定の話で恐縮だが、舞台を北京に移し、あのような日本の国家行事支援の催
しがあった場合、わが国は在中国の学生に”全員集合”の号令をかけ、また学生
も「日の丸」をもって駆けつけ、あのように熱狂するだろうか。自分の国の国旗を
嫌い、国歌を歌うのも拒否している教師もいる国である。

”戦い”済んで改めて日本人の特質の規律の好さについて自賛した。青い服を着た
中国人の警備集団は”フレーム・アテンダント”という名の聖火係二人だけで済んだ。
日本の警察官が二重三重に聖火を囲んだ姿は異様に見えたが、それ以上に異様
な”赤”の集団の中では仕方がなかった。中国側の発表では、きのう長野に動員
された在日の”留学生”は五千人だという。日本の警察官は三千名、本当に関係者
はご苦労なことであった。

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        男性長寿日本一 横浜市青葉区

2008-04-26 05:39:51 | Weblog
厚労省の全国市区町村別平均寿命(2005年)番付が発表になって男性では横浜市
青葉区が81・7歳で全国一、僕の住んでいる東京目黒区も第十位にランクされた。
後期高齢者にとって長寿は有難いことなのかどうか、分からないが、まあ素直に喜ぶ
ことにしよう。

横浜市青葉区には、毎年年賀状を交換している旧友が三人いる。彼らの共通点は昔
東京の区部に住んでいたが、昭和40年代に東急田園都市線が開通した時代に青葉
区に移り住んだ。田園都市線は昭和41年、それまで渋谷から二子玉川までの通称玉
電(路面電車)が地下鉄化され、さらに溝口(川崎市)から長津田(横浜市)まで延長さ
れた路線である。この新線の開設で、今まで山野や田畑だった郊外にニュータウンが
誕生した。

僕の親友の一人で青葉区住人の一人に長寿の秘訣を聞いてみた。その第一は裕福で
あること。役人の共済年金やサラリーマンの厚生年金でも平均以上の所得者が多く、
さらに自宅を持っている。多分、年金生活者の平均希望生活費月額30万5000円(日本
ファイナンシャル・プランナーズ調べ)をクリアーしている人が多いのではないかという。

第二の秘訣は生活環境の好さだ。彼に言わせると青葉区の中心地「たまプラーザ」駅
前にはモダンなショッピング・モールがある一方、住宅街には緑が濃く公園も多い。そ
れに都心の渋谷まで急行に乗れば僅か30分という便利さだ。彼の言葉をさらに引用す
ると、長寿するには現役時代からの老後の備え、つまり"蟻ときりぎりす”の蟻の心がけ
が必要だという。果たしてどうなのだろうかー。
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          バターがなくても困らないが

2008-04-25 05:44:05 | Weblog
東京のスーパーなどの売場からバターが消えてからだいぶ経つ。昨日もチラシの目玉
商品につられて量販店に出かけたが、やはりバターの姿はなかった。僕ら老夫婦にと
ってバターは”必需品”ではないし、なくても困らない。でも不思議なもので、ないとなると
買いたくなるものらしい。先日、老妻は高級スーパーであまり名前もきいたことがないメー
カー品を840円で買ってきた。

バターが店頭から消え始めたのは昨年の暮ごろかららしい。生産地の牛乳あまり現象
から酪農家が生乳の生産調整をした結果、そのあおりでバターの原材料まで不足して
きたものらしい。これを大新聞が報じたため品不足に拍車がかかった。業務用の無塩
バターを大量に使う菓子メーカーには打撃だが、わが家のような年寄り家庭は代替の
マーガリンで十分だ。

問題はこれが今世界を騒がせている穀物不足による食糧危機の一環なのかどうかであ
る。途上国のセネガルやハイチでは輸入穀物の値上げで暴動が起きている。東南アジア
のタイやカンボジアでも部分的だが、同じような騒ぎが伝えられている。インドネシアでは
国民食のテンペの材料の大豆の値上がりで業者が政府に対して輸入大豆価格の値下が
りを要求している。

穀物価格の値上がりの原因は、オーストラリアの二年続きの旱魃とか米国のバイオエタノ
ール生産増によるトウモロコシの品不足など色々取沙汰されているが、これが大国のエゴ
や食糧戦略によるものでなければよいのだがー。僕ら”欲しがりません。勝つまでは”の世
代は、少々のことでは困らないが、世界的な食糧危機だけは防止しなければならない。
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        半世紀前の学園キャンパス

2008-04-24 08:21:36 | Weblog
毎日が”サンデイ”の老人だが、このところ”現役並み”の忙しい日が続いている。
昨日は38年ぶりに開かれた大学の同期会に出席した。僕らは昭和28年(1953年)
の卒業で、大方が高度成長期の企業戦士”で、現役時代はなかなか集まる機会
がなかった。が、やっと喜寿を過ぎ再会のチャンスがやってきた。

昭和28年という年は、大學の旧制、新制が一緒に卒業した年で、未曾有の就職難
であった。特に僕らは文学部というハンディがあり企業によっては門前払い。就職、
先がなく遠く北海道の僻地の高校に”都落ち”した者もいた。

ちょうど学制の切替期で、僕は昭和23年4月、大學予科に入学したが、僅か2か月で
学校は6月1日から9月15日まで、長い夏休みに入った。先生も学生も弁当が持参で
きないほどの食糧難であった。学生食堂はあったが、学生寮にいる学生たちのため
の外食券食堂で、外食券を持たない一般学生は食べられなかった。その学生寮は校
庭の一角に建てられたカマボコ型をした進駐軍払い下げの兵舎であった。トタン屋根
の簡易住宅で、夏は暑く冬は寒い、粗末なものだったが、まだ焼跡で防空壕生活者が
いる当時としては羨ましがられた。

卒業後半世紀を経て、それぞれが精一杯自分の人生を生きてきた。卒業期30数人
いた学友のうち、今回連絡がとれた者が20人、物故された方10人で、昨日の会には
9人が参加した。乾杯の音頭を取ったのは、復員で帰国が遅れ、一回りも下の僕らと
机を並べた88歳のY氏、彼は夜進駐軍キャンプで、バーテンダーをしながら学費を稼
いだ苦労人であった。半世紀前の大學生活を地で行ったような人だ。

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        天皇陛下の靖国神社参拝を!

2008-04-23 06:39:22 | Weblog
九段の靖国神社で23日まで春の例大祭が催されている。初日の昨日、僕は94歳
の先輩と一緒に生まれて初めて昇殿して清祓の儀式で玉串を奉納してきた。靖国
神社への参拝客は”小泉効果”で、かってよりは増えたが、戦前のあの賑わいに
比べればほど遠い。

昭和13年4月25日、靖国神社では前年から始まった日支事変の戦死者4,538名の
英霊を祀る臨時大祭が催された。翌26日には天皇(昭和)陛下がおなりになり、九
段坂から境内まで、全国から集まった遺族9,000人で埋め尽くされたーと当時の新
聞は伝えている。小学生だった僕も当時の靖国神社の賑わいを覚えている。都内
の学校は30日の大祭当日は授業が休みだった。

       ▽ 露営の歌(昭和12年)作詞 古関裕而 作曲 藪内喜一郎

         四、思えば昨日の戦いに 朱に染まってにっこりと
           笑って死んだ戦友が 天皇陛下万歳と残した声が
           忘らりようか

70年前の日本は、こんな歌のような時代であった。昨日の例大祭には天皇陛下から
の勅使が派遣されて、玉串が奉納されたが、陛下自身の参拝はなかった。麻生太郎
氏は外相時代に「英霊は天皇陛下のために万歳といったのであって、首相万歳といっ
た人はいない。天皇陛下が参拝なされるのが一番だ」と発言している。1975年の終戦
30周年以降、天皇陛下の靖国神社参拝は途絶えている。

昨日ともに参拝した94歳の先輩は、マレー・シンガポール作戦で”遺骨を抱いて”従軍
した勇士である。フィリピンの激戦で戦死した兵士を看取った従軍看護婦もおられた。
神殿の前で二礼二拍する従軍世代も年々減ってきている。この方々が元気な間に天皇
陛下の参拝を実現させたいものだ。



                     
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        未来志向の日韓新時代を歓迎

2008-04-22 06:11:56 | Weblog
福田総理と来日した李明博・韓国大統領との間の共同声明後の記者会見をテレビで
みた。日韓両国が互いに過去にとらわれず未来志向でいこうとうたった共同声明は
久しぶりにグッドニュースだ。多少なりとも過去の時代を知る、僕はこれを心から歓迎
したい。

日本の韓国統治35年間は不幸な時代であった。といっても両首脳はこの時代について
ほとんど知らない世代である。福田総理は僅か9年間、1941年生れの李大統領は4年間
の幼児体験である。二人だけでなく日韓両国ともあの時代を知る世代はほとんどいなくな
ってきた。にもかかわらず、何時までも過去にだけこだわっていては未来への展望はない。

かといって僕は一部の日本人に見られる過去の”歴史歪曲”については反対である。歴史
は複眼で直視しなければならない。李大統領は昭和16年、当時の大阪府中河内郡加美村
(現大阪市平野区)で生まれている。父親は韓国慶尚北道の出身で、加美村にあった京阪
牛乳牧場の労働者だったという。終戦時4歳だった李大統領には、その時代の記憶がある
かどうかは知らない。

しかし、一般的にいって当時朝鮮半島から来た人たちは、貧しく差別を受けていたのは事実
である。子供だった僕でも”チョウセン、チョウセンとパカにするな。同じメシ食ってトコ違う”と
蔑視的な囃し歌をうたったものだ。昨日の記者会見でも「歴史認識」の問題が出ていた。
難しい問題だが、1995年8月15日の光復節にソウルにあった日本時代の総督府の建物が 
群衆の歓呼の中で取り壊された。当時、日本の識者の中には建物の建築的意義を強調して
反対する人もいた。しかし、総督府は韓国の人にとっては屈辱のシンボルなのだ。

ここ数年”韓流”ブームが続いている。日本の若いアイドル歌手がソウルでもみくちゃにされ
たというニュースもあった。それでよいのだ、と僕は思う。未来志向でよいのだ。
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