「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

新盆の入り すたれてゆく都会の仏事の習慣

2019-07-13 05:06:40 | 2012・1・1

明治の改暦後、盂蘭盆会をそのまま新暦の7月15日にした新盆が今日から東京で始まる。三代続くわが家でも梅雨の合間を見て菩提寺に参詣するが、かっては、家庭でも行っていた仏事の習慣をやめてから久しい。戦前までは、東京(区部)では、盆の入りの13日の夕刻になると、家々の門前で、麻幹(おがら)で、迎え火を焚き、祖先の霊を迎えいれる、キュウリとなすで精霊馬(牛)を用意した。仏前には提灯ともし、お供え物をした。”オショロさま”の名前は今でも覚えている。

日常、仏壇に手を合わせたことがない僕だが、昨日の新聞の「終末読本」という雑誌の広告で”樹木葬、散骨、ご遺骨の行方”という見出しを見た。別の広告欄には納骨堂売り出し広告特集があり、初めて新盆の季節であることに気がつぃた。個人的には、僕は樹木葬にも散骨にも関心がないが、最近、世間一般が、人間の死について考え方の変化がみられるようになったのは気になる。

葬儀の簡素化には、もとより賛成である。しかし、直葬といって火葬場でご遺骨を焼くだけの”葬儀”はどんなものだろうか。最近、年末になると”喪中につき”という葉書で初めて友人、知人の死を知ることが多くなった。何か直葬の心に通じるような気がしてならない。人間の一生である。”お別れ”も人間らしく大切にしたいものだ。


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