安倍晋三内閣の教育再生実行会議で「道徳」の教科化が提唱され実現への動きが出ている。安倍総理は「道徳教育への充実」に意欲的ということだが、産経新聞の「言のついでに」というコラムで論説委員氏が”修身(道徳)教科書復活への期待は大きく膨らむ”とわざわざ修身(道徳)と修身を強調して書いていたので、戦中小、中学校で9年間、修身を学んだ者として一言。
修身の授業は週に1時間ぐらいあっただろうか。国定の教科書にそって先生が国語の授業と同じように生徒に読ませた。内容については、ほとんど忘れてしまったが、"狼少年”とか”蟻とキリギリス”といった西欧の寓話や藩政時代の上杉鷹山の倹約の話や二宮金次郎の薪を背負いながら読書した勤勉の話があったようだが確かではない。
戦前の教育は「教育勅語」によるものだった。”朕(ちん)惟うに皇祖皇宗で始まる”この勅語の暗誦は、言葉が理解出来ない子供たちにとっては歴代の天皇の名前の棒読み暗記ととにあまり良い思い出ではない。学校によって違うのだろうが、僕が学んだ小学校では修身の授業は当時の時代を反映した極端な皇室崇拝の話が多かった。僕にとって修身は好きな課目ではなかったが、評価は甲であり、操行(行儀)も優であった。
「道徳教育」の教科化は、日本の教育の現状をみると反対ではない。世界に共通するモラルさえ日本では守られていない。道徳教育は昭和33年から任意課目として学校で行われているそうだが、成果は上がっていない。そのため道徳を教科化して子供たちに学ばさせることも一方便であろう。しかし、これを戦前の修身に戻すというのには、僕らの世代には抵抗があり反対である。
修身の授業は週に1時間ぐらいあっただろうか。国定の教科書にそって先生が国語の授業と同じように生徒に読ませた。内容については、ほとんど忘れてしまったが、"狼少年”とか”蟻とキリギリス”といった西欧の寓話や藩政時代の上杉鷹山の倹約の話や二宮金次郎の薪を背負いながら読書した勤勉の話があったようだが確かではない。
戦前の教育は「教育勅語」によるものだった。”朕(ちん)惟うに皇祖皇宗で始まる”この勅語の暗誦は、言葉が理解出来ない子供たちにとっては歴代の天皇の名前の棒読み暗記ととにあまり良い思い出ではない。学校によって違うのだろうが、僕が学んだ小学校では修身の授業は当時の時代を反映した極端な皇室崇拝の話が多かった。僕にとって修身は好きな課目ではなかったが、評価は甲であり、操行(行儀)も優であった。
「道徳教育」の教科化は、日本の教育の現状をみると反対ではない。世界に共通するモラルさえ日本では守られていない。道徳教育は昭和33年から任意課目として学校で行われているそうだが、成果は上がっていない。そのため道徳を教科化して子供たちに学ばさせることも一方便であろう。しかし、これを戦前の修身に戻すというのには、僕らの世代には抵抗があり反対である。
いま教育現場で問題になっているのが、子供の躾が家庭で出来ていない事だそうです。基本的な挨拶に始まり端やスプーンの持ち方も怪しく、礼儀がないとか。確かに電車などで遭遇する私立の小学生を見ると、我先に椅子を占領し、高齢者などに知らん顔をしています。電車でギャーギャー騒ぎ迷惑です。
親が躾ないので仕方ありません。今の親は、躾を教育機関に求めるのだそうです。
最近は、苛めや学級崩壊の問題も大きくなっていますから、低学年からの道徳教育は必要に思います。
学校だけに「道徳」を押し付けるのは問題があると思います。しかし、家庭でのしつけが崩れてしまった現在、最低限度の世界に共通するモラルだけは学校で教えないとみっともないですね。昔の事ばかり言いますが、かっては仏事にも子供を参加させ、閻魔さんから嘘をつくと舌を抜かれるという話を聞いたものでした。社会全体に規律があった感じがします。私立校の子供たちの車内での騒ぎ方は僕も気になります。これこそ学校で指導すべきです。
損得や、やったもん勝ちという様な世の中は日本人として恥ずかしいです。
人の粗探しよりも、政治家 メディアの皆さん協力して、恥ずかしくない子供達に、教育
環境を整えてください。
鉄は熱いうちに打てですね。子供のときに善悪を教えるべきですね。有難うございました
学校教育に道徳教育がなじまないというような発言がありますが、そのような発言をする方の心には屈折したものがあるとしか考えられません。
現在、何故教育現場が荒廃しているかというのは、すさんだ心を持っている子供の親がしっかりした規範意識を持っていない(またこのような親はその親も規範意識を有していない)が故に子供の教育ができない。
したがって規範意識を親からも学校からも学べない者は当然、その子供も規範意識を身につけることができない。
核家族化の進展により親が宗教観も規範意識も無いような家庭が増えているのだから、学校がその補完をするということに何故、反対するのかが、その理由が不可解です。
意図的にこの国を荒廃させようといる人が増えているような気がしてなりません。
戦後、二宮金次郎の銅像がいつの間にか、どこからも
消え去ったをいうのは、おそらく教育現場の荒廃を目録む日教組の影響があると思います。
参考までに、ばりばりの日教組の子供に性格の悪い者が多かったのは単なる偶然でしょうか。
道徳の授業復活、賛成です。大いに執り行うて頂きたいです。西欧文化大吸収も大いに結構、しかし、古来よりの日本精神を忘れてはいけないと思ひます。道徳復活賛成です。
これ全て親から子への愛情と、学校や社会に行くための準備としての親である責任と義務です。
先ず親である皆さん、権利や保護と同じく、責任と義務を教えてください。
社会に出て困惑している若者が絶えません。
現在、例えば小学校なら五つの領域を通して道徳教育を行うとしている。各教科(こくご、算数とか)、特別活動(学級活動、行事)、外国語活動、総合的な学習の時間、道徳の5つ。この中の道徳っていうのは、すべての学校活動をとおして行われる。要するにどこにでも道徳は入れる事ができる。国語であったり社会であったり多角的にモノを考える事が道徳となっている。ここで道徳を完全に教科にしてしまうより各教科の中に討論するなどの機会をたくさんもうける方が子供のためになる。昔の修身に戻すなんてもってのほか。
道徳心は幼少からの刷り込みで
解決できる
10年後にはきっと今よりずっと
いい国になるだろう。
安倍さんに期待する。