「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           「ハポン」さんは慶長使節の末裔か?

2012-04-22 06:47:29 | Weblog
昨日、スペイン協会の文化交流の集い「ドンキホーテ.クラブ」で慶長使節の末裔かといわれる「ハポン」さんについて雑談した。スペイン南部のセビリアに近いコリア,デル.リオの町周辺には「ハポン」(スペイン語で日本)性を持つ人が800人位いて、この人たちは17世紀初め伊達政宗が欧州に送った慶長使節団の末裔ではないかーという説がある。読売新聞(4月11日)によると、名古屋大学などの日本の研究チームが、近く現地の「ハポン」さんたちの協力を得てDNA調査をしてこの説の真否を探るとのことだ。

慶長使節は1614年10月メキシコ経由でスペインのサンルカールに上陸、グアダルギビル川を遡かのぼってコリア.デル.リオという小さな町に4日間滞在、その後マドリッドで国王に謁見、ローマで法王に会った後、再びスペインに戻り、コリア.デル.リオに今度は帰国の船待ちのため9か月滞在している。多分、慶長使節の正使、ルイス.ソテロ神父が、この町の貴族の出身だったからだろうといわれている。

読売新聞の記事によると「ハポン」さんの子供にはアジア人しか出ない蒙古斑を持つケースがあり、使節団の支倉常長の守備隊長といわれる滝野嘉兵衛の裁判記録も現地に残っているという。名古屋大学などの研究班は「ハポン」さんたちのゲノム(全遺伝情報)の解析を行い、慶長使節団のサムライたちの末裔であるかを調査する。

このニュースを知って、僕は幕末、ロシアのプーチャーチン使節団一行500人が安政大地震の津波とその後の暴雨風で乗船を失い、帰国の船建造のため静岡県の戸田(へた)港に6か月滞在した時のことを想起した。帰国後戸田の小さな町には何人かのロシア人と現地女性たちとの間の混血児が誕生したという。慶長使節団の宿舎はキリスト教会、ロシア人たちの宿舎は戸田の仏教のお寺だったそうだが、男と女の関係には宗教など関係はない。「ハポン」さんたちの話は「ドンキホーテ」の作者セルバンテスの時代のことだ。

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2 コメント

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単身赴任 (chobimame)
2012-04-23 08:48:30
こちらも興味深い話です。是非とも鑑定をしてもらいたいです。その後、使節団は帰国したのでしょうか?なんだか単身赴任でフィリピンに現地妻を持ち子供を儲けて、赴任期間が終わればサッサと帰る日本人単身赴任者とだぶりました。世界共通問題かもしれませんが、いつの世も男と女は変わらないのかとため息の出る部分もあります。ハポンさんたちがどのような人生を送ったのか興味深いです。
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判らないことが多い (kakek)
2012-04-23 12:19:05
chobimame さん
副使の支倉常長は帰国しましたが、他の随員の記録はないみたいです。正使のソテロ神父はすでにキリスト教禁止になっていた日本の九州に密入国して逮捕され、火あぶり刑になっています。何分400年昔の話などで判らないことが多いです。石巻を出発した時には50人を超す日本人がいたのですが、欧州へ渡ったのは20人ぐらい、そのうち欧州での足跡が判明しているのは支倉と滝野二人だけです。
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