「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ダバオの”日本のトンネル” スマトラの”日本の穴”

2016-05-29 05:35:28 | 2012・1・1
フィリピンの新大統領にロドリゴ.ドゥテルテ.ダバオ市長が当選した結果、これまで、あまり日本の新聞に登場してこなかった「ダバオ」の活字を見かけることが多くなった。常駐特派員を置いていない産經新聞のコラムにもダバオの記事があり、その中で、僕はダバオ市内に戦争中に旧日本軍が掘った全長7キロのトンネルがあることを知った。

僕は10年ほど前、西スマトラ(インドネシア)のブキティンギにある旧第25軍司令部が掘った防空壕跡を調べてことがある。当時、日本では学者たちの誤った報道で、この防空壕で労務者3千人が虐殺されたという虚報が流れていた。僕は何回も現地を訪れ、掘削当時の責任者を初め証言を取り、虚報であることを突き止めた。

ダバオの日本のトンネルはなんの目的で掘られたのだろうか。マニラで発行されている「まにら新聞」の”栄える商魂 消える戦場”という記事によると、このトンネルは”ダ.ジャパニーズ.トンネル1942”と呼ばれ、戦後の2001年、現地の製薬会社がトンネルの一部に観光目的でレストランやホテルを造ったことにより、しられるようになった。トンネルの入口には銃をもった等身大の旧日本軍の兵隊や展示室には兵器や軍票なども展示されているという。

”ダ.ジャパニーズ.トンネル1942”という表記から見て、トンネルは1942年(昭和17年)に掘られている。ダバオが本格的な米軍の空襲にあったのは44年、ミンダナオ島に連合軍が逆上陸してきたのは45年5月である。敗戦の8月15日までの3か月間にダバオ地区だけで2万人が犠牲になっており,そのうちの多数は、戦前からダバオでマニラ麻の製造に当たっていた民間人であった。

日本のトンネルの入口には”ダバオの歴史の不思議を知り日本を探検しよう”という看板があるそうだが、探検しようにも日本側の資料や説明がなければ、スマトラの穴のように誤解の原因になる。僕らは有志の協力をえて、現地にインドネシア語と英語で”日本の穴”築造記を作り、これを現地の了解をえて配布してきた。戦後70年、防空壕と郭ふく陣地の違いが判らない世代が多くなってきている。従軍世代が健在のうちに戦地のこういった「遺産」をきちんと整理すべきである。






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4 コメント

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同感です。 (Wacin)
2016-05-29 10:47:25
現地で 戦時体験をされた方々は、ほとんど居なくなってしまいました。インドネシアのマカッサル上陸作戦の際、日本軍の道案内を務めた方と、2013年にお会いしました。その方も今年3月にお亡くなりになりました。日本側でも 当時を知る方は 本当に少なくなりました。でも まだお元気な方もおられます。いまが最後の、最後のチャンスと思います。
最後だと思います (kakek)
2016-05-29 11:37:02
Wacin さん
マナドにも大きな壕がありました。戦争末期、物資の貯蔵に掘られたものだと、思いますが、現地のガイドはわざわざここに僕を案内してくれました。地上戦のなかったジャワにも沢山壕が残っています。スマトラの穴みたいなことはありませんが、K教諭が編纂した写真集には事実と異なる変な記述があります。
シンガポールから目と鼻の先のレンパン島には、依然戦時中のダイハツが沈んだままになっています。相手国との話し合いで、こういった戦時”遺産”は整理したほうがよいですね・
同感です。 (南十字星の爺)
2018-12-14 17:40:22
マニラ在住28年。 マニラで家族を持ち平和に生活しております。 
嫁の実家がダバオにあります。
甥の誕生日で、明日、ダバオに行きます。
このホテルに宿泊することになっております。
このホテルを建てたのは、甥が副社長をしている化粧品会社です。(薬品会社ではありません・・・悪しからず)
戦争の記憶/遺産が消えつつある昨今、どんな形でも残ってくれることが後世への歴史伝達だと信じます。
貴殿の調査、行動力に感服しております。
引き続き、頑張って頂きたく。
一愛読者。
ダバオ根拠地隊 (kakek)
2018-12-16 17:38:19
南十字星の爺 様
コメンと有難うございます。フィリピンの戦史については専門ではありませんが、ダバオのトンネルは海軍第32根拠地隊が造営しとだ思います。戦前からの日本人防衛のため大掛かりなものだったのでしょう。ご存知の敗戦前の戦闘で、犠牲者が多く、当時の事を知る人も少なく、なにより70年の歳月の経過が邪魔していますね。友人に牧野四郎司令長官の子息で、比作戦の研究家会いますので聞いてみます。
明日(12月17日)のブログで扱わさせてもらいます。

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