「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            66年前と31年前の春分の頃

2012-03-20 07:40:36 | Weblog
”寒さ暑さも彼岸まで”というが、今年はどうも違う。彼岸の中日、春分でも寒い。一体春はどこへ行ってしまったのか。例年だとこの時季になると、沈丁花の花の匂いが漂ってくるのだが、今年はまだ蕾が固い。気象予報だと、この寒さはまだ続きそうだという。まったく”赤いジョジョ”はいておんもに出たい、みいちゃんの心境である。

31年前の昭和56年3月19日、僕は足掛け10年勤務した北海道の会社を辞め、生まれ故郷の東京へ戻った。札幌はまだ雪で囲まれていたが、東京はすでに春めいていて、新居の周りの沈丁花の香りが強烈な印象として残っている。北国の生活に慣れていない者にとって、11月から4月までの長い冬はとても耐え難かった。当時僕は50歳だったが、この転居を機会に僕の第二の人生が始まった。

もう一つ忘れられないのは昭和20年の春の彼岸だ。当時僕は東京の五反田に住んでいたが、3月10日の大空襲の後、家のまわりに軍需工場があったため、急きょ強制疎開を命じられた。命令があってから1週間以内に家を空けなければならず、わが家はバタバタと引越し準備をした。亡父の日記によると、五反田の家から、現在僕が住んでいる住居まで、引っ越し荷物を二台の荷馬車に積んで5㌔の道を三往復した。亡父の春分の日の日記には”終日、荷物の整理と塀の取り壊し。付近も我らと同じ忙しさだ。戦時下の苛烈な現状を思えば仕方がない”とある。ただ救いなのは、日記の後尾に”今日は珍しく暖かし、やはり彼岸の中日である”と書いてあった。

ここまで書いて僕は昨年の小ブログを見直してみたら連日、東日本大震災関係のことばかり、彼岸についても、いつ桜が咲いたかについても一切触れてうない。やはり心理的にそんな余裕がなかったのだろう。