「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      「インドネシア従軍5年の想い出」講演会案内

2011-11-12 17:26:45 | Weblog
日時    2011年12月3日(土)正午から午後3時
場所    東京都目黒区目黒4-6-6
       東京インドネシア学校(Balai Indonesia)
    JR目黒駅西口から「大岡山小学校」行バスで
       四つ目「元競馬場」下車、徒歩5分
講師    山下信一・昭和女子大学名誉教授
       (第47師団兵士としてスラバヤ上陸作戦に
       従軍、そのあと東チモール、ロンボク、ジャワに
       5年駐留)
司会    加藤裕・元産経新聞ジャカルタ支局長
       (著書「大東亜戦争とインドネシア」ほか
会費    3,000円(インドネシア料理弁当とお茶代)
申込み   (財)日本インドネシア協会
       電話 (03)3261-2956
       メール japinda@proof.con.ne.jp 

            80老のインドネシア独り旅

2011-11-12 16:37:24 | Weblog
明日からインドネシアへ旅に出る。80老の独り旅だ。最後にインドネシアを訪れたのは2006年だから5年ぶりだが、この間、この国は年々6-7%と高い成長率で経済が伸びて発展を続けている。どんなに変ったのか、自分の目で見てきたい。10日間という駆け足旅行だが楽しみだ。

僕がインドネシアを初めて訪れたのは昭和41年(1966年)、もう45年も前のことだ。誰でも最初に滞在した国が好きになるというが、僕もご多分にもれず魅せられて現役を卒業した昭和58年以来、毎年のようにこの国を訪れている。ジャワ、スマトラ、スラウェシ,カりマンタン、バリの主な所に足を踏み入れた。

今回の旅はまったくのノスタルジア旅行だ。ジャカルタでは45年前"スカルノからスハルトへ”の移行期に僕の仕事を手伝ってくれた女性ジャナリスト、トゥテイ・カキアイラトゥ女史と30年ぶりに再会できる。先年死去された最も知日派の学者アリフィン・ベイ氏(元筑波大学客員教授)のお墓参りもしてくる。そして戦後インドネシアに残留した元日本軍人・軍属の一人宮原永治氏(89)とも久しぶりにお会いしてくる。さらに中部ジャワのテマングンでは、このブログで知り合った元インドネシア義勇軍(PETA)の兵士バンバン・プルノモ氏(85)とも懇談してくる。

いくらノスタルジア旅行といえ、80歳の老人にはかなりタイトな日程だが、安い、ロスメン(インドネシア風の旅館)に泊まり、冷水でマンデイ(水浴び)しながらジャワの影絵芝居を見られれば、最高の幸せだ。

         巨人軍内紛と読売新聞の報道

2011-11-12 07:40:29 | Weblog
読売巨人軍の清武球団代表がわざわざ記者会見を開き、渡邊恒雄球団会長兼読売新聞グループ本社会長主筆)が”プロ野球のオーナー、GM(ゼネラル・マネージャー)制度を無視して私物化している”と痛烈に批判した。事の起こりは清武代表ら現場の責任者が決めた来シーズンへの人事構想でヘッドコーチに岡崎郁氏を決めたのに、渡邊氏が勝手に"鶴の一声”で江川卓氏にするなど口を挟んできたというものだ。

僕は清武代表の記者会見の模様を昨日、読売とは競争相手のテレビ朝日の番組が長々と報道しているのを見た。たかがプロ野球球団の内紛にすぎないのだが、主役の一人が"ナベツネ”こと渡邊恒雄氏(85)であり、球界のみならず、時には日本の政治にも口をはさむドンである。何が起きたのか興味を持ったが、清武氏の言葉をそのまま伝えれば、清武氏らは事前に来季構想を渡邊氏に文書で提示、説明していた。それなのに自分には報告がなかったと渡邊氏が言うのは、同氏が酔っ払っていて忘れてしまったのではないかというのだ。

真相については判らないが、今日(12日)の読売新聞は、この内紛について小さくべた記事で扱っている。恐らく渡邊主筆の"鶴の一声”に配慮したのであろう。難病の患者に対してよく"セカンド・オピニオン”という言葉をきく。主治医だけでなく他の医者の意見をも聞けという意味だ。発行部数日本一を誇る読売新聞だけ読んでいる読者には、この巨人軍のゴタゴタはよく伝わらないのではないか。

12日の読売新聞は野田総理のTPP交渉参加表明について社説からコラムに至るまで”日本に有益な開国の決断””逃避より雄飛の国へ”と諸手をあげて大賛成の論陣をはっている。まさかそんなことはないと思うが、伝えられる政界の大御所、中曽根康弘元総理(93)とナベツネ氏(85)との"関係が鶴の一声”となって紙面に反映されたわけでもあるまい。