都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧杉浦商店

2024-09-06 | 品川区  
旧杉浦商店
所在地:品川区 南品川6-7
構造・階数:木・2
建設年代:戦前
解体年 :2017(平成29).7
Photo 2006.9.17

 ゼームス坂の坂下近くの左側(西側)にあった青果店。住宅地図では杉浦商店、または杉浦青果店などと記されていた。
 坂側の間口が比較的広い銅板張り看板建築。この写真では判らないが、下記リンク先掲載の写真を見ると、平入りだったことが判る。

 青果店は2000年代前半までは営業していたようだが、その後、10年ほどは仕舞屋になっていた。界隈には戦前に建てられたと思われる銅板張り看板建築が点在していたが、近年はやはり減ってきている。

旧杉浦商店 品川区南品川 - 東京ノスタルジア
杉浦青果店、浅田電気店/南品川6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 品川区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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旧 加藤物産KK?/旧 村井堀留店

2024-09-03 | 中央区  
旧 加藤物産KK?/旧 村井堀留店/東京中栄株式会社(倉庫)
所在地:中央区 日本橋堀留町 2-1-6
構造・階数:木・3
建設年:戦前?
解体年:2011〜13(平成23〜25)
Photo 1996.10.6

 解体直前に見て写真を撮った(3、4枚目)が、昔の名前などが判らず気になっていた建物。最近、90年代に撮ったリバーサルフィルムを見返していたら、同じ建物をたまたま撮っていたことが分かった。そこで改めて昔の住宅地図などを国会図書館などで閲覧。以前よりは少しだけ様子が分かったので再掲。

 戦前(1932年・昭和7年)の火災保険特殊地図では「内田」。なんらかの商店だったのではないかと思われるが詳細は不明。写真の建物が「内田」だったかも不明。

 戦後(1949年・昭和24年)の火災保険特殊地図では「加藤物産KK」。堀留町2丁目の一部は戦災では焼失しなかったようなので、昭和10年代とかに建てられたものなら、この建物はかつては加藤物産KKだったのかもしれない。もちろん建物の古さ加減からの推測だが。

 1963(昭和38)年発行の全住宅案内図帳・中央区では「村井堀留店」。加藤物産KKも、村井もしくは村井堀留店も今はない会社のようで、詳細は不明。同名の会社は国内にあるが、それらの創業時期や沿革から判断すると、この時期に日本橋堀留町にオフィスがあった会社ではないようだ。

 1973年、1980年の住宅地図では空き屋で、かなり前にいちど使われなくなっていたようだ。

 1995年の住宅地図では、東隣の東京中栄株式会社の倉庫。1枚目のファサード部分を少し拡大すると、隣の東京中栄株式会社のビルとほぼ繋がっているように見える。


 Photo 2011.1.26

 その後の住宅地図によれば、2000年頃以降はまた空き屋になっていたようだ。東隣にあった東京中栄株式会社のビルもなくなり、跡地には2002年にマンションが完成している。新しめのビルだけがなくなって、古い木造だけが残っていたのはなにか理由があったのだろう。

 2011年の撮影時、木造3階の建物は崩れかけていた。壁が剥落して壁裏が見えており、木造モルタル塗りだったことが逆によく分かる。
 倒壊のおそれがあるので近づかないようにという貼り紙があり、中央区役所が管理しているようだったが、どのような経緯でそうなったのかは分からない。


 Photo 2011.1.26

 写真の後、3月の東日本大震災で半壊したそうで、その後建物は解体され、現在は同所もマンションになっている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #看板建築  #モルタル看板建築 
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建物情報更新について

2024-09-01 | Weblog 

 ブログの開始当初は、景観全般について、また階段や建物についても書いていたが、長期間断続的にやっているうちに、次第に方向性が変化して、現在は失われた建物が中心になっている。これとは別のテーマについても採り上げようとは思っているが・・・。

 それで、当初は建物が消失したことのみ書いていた。しかしなかには撮影時には既に建設当初と使われ方がかなり異なっていたものもある。遊興施設や看板建築などでは、昔は店舗だったものが、業種が変わったりした末に終盤は仕舞屋になっていたものも多い。

 以前はたまたま昔の状況を知り得た場合のみ、その移り変わりを書いていたが、最近は、昔その建物が何だったのかが気になるようにもなってきた。

 建物が失われてしまい住んでいた人などに尋ねることがもはやできないことも多い。そこで、ひとまず旧版の住宅地図などで判明した範囲で記していくことにした。

 記載内容の変更点が多く記事がかなり変わってしまうものは、改めて日付を最近に移し替えてご覧いただくことにした。以前にいちど見たことがある写真がまた出てきてしまう場合もあるが、そのあたりは御容赦頂ければ幸いです。

 コメントについても以前のものをそのまま残して行く方向なので、記事との食い違いが生じてしまうかもしれませんが、それについても了承頂ければと思います。

 ものによっては記事タイトルも変わってしまうかもしれません。

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2024年8月 記事一覧

2024-08-31 | 記事一覧 

08/03 旧東京市営真砂町住宅・山口邸
08/06 金子書店
08/09 旧桜湯

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旧桜湯

2024-08-09 | 品川区  
旧桜湯/酒処写楽(西側)、エイコー仏壇(東側)
所在地:品川区 南品川4-2-12
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2011(平成23).6
備考 :創業は戦前。1960年代頃に廃業
Photo 2006.9.17

 ゼームス坂を下って、第一京浜に出る手前にあった建物。撮影時は居酒屋と仏壇屋になっていたが、元は銭湯だったのではないかと直感したもの。

 少し前の住宅地図を見れば、銭湯の名前もわかるだろうと思ったが、ゼンリンの住宅地図1973年版(品川区で最も古いもの)ではわからず。かなり昔に廃業して転用されていたらしい。

 戦後まもなくの火災保険特殊地図でようやく桜湯という銭湯だったことが判明。戦前版にも同名の銭湯「櫻湯」として掲載されており、かなり古い銭湯だったことがわかった。


 Photo 2011.5.22

 ただ、この場所は第二次大戦中には建物疎開が行われた場所のようだ。だとすると戦時中いちど解体されて、戦後まもなくに建て直して再開したということになる。古い銭湯のようなすごく立派な宮造りではなかったというのはその辺のためだろうか。

 しかし、廃業したあと40年ほどに渡って使われ続けていたというのはちょっと興味深い。使おうという意思があれば、どんな建物でもなんとか使い回せるということなのかもしれない。

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