今日も髪はクルックル

コーヒーロースターの毎日です。

創作物にリアリティっていうのは必要なのだろうか

2016-08-19 08:17:32 | Weblog
すごいらしい、ゴジラ。
もちろん見てませんけど。
だけど、SNSなどですでに見た気になっているのが、いけないなあと思うわけです。
映画にもゴジラにも庵野監督にも思い入れが無い私が思うことはひとつ。
映画ってなんだかんだ言っても、破壊力と伝播力が大きいんだなあと。
小説なんかは100万部売れたところで、こんなに話題にならない。
ひとりで読むもの、みんなで観るもの、場を共有するっていうのは大きなことなんだと
思ったりするわけです。

小説とか映画とで最近気持悪いのが、やたらリアリティって言葉が出ること。
だけど、そんなもの必要なのかしら。
リアルに作り込めば作り込むほど、見る側の想像力は削り取られていくように思う。
髪形や服、容姿についてこと細かく書いている小説を読んでいると、悲しくなる。
そんなことくらい、読んでる人の好きにさせてよって。
でもね、きっと、今は全て書いてなければいけないんだろうな。
見方も含め、裏事情まですべて。
もしかしたら、今エンターテイメントを楽しむのに一番邪魔なものは想像力なのかもしれない。

今のすごいグラフィックのゲームより、昔の簡易なゲームのほうが熱中した。
それは、アイデアと構造で出来ていたからだ。
今は、それがキレイな画だとか、リアリティとかに力が入りすぎているからだと思う。
違うのかしら。
どこかで見たことのあるものばかりだ。
何かが流行れば、それに近づいてしまう。
仕方がないのかもしれないが、仕方がないと思わず生きていくほうがカッコいい。
人に与えられた、もっとも素晴らしい能力は、想像力、そう信じていたいんだ。

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カテゴライズする世界とはバイバイだ。

2016-08-19 07:49:19 | Weblog
昨日たくさん話をした。
もっとどうにかしないと、そう焦っていた私の心を鎮めるかのように、
「庄野さんの好きなようにすればいいのよ」って言ってもらえた。
その言葉でスッと心が解れた。
私はただただ肯定してもらいたかったのだ。

自意識過剰の小心者で、人一倍承認要求を高いくせに、
いい人になろう、いい人に思われようと、してきたのかもしれない。
えっ、そんなことないじゃん、好きなこと言って、好きなことやってんじゃん。
その通りだ。
だけど、もっともっと好きなことをやりたいんだよ。

誰だって肯定されるとうれしいし、褒められてイヤな気分になることはない。
悪口は何もうまない、いや、いろんなものを失くすだけ。
ポジティブとかネガティブって話じゃない。
そんなのどっちだってあるのが人間、どっちかだけの人なんていないよね。
もうね、カテゴライズする世界とはバイバイだ。

こうじゃなきゃいけないより、こうだったらいいな。
こうあるべきだより、へーそんなこともあるんだ。
受動的な能動、そんな感じ。
今日もたくさん焙煎出来ます。
汗かいて働いて、酒飲んで眠る、それでいいんだって思える、暑い夏、がんばりましょう!

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