前頭側頭型認知症 夫が前頭側頭型認知症に

夫が63歳で前頭側頭型認知症と診断されました。
若年性認知症なのだそうです。そんな夫の事など綴っていきます。 

17.主治医との面談(ブログが消えた~~)

2013-02-16 00:04:58 | 健康・病気・認知症

あとは公開するだけまで記事を書いたのに、保存せず確認を押したら、どこをどう間違えたのか、全部消去されてしまた~~~~~~ 

もう疲れたので 明日また書き直します。


16.2011年(平成23年)一時(糖尿病)血糖値高くなる

2013-02-14 02:21:38 | 健康・病気・認知症

夫の血糖値-自己管理のノート- を 見ると

今現在(2013年)から2年前の

2011年(平成23年) 1月頃 から 5月 位は  A1C   7.5 ~ 8.1 の間を上がったり下がったり

摂取カロリー 2000kcal 

日本糖尿病学会編 の 食品交換表 を 参考に 20年近く作り続けてきたので私としては、確信はないが、 カロリー計算に大きな間違いをして料理を出していたとは思っていない。

食事は和食中心 肉は鶏肉ささ身か皮なしの鶏胸肉・豚ひれ肉、魚は万遍なくいろ
んな種類を、砂糖は使わず、K coffee のノンカロリーのガムシロップを使い、てんぷら、から揚げはご法度と作らず、油もオリーブオイル1日大さじ1と徹底していた。

ただいくら言っても夫が聞き入れてくれなかった(2011年)のが、牛乳などの乳製品と果物。血糖値が上がると思い込んでいて、絶対食べないと宣言していた。そのため、その分カロリーをタンパク質に置き換えて、魚や肉の単位としていた。

血糖値も 1月から 3月 頃は 200越えが 普通になっていた

4月からは徐々に血糖値下がり始め、昼食前中には朝食前に血糖値80以下の低血糖の日もあった。ここからとんとん拍子に血糖値は安定し始め、12月にはA1C6.4となった

この好結果には理由がある。

冬場は、運動不足。
雪が降ると、普通なら雪寄せなど結構きつい作業があるのだが、主人玄関から門柱まで、人一人歩ける分だけサーッとスコップで押し出しておしまい。雪が降ると散歩には行かない、圧雪凍結でも散歩にでない。家で体操するからいいと、レコード鑑賞に、推理小説に読みふける毎日。運動と言っているがエアーの投球と素振り、相撲のシコふみ、ちょっとだけ座ったままの柔軟体操。

わたしにはとてもカロリーを消費するような生活には思えなかった。いくら私が散歩したらと言っても聞き入れてくれなかった。


冬場は、わたしが愛犬の散歩、ただし、夫も天気の良い、雪の降らない、雪の状態の良い、自分の気分の向いたときは、散歩に行ってくれた。そして、大がかりな雪寄せは、わたしの仕事。夫は車の免許を持っていないので、車の上に積もった雪も車の周りや庭の大部分。袋小路の細い我が家の道路の除雪。3か月の間、私は頑張っていました。(結婚してずーっと。私は雪深い所で育ったので全く苦ではなかったから。夫はあまり雪の降らない沿岸部育ちだからなのです)

そして、春になると、夫は活動を始めます。
食後の犬の散歩。このころ2011年は雨が降っても合羽を着たり、傘をさして、よっぽどの土砂降りでない限り、犬の散歩に30分出ていてくれました。昼前は自転車で自分の計画通り、古本屋に出かけたり、土手沿いを自転車で往復30分乗ったりしていました。病院へも自転車で出かけていました。雨の日以外は。
家の中でも冬場と同じ運動?を。


2009年(平成21年)に夫が退職してからはこんな生活だった。(うつ状態で休職中もこのような生活だったように思う)

2010年(平成22年)には、夫の1歳下の妹がガンで亡くなっている。そのため、夫もかなりのショックを受けて、冬場何もしたくなかったのかもしれない。だから結果的に2011年の1月から4月には血糖値が極端に高くなったと思う。


2011年(平成23年)12月には血糖値も落ち着き、A1C6.4に、なっていた。
  インスリン注射 ノボラビット 朝 19単位   昼1 3単位   夕 16単位
             ランタス   夜9時 8単位


夏頃には通っていた、心療内科の先生から、うつ状態が治ったと言われ、喜んで帰ってきた。ただ、不眠症の薬だけは、いただいて、一ヶ月に一回診察に行っていた。


夫はとてもがんばりました。











 




 


15.面会に行って(若年性認知症のご主人を・・・)

2013-02-13 01:31:30 | 健康・病気

H25.2.10 面会に行って

『今日は4時には帰らないといけない』と入室そうそうに宣言


夫は何やら落ち着きなくナースセンターの方ばかり気にしている
今入院しているS病院は内科精神科の病院です

なので、認知症の人と精神を病んでいる方が同居状態です

室内に簡易トイレがおいてありました。

夫は『あいつ、おかしくてよ』『あいつ、俺の首絞めて、柔道の技かけて投げたから頭ぶつけた』と、ベットの金属の柵のふちを手で叩いて、自分の頭を何度もさすり、何度も話す。『いつの事』と聞くと、『この前』という、『この前っていつ?』『・・・(無言)』

前頭側頭葉型の攻撃的な暴言?被害妄想?

なんどもナースセンターの方を見に、ベットから下りて、ドアの窓の傍に立って見ている。嫌いな人が来ると、見ろとわたしを呼ぶ。行かないと声を荒げるので、見に行く。

話を逸らそうと、姑に電話するも

携帯電話を自分で持とうとしない。ナースセンターの方をジッと見ている。

姑が電話に出ても、『え』と、あとは一言も声を発しない。

姑の声が携帯から響いてくるだけ、ちょっとして『〇、元気でな、へば電話切るからな』と電話が切れた。

次、長女に電話、夫は無言、わたしが娘と話す。インターネットで調べた作り方でジャムを作って、友達のところに持っていくとか。そのことを夫に伝えても、ただじーっとナースセンターの方を見ている。そのことを伝えて、電話を切る。

次に、次女の所は。仕事で出ないとは思ったものの、やはり、留守電状態

留守電に何か残そうと、夫の耳に携帯電話を押し付けて、『◎だから、何か言ったら』と言うと、『◎』と名前を呼んで、またじーっとナースセンターの方をみている、『もう少し何か言ったら』と言うと、『死ぬ』の一言。ガックシ↓。下の娘はどんなにがっかりすることやら・・・

話題を食事に持っていくと、『献立はわからない、窓から捨てた』と言う。前回の面会でも言っていたが、まさかそんなことはないと思って『嘘でしょ』と聞くと、『ほんとだ、窓見てみれ。残飯べったりくっついてきたね(汚い)』という。まさか、え~~~!!!  ありました。ガックシ↓ 当たり前 血糖値も安定しないし、お医者さんも看護師さんも困っておられるわけだ。すみませ~~~ん!!! 申し訳ありませ~~~ん!!!

帰りに、看護師さんに、その事を話しました。看護師さんの方からは、水を多飲しているようで、夜間の尿量が以上に多い(3000~4000ml)で、簡易トイレを置いているとのこと。食事を捨てているのは知らなかったとの事。注意してくださるとのこと。申し訳ありません。水も見つからないよう隠れて、飲んでいるようでとのお話。大学病院での夫への対応(個室にいた時は、洗面台の水道は止められていた、ほかの病室に入り込んで水を飲み、コップを取り上げられていた事)をお伝えして、よろしくお願いしますと帰って来た


H25.2.11  連続で面会に

今日も入室早々、『4時までいられるからね』と、前置きする。

今回の面会では合計4回、叩かれた
機嫌もよくない。前日の私の話で夫が注意されたよう、『昨日余計なこと言ったべ』
コップが取り上げられていた。その方が夫の為!機嫌が悪いが仕方がない。
嫌いな看護師さんは、いなかった。3時、機嫌を直してもらえるぞと、持参した抹茶入り玄米茶を飲ませいと看護師さんの許可を得て、コップを返してもらう。部屋で、まずコップに半分入れると『もっと入れれ!!全部!!』、(やっぱり、200mlだけ入れてきて正解だった)夫は一気飲み。


ちょっとして、また水を欲しがるが、拒否。しばらくすると、尿意を催す。簡易トイレでしたらと促すも、大広間を抜けたところのトイレに行くというのでついていく。夫がトイレに行っている間に、急いでコップを返却。おしっこをすると必ず水を2杯飲むのでと付け加えて。

夫、案の定『コップは?』『お茶飲んだら、返してくださいって言われてたから返したよう(そんなことは言われてない)』  → 叩く  同じことの繰り返し

4度目にわたし、『叩いたら痛いよ』と言うと、『余計なこと言うなよ』と先回りの発言

『ちょっと来い』と大広間に出るのを嫌がっていたのに、わたしを連れて行く

『ちょっと見てみれ』と、病院からのお知らせ(掲示物)を見せる。病院の規則について書いてある。夫は転院についての説明が書いてあると言ってその文章を探している。そういう文章はどこにも見当たらない。(ごめんね!!転院も家に戻るのも今はできない。そのうちきっと、内に連れてかえるから・・・)

4時近くになり『そろそろ帰りの時間だ』と言うと、『もう少し居れ、4時半まで居れ』と言って引き止められる。『ん~~、4時15分までね、ここから家まで車で30分かかるし、犬の散歩あるし、おばあちゃんにご飯作らなくちゃいけないし』『わたしが帰った時、この窓のカーテン開けて外見ると、私が帰るとこ見えるんだよ』と教えた。

看護師さんに、<夫は被害妄想だと思うけど、首絞められたとか、投げられて頭撃ったとか、言っています。>看護師さん、<そういうことを感じさせないよう、対応を考えます>と言ってくださった。《被害妄想の病院の対応に文句を言っている訳ではないけど、そうとられて、追い出されたらどうしようと、う~~~ 自分の行動に自信なし。看護師さんに話したのは間違いだった???誰か教えて~~~!!!》

口は災いの素かも  ん~~~


病院を出て、夫の病室の方を見上げると、

お~~~!!!!!   見てる!!!  ちょうど顔だけ窓のふちにのせて、カーテン右手で押さえて

 

わたし  うれしくて手をブンブン振るも   反応無し 悲し 空し


こんな面会の2日間でした

 

でも、たくさん収穫あり。発見あり。

予めの宣言は有効。

言っていることはまだ判る。記憶していられる(興味の有る事だけ?) 

話せないけど、気持ちは有る(会いたいとか、まだ居て欲しいとか、とても不安だとか)

血糖コントロールで、強迫観念にとらわれている?(以前からそうだったけど、認知症になってさらに強調された?)

 

ここ2日間でたくさんのブログ(ご主人が若年性認知症の方等)を拝見して、その大変な根気強い愛にあふれた対応と、アイデア、とても勇気づけられました。わたしは、まだ何もしていない。これからだ!!

若年性認知症のご主人を介護されているみなさ~~~ん ありがとう!!!!!

これからもブログ拝見して、励みにします!!!参考にさせていただきます!!!


14.前頭側頭型認知症と知らなかった去年の事

2013-02-10 02:27:51 | 健康・病気

2012年 わたしは 夫が前頭側頭型認知症 とは 知りませんでした

ただただ 夫の あまりの 過度の 執拗な こだわり に

閉口 反発 抵抗 非難 を ことばで 表情で 態度で 示していました

毎日毎日 ケンカ 口論・・・・・・

ついには もうこれ以上 夫との 生活は 続けていかれない とまで 思いました

わたしのしている事が 全く 一切 認めてもらえないのが 一番の 不満でした 

悲しくて くやしくて つらくて やりきれなくて  もう 一杯一杯 でした

娘たちにも 今思えば ひどいことだったと 思いますが、 母親の悩みを

ぶつけていました。 ごめんなさいね。 『 離婚してもいいよ 』   なんて言わせて

実家に帰って、離婚の事を相談しました。離婚がどんなに大変か≪法テラス≫の資料を弟がダウンロードし、印刷してくれました。弟も認知症の母の面倒を見てくれていますが、母は普通に老化による認知症で、物忘れはあるものの、感情も思考もまだコミュニケーションの取れる状態です。わたしの離婚は残念だけど、戻ってきてもいいよと、行ってくれました。弟も 『 いいよ、戻って来い 』と言ってくれました。

そう言われると、ちょっと考え直すというか、躊躇するというか・・・
(弟もそうなると解っていて≪法テラス≫の資料を出してきたのだとおもいます)
(冷静になれよ と 言いたかったのでしょうけど、わたしがかなり感情的だったから、非常手段というか、そういう 荒療治に でた野だと思います)⇒今は離婚しないで済んだので、感謝しています。
でも、その時は、結局、離婚用紙を取りに市役所の窓口行き、用紙を持って帰りました。
それを、喧嘩の武器に、わたしを認めさせようと必死でした。
ばかな 逆効果になるのは 目に見えていた ことでした


その ばかな わたしと 去年の 夫の こだわり を 具体的に 書いていきます

いまさら 時間を 逆戻りさせられない 無駄な事ですが ・・・

改めて 夫の あの時のあの状態が 前頭側頭型認知症 の 症状だったと

私自身が再確認する意味で 書いていきます。







13.前頭側頭葉型認知症の告知 と 介護度判定

2013-02-07 23:29:41 | 前頭側頭型認知症

わたしは 二人の娘に同席してもらい

2012年10月16日(火) 

 夫が 前頭側頭型認知症 であると 主治医から聞きました

 夫の年齢が 63歳なので 65歳未満だと 若年性認知症になるとのこと

アルツハイマー型認知症には、 アリセプト という 薬の効果があると
解ってきたが、

  
前頭側頭葉型認知症には 治療法が ない  と 言われました

( あ~~ やっぱり 認知症 だったんだ ) と 簡単に 納得してしまいました

その時は 前頭側頭葉型認知症が どんな症状が 出て

どんなに 大変か など 全く解りませんでした

また、脳の委縮も どの程度に進むのかわからないとの事でした



暫くして  インターネットで いろいろ 検索し
調べて、 人格破壊 が 前面に出て、記憶は残っている などの特徴
それに、具体的に 若年性認知症で 40代で ご主人が前頭側頭葉型認知症に
なってしまって もの凄い 大変な生活をされている ブログを見つけました
( ウエブリブログ 【前頭側頭型認知症 ~主人が若年性認知症に~】 )
どんなに 大変な認知症か わかりました



それから 大学病院に入院している夫を二度外出・一回外泊をさせた時の事 

あまりの 夫の こだわりに 閉口し 困惑し 夫との生活に困難さを感じて 夫と 激しく 喧嘩をしました

わたしの夫に対する世話の仕方(食事についても)が気に入らないと非難されました
あまりの 執拗な 叱責 批判を越えて 非難 な ため
わたしは 入院前も (夫が認知症とはそのころしらなかったので)離婚すると言っていたことを 持ち出しました 

【 認知症には 逆効果だと 思いましたが いくら認知症でも がまんができなくなりました 】                   ひどい 嫁です


外泊させた時 ( 11/18 )は ひどい 事に なりました

外出時と 同様 執拗な血糖測定器やインシュリン注射の仕方のこだわり

           執拗な 姑(86歳の夫の母)への つきまとい
           一時も じぶんの傍から離したがらないのを 
           わたしが 引き離す  ⇒ 怒り出す わたしを小突く

       多量の水の摂取 ⇒ 低ナトリウム血症なので 一日1000mlを
                     守らせようと 見張り 注意し がぶ飲みを
                     止めさせる。  お茶も薬を飲む時も計量カップで
                     計測して、茶碗・コップを渡す
                         ?
                     不満で さらに じぶんで 足す
                         ?
                     ナトリウム値が下がるので わたしが 止める
                         ?
                     不満を表し わたしへの 非難が強くなる

      どこへ 行くのも 見守ると 言いながら 監視している状態


夜、 ようやく わたしの 時間が取れて TVを観ていると
夫が二階から下りて来て 薬とインシュリン注射をするから と
わたしを 急かしました 『ちょっと待って』と、わたしが言った途端

夫が 突然 わたしの 後ろに来ていて

わたしの着ていた かっぽう着とパーカーの襟を一緒につかんで 持ち上げました

わたしの からだが もちあがりました

『  く・・・ る・・・ し・・   や・・  め・・  て・  』

苦しくて 息ができなくなりました


わたしは 来ていた服ごと 首つり状になりました

恐ろしさは まったく ありませんでした

変ですが・・・・  なぜだか わかりません ・・・・

あまりに 突然だったからなのか

それとも 認知症 だとわかっていたからなのか

経験したことがなかったから 恐ろしさの 判断ができなかったのか



次の日 ( 11/19 ) 大学病院に戻りました

その日は たまたま 市から認知症の判定の為 調査員と面談する日でした

つまり この ひどい 状況を 話すことに なったのです



夫も 同席していましたが 認知症の調査員だと わかると
 『 えっ 』 という 顔になりました

調査員に 夫の不安が 強くなり、 症状が悪化することが懸念されるので
夫にはじぶんが認知症になっていることを主治医も告知していないと 伝えました。
夫は 調査員の質問に ほとんと答えられるのですが
私への質問もあり、わたしは時々泣いてしまいました
そうすると、 夫が 
『 いい子ぶって 泣くな 』 と 怒ったのです
わたしは(え?)驚きました
その後、なぜか早く病室に行きたい様子でした
調査員が 夫を席から 外してくれました
調査は進み、一か月後くらいに判定書が 送られます と言って終了した


 一か月後 判定書 が 届きました

            
要介護 4 ( 2年 )      でした